日本刀それは世界に誇る日本の伝統文化。
美しくも妖しき日本刀の魅力を今宵解き明かします。
人気アニメのキャラクター。
一緒に展示されているのはアニメからインスピレーションを受けてつくられたオリジナルの刀です。
各地で日本刀に関する展覧会やイベントが盛んに開かれ「日本刀ブーム」が起きています。
日本人の刀好きは実は今に始まった事ではありません。
400年以上前の戦国時代にも日本刀の一大ブームが巻き起こりました。
発端は天下人豊臣秀吉の刀狩。
大量に集めた刀には意外な使いみちが…。
幕末動乱。
銃や大砲が主流となり日本刀の武器としての役割は終わりを迎えます。
そんな中新選組鬼の副長土方歳三が最後の瞬間まで手放さなかった刀があります。
それをつくった男もまた刀に生涯をささげた「刀の鬼」でした。
名刀に秘められた数々の物語。
その魅力であなたのココロを一刀両断します。
兵庫県西宮市の黒川古文化研究所。
国内屈指の日本刀コレクションがあると聞いて訪ねました。
こちらに刀剣の展示室がございますのでお訪ねしますね。
よろしくお願いいたします。
はじめまして研究員の川見です。
よろしくお願いします。
いきなりなんですが国宝ですよねこれ。
そうです国宝になってますね。
でも小さいんですね。
14世紀前半相模国現在の神奈川県の刀鍛冶貞宗がつくったとされる短刀です。
さすが国宝。
輝きといい姿の美しさといいどことなくすごみがあります。
こちらの研究所には国宝や重要文化財を含む貴重な刀が100点余り所蔵されています。
でも刀ってどれもみんな同じに見えますよね。
「一体どこを見たら違いが分かるの?」というあなたに……でござる!じっくり見て頂きますと近くに寄っていって見て頂きますと実は刃文っていう刃の部分にある模様なんですが…。
こう波のように見えている…。
刀の上の方白っぽい霧がかかったかのように見える部分。
これを「刃文」といいます。
刃文の形はいくつかパターンがありそれぞれ名前が付いているのだそうです。
大きな波がうねっているようなこの刃文は「湾れ」。
こちらは「互の目」。
ところどころに碁石のような丸い模様が見えます。
まっすぐな刃文もあります。
「直刃」です。
そしてユニークなのがこちら。
波からあがる水しぶきのようなものがあちこちについているのが特徴です。
それがその刀独特の表情をつくり出しているのです。
…でござる!日本刀を鑑賞するもう一つのポイントは「地鉄」。
刃文以外の部分をよ〜く見て下さい。
ちょっと見えにくいですがうっすらと模様があるのが分かりますか?例えばこちらの地鉄木の年輪のような模様がついています。
「板目肌」と呼ばれています。
こちらは「柾目肌」。
細い線が平行に何本も伸びていて木を縦に切った時の柾目のようです。
これは柾目が大きく波打って連続しています。
「綾杉肌」という地鉄です。
表面を間近で見るために今回特別に刀を持たせてもらいました。
右上でいいんですか?
(川見)ちょっと上へ向かうと…。
上を向ける。
これ重いですね。
簡単に持ち上がらないですね。
とても片手では。
重要文化財の刀です。
あ〜…この角度だと結構分かります。
まず刃文はモワモワモワモワというのが分かるし何ですか地の模様?線みたいにこの真ん中に見えるような気もするんですけど…。
皆さん「刃文」と「地鉄」という2つのポイント分かりましたか?
ここで日本刀の秘密を刀鍛冶のこのわしが教えてしんぜよう!日本刀をつくるにはまず真っ赤に熱した鉄の塊鋼を何度もたたいて刀の形に延ばしていくんじゃが…
注目してほしいのがこれこれ。
熱する前の鋼。
二重構造になっておるのが分かるかのう?真ん中にあるのは「心鉄」という軟らかい鋼。
そしてそれをくるんでいるのが硬い鋼「皮鉄」じゃ
これが「折れず曲がらずよく斬れる」日本刀の秘密じゃ!分かったかのうハハハ!
