2100分de名著 小泉八雲 日本の面影 第2回「古きよき日本を求めて」 2015.07.08


(ものまねで)はい先生。
はいありがとうございます。
小泉八雲「日本の面影」。
そこには明治の古きよき日本の姿が美しい文章で描かれています。
39歳で日本を訪れた八雲は島根県の松江で英語教師の職を得長期滞在を決めました。
その暮らしの中で八雲は庶民の生活に深く入り込みます。
そして先祖を祀るお祭りや人々の信仰を集める出雲大社古くから伝わる迷信や伝説に強く心を震わせたのです。
「100分de名著」「日本の面影」。
私たち日本人の中に眠っている心の深層を読み解きます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…さあ今回の名著は小泉八雲の「日本の面影」ですが前回あの日本へやって来た八雲ほんと自分探しの旅だったというお話でしたね。
そうですね生い立ちから考えるとなかなかしっくりいく自分の居場所みたいなものがなくて自分に合う場所自分の場所みたいなのを求めて求めてどうやら日本にと。
恋い焦がれてね。
恋い焦がれてね。
ちょっと面白いところでございます。
今回からはいよいよ八雲が日本での滞在中に見た庶民の暮らしから日本の姿をひもときたいと思います。
指南役ご紹介いたしましょう。
早稲田大学教授池田雅之さんです。
よろしくお願いいたします。
さあ先生今回はどういうお話でしょうか。
いよいよ八雲さんが松江に行きまして深い日本DeepJapanの旅を続けていく事になります。
また出雲の神話の世界に入っていく。
だからみんな一緒に八雲と共に旅ができればなと思います。
今の私たちにもなじみ深い「ある事」に八雲はとても感銘を受けます。
1890年4月に横浜に到着した八雲はその後島根県の松江に英語教師の職を得ます。
そして8月横浜から松江に向かいます。
人力車の旅は風景を味わうのに十分な時間を八雲に与えてくれました。
松江までの道中八雲は美しい風景に感動を覚えていました。
8月28日八雲は鳥取県の上市に宿を取ります。
八雲は宿での食事のあと聞き慣れないゆっくりとした手拍子と太鼓のドーンという音を聞きます。
すると通訳のアキラがこう言いました。
踊りの輪の中に立つ八雲はまるで自分が魔法の輪の中にいるかのように錯覚していました。
幽霊のような手の振り美しい袖の軽やかなはためき。
八雲は神秘的な笑みを浮かべて踊り子たちが踊る様子にすっかり魅了されていたのです。
夢を見ているようなひとときを過ごし宿に帰るとこう書き記しました。
八雲は自分は踊っていないのにまるで一緒に踊っているかのように感じていました。
生者が死者の霊を迎えて共に舞う盆踊りに西洋人である八雲の体が共振したのです。
…って事かな?思わず何か…。
あの文章を読みながらこういう振りかな?みたいなのをちょっとねやりたくなる。
盆踊りに感銘を受けるんですね。
盆踊りというのは……という事が恐らく基本だったんだろうと思いますね昔は。
僕らよりも全然八雲の感性が鋭いから一気に入っていくんですよねそこに。
盆踊りとは何かという事に。
俺らの方が若干知ってるはずなのにもかかわらず八雲の方が入ってくるのに悔しさというか。
そしてやはり初めて八雲が日本の盆踊りに遭遇してその音楽だって初めて聴くわけですよね。
全然音階も違うし踊りの手つきも違うけどもやっぱりそこに響き合うまあ民族性と言いますか民族が培ってきたようなものを…盆踊りを見て…そういうものに響き合うものを持ってる。
盆踊りを見て人間の感情について書き記している部分があるんですね。
ダイナミックなんだよなここ。
こちらです。
この「場所」というのはアメリカであるかもしれないしラテンアメリカであるかもしれないし場所はどこでもいい。
時代も限らないと。
しかしそこで共鳴し合うものがあるんだと。
だから死者を迎えて生きてる者が踊るわけだけども八雲自身は…何か普通感情って今起こった出来事が僕の中で僕にとって悲しいとか僕にとってうれしいみたいな事だと思い込んでるんですけどこの考え方で言うと何かこうず〜っと古代から脈々と喜びも悲しみも哀れみもさみしさも全部充満してるものと言うかずっと小さく震えてるものでいつもはその震えをキャッチできないけどみんなで盆踊りをやった時にとかその日だけ発見できたりその日だけ動いたみたいな事で何かねとにかくダイナミックなほんとに宇宙的であり。
やっぱり盆踊りを通じて八雲が見ているものはやはり人間のいろんな喜怒哀楽と言うか喜びと言うか悲しみと言うかそういうものを見ながら書いてるんじゃないかな。
だから八雲さんは日本というローカルな世界から見たらローカルな一つの特殊な場所を描きながらそれゆえに普遍性を持つと。
誰が読んでもと言っていいかどうか分かりませんけど感動せざるをえない。
日本の盆踊りなんか知らなくてもですね。
生者と死者の交流である盆踊り。
何が共振したのかこういう言葉で八雲は表しています。
やはり八雲さんのこの心の中魂の中にある外界に対する共鳴器みたいなものですよね。
響き合う器みたいなもの八雲さんの中にあったんだと思いますね。
八雲はなぜ盆踊りを初めて見て異国で見てああこれが何か霊的なものでもあり鎮魂的な事でもあり死者と生者が一緒になってる事でもありみたいな事がどうしてすぐに理解できるんですか?そこ気になりますよね。
気になりますね。
これね「ゴーストリー」という言葉を使った背景に実は八雲自身のあるお化け体験があるそうなんです。
八雲は幼少の頃強烈なお化け体験をしました。
父と母と別れダブリンの大叔母の屋敷で生活していた時の事です。
その屋敷に暮らす一人の女性がいました。
みんなから「カズン・ジェーン」と呼ばれ八雲も懐いていました。
カトリックの熱心な信者であったジェーンはある朝八雲に神について説教を始めました。
退屈で我慢できなかった八雲はジェーンに質問しました。
どうして他人に気に入られるよりも神様のおぼし召しにかなうようにする事の方が大事なの?するとジェーンは射るような目で見据え…。
坊や!坊やが神様を知らないなんてそんな事があっていいのかしら?と鋭く問い返したと思うと暗い悲しみの表情を浮かべ…。
それなら坊やを地獄に落とし永遠の業火で生きたまま焼いてあげよう!泣き叫び部屋を出ていったのです。
幼い八雲はジェーンを憎むようになり死んでしまえばよいとさえ思いました。
季節は巡りある秋の夕暮れに八雲はジェーンに再会します。
彼女を見つけた八雲は…。
ジェーンおねえちゃん!…と大声で呼び止め駆け寄ろうとしました。
きっと笑顔で振り返ってくれると期待して。
しかし八雲が見上げると…ジェーンの顔はありません。
そこにあったのは青ざめたのっぺらぼう。
八雲が驚いているうちにジェーンの姿は消えてしまったのです。
これは何なんです?本当に見たんですか?これが何とも言えないですね。
本当に見たんでしょう。
でもそれは何か自分の心理的なものの反映なのか実際ある女性がジェーンとおぼしき女性が現れて八雲にいたずらしたのか分からないんですね。
大事なのは小泉八雲はこれを実体験として見たと。
それは脳が処理したかどうか幻想かどうか分かりませんけどでも見たという事ですね。
きっとあと「そんな事あるわけない」って人に言われたりね「そんな事あるわけない」と思う自分もいたりしてでも闘っても闘っても「俺見たんだから」という事は今後見えないものもあるとか人があるって言おうがないって言おうがそこにあると思えばあるんだという事になりますよ。
ものの考え方が。
八雲さんはそういう確信と言うのか自信と言うのかそれはつかんだと思いますよね。
だからそういうものから作家活動を出発させてるからそれはやはり自分の中に住んでるゴーストリーなものに気がついたというか…ここが正しいと言ってると。
自分の魂が見たんだ。
だからそれこそやっぱり西洋の考え方合理主義だとかですねやっぱり分析していく知性だとかそういうものではなくて本当のその想像力というのは見えない…してみればそういう体験があったから盆踊りを見た時にあっこれは俺には見えない何かと踊ってるかもしれないという事も考えられるし何となくそれが何かみんなが夢中になって踊ってると自分にもここが共鳴し始めると何かいるんだという彼の確信になるわけですよね。
何か蠢いてるというね。
彼は見えるものが全てだと思ってないから。
実在しないとかするとかの世界ではない。
乱暴な言い方「いるんだからしょうがない」という。
盆踊りと出会って共振した八雲ですが更に日本の深層に迫っていきます。
八雲は松江に滞在中日本の神道の深層に触れる貴重な体験をしています。
西洋人として初めて出雲大社で昇殿を特別に許されたのです。
松江から船と人力車で移動し出雲へやって来た八雲は初めて見た出雲大社をこう書いています。
八雲は参詣者の波をはた目に拝殿の裏手に回り本殿へと足を踏み入れます。
そして宮司に会い案内を受けます。
八雲は宮司の威厳がありながらも精かんな姿に宮司が生き神であるかのように感じました。
宮司から大国主命と八百万の神々にまつわる神話を聞いた八雲は感動を覚えます。
そして神に仕える巫女が神秘的に舞う姿に魂を揺さぶられたのです。
日本最古の神社で神道の本質に触れた八雲はこのように結論づけました。
八雲はこの出雲大社の本殿に参詣した初めての西洋人だったんですね。
そうですね。
初めてここまで入れたんですね。
これはまあ本当はありえない。
当時は皇室の方か国の首相かよっぽどの方でないと入れなかったところらしいです。
この神聖な場所で本当に貴重な体験をした八雲ですが八雲はその時の事をこんなふうに書いてるんですね。
当時の西洋人の日本研究を見てると神道はこてんぱんなんですよ。
あんなものは宗教じゃないよと。
経典もないし教えが活字になってるわけじゃないし。
この文章はそれに対する批判なんだと思います。
むしろそんなもの必要ないぐらいしみこんでる事がもう最高じゃないかという。
生活の中では宍道湖ですと朝漁師たちがね太陽に向かってかしわ手を打つとかそういう民衆の中に自然信仰といいますか神道的な精神というものがね息づいてるわけですよね。
そういうものを見てるから西洋の日本の研究者は何か文献ばっかり頭でっかちで何だという気持ちがあったんだと思いますね。
更にねこの文章のあと小泉八雲こんなふうに書いてるんですね。
一つの何と言うのかな教えと言うのか教訓と言うのかね。
それが本能の域にまでなってるという事ですもんね。
もうDNAに刻まれちゃってますよという事を思ったんですね。
日本人が連綿として受け継いできたものに対する評価というのはすごくあるわけですね。
神道に代表される自然信仰であったり歴史性まで民族の歴史までたどって物事を見ていく。
しかも八雲は美意識も芸術もみんなそうなんだというふうに感じるんですね。
横浜から松江に行く途中に鳥取の宿屋へ泊まるんですね。
宿屋の様子を書いてるんですけどもふすま一枚でもあるいは額にかかってる絵にしてもね何でこんな片田舎にそれだけの芸術的なセンスが備わっているのかそれは不思議だというふうに書いてますよね。
それは名のある建築家がデザインしたんじゃなくて日本人のこのゴーストリーにしみついた芸術観がつくっているという事ですね。
そうですね。
今回は「ゴーストリー」がキーワードでしたけど。
まあだからもうゴーストリー自体も衰えてるしそのゴーストリーの周りに多分いろんな垢がついてると思うんです。
もちろん常識も大切だしあと周りと歩調を合わせる事もいろいろ大切だしもちろん科学がなきゃ生きていけないんだけどもゴーストリーも活性化させつついいバランスでそういう面も持ちつつじゃないといけないなという感じはちょっとしますね。
まあ日本人の潜在力をそうやって出して気付いていくというのは大事ですね。
さて次回からは更に日本人の生活に深く関わる事で見えてくる習慣や日本人の美的感覚に迫っていきたいと思います。
それではまたよろしくお願いします。
今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
2015/07/08(水) 22:00〜22:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 小泉八雲 日本の面影 第2回「古きよき日本を求めて」[解][字]

私たち日本人が当たり前のものとして見過ごしてきた「盆踊り」「庶民の信仰」の中に太古から日本人を育み豊かにしてきた文化の基層があると直観した小泉八雲の日本論に迫る

詳細情報
番組内容
小泉八雲は、私たち日本人が当たり前のものとして見過ごしてきたものの中に、日本人の深層にあるものを見つけ出していく。「盆踊り」や「出雲大社」「庶民の信仰」の中には、太古から日本人を育み、豊かにしてきた文化の基層があると直観した。第二回は、目に見えない「霊的なもの」を感受する八雲独自の方法で探り当てた、古きよき日本の深層に迫っていく。
出演者
【講師】早稲田大学教授…池田雅之,【司会】伊集院光,武内陶子,【朗読】佐野史郎,【語り】好本惠

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
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