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月給20万のWeb制作会社を退職しました

仕事=生活の全てだった2年間を経て、システム受託開発会社バズー株式会社を退職しました。日本10名・海外支社50名ほどのドベンチャーでしたが、社会人として重要なことを全て学べた環境でした。学んだこと・経験したこと・これから活かしたいことを自戒の念を込めて時系列でまとめたいと思います。

入社時:MBA合格したけど初任給20万円を選択

大学時代はMBA受験したり、起業したり、それなりに楽しい時間を過ごしていましたが、そろそろ企業で働いてみようかなと思ったタイミングでした。大学時代の先輩に誘われ第二新卒として6月に入社。ダイレクトリクルーティングなるものですね。初任給20万円でしたが自分なんかが企業に拾えてもらったことが何より嬉しかったです。人のつながりは重要と心底実感。

1ヶ月~3ヶ月:コスト扱いされたくなかった

新卒だろうが数字を挙げない奴は「コスト君」と呼ばれる文化に衝撃を受けました。4月入社の新卒メンバーが5月にはコストと呼ばれているのを目の当たりにし、誰よりも早く稼ぐと決心。明日は我が身だと思い、日々怯えながら仕事をしていました。

運が良かった営業:1に根性、2に根性

入社後は片っ端からテレアポしまくりました。入社後1週間ほどで「本日別の会社様へ発注する」というお客様と出会いました。なんとか食い込めないかとお話し、1時間で提案資料と見積書を作成するのでと、即日アポを取得しました。訪問後は発注書をいただくまで帰れませんとお話し、お客様先で決裁がおりるまで待たせていただきました。際どい行動でしたが、寛容なお客様で本当によかったと思います。ただのアホな暑苦しい営業マンでしたから。ありがたいことに無事ご発注いただきました。お客様の課題解決を全くできていないにも関わらず、根性だけでご発注をいただいたのだなと感謝しております。次に営業させてもらう機会があれば、必ず課題解決することを心に誓いました。

お客様に迷惑かけまくった制作ディレクション:ドシロートですいません

発注書を持ち帰ったら、最速記録だとCEOも上機嫌。これでコストと言われなくて済むと思ったのも束の間、「自分で取った案件は自分で納品しろ」とお達しがありました。ITの知識0でプロジェクトマネージャーをやることに。右も左もわからない状況でしたが、ひたすら社内のファイルをあさり、プロジェクトの進め方を学習。見よう見まねでスケジュールを引き、要件定義をはじめました。はっきり言って、ドシロートだったのでお客様に迷惑かけまくりでした。寛容なお客様なので、炎上はしませんでしたが、申し訳無さでいっぱいでした。このとき、「どんな事情があろうが、お客様には関係ない。常にプロでなければならない」と肝に命じました。

3ヶ月~6ヶ月:限界を知らずキャパオーバー

取れば取るほど首をしめる:目の前のことしか考えられなかった

プロジェクトを進めることに必死で営業を疎かにしていた時期です。「稼いでないんじゃね、いる意味ある?」という雰囲気が自他ともに流れ始めました。すぐに2つほど新規案件を受注し「コスト君」にはなりませんでしたが、案件受注=担当プロジェクトの増加になるわけで、かなり忙しくなっていきました。目の前のことしか考えていなかったので、自分のリソースやスケジュールなど考える能力はありませんでした。

セールスマネージャーに:マネージャー(笑)

自身の業務量に関係なく、新しい課題は降ってきます。新規顧客の開拓を進めるために、営業を統括することに。2名ほどではありましたが、初めてマネジメントを経験させてもらいました。セールスマネージャーとは名ばかりで、全くマネジメントできず。自分もチームメンバーもタスク遅延を起こしまくりました。KPIを定め、メンバー全員で納得感をもって遅滞なく業務を遂行することの難しさを学びました。

法務担当に:知ってるふりに必死

無事に新規案件受注が進むと、契約書類の整備が必要になってきます。「法学部出身だったよね?できるでしょ?」というよくわからない理由で、法務に任命されました。必死でWebや書物で情報収集し、見積書・発注書・業務委託契約書・NDAのひな形を作成させていただきました。あくまで付け焼き刃の知識だったので、突っ込まれると全く答えられず。知ってるふりをするのに必死でした。

胃潰瘍不眠症:究極の無責任

業務時間に営業と制作ディレクション、業務時間外に要件定義と契約書チェックをする日々が続きました。人間死ぬほど働いても死なないと勘違いしていました。情けないことに胃潰瘍になり、立っていることも座っていることもできなくなりました。と同時に、不眠症(1回目)になり睡眠時間が1時間くらいの生活が始まりました。ちょうど案件の納品タイミングだったので、チームメンバーに多大なる迷惑をかけました。体調不良でいないとか究極の無責任でしたね。幸い1ヶ月ほどで回復しましたが、健康第一であると身を持って知らされました。

6ヶ月~1年:井の中の蛙大海を知らず

コミットを高めるため株主に:名前だけの株主

体調不良を乗り越え、業務効率も上がってきたところで次のステップへ。事業にコミットするため株主にならせていただきました。(名前だけで議決権などはありませんでしたが)経営者目線を持つことが肝要であることを痛感しPL/BSを睨みながら経営課題を見つけ、業務に取り組むサイクルが嫌でも身につきました。このあたりから完全に井の中の蛙大海を知らずモードに入り始めました。