…でござる!日本刀は刀身以外に柄や鞘など20近くの部品から出来ています。
これらは「拵」と呼ばれこちらも見どころです。
例えば「鐔」の部分。
直径10センチほどの小さい面に作り手や持ち主の個性が表れています。
こちらにあしらわれている模様は雪の結晶。
江戸時代後期に考案され流行したデザインです。
これは純度の高い銅の表面に勢いよく竹を彫ったもの。
武士として竹のようにまっすぐでありたい。
そんな真摯な願いが込められているのでしょうか。
こちらは源平の合戦で有名な先陣争いがテーマです。
一番乗りになろうと競い合って馬で川を渡る2人の武士を躍動感あふれる姿で細かく丁寧に描いています。
ところどころに金や銅などが埋め込まれた豪華な作り。
一番乗りを目指す武士の心意気が伝わってくるようです。
刃文や地鉄拵の装飾に至るまでさまざまな伝統工芸の技を結集してつくられている日本刀。
まさに日本が世界に誇る総合芸術なのです。
最近では漫画やアニメゲームなどに登場する架空の刀も注目されるようになっています。
しかしそうした刀の一つが実在していた事が分かりました。
漫画雑誌に連載され大ヒットした「るろうに剣心」。
アニメや映画にもなり今でもファンの多い作品です。
あなた本当に伝説の人斬り?拙者はるろうに。
当てのない旅の剣客でござるよ。
これで人を斬れると思うでござるか?え?何これ。
刃が逆についてる。
(剣心)逆刃刀でござる。
逆刃刀?「逆刃刀」とはその名のとおり刃と峰が逆になった刀の事。
実はこの想像上の刀逆刃刀が平成25年千葉県の旧家で見つかりました。
全長30センチ刃渡り20センチ余りの小さい刀。
普通はこの上の部分に鋭い刃が付いているのですが…。
この刀は峰の部分が刃に刃の部分が峰になっています。
いつ何のためにつくられたのかなど詳しい事は分かっていません。
武器として広まった日本刀ですが現代の日本ではほとんどが美術品として扱われています。
日本刀が美術品となった背景には刀をこよなく愛したというあの戦国武将が深く関わっていたのです。
慶長元年。
豊臣秀吉が天下を統一して6年がたった頃の事。
秀吉はある悩みを抱えていました。
心の声いかにすれば家臣どもが進んで働くようになるかのう…。
この年秀吉は2回目となる朝鮮への出兵を決意します。
しかし前回の戦いで家臣たちは皆疲れきっていました。
心の声う〜む…やはり褒美かのう…。
(秀吉)褒美といえばその昔わしは信長様から由緒ある茶道具を褒美に頂いた。
それがうれしくて次の戦にも勇んで出かけたもんじゃ。
あれくらい家臣たちの喜ぶものがあるとよいが…。
う〜ん…。
…とそこへやって来た一人の男。
殿下これなる刀を近江国で見つけてまいりました。
天下一の刀の目利きとして知られ刀好きな秀吉のために良い刀を探し出しては持ち込んでいました。
心の声ほう。
これは見事な刀。
そうじゃ!刀じゃ!当時秀吉は「刀狩」を実施。
全国から集められた無数の刀が使いみちもなく眠っていました。
その中から出来の良い刀を見つけ出し褒美として与えればタダで家臣たちのやる気を引き出せる。
その方刀の目利きは日本一であろう。
ははっ。
こうして秀吉の命により日本初の公に刀剣を鑑定する部署が設置され鑑定が始まりました。
これはいかがでございましょう?
