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ピピピピピがブログを書きますよ。

運動もせず、ヘタレ顔でキーボードに手を置くピピピピピがブログを書く。野人の如き豪快さが欲しいね。

躁鬱病が120%完治したので、ピピピピピと文章とブログ論と人生について本音を書きます

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炎上させる目的の記事ばかり書いていたし、たまにはバズる目的ゼロの記事を書こう

 僕は去年の2月22日にはてなブログにやって来た。
 約一年半か。
 結構な期間が経過したし、ここで一度文章について思った事でも書き連ねよう。

躁鬱病は完治したというか、役目を終えた

「初期の頃のような文章はもう書かないんですか?」
 こうした質問を貰う機会が増えた。
 ここ最近の僕の記事は、一言でいうなら『明るい挑発文』が多いのではないかと思う。
 人生をふざけながら満喫している空気感が漂っているような。
 だから、僕がはてな初心者だったぐらいから読みに来てくれている、希有な優しき人々は変わったなと思っている事だろう。
 元々は、絶望的な闇の中で泣き叫ぶような記事ばかり連投していたから。
 それもあって、はてなの世界では病んでるブロガー枠に入れられる事が多々ある。
 もちろん、『躁鬱病だと診断された』という記事を書いたから異論なしなのだけれど。
 ただ、暴露しちゃえばこれは詐病と変わらない。
 ここ数ヶ月間を振り返っても心身の不調は全くないし、読書・山登り・ゴルフ・映画鑑賞・アニメ鑑賞・はてなブログなど、好きな事は際限なくやっているから、人生の幸福度はすこぶる上昇中だ。
 では、なぜ躁鬱病になったのか? という疑問が生まれる。
 結論から言えば、小説家になりたいからだ。
 使用出来る時間の多くを、本を読む書く、にごっそり費やしたい。
 そうした並々ならぬ欲望が心の中をずっと渦巻いていたから、それを叶える為に無意識が病みを作り上げた。
 演技する心、とでも表現出来るかもしれない。
 壊れた役、沈んだ役、弱った役
 僕は決して、計画的に病もうと思った訳ではないが、無意識はきっと狙ってやったのだと思う。
 ここで明言してしまえば、もう現実から消え去りたいぐらいに病む事はない可能性が非常に高い。
 故意に心を沈ませて、もう二度と這い上がれないような空気を感じる事は出来る。
 けれど、病みたくもないのに病むといった事はよっぽどのトラブルに巻き込まれない限りはないだろう。
 小狡く感情を使っているのである。
 幼少期の家庭問題や、学生時代に受けたイジメによって、感情を操作して逃げるって事を覚えてしまった為だ。
 それに加えて芸人や役者の活動もしていたから、人よりも喜怒哀楽を選んで全面に出すのは得意かもしれない。
「三日以内に、何ヶ月も立ち直れなくなるぐらいに病んで下さい」
 こうした命令を出されたら、間違いなく出来る。
 一歩でも動けなくなるぐらいネガティブな状態に落とし込む事は可能だ。
 これとは逆に、手足がピリピリしてくるぐらいの怒りも生み出せる。
 こうした点からも、僕は無意識に自分の有利になるような心身反応を引き起こしているのだろう。
 僕は父親の経営する会社で働いているのだが、病んでしまえば優遇される。
 親との関係は良好であるし、父親は物分かりも良いので、「小説を書きたいから、仕事時間減らしても良い?」と頼めば即刻了承してくれるはずだ。
 しかし、このやり方だと申し訳ないなと罪悪感が残り、目標に打ち込むエネルギーが半減する可能性がある。
 であるから、病んでから、「父さん、心に異常が発生したよ。これをキッカケに魂を削るように小説書くから、仕事時間削減するね」と頼む。
 これだと、心に負担は何一つない。
 父親は僕が不遇な幼少期を過ごしたってのも分かっているから、「病むのも仕方ない。人間いつ終わるか分からないんだから、将来に悩むよりも、派手に楽しめ‼」といった類いの言葉で応援してくれた。
 こうして理解させた上で、堂々と仕事を途中で切り上げて小説を書ける。
 ここまで来ると、いや、もはや狂うとといったレベルではあるけれど、清々しい気分だ。
 それに僕が短時間しか仕事をしなくても、父親の仕事量はなんら変わりない。
 昼寝はしているし、仕事の合間に映画を視聴しているし、ビーチに犬を連れて行って疾走している。
 心晴れやかに父親が働いているのもあって、何一つ親不孝をしている感もない。
 どちらかといえば、しょっちゅう家族で外食したりしているので、親孝行出来ているとすら思っている。
 つまり、病んだ事によって、快適に小説を長時間掛ける環境を手に入れたのだ。
 利己的なメンヘル症状である。
 既にこの立場を得たから、病みたくないのに病む事はまず無理になった。
 将来に関しても、今の会社で最低限の働きをすれば、なんとか生活出来るぐらいの金銭程度は、一生流れてくるような仕組みを作ってくれようとしている。
 一軒家も最終的に貰えるから、豪勢な暮らしを望まなければ生きるには困らないはずだ。
 そもそも僕は我慢が利かない人間であるから、虫酸が走ったら上司だとか関係なしに文句をつけるし、言いくるめられそうになったら怒声を上げて妨害するし、パワハラ紛いの事をされたら物を破壊するしで、受けたストレスはその場で洗い流す種類の人間である。
 であるから、心の満足の為にも好きな事以外は極力やらないでおこうと思っている。
 ゆえに、もう病む必要は微塵もないのだ。

