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 府文化財センターと枚方市教育委員会は15日、同市御殿山南町で、1939(昭和14)年に大爆発を起こした旧陸軍の弾薬類貯蔵施設「禁野(きんや)火薬庫」の土塁などの遺構が出土した、と発表した。土塁は長さ約38メートル、高さ約7メートルで、この規模で出土したのは初めて。遺構は爆発の際に木造の建物が焼けて積み重なったと思われる炭化物や熱で変形した砲弾の破片などの層で覆われ、爆発の激しさがうかがえる。

 センターによると、土塁は爆発時の被害を軽減させるために弾薬庫を取り囲む形で造られ、今回西側の一部が出土した。炭化物などの層のほか、建物があった場所からはコンクリート床の破片が幾重にも出てきた。激しい爆発で木造の建物が焼け落ち、コンクリートの建物も吹き飛んだ可能性が高いという。

 火薬庫は日清戦争が始まった1894(明治27)年に陸軍が用地買収し、その後拡張された。1939年の大爆発は、砲弾の信管を外す作業中に発火したことが原因で、陸軍の報告書によると死者94人、負傷者602人を出したという。戦後は大阪大学工学部に転用され、その後は団地の一部となっていた。

 センターは、関西外国語大の新キャンパス建設のために、今年4月から約2万7千平方メートルの発掘調査を開始。これまでに4300平方メートルの調査を終えた。現地説明会を18日午後1時から開く。問い合わせはセンター禁野本町遺跡詰所(072・805・5719)。