経理担当に:請求書管理すらできなかった

 PL/BSに触れるようになり、気づいたら経理業務も担当することになっていました。紙の管理が究極的に苦手だったので、膨大な請求書を管理できませんでした。紙の管理すらできないのかと自己嫌悪に。前任の経理担当にはかなり迷惑をかけましたが、売掛金・買掛金を正しく処理すること、月次PLを会計士さんと締めることの重要性に気付かされました。このあたりからバックオフィスを尊敬するようになりました。

1年~2年:日に日にやつれていく

外資企業との契約:英語力の無さを痛感

世界的に有名な某企業と契約を締結する機会をいただきました。そこで、契約書のチェックを全て担当。英字での契約書を見るのは初めての体験でしたが、英語は得意だったため楽勝だろうと安請負。結果、英語力の無さを痛感し夜な夜なweblioさんに頼りながら読み進めました。A4 30ページ分くらいの契約書を読み終わり、内容を把握できたときには心底感動しました。先方のご担当者様にはスケジュール面で大分ご迷惑をおかけしましたが、ご丁寧に対応いただけたことに心から感謝しております。このご担当者様は今でも憧れのビジネスマンの1人となっています。

初めての通知書:自分のちっぽけさを実感

案件が炎上し通知書を受領しました。CEOとともに内容証明を作成し、代理人様とやりとりする日々。賠償や返金が発生したら自分も責任を取らなければならないという状況。「なんかあったら自分もお金払えばいいんでしょ?」と言いながらも大した財産はなく、自分のちっぽけさを実感。不退転の覚悟で解決に臨みました。幸いお客様とも無事に和解することができたので、全ての関係者様にひたすら感謝しております。

人間関係に苦戦:わずか2人すら調整できず

小さい会社ではありましたが、CEOとCOOの方針の違いに伴う指示の板挟みを経験。寝ても冷めても上司のことを考える日々が続き、二度目の不眠症になりました。わずか2人の上司すら調整できない無力感。次のキャリアではより大きな組織で働き、社内調整力を身につけることを決めました。

退職希望者現る:涙ながらの説得

退職希望をあげる社員が出始めました。当時のメンバーはみな優秀で誰が抜けても組織運営に大きく支障をきたすのは目に見ていている状況。涙ながらに夜な夜なLINEして無事引き止めに成功しました。結果としてその中の一人と仲良くなり信頼関係を改めて築くことができたのでいい経験でした。

退職へ:自惚れてた自分を知る

事業縮小とリストラ:それは自惚れだよ

入社条件として3年以内のIPOが提示されており、そこに向かって邁進していましたが、2年弱で大幅な方針変更。受託開発1本でスケールが非常に難しいという現状にぶち当たりました。スケール路線からは離れ、事業最適化を進める運びとなり、大規模なリストラが言い渡されました。苦楽をともにしたメンバーがリストラされていくのは26歳の自分には耐えられないものでした。これは一重に、営業責任者であった自身の問題であり力不足とガチ凹みしてましたが、COOはそんな自分に「自惚れだよ」と一喝。COOとは最後まで事業最適化を進め、退職することを話し合いました。

退職:結局けつは全部CEOに拭ってもらった

事業最適化をひと通り終え、退職の運びとなりました。幸いCEOにはご理解いただけ、円満退社となりました。その後ヘッドハンターさんのご紹介までいただき、株も買い取っていただきました。当事者意識だ、株主だと言いながらも結局最後はCEOにけつを拭ってもらいました。情けないですね。

 

総括:2年間でようやく人並みに

2年間の短い間でしたが、幅広い業務を担当させていただき、ようやく社会人としての基礎が身についたかなと思っております。CEO、COOならびに当時のメンバーの支えとご指導にはどれだけ感謝しても足りません。お客様とのやりとりを通じて、お客様の満足が仕事の大原則であることが自身の哲学となりました。自身の力不足で案件を炎上させてしまい、沈められると思った体験もありましたが、そこで培った胆力は今でも活きているはずです。

これから

2015年5月より株式会社ビズリーチでお世話になっております。新規メディアの立ち上げプロデューサーを担当させていただき、いよいよ公開となりました。入社から2ヶ月半、全く稼いでいない状況に危機感を覚えながらも、みなさまのご支援のおかげで無事にリリースまで担当させていただくことができました。今後、この御恩を返すべく、社会に影響を与えられるメディアを運営してまいります。よろしければご覧になってください。

みんなのスタンバイ

働き方が多様化し、雇用の流動化が進むなか、「みんなのスタンバイ」は、働く全ての世代を対象に、さまざまな仕事や新しい働き方をはじめ、仕事に対する好奇心を刺激する情報を提供します。読者が、一歩立ち止まって「働くとは何か?」「自分にはどんな可能性があるか?」について主体的に考えるきっかけをつくれるよう、「働く」に関わる情報を網羅したサイトを目指します。

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