なるたけ読み書き中心の生活にする為に、給料はあまり貰わないようにしている

 僕の場合、潤沢な資金が手に入ると、まず間違いなくナンパ、キャバクラと豪快に遊んでしまうからだ。
 あらゆる欲望が強烈なのである。
 衣食住は事足りているが、遊ぶ金はない。
 こうした状況を継続させる事によって、煩悩に苛まれる事なくやりたい事を追求出来る。
 数年前、月40万円ぐらいの仕送りを貰っていた時代を通り、自分の欲望に抗えない弱い心と、人の金で散々遊ぶ事の罪悪感を知った。
 であるから遊びたいなら、書く事で手に入れたお金で! と考えて生きて行きたいという思いがある。
 こうして書くと座禅を組み続けるような生き方に感じられなくもないが、実際のところは海鮮丼や焼き肉やゴルフを家族で楽しむ際は一円も出していないし、気楽此の上無い生活だ。
 アドセンスやアマゾンから入金されれば、本も大量に購入出来る。
 親は裕福で幸せそうにしているが、僕は貧乏だから書く事ばかりしているって在り方を固定するつもりだ。
 ちなみに僕のブログは、有益な記事ってあまりなくて、それどころか常識外の極論が多いにも関わらず、RSSなどから定期的に読みに来てくれる人が多い。
 それもあってか、心理学関係の本や創作関係の本を中心に紹介したものは、高確率で誰かが買ってくれている。ありがたいッッ(๑¯Δ¯๑)/

今後も炎上案件に突っ込んで行く

 明らかに間違っている少数派の味方をしたりもするかもしれない。
 なぜなら 正しい正しくないなんてどうでも良いと思っているからだ。
 僕は道徳家や経済人になりたい訳ではなく、文章力や発想力を磨きたい、ただそれだけである。
 なので、愚かな自慢話とかも書いていくかもしれない。
 僕はブログを用いて発信がしたいというよりも、ここで言葉遊びをしながら技術を磨いて、小説の新人賞を突破したい側の人間である。
 その為、書く題材とか、誰かの味方だとか、敵だとか、そんなものには一寸の価値も感じていない。
 極言するなら、炎上しようと炎上しなかろうと、バズろうとバズらなかろうと、なんだって構わないよって話である。
 夜が明けるまでに一人でも読んでくれれば嬉しい、と思いはするが。
 それと、僕は個人攻撃系の記事は間違いなく書かない。
 炎上記事を仕掛けるにしても、全体に向けた屈折文章を書いて、僕だけが批判されるような方向に持って行く。
 そうすれば、実害なしにマジレスを大量に取得する事が出来、刺激があって楽しめるからだ。

はてなが用意してくれた導線と幸運によって、人気ブロガーは誕生している

 たまに、「なにこの薄い記事? これでホッテントリ上がるの? 絶対アメブロだったら読まれなかったよ。運良いね」と口にしている人を見掛ける。
 それもその通りなんだけれど、そんな事を言い出したら僕も含めて9割型の人は、他でやっていたら見つけて貰う事すら出来ないのではないかと思う。
 全く相手にされていないブロガーの中にも、流麗な文章や、笑いのセンスが高い記事を連発している人はいくらでもいる。
 他社サービスと比べるのは、見当違いも甚だしい。
 はてブって誰でも気軽に利用出来るから、継続しているブロガーには嬉しくなるようなコメントも多々届く。
 それによって、舞い上がってるというか、天狗化している人もいるような気がする。
 この僕のブログですら、『言語センスが素晴らしいと思います。私は一般小説をたくさん読みますが、それらと比べてもレベルが高いです』と賞賛してくれる人が出てくる。
 多少なりとも有名になると、御山の大将のようになってしまうリスクがあるのだ。
 僕の記事が筆力が高いといわれるのは、他のブロガーよりも過剰にレトリックを多用しているから、新鮮味によって良く見えている可能性が高い。
 仮に書籍として販売されていたら、「なにこの雑な文章‼ 編集者ついてないの⁉」とちゃぶ台返しされるだろう。
 ここ数日に読み終えた、比喩表現やリズムやエンタメ性が抜群に高い本だと、

  僕は時間の死んだ街でうまれた。
 良くも悪くもマイペースで強情で、変化を嫌うこの街では、淀んだ時の流れすら平穏だとか、安寧と呼ばれる。

ガラス張りの誘拐 (角川文庫)

ガラス張りの誘拐 (角川文庫)

 

 「深雪を返して下さい!」
 そして石畳に額ずく。
「深雪を返して下さい!」
 ふたたび声をはりあげる。土下座する。佐原はこれを交互に繰り返した。
 なんという屈辱! こんなに恥ずかしい思いをしたのは生まれてはじめてだ。見世物だ!

ボトルネック (新潮文庫)

ボトルネック (新潮文庫)

 

  不摂生の報いか、全身から血の気が引いた。天地が逆転したように、平衡感覚が狂う。思わず二歩、三歩と後ずさると、たちまち皮膚が浮遊感を伝えてきた。
 落ちた、とぼくは思った。

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

 

  アハハハハハハハハハハハハハハハハ!
 一人ではなかった。複数の声だった。
 アハハハハハハハハハハハハハハハハ!

  ――嵐は藻屑の妄想を爆発させたような激しさで校舎を揺らして、空を暗黒色に染めて、夜になるまでおさまらなかった。

太陽の塔 (新潮文庫)

太陽の塔 (新潮文庫)

 

  彼とほぼ同じパーツを揃えている人にも立派な人間はいるであろう。むしろ、これらのパーツを揃えているにも拘わらず、彼の内面から噴出する圧倒的な小人物性が各パーツの担う意味を歪めてしまっていると言っているに過ぎない。

疾走

疾走

 

  おまえと、おまえに、おまえも、おまえの、おまえが、おまえへ、おまえしか、おまえまで、おまえだけ、おまえより、おまえすら、おまえを……。
 砕けていく。体がばらばらになる。
 おまえを殺した。

 があるんだけれど、比べると雲泥の差である事が一目瞭然だ。

 やっぱりプロは、リズムを破壊せずに比喩と伏線を同時に組み込んで行くから、読了後の満足感も桁外れである。
 単なるブログでの書き散らしとは訳が違う。
 それなのに素人がちやほやされる立場にいられるってのは、はてなの見事なまでの仕掛けのお陰だ。
 だから、他人のブログに文句をつけるなら、せめて新人賞を通るなり、別媒体でライター業をやって結果を残してからの方が良いのではないかと思う。
 会社が築き上げてくれた環境と、巡ってきた運によって生かされているに過ぎないって事を忘れないでおきたいものだ。
 ブロガーなんてのは捨てられるキャベツの上葉であり、そんな農薬塗れの廃品をニコニコしながら食べてくれる珍しい読者のお陰で生きられる存在なのである。

素人がはてなでプチ人気ブロガーになる方法

 最近は書きたい人が増えているというか、元々人間は抑えられないぐらいに自分を認めて欲しい欲求を持っている。
 だから、それがネット時代とドンピシャにハマって、書き手が溢れるぐらいに増えた。
 文章センスがなければ見向きもされず無惨に散って行く訳だが、それでも承認欲求は残り続ける。
 であるから、炎上記事なり、過剰な言及なり、馴れ合いなり、なんとか視線を集める為の方法を模索しなくてはならない。
 特に貧困や格差が広がっている情勢だから、現実世界には居場所が少なかったり、一切なかったりする人もいるだろう。
 そうなれば救いを求める意味で、がむしゃらな発信行為をするようになる。
 少々やり過ぎるブロガーやツイッタラーが増えるのも、社会からの逃亡者だと思えばかわいいものだ。
 一部のたまたま人気が出た人や、傑出する文章力を持った人でなければ、この広いネット世界でも満足行くまで満たされるのは難しい。
 僕は運良く、多少は読まれるようになったけれど、使い始めの頃ははてブツイッターの使い方も分からず、芸能人の名前を挙げてバッサリ斬っていくような記事を連投して、強引にアクセスアップを図っていた。
 それらの記事は攻撃的過ぎるので全消去したが、そうした異常行為の連打の先に今があるといっても過言ではない。
 では、ある程度人気になるにはどうすれば良いか? 方法論を書こう。
 まずはてなのプロフィールページを作成しよう(これ→ピピピピピさんのプロフィール - はてな)。

 そこに自己紹介と共に、記事をアップする度にそのURLを目立つように掲載する。はてブコメント欄のアイコンをクリックすると、プロフィールページに飛ぶ為だ。
 そして、アニメや映画を観ながらで構わないので、新着ブログ一覧を片端から開いて、読者登録、スター、はてブをして行く。
 大量にタブを出して工場作業でもするかのように、淡々とこなそう。
 はてブをつける際は、ブラインドタッチの速度アップ、即興トーク練習だと思って取り組めば楽しくなる。
 雑でも良いので、記事をディッピング(拾い読み)して、それに沿った内容を書こう。
 上達すれば、タイトルを1秒で確認し、本文を5秒ぐらいで上から下まで読んで内容を大雑把に掴めるようになる。
 この作業自体が文章を書く練習、すなわちブロガーとしての筋力アップにも繋がるので、面倒くさがらずに取り組む事をお勧めしたい。
 そして、読者登録を片端からすれば、返報性の原理的にお返しで読者になってくれる人もいる。
 これを続けて行くと、読者がすぐさま数百人になり、記事の説得力も増す。
 スターもつけた方が良い。なぜなら、スターをクリックして貰えると、直接ブログ記事へと移動ささるからだ。
 この時に効果的なのは、その記事の例えの部分や、太字になっている部分をドラッグしてからスターボタンを押す事である。
 すると、「ちゃんと読んでくれたのだなっ!」と喜んで貰える可能性が微量ながら上がる。
 こうした作業を毎日、ながらで良いので続けていると、はてブやスター、そして肝心のPVもどっと増えて行く。
 ポイントとしては、「ちょっとやり過ぎかな?」と思ったら、まだまだだと考える事だ。
 無尽蔵に眠る宝を、我を忘れて力尽きるまで引っ張り上げるような感覚。
 このように、人気が出るまでは力技をオススメする。
 ショートカットキーなんかもこの機会に覚えよう。
 ctrl+wを押せばタブを消せるし、ctrl+tabを押せばタブ移動が出来る。
 もちろん、この方法を使用しても見向きもされない人はいるだろう。
 それはタイトルの付け方や、文章力が壊滅的だからと思われるので、自分のセンスを恨むしかない。
 ここに書いたのはあくまでも、読んで貰える自信があるのにPVに恵まれていない人向けだ。

『ピピピピピがブログを書きますよ。』の方針について

「病んでる系自虐は、もうあまり書かないんですか?」
 こんなコメントも定期的にしてくれる人がいる。
 たぶん、

buzama-www.hatenablog.jp

buzama-www.hatenablog.jp


 辺りのような記事の事を言ってくれているのだろう。
 いつでも書けるのだけれど、過去の記憶や、複数の感情を背負う必要が出てくるから、消費するエネルギーが大きい。
 なので、なるべくこうした力は小説を書く時に注ぎたいなと思っている。
 ここのブログでは当分、崩した文章を打ちだして行きたい。
 僕は純文学系の文章も書きたいと思うけれど、やっぱりエンタメ系が好きである。
 言葉の使い方が荒かったり、強引な言い回しも多々あるけれども、熱量とボケの過剰な作品を書きたいと思う。
 そういう、けれんみだらけの歪んだ文章力を手に入れたい。
 このブログを続けている理由の大本は、言葉遊びというトレーニングをしたいって考えだ。
 だからずっと塗りたくるように、非モテだとか童貞だとか似たような記事でも構わずうpしている。
 手早く面白いものを作れるようにしたい。
 プランを練ったり、下書きなどせずに、メモ帳を開いて間断なく打ち込んでそのままアップするような。
 作成速度と、表現力と、リズムと。
 この辺りを多少なりとも磨き続ける為に、このブログを道具として使用して行きたい。
 そして、小説を書く際には繊細な作業をするようにし、荒さと繊細さを同時に兼ね備えられるような作家になれるように、数十年単位で修行をしようと思う。
 という訳で、日によってグッチャグチャだったり、急に真面目になったりと、人格分裂的なブログになるかもしれない。
 なんでもあり、ってのが方針だ。