(落胆の声)確かにこれは…。
すばらしい!ありがとうございます!探せばあるものですなあ!こっちは…光徳は次々と刀を鑑定していきます。
すると…心の声これで名刀の数はそろったが…心の声わしがいくら良い刀だと申したとて…そこで考えたのが「折紙」と呼ばれる刀の鑑定書。
折紙には…これなら誰が見てもその刀の価値が分かります。
さあ準備は整いました。
早速折紙つきの刀を家臣たちに与えてみると…。
なんとすばらしい刀じゃ!わしのもどうじゃ!わしらはほんに果報者よ!皆大喜び。
我も我もと刀を欲しがるようになりました。
乱世が終わって…この「鑑定システム」のおかげで刀は美術品としてその価値が急上昇!これは秀吉自身が集めた名刀の数々。
その数180以上。
愛用の「一期一振」から信長の持っていた「義元左文字」までまさに名刀のオンパレードです。
ところが…。
慶長20年「大坂夏の陣」で秀吉が築いた大坂城は焼け落ちます。
これは発掘調査中に見つかった大坂の陣で焼けた刀です。
せっかく秀吉が集めた名刀もその多くが焼失したり盗まれたりして失われてしまいました。
しかし秀吉と光徳が確立した刀の鑑定は次の江戸時代も連綿と続き…美術品としての日本刀のスタートが400年以上も前にあったなんて意外でしたね。
秀吉のあとに天下人となった徳川家康も数々の名刀を集めていました。
しかしその家康がひどく忌み嫌ったと言われる刀があります。
それは妖刀「村正」。
村正とは戦国時代に活躍した刀鍛冶の名前です。
話は家康の子供時代に遡ります。
ある日ふと目にした村正の短刀を触ったところ手に傷を負ってしまいます。
それを知った家臣たちは驚愕しました。
なぜならその15年ほど前家康の祖父が家臣に突然斬りつけられて亡くなった時使われた刀が村正。
更に家康の父も若くして家臣に暗殺されたと言われますがこれも村正。
そして決定的な事件が起こります。
家康37歳の時長男が同盟関係にあった織田信長に謀反を疑われ自害させられたのです。
その時使われた刀も村正でした。
以来村正は「妖刀」と呼ばれ家康は村正があると直ちに捨てるよう家臣たちに命じたのだとか…。
さて幕末から明治に向かう中日本刀の武器としての役割は終わりを告げます。
しかしそんな時代の波にあらがって生きようとした男がいました。
東京・日野市にある土方歳三資料館。
ここに大切に保存されている一本の刀があります。
長さは70センチ。
反りの小さいまっすぐな姿。
ところどころで変化する波状の優雅な刃文がついています。
この刀の持ち主は土方歳三。
新選組鬼の副長として幕末から明治にかけて激動の時代を生きました。
歳三はこの刀を生涯最後の瞬間まで持っていたと伝えられています。
銘は「和泉守兼定」。
刀鍛冶の名前です。
歳三の愛刀をつくったこの刀鍛冶にもまた秘められた物語がありました。
兼定が父について刀づくりを学ぶようになったのは14歳の時でした。
心の声いずれ私も父上のように…。
兼定は若くして才能を発揮します。
これは兼定26歳の時につくった刀です。
小さい剣先。
幅も狭くおとなしい印象の刀。
地鉄は細かく美しい柾目肌。
丁寧な仕事ぶりがうかがえます。
兼定は刀鍛冶として高い評価を受けるようになります。
兼定が刀をつくる時特に大事にしたのは「会津の刀」である事。
刀の原料となる鉄の塊鋼は…そうした中…会津に生きる刀鍛冶として会津でしか生み出せない刀を打ちたい。
そんな思いからだったのでしょうか。
やがて転機が訪れます。
兼定は京の都に上る事となりました。
京の都じゃ!殿をはじめ皆様お変わりないでしょうか?さあさあ急ぎましょう。
心の声私の打ったこの刀が我ら会津武士の命を守るのだ。
これは兼定が京都で打った刀です。
会津にいた頃に比べると先の部分が大きくなり力強さが感じられます。
このころ兼定は京の朝廷から「和泉守」という官職を授けられます。
会津屈指の名刀鍛冶として朝廷からも高く評価されるようになった…その一人が新選組の土方歳三です。
新選組を率いた近藤勇の手紙には土方の刀が和泉守兼定であると書かれています。
兼定の刀をひっさげ土方は池田屋事件など都の治安を守る場面で奮戦しました。
心の声刀を打つ事は私の戦だ。
ここは私の戦場だ!兼定が当時詠んだと思われる和歌があります。
「一槌一槌気を抜かずに魂を込めて打とう。
勇者の守りとする刀なのだから」。
ところが時代を揺るがす事件が起こります。
反幕府勢力の先頭に立つ長州藩の軍勢が3,000の兵で京の都に攻め上ってきたのです。
会津藩は藩士を総動員し御所の門で長州勢を迎え撃ちました。
(銃声)長州のやつらに目にもの見せてくれん。
よし今だ!しかし長州勢は洋式銃を装備。
火力で会津を圧倒します。
薩摩藩の援軍でなんとか撃退できたものの兼定は大きな衝撃を受けます。
