菅野彰
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これは、絶対、火を入れる気持ちにはなれない!
山形県鶴岡市鼠ヶ関漁港の五十嵐安貴さんが獲った紅えびが、「東北食べる通信」から届いた日、クール便の発泡スチロールを開けて私は、ブイヤベースにしようかなと思っていた気持ちを投げ捨てた。
もちろん火を通しても、充分美味しいだろう。
だけど、どうしてこれを生で食べないでいられるだろうか。青いきれいな卵を沢山孕んだ、真っ赤なつやつやの生き生きした紅えびを、ああ今すぐ剥いて食べてしまいたい。
今回紅えびは、日付指定をすることができなかった。水揚げされたときに、漁次第で届く。
私がいつもの友人に慌ててLINEをすると、会社の昼休みにそれを見てくれた友人は、
「会社の帰りに寄るよー!」
と、連絡をくれた。
よし! じゃあこの紅えびをどうするか。副菜も考えたい。
紅えびは、二人掛かりで剥いて剥いて剥きまくって食べるのに充分な量だったが、ここで私はいつもの「妖怪野菜を取らないと駄目だ」になる。
増量で注文したのがタケノコの缶詰だから、山菜の炊き合わせにしようかなとまずはスーパーに向かった。
「そういえばフキ食べてないなあ」
でもアクを抜くのが楽しくもあり面倒くさくもあり、と考え込んでいると、スーパーにはあく抜きして水煮にしたものが売っていた。
「ごめん一手間省かせてください」
水煮のフキ、水煮のわらび、人参、油揚げを購入する。
結果的に、ここで一手間省いて良かった。
何故なら膨大な量の紅えびの殻剥きは、思った以上に果ての見えない作業だったのである。
私は最初、友人と二人で無言で剥きながら食べようかと思った。
「全部剥いて生で食べようかと思って」
あまりに美味しそうな生の様子に、担当鈴木に電話すると、先に届いていた鈴木にそれを止められた。
「あのね、剥いて、食べて、剥いて、食べてってしてたら剥いてる間にお腹がいっぱいになってきてそんなに食べられないよ」
「そう?」
「美味しい食べ方があるの」
そこで鈴木が紹介してくれた食べ方が、本当に美味しそうだったので、私は半分はそうしようと決めた。
ちょっといいとろろ昆布を、用意する。薄くて旨味の多い、あれだ。
紅えびは、まず卵を取って器に残す。殻を剥いて尻尾も取り、頭を取って味噌を卵と同じ器に絞り出す。
そして剥いた紅えびの身を、とろろ昆布の上に並べてとろろ昆布で蓋をして、ようは昆布でしめるのだ。三時間も置いたところで、卵と味噌を掛けるか、もしくはつけて食べる。
めちゃくちゃおいしそうではないか。そうして食べたいではないか。
「……」
喋る相手もいない台所で、私はこの作業に没頭した。
このくらいと決めた量の紅えびだけトレイに出してあるのだが、剥いても剥いても剥いても、なくならない。台所の高さがそもそも私の背丈にあっておらずちょっと屈んでいるので、腰がどんどん痛くなる。
「ゴールが見えない……おかしい剥いてるのに紅えびがなくなりゃしない……ありがとうこんなに沢山の紅えびを……でも終わりゃしない……」
私は段々と、焦ってきた。このままでは友人が着くまでに、紅えびが昆布でしめられないかもしれない。それに山菜の炊き合わせも、「妖怪野菜を取らないと駄目だ」はどうしても作りたいんだ。
「こういう地道な努力……苦手!」
駄目人間、身も蓋もない独り言も思わず漏れる。
得意だったらね、こういう現在じゃないから、多分。仕事も、仕事場の中も、人生も、こうじゃないから絶対。
紅えびの殻を剥きながら、自分の人生について考え始める。ほら苦手だからこんなことになる!
「紅えびめ……」
食ってやる!
と、なんか暗くなってきた私は、一つ剥いた紅えびを口に放り込んだ。
甘い。
甘いよ!
ものすごく美味しいよ!