 ちなみに、ピピピピピって名前をつけた理由は、

BLACK FILE 200th O.A. Memorial Freestyle A on Vimeo

 この曲の中で、一番最初に登場するPunpeeというラッパーが、『板橋区のピピピピピ、ここまでやって来た生き字引』とラップしていたからだ。

問題が起きてどうしようもなくなったら、田舎でのんのんとした暮らし方をする

 長々と書き込んだが、未来がどうなるかなんて分からない。
 北海道には氷玉を投げつけてくるイタズラ少年もいるから、殺される可能性だってある。
 リズミカルに出血して、世界の声が遠ざかり、瞳を閉じると同時にこの世から去る可能性はなきにしもあらず。
 何が起きるか完璧な予測など不可能なのが人生だ。
 であるから、小説だって才能不足によって100年芽が出ないかもしれない。
 今は父親の会社で悠々自適に働いているが、近年稀な不祥事を起こして世間から猛バッシングを食らう恐れもある。
 だから、最悪の場合は人里離れた場所で、野良犬を次々仲間にして楽しんで生きようと思う。
 他の記事にも書いたが、僕の婆ちゃんは広大な土地を持っている。
 それこそ、のんのんびよりの宮内れんげの爺ちゃんが所有する山のようなものを。
 そこには人なんてほとんど住んでいなく、見渡せばタヌキやキツネが佇んでいたりする。
 モグラが挨拶にきたり、ツボに手を突っ込んだら蛇が巻き付いてきたり、熊が墓の供え物を嬉しそうに食べていたりする。
 つまり、人のシガラミなんてない大自然の真ん中なのだ。
 婆ちゃんが住んでいた家は、手作りの二階建てである。
 村人と協力して、トンカチをトントンやって丈夫な家を作ってしまった。
 そういうフリーダムな世界なのだ。
 ちなみに婆ちゃんは引っ越したから、少し前に遊びに行ったついでに、家は叩き壊した。
 僕はなんらかの問題を起こして、日陰の人に追い込まれた場合は、この村へ引っ越そうと思っている。
 畑仕事などをしたりで重労働の毎日ではあると思うが、婆ちゃんの庭に住み着いた猫の群れなんかとも戯れる事が出来るし、一種の楽園的な空気を感じて幸せに生きられるんじゃないかと思う。
 であるから、社会的に潰されたとしても、間違いなく楽しく生きていける。
 道徳やマネーやよりも大事なのは、心が満たされるかどうかだ。楽しいかどうかだ。生きてて笑えるかどうかだ。
 疲れ切った人が住む住宅が軒を並べていたって、そこに地球の良さなんてちっぽけも感じられない。
 昇進や撤退や停滞など、どんな行動やイベントが中心であっても構わないが、そこに充実感がなければ嫌だ。
 カラーリングに失敗したような悲痛な景色を観て生きたくない。
 ご機嫌斜めな社会になんか取り込まれたくないのだ。
 ちなみに田舎の森が炎上するのは嫌だけれど、ブログが毎日炎上したって構わないよ。

 ただやりたい事やって、言いたい放題ぶちまけて、人間生命を満喫出来れば上々。

 

創作の極意と掟

創作の極意と掟

 

 

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

 

雑記

 褒めてくれる人がかなり増えてきた。
 わざわざツイッターでフォローをしてからDMを送信してくれる人もいるから、手間を患わせないようにメールアドレスを公開する事にした。
 pipipipipiwarawarawaraあっとgmail.com
 スパム以外はなんでも送ってくれて大丈夫ッッ(๑¯Δ¯๑)/暴言も歓迎‼
 訳の分からないファイルは開かない派ですッッッ(๑¯Δ¯๑)/
 面倒な場合は返信が送れる事が多々ありますぅぅぅぅぅぅっっっ(๑¯Δ¯๑)/‼

 ちなみに下記のようなコメントを貰えるようになった。
 数年間、心が潤うぐらいに嬉しい。

私はピピピピピさんの文章、大好きです。
一度も笑わない記事は、お世辞抜きにありません。
さくらももこさんや東海林さだおさんや町田康さんのエッセイを読んでる時と同じくらい笑っちゃいます。
ピピピピピさんの文章は、一般的な人とは視点が違うし、発想の飛躍も絶妙だし、比喩もすごくしっくりくるし(鳥山明さんのネーミングのようにしっくりきます!)、なによりもご自身で考えられたということが、とても伝わってきます。

べた褒めしていますが、本当、正直なことを書きました。
こんなコメントされると逆に迷惑かもしれませんが、本当のことなのでしかたありません。ピピピピピさんを困らせるためにわざと正直に書いているのは秘密です。

 

このブログ、大好き。 とにかく正直なのがとてもいい。 いいなあ。

 

痛い

 

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