新幹線で焼身自殺 暴走老人の心に火がつくまで 巨額の賠償金はいったい誰が払うのか?
前代未聞の「自爆テロ」だ。日本列島の大動脈ともいえる東海道新幹線を麻痺させ、巻き添えの死亡者も出した焼身自殺事件-当事者である林崎春生容疑者は、いかにして暴走老人と化したのか?
■月12万円じゃ足りない
「私は火災のあった1号車の6列目に座っていました。男は新横浜を出発して2~3分過ぎた頃、後方から1号車に入ってきて、通路を2度ほど行ったり来たりした後、姿が見えなくなった。1号車は自由席なのになぜ座らないんだろうとちょっと不思議に思いました。
再び客室に戻ってきたときには白いポリタンクを右手に持っていました。キャップはすでに外れていて、ピンク色の液体が漏れていた。私はとっさに『ガソリンだ』と思い、急いで席を立ちました」
6月30日午前11時30分頃、神奈川県小田原市を走行中の東海道新幹線のぞみ225号に乗り合わせていた50代の男性会社員は、恐怖の瞬間をこう振り返った。火災によって焼け焦げた上着を手にしており、煙の臭いが周辺に漂う。
走行中の新幹線で焼身自殺を図るという前代未聞の事件で、横浜市青葉区の整体師、桑原佳子さんが煙を吸い込んで死亡。他に乗客26人が救急搬送された。
名古屋方面へ向かう高速鉄道を一瞬にして阿鼻叫喚の地獄に突き落とした男は、林崎春生容疑者(71歳)。東京都杉並区西荻北にある築45年以上の木造アパートに暮らす独身の男だった。部屋に風呂はなく、トイレは共同の物件だ。近隣に暮らす50代女性が語る。
「いつもハンチングのような帽子をかぶっていて、手ぶらでしたね。一度、夜中に電話で怒鳴っている声を聞いたことがあります。身内と揉めているようで、1時間くらい怒鳴っていた。また数ヵ月前、酔って帰ってきて鍵を失くしたのでしょうか、窓ガラスを割って自室に入ったこともありました」
家主の話では、林崎容疑者は15年前に入居して以来、一度も家賃を滞納したことはなかったが、1年ほど前に「生活が苦しいので、(月4万円の)家賃を安くしてほしい」と電話してきたという。家主は相談に応じ、1000円程度家賃を下げた。
40年来の付き合いがあるという女性によると、男は「岩手県出身で、出会った当時は流しの歌手をしていた」という。
「私は西荻窪で割烹の店をやっていたんだけれど、いつも一仕事を終えた夜の12時頃にやってきて、静かに1~2杯飲んで帰っていきました。あのころの稼ぎは4曲歌って1000円くらいだったかしら。十八番はサブちゃんで、『兄弟仁義』をよく歌ってたわね」
その後、流しの常連客だった鉄工所の社長に誘われて勤め始めたが、20年ほど前にその工場も倒産。幼稚園のバスの運転手を務めた後、ごみ収集会社に就職した。だが1年ほど前に「もう歳だし、走って缶を集めるのはつらい」と仕事を辞め、年金暮らしを始めていた。
「今年に入ってから、おカネのことでぼやくことが多くなりました。年金は月12万円位もらっているということでしたが、介護保険料や家賃、光熱費を払うと手元にほとんど残らないので生活できないってね。『ロープを用意して年金事務所で首を吊ってやる』と話したこともありました。『35年も払ってきたのにこれだけしかくれない』と怒っていた」(同・知人女性)
年金額の少なさを役所に訴えたり、区会議員の事務所に相談の電話をかけたりもしていたようだ。
■真面目に働いてきたのに
「競輪、競艇、パチンコなんかはやっていたけど、派手なおカネの使い方はしない人でした。贅沢といえば、たまに昼から回転寿司屋で飲むくらい。働いていた頃は、岩手の親戚に仕送りもしていたみたいです。『全部で1500万円は送った』と言っていましたよ」(同・知人女性)
一時期は地元の草野球チームに所属したり、友人と釣りに出かけたりするなど、それなりの人付き合いもあった。この知人女性の夫が語る。