「この美味しさを味わうためには、この努力が必要なわけで、私の人生そんなに悪くないと本当は思ってるから、何処かできっと地道な努力もしたのだきっと。謙虚だから気づいていないだけで」
紅えびの甘みが私の脳からドーパミンを出して、自己否定から一転、驚異の自己肯定が始まる。
「いつだろ? その努力したの。奥ゆかしくて思い出せない」
本当に思い出せないまま、ようやく殻剥きが終了した。
それをとろろ昆布でしめて、冷蔵庫にインする。
残った頭は味噌汁にして、山菜の炊き合わせを作った。
山菜の炊き合わせは、なんとなく作った。こんな感じかなと思いながら、適当に作った。
さあなんとか様々支度ができて、「東北食べる通信」の冊子を読む。
漁師さんたちの日常は、今までも度々出て来たが、いつもダイナミックで読んでいて楽しい。もちろん楽しいことばかりではなく、不漁の喘ぎや、後継者問題が書かれている。
だが、今回の鼠ヶ関漁港には、若い漁師さんが多いとのことだった。
その中でも、青年会がやっているフェスティバルの話は本当にワクワクした。三千枚の大漁旗を全国から集めて、掲げて、盛大に祭を行う。八千人が集まるというその大漁旗のはためく祭に、ものすごく行きたい。
生き生きしている人々が獲った紅えびは、それを知ることで更に美味しくなる。
丁度、とろろ昆布でしめた紅えびがいい感じかなという頃、友人が到着する。
食卓に、そのままの紅えび、とろろ昆布でしめた紅えび、頭の味噌汁、山菜の炊き合わせを並べた。
今回の酒は、白井酒造「風が吹く」金ラベルうすにごりだ。
この酒は、食事を引き立たせてくれる。邪魔をしないのではない。より美味しくしてくれるのだ。山廃なのだが、何かと折り合おうという謙虚さを、「風が吹く」からは感じずにはいられない。
紅えびも、「風が吹く」はもっと美味しくしてくれた。
「すごいすごい、きれい!」
紅えびを見て友人は、声を上げた。
「うん、私もそう思ったから今回は全部生で食べます」
「どれから行こう! 迷い箸だー!」
迷いながら友人は、しめた紅えびを食べた。
「うわっ、美味しい! えびの味すごいのに昆布の旨味もあって。このつけるのも、すごく美味しい!!」
「それね、作るのすごく大変だった。腰が痛い」
「お疲れ様! 頑張ったね! ありがとう!!」
そのとき私は気づいたのだが、私の人生の地道な努力たちは、多分その都度私がこのように「私こんなに頑張った」アピールをして、誰かに褒めてもらって消化されて消えていったのだろう。
地道な努力は全部、成仏してしまったのだ。なんまいだぶ。
「あの……これ、美味しいけど」
頭の味噌汁は私が手を抜いてひげの始末をしなかったがために、一つを取ろうするといくつかの頭がついてくるという有様になった。
「私今、『レ・ミゼラブル』読んでるんだわ」
その光景から私は、連想した。
「フランス革命後の話なんだけど、フランス革命って……」
「ちょっと! 何言い出すの!! やめてよ! 本当にやめて!」
「あ、ごめん」
食事中に、失礼しました。
そして友人は、山菜の炊き合わせをえらくお気に召した。
「これものすごく美味しいよ! どうやって作ったの!?」
「それ適当に作った奇跡の産物だから、一期一会なの。大切に食べて」
「ちゃんとレシピメモしておきなよ!」
いや、だいたいは覚えているので、後で披露したいと思う。でも多分調合は、「適宜」の産物だ。
「こんなに美味しかったらお店出せるよ。出したらいいよ」
お、「呑んだくれ屋」もそろそろ開店かというようなことを、友人が言い出した。
「そうだなあ、店やるか」
勘違いしてはならない。いつも友人が食べているこの連載の食事は、素材がものすごく美味しいのだ。
「そしたら私、その店でライブやるね!」
「おう、やるといいよ」
答えると友人は、一瞬真顔になった。
「すごいよ菅野さん」
「何が?」
「私今まで、数々の友人たちに、店出しなよって言ってきたの」
おいおまえ今まで数々言ってきたんかい!
「でも、私が店でライブやらせてって言って、即答でいいよって言ってくれたの菅野さんだけだよ! 嬉しい! 毎週土曜日ね!!」
「お、おう」
ごめん、なんていうか、私真に受けてなかったの……。
私が店を出して友人が土曜日にライブをやるようになったら、皆様是非ライブを見ながら私の一期一会の食事を召し上がりに来てください。
「はー、美味しかった! えびも山菜も本当に美味しかった」
満足してくれた友人に、私は戯れに尋ねた。
「紅えびの感想は?」
しばし友人は、考え込んで言った。
「まるで私の恋の色」
おい、おまえ今、全然恋していな……。
しかし、恋をしていない(かもしれない)友人にまで、私の恋の色と言わしめる本当にきれいな紅えびは、私に人生を振り返らせる程の美味しさだった。
【次回は雲丹です。殻付きの雲丹がやって来ます!】
●今回のレシピ
紅えびの昆布締め
●材料
紅えび(好きなだけ)
とろろ昆布(紅えびの量に合わせて)
醤油 小さじ半分程
味醂 小さじ半分程
●作り方
紅えびを地道に剥きます。自分の人生の大事な局面だと思いながら、黙々と剥きます。卵を持っていたら先に取り、剥いたら尻尾も取ります。
卵は避けておいて、頭を取ったらそこに頭の中にあるみそを絞り出します。卵とみそは合わせて、小さじ半分ほどの醤油と味醂で味を整えます。
剥いた紅えびを、とろろ昆布の上に並べて、とろろ昆布で蓋をして、冷蔵庫で三時間ほど置きます。
とろろ昆布から紅えびを取って皿に並べて、卵とみそをかけるか、卵とみそにつけて召し上がれ。
山菜の炊き合わせ
●材料
タケノコ(水煮されたものが楽ですね)
フキ(同じく水煮されたものが楽ですね)
ワラビ(同じく水煮されたものが大変楽ですね)
油揚げ
人参
シイタケ
★水 1
★酒 1
★だし醤油 1強
★味醂 0.5
●作り方
食材を好きな大きさに切ります。
小鍋に薄くサラダ油を敷いて、食材をしんなりするまで炒めます。
食材がしんなりしたら、食材がひたひたになるくらいの★の調味料を投入してしばし炊きます。
できあがり。
●今回のお酒
風が吹く うすにごり 山廃仕込純米吟醸 中取り
口に含むとびっくりするぐらい爽やかな味が広がります。山廃の重い、濃いというイメージがひっくりかえされる位の軽やかさです。ただ、飲み込む頃にはどっしりとした味わいに。そのまま飲んでも、食事とあわせてもどちらでも楽しめる1本です。
問合せ先:合資会社白井酒造店
住所:福島県大沼郡会津美里町永井野字中町1862
●今回の食材
紅えび
鼠ヶ関地域協議会 蓬莱塾
HP http://nezugaseki.net/index.html
東北食べる通信
http://taberu.me/
東北の生産者にクローズアップし、特集記事とともに、彼らが収穫した季節の食がセットで届く。農山漁村と都市をつないで食の常識を変えていく新しい試みである。