心の声もはや刀は戦では役に立たぬという事か…。
会津の鶴ヶ城は長州藩などから成る新政府軍の総攻撃にさらされます。
会津に戻った兼定は城に立て籠もり最後の抵抗を続けます。
敵の砲撃を受ける鶴ヶ城。
そこに刀鍛冶としての仕事はもはやありませんでした。
心の声今私にできる事はこれだけだ。
当時実際に使われた鉄砲の弾です。
城内では新政府軍の撃ってきた大量の銃弾を拾っては鋳直して使っていました。
無念じゃ…。
戦の後会津を去った兼定が暮らした越後国現在の新潟県加茂市です。
ここで兼定がどんな暮らしをしていたのかそれをうかがわせるものが残っています。
神社に伝わる兼定でございます。
これらは全て…刀の銘には今まで見られなかったものが刻まれていました。
それは刀を注文した町人たちの名前。
彼らが家内安全子孫繁栄祈願のため神社に奉納する刀でした。
兼定は町の人たちのために刀をつくって暮らしていたのです。
やがて明治9年政府によって廃刀令が出され軍人や警官以外が刀を帯びる事は禁じられました。
この時刀鍛冶の多くが廃業を余儀なくされます。
家族を支えるため兼定もまた刀鍛冶をやめ福島県の職員として残りの人生を歩む決断をします。
それから30年近い月日が流れた明治36年。
兼定は突然…心の声陸軍が私に何の用だ。
東京へ向かった兼定。
既に67歳になっていました。
待っていたのは思いも寄らない依頼でした。
こたび帝国陸軍では我が国の刀を英国公使に贈呈する事とあいなった。
貴公は名のある刀鍛冶だったと聞く。
どうだ刀をつくってくれんか?前年日本は欧米列強と初の同盟を結びます。
イギリスとの「日英同盟」。
友好の証しに贈る刀をつくってほしいというのが陸軍の意向でした。
心の声新しい時代新しい日本のための刀。
よし私の知識経験人生の全てを懸けてこの刀を打とう。
承知いたしました。
その日から兼定は再び刀づくりに専念しました。
67歳の体を限界まで使いひたすら刀を打ち続けたのです。
心の声この仕事なんとしてもやり遂げてみせる。
ええい!しかし2か月後…この時兼定が取り組んでいた刀は一体どうなったのか?記録には何も残っていません。
ところがそれから100年たった平成16年。
一振の刀が研究者の調査で見つかりました。
これはその刀の形を写し取った「押形」と呼ばれるものです。
なんと刀には「東京砲兵工廠」の文字と共に兼定の名前が刻まれていたのです。
この押形がとられたあとの刀の行方は分かっていません。
しかし確かに…時代の波に翻弄されながらも刀鍛冶に生涯をささげた和泉守兼定。
兼定が打った数々の刀は今も名刀として私たちを魅了し続けています。
今宵の「歴史秘話ヒストリア」。
最後は…そんなお話でお別れです。
はい。
幼い頃から祖父や父の背中を見て育ち刀鍛冶に憧れたといいます。
19歳の時父に弟子入り。
今そのもとで2人の弟弟子と刀を打つ日々です。
月山派の一番の特徴は地鉄に浮かび上がる独特の模様。
代々受け継いできた伝統を守りながらも貞伸さんは今新たな取り組みを始めています。
これは貞伸さんがつくった守り刀。
人気アニメとのコラボレーションでその世界観を刀で表現しました。
日本刀は遠い昔のもの。
そんな固定観念を打ち破りたいと貞伸さんは考えています。
博物館や美術館で開かれる日本刀の展覧会には今特に若い人たちが多く訪れます。
伝統的な鑑賞法にとらわれず思い思いに日本刀の魅力を楽しんでいます。
平安時代から現代まで1,000年の歴史を持つ日本刀。
昔も今もそしてこれからも日本刀を彩る物語はつくり手と刀を愛する人たちによって紡がれていく事でしょう。
2015/07/08(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「あなたのココロを一刀両断 日本刀ものがたり」[解][字]
今話題の日本刀ブーム。いったい何がそんなに魅力的なのか。日本刀を楽しむポイントを紹介。信長・秀吉や新選組・土方歳三が愛した刀も登場。日本刀の深い世界をご案内。
詳細情報
番組内容
今話題の“日本刀”ブーム。日本刀が人々をひきつける秘密は何か?日本人と刀の歴史物語をお送りする。渡邉アナが兵庫県西宮にある黒川古文化研究所を訪ね、国宝・重文級の刀を拝見。その魅力や鑑賞のポイントを紹介。さらに日本刀が美術品として注目されるきっかけとなった戦国時代の“名刀ブーム”と豊臣秀吉の意外な関係とは?そして新選組“鬼の副長”土方歳三の刀を打った名刀工の波乱万丈の生涯など、日本刀の魅力が満載!
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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