「うちの店の常連さんと一緒に野球チームを作ったんです。彼はセカンドでね、なかなかうまかった。おとなしい人だったけれど、流しをやっていると、ショバ代のことなんかでヤクザと衝突することもあったようです。ギターでヤクザを殴ったことがあるとも言っていました。理屈に合わないとなると、とことん自分を通す人だったからね」
若い頃には歌手になるという夢も見たが、それなりに真面目に働いて、年金の保険料も納めてきた。それなのに月額12万円では、思ったような暮らしができず、いまさら働き口もない-林崎容疑者はカネのやりくりに悩み、人付き合いも減っていった。カネに対する複雑な思いは、死の直前まで彼の脳裏から離れなかったようだ。
「容疑者はガソリンを浴びる直前、女性の乗客に『拾ったからあげる』と1000円札数枚を渡そうとしたようです」(神奈川県警の捜査関係者)
男がどのような思いで、お札を女性に押し付けたのかはわからないが、そのカネは彼にとってなけなしの数千円だったことだろう。しかしその後、男が引き起こした騒動は、多くの人々に桁違いの損害を与えることとなった。
フラクタル法律事務所の佐藤祐介弁護士は、「鉄道でこのような事故が起きた場合、遺族に鉄道会社が受けた損害額が賠償金として請求されることになる」と語る。
「損害額は、切符の払い戻しや振り替え輸送にかかった費用、破損した車両などの修理代、事故対応の人件費などを合計したものになります」
■損害額は10億円以上
6月30日に運休になった新幹線は全部で43本。火災が発生した225号には約1000人が乗っていたので、単純計算すれば4万3000人の人たちが、運休扱いで運賃の払い戻しを受けることになる。1人1万3000円の払い戻しを受けるとすると、合計で5億5900万円の損害だ。
また、上下線合計で106本の電車に遅れが生じた。JR東海の約款では、遅延時間が2時間を超えた場合のみ特急券が払い戻されることになっている(乗車券の払い戻しはなし)。半分の53本が払い戻し対象になったと仮定しよう。計5万3000人の乗客に対して、特急料金(約5500円)をかけると、2億9150万円になる。他に大きな額になると予想されるのが、車両の破損被害額。鉄道ジャーナリストの梅原淳氏が解説する。
「JR東海の投資計画書によると、N700A(火災があったものと同じ車両)288両に対して約880億円の投資がなされており、単純計算で1両が約3億円です」
加えて事故対応に当たった社員の残業代、特別な警備に当たった人の人件費などもかかってくることを考えると、損害額は10億円を下らない。
問題は、これを賠償金として請求できるかという点だ。交通事故の賠償問題に詳しい好川久治弁護士が語る。
「理屈のうえでは、鉄道会社は本人の遺族に賠償請求できます。ただし、遺族が相続放棄してしまえば泣き寝入りになる」
今回は林崎容疑者が相続するに足る遺産を残していた可能性は低いので、現実的に賠償は難しいだろう。JRとしては丸損ということになる。しかし、巻き添えとなった桑原さんへの補償はどうなるのか。これも泣き寝入りでは、あまりにむごい。
「国の犯罪被害給付制度が適用される可能性があります。これは通り魔殺人等の故意の犯罪行為により、死亡した人の遺族や、重傷病を負った被害者に対して給付されるものです」(好川氏)
死亡の場合は、遺族の生計の立て方によって額は異なるが、320万円~約3000万円の遺族給付金が支払われる。
無論、何千万円というカネを積まれたところで、大切な人を失った悲しみが癒えるはずもない-爪に火をともす暮らしより、ガソリンに火をつけることを選んだ暴走老人の罪は計り知れない。
「週刊現代」2015年7月17日号より
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