『選挙』『精神』などの「観察映画シリーズ」で知られる映画作家、
想田和弘さんによるコラム連載です。
ニューヨーク在住の想田さんが日々「観察」する、
社会のこと、日本のこと、そして映画や芸術のこと…。
月1回の連載でお届けします。
第30回
政治家の「言葉の崩壊」が意味するもの
政治家の言葉の崩壊も、ついにここまで来たか。
そう感じた人も多かったのではないだろうか。「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録決定後に、安倍首相や岸田外相などが「『forced to work』は『強制労働(forced labor)』を意味するものではない」などと言い張った「事件」である。
報道によれば、日本の政府代表団はユネスコ世界遺産委員会で、「a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions」との文言を含む声明を発表した。これを直訳すれば「多くの朝鮮半島出身者等がその意思に反して連れてこられて、過酷な環境の中で働かされた」となる。これが「強制労働」を意味することは、火を見るよりも明らかであろう。
にもかかわらず、それを「いわゆる強制労働ではない」と強弁することは、「たしかに物は盗んだけれども、いわゆる窃盗ではない」とか、「相手の意思に反して性交することを強いたけれども、いわゆる強姦ではない」などