菅野彰
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今回はいつもの「東北食べる通信」の食材を使ったエッセイではなく、聞きたいことがある人に聞きたいことを聞きに行った私と鈴木の欲望日記である。
この連載には、度々会津坂下町の「会津旨酒 五ノ井酒店」と、そのすぐ近くにある「曙酒造」が登場している。
担当鈴木が、五ノ井酒店を発見して、私たちは度々通うようになった。するとそこには曙酒造で造られた「天明」や、五ノ井酒店が曙酒造で造ってもらっている「央」などがあった。女性に人気のヨーグルト・リキュール「Snow Drop」も、曙酒造で造られている。
何度も通ううちに、私たちにとって会津坂下町は、何か不思議な町になった。
会津坂下町は、電車もバスも通っている。
だが、大変失礼な表現の仕方かもしれないけれど、車で私の仕事場や会津若松から会津坂下町に行くと、広大な田んぼの中を通っているうちに忽然と町が現れたような感覚がある。
その町は、初めて五ノ井酒店に訪れたとき、祭りで賑わっていた。大人たちが誘導し、または見守り、子どもたちが山車を引いて、秋の収穫を祝う祭りに町の人が繰り出している。それがファーストインパクトだ。
そして何度か通ううちに、「べこの乳」という商品を会津内外でも流通させている「中央乳業」もこの町にあることに気づき、会津では大きな菓子のチェーンである「太郎庵」も会津坂下町を拠点としていることに気づいた。
会津は何処も便がいいということはないが、その中でも少し引っ込んだ印象のするこの町に、そうした様々な心魅かれるものが混在しているということが、私には不思議に思えた。
五ノ井酒店ももちろん、私と鈴木にとっては特別に魅力的な店だ。
「お話を聞いてみたいね」
いつからか私と鈴木の間で、度々そんな言葉が交わされていた。
だが、五ノ井酒店も曙酒造も、なかなか、なかなか簡単には近づけない。いつも忙しくしてらっしゃるし、声が掛けがたい風情もある。
もちろんその取材が目的なわけではなかったが、私たちは五ノ井酒店に通い詰め、ようやくお二方のお話を聞くことができた。
今回、曙酒造にてお話を聞かせていただいたお二方とは、曙酒造の営業部長鈴木孝教さん(担当鈴木との書き分けのために、以降お名前で書かせていただく)と、五ノ井酒店の五ノ井智彦さんだ。
最初に感想を言えば、みなさん強い。
今回は同席なさらなかった、曙酒造の孝教さんの息子さんも含めて、みんな強い。
何が強いのかって、気が強い我が強い、心が強い。何より負けん気を、感じた。曙酒造ではお父様にお話を伺っているのだが、最後には、
「息子にもう出てくるなって言われたって、まだまだやりますよ」
という言葉が出て来た。
実は、最近では曙酒造ではその若い跡継ぎが注目されていて、しかし実際訪ねてみるとお父様がまだそれをよしと思っていない空気も初めて感じる。
皆が切磋琢磨していて、「もういい」というところが見えない。
尋ねれば前へ前へという気持ちだけでなく、様々な思いがそこにはあったが、心に残ったことを拾っていきたい。
ヨーグルト・リキュール「Snow Drop」には何某かの思いがきっとあって、お話はそこから始まった。
「リキュールの免許をもらったのは、震災の前日でした」
静かに孝教さんは、おっしゃった。
しかし衝撃を受けずにはいられない。
曙酒造は、震災で大きな打撃を受けている。お邪魔した蔵が不自然に新しいのも、震災後に建てられたからだ。
震災から、今年でまだ四年だ。
今、人気を得ている「Snow Drop」は、その打撃を撥ね除けて今存在していることになる。
「原発に近い乳牛から最初の汚染が出て、出荷に規制が掛かりました。三ヶ月規制が解除されずに、解除されるようにアプローチをして。本当は、会津坂下町を代表する商品になるはずだったんです」
「Snow Drop」のヨーグルト成分は、会津坂下町の中央乳業の牛乳からできている。曙酒造、中央乳業、米を作っているみづほ農園、五ノ井酒店さんが手を組んで、走り出す予定だった「Snow Drop」は確かに会津坂下町の力で出来ている。
「でも、震災があって。福島県を代表するというか、その安全性を代表する形で、スタートを切ることになりました」
震災直後、会津の人間なら皆知っている中央乳業の「べこの乳」にも規制が掛かったことは、私も知っていた。
いつの間にか解除されたように思っていたが、それぞれのみなさんの強い意志と力がそこにはあったのだ。
「どうしてヨーグルト・リキュールを造ろうと思ったんですか?」
しかし、そもそも震災前にそれを何故造ろうと思ったのかも、気になるところだ。
「それは、五ノ井くん発信」
若干不敵な五ノ井さんを見て、孝教さんが笑う。
二人の年齢は近くはなく、孝教さんが父親世代、五ノ井さんは息子さん世代とそんな感じだ。
だが二人は、見たところ対等に渡り合っている。
「五ノ井さんはどうして?」
「色々、出ててさ。ヨーグルト・リキュール。あれこれ呑んだんだけど、どれもまずいんだもん」
あっけらかんと五ノ井さんが言って、その率直さに私と鈴木は笑ってしまった。
「子どもの頃から、『べこの乳』飲んでるから。中央乳業の牛乳飲んでるから、もっと旨いもの絶対造れるってわかってたから」
なんでもないことのように、五ノ井さんは言ったが、それでも味を整えるのに二年試行錯誤したそうだ。
中央乳業にもプレゼンに行き、
「息子が行って、褒めていただきました」
と、孝教さんは嬉しそうにおっしゃった。
そして曙酒造の「天明」が生まれたいきさつも伺う。
今も造ってらっしゃる銘柄「一生青春」で鑑評会が賞を取ったときに、
「全国に出てみないか」
と、声を掛けて来てくださった方がいて、その方が「天明」と名付けてくださったそうだ。
こうやって書き起こすとスムーズなことのように思えるかもしれないが、不思議な話でもあった。
一生懸命造られたお酒が、一人の方の目に止まり、名付けられて、大きく道が開かれて販路が広がる。
今は県外に半分の酒を、出しているという。
「先代のときは、全て坂下町近辺で消費していたんです」
それはそれだけ、地元の消費が落ちているとも言えることだった。曙酒造は好機を得たという言い方もできるが、もちろんそのための努力をしてきた。
「うちは上手く方向転換ができた蔵だと言えます」
孝教さん自身も、おっしゃった。
シビアな言葉も聞いた。
「後継者のいないところとは、お取引しません」
それは、長いおつきあいをしたいけれど、跡継ぎがいなければ二十年程度でつきあいは終わる。
「二十年なんて、あっという間ですよ」
実感の籠もった言葉だった。
曙酒造には力強い跡継ぎが一線でがんばっているし、五ノ井さん自身もまだお父様が現役なので跡継ぎだ。
「帰ってくれば、ここにいいことがある。楽しいことがあるという姿を見せてきたつもりです」
跡継ぎ息子が帰ってきたことは、孝教さんには誇らしいことなのだ。
ところで天明には、沢山の種類がある。大きく見て零号から五号まであり、同じタンクでも絞り方が変われば種類が変わってくる。
その天明零号に使われている瑞穂黄金という米が、ヨーグルト・リキュールには必ず使われているという話も、心に残った。
「猪俣米屋さんっていうのが坂下町にあって、そこのおじいちゃんがね」
少し硬かった孝教さんが、「おじいちゃんがね」とおっしゃったときに、とてもやわらかい愛情の籠もった声を聞かせてくださったのも印象的だった。
切り取られた新聞記事を読むと、その「おじいちゃん」は既に亡くなっていた。
瑞穂黄金は、故猪俣幸雄さんが冷害の年に見つけた、一本だけ立ってたわわに実っていた稲から始まっている品種だ。
それが冷害に強いと察した幸雄さんは、大切にその一本を増やしていき、冷害に強い瑞穂黄金という品種を完成させた。今は、息子さん、お孫さんが瑞穂黄金の栽培をしている。
記事には、七年前に幸雄さんのお孫さん優樹さんが、五ノ井さんにこの米で酒が造れないかと話を持ち込んだと書かれていた。それを曙酒造で造ることになり、瑞穂黄金と幸雄さんから一字取った「瑞幸」という酒が造られて、翌年幸雄さんは亡くなったそうだ。
様々な思いが瑞穂黄金にあることは、記事を読まずとも孝教さんの「おじいちゃんがね」という、不意に砕けた言葉から伝わってきた。
ヨーグルト・リキュールは天明が使われ、その天明は瑞穂黄金からできたものだ。
瑞穂黄金は特別に強い早稲の品種で、お盆前という早い時期に刈り取る。
つまり、瑞穂黄金は、震災後福島県内でもっとも早く、放射能汚染の検査を受ける米となった。
酒蔵だけでなく、恐らく食に関わる全ての方が、息を呑んでその結果を待ったことだろう。
強い米を作ろうと「おじいちゃん」が頑張って頑張って残した米は、期せずして最初の試練を受けることになった。
瑞穂黄金から、汚染の数値は出なかった。
瑞穂黄金は出荷されて、そして天明になり、ヨーグルト・リキュールになり、復興の旗印の一つとなったのだ。
そのことだけではなく、今現在、私には曙酒造も五ノ井酒店も、順調だし、何より充実して見えた。
しかし不意に、五ノ井さんはおっしゃった。
「今のまま日本酒が多様化しないでいると、売る側も買う側も、ワクワクしてないよね」
突然のその言葉は、私にはショックだった。
私は五ノ井酒店に行くとき、いつだってワクワクしているし、五ノ井さんは会津坂下町の若手をまとめて常に新しいことを成しているように見える。
鈴木もそれには驚いたようで、自分にとっては真逆に思えるけれど、造り手の方にはその先が見えているのかと戸惑った。
話が少し流れていってしまったのだが、私はこのときの五ノ井さんの言葉が気になってしかたなかった。
五ノ井酒店では、「央」というレーベルを曙酒造で造っている。その経緯は、絞りたての酒と瓶詰めした酒に味にギャップがありすぎることに、跡継ぎとして帰ってきた五ノ井さんが気づいたからだというような話だった。絞りたては美味しい。
けれど瓶詰めすると、
「びっくりするくらいまずいの」
顔を顰めて、五ノ井さんが言うのにみんなで笑う。
そんな言葉を聞いていると、やはり先ほどの「ワクワクしていない」がますます気になる。
私にとって五ノ井さんは、前へ前へと希望を持って行動している、そういう輝きみたいなものなのだ。
ご本人にワクワクしないと言われては、大ショックだ。
「すみませんお話戻してもいいですか? 私にはとてもお二人は充実して見えるんです。でも五ノ井さんは違うんですか?」
とても流せずに、私は無理にそこに話を戻させてもらった。
困ったように、五ノ井さんは頭を掻いた。
「こういう味なら売れるって考えで造ってたら、みんな同じ味になっちゃうし」
ああ、つまんないんだと、私は思った。
チャレンジしてきた五ノ井さんは、画一化していく日本酒の世界のそういう面に、つまらなさを感じ始めている。
でも私は、五ノ井さんの仕事が大好きだ。
細かいことではなく、その力強さ、迷いのなさ、
「あっち」
と、定めた方向を見るようなまなざしが好きなのだ。
だから、五ノ井さんがつまらないと思う気持ちがあることに、焦りを感じた。私や鈴木の日本酒との楽しいつきあいをリードしてくれる五ノ井さんには、私たちがワクワクしているように、まだまだワクワクしていて欲しい。
「逆に普通酒とかを、一生懸命造ったりすればいいと思うんだよね。需要がないところだからこそさ」
呟かれた言葉に、焦っていた私の気持ちが、高揚した。
「何も手を抜かないでさ」
「それはどの仕事にも、共通することですよね。そうでないと、何処にも手を抜かないでやっていかないと、仕事としてならないというか」
何か嬉しくなって、身を乗り出してしまった。
そう自分ができているかはわからないけれど、そうありたいという気持ちがある。そうでないと、私自身がいけないという思いがある。
勝手に、同じような気持ちなのではないかと、思い込んだ。
「数字上の満足が、精神的な満足には繋がらないし。満足はさ、できないよ」
けれど五ノ井さんの考えは、私よりもっと複雑で、深い。
「昔はアンチを唱えることで、自分のしてることを肯定しようとしてたんだよね」
今よりもっと若い頃のことを、五ノ井さんは語った。
「でもさ、今はみんなが手を抜くようなところにすごい旨い酒を造ったらおもしろいじゃない?」
複雑であり、単純なことを言ってにやりと笑った五ノ井さんは本当にかっこいい。
「俺も、何処かで飲み手を馬鹿にしてるところがあるかもしれなくて。でもさ、馬鹿にされてものは買わないでしょ? 絶対さ、買う人馬鹿にしちゃいけないんだよ。だけど多かれ少なかれ売り手は嘘をついてて。嘘、つくでしょう?」
私たちを見て、五ノ井さんは笑った。
確かに、ごめん、嘘をつくとき、私もある。
「それじゃつまんないと思うんだよ。嘘つかないで、ものを売りたいんだ。そこを埋めてかないと、本当につまんなくなっちゃう」
つまらないのかと私に思わせた五ノ井さんの「ワクワクしない」は、現在商売として店を成功させていてなお、まだまだ前を見ている言葉だった。
次世代といえる五ノ井さんを見る孝教さんの目が、とても心強い頼もしいものを見るようだ。
孝教さんは滑らかな言葉で、五ノ井さんのことを語り、五ノ井さんの言葉を読み解く。
「まあ、美味しいですよってお客さんに言うのもね。その人にとってどうなのかってのもあるし。それを勧めるときに、なんていうかストレートじゃなくてチェンジ・アップで……」
そこで鈴木が、笑顔で大きく頷くのに、私はつい口から言葉が零れてしまった。
「鈴木、チェンジ・アップ全然わかんねーだろ」
鈴木は野球が、全くわからない。
「酷い! わかるよ! ストレートじゃないってことでしょ!?」
話をかきまぜるつもりではなかったのだが、鈴木が「ええ、ええ、チェンジ・アップですね」みたいな顔で頷いているので、つい突っ込んでしまったのだ。
「嘘の話だから丁度いいかと思って、あはは」
混ぜっ返して悪かった。
最後にお二人から、今後の希望を伺う。
五ノ井さんは、みんなが自分で確かめてくれたらいいというようなことを言った。楽しさの共有があったらいいと、話をしめた。
息子さんの時代になっていると言った孝教さんは、進化を見守りたい、右肩下がりである日本酒の現状を踏まえて、それを打開する道に関わっていきたいとおっしゃった。
お話を終えて、震災後に建て直したという蔵の中を見せていただいた。
急ごしらえの酒蔵は、震災の打撃と急速な復興を教えていた。
取材が終わった後も、五ノ井さんは言った。
「小学校がなくなったら、地域が疲弊するじゃない。それと一緒だよ。町から酒蔵が消えたら、町は力がなくなる」
さりげない言葉ではない。
いつも思っている。
日本酒のこと、地域のこと、未来のこと、人間のことを彼らは考えている。
会津坂下町だけではなく未来は決して暗くはないと、私はその日出会った人に力を借りて、心を新たにした。
【次回は、鮮やかな海老。紅えび、といわれる甘エビです。卵たっぷりのえびをいただきます】
●今回のお酒
曙酒造合資会社
(写真左「SnowDrop」写真右「天明 伍号 夢の香 中取り生酒」)
明治37年創業の会津坂下にある酒蔵。ここ数年、地元のみならず、全国的にファンを増やしてきた蔵です。外部から杜氏を招くのをやめ、自分達だけで初めて作ったお酒「一生青春」から、酒米それぞれの魅力、味わいを最大限引き出してつくりあげられる「天明」シリーズ。どのお酒も、優しく圧を掛けるフネで絞り、絞ったお酒はすぐに最適な温度に管理される無濾過酒になります。
特に天明シリーズは、米の種類、絞る時期、それぞれに味わいが違うので、自分好みの1本を見つける楽しみを見つけてはいかがでしょうか。
また、最近では日本酒が苦手、日本酒への足がかりがない、そんな人にも楽しめる、甘く優しいヨーグルト味の日本酒リキュール「SnowDrop」も販売しています。プレミアム生や、イチゴが加わった期間限定のなどもあり、こちらもファンを増やしています。
問合せ先:曙酒造合資会社
住所:福島県河沼郡会津坂下町戌亥乙2
HP:http://akebono-syuzou.com/
五ノ井酒店
(央 特別純米 中汲み 亀の尾)
会津坂下にある、福島の日本酒を圧倒的な量で揃える酒店。もちろん量だけでなく、その日本酒の管理も徹底されているので、酒蔵が願った状態での日本酒と出会えます。8面ある冷蔵庫には、ぎっしりと福島の生酒が揃っているので、見ているだけでもとても楽しい気分になります。菅野さんが、こちらで初めて知り、それからお気に入りになった日本酒も沢山あります。
今回お話を聞いた五ノ井智彦さんが、曙酒造で独自に作っているプライベートブランドの日本酒が「央」。こちらもまた天明と同じく、米の味わいをしっかり楽しめると同時に、さらに鮮やかさや、力強さ、フレッシュさを感じる日本酒です。
また、会津坂下を基盤に、「会津中央乳業」さんや、瑞穂黄金を作る「猪俣徳一商店」さんといった、他業種とも縁を結ぶなど、様々な活動を行っています。
問合せ先:五ノ井酒店
住所:福島県河沼郡会津坂下町市中一番甲3551
TEL:0242-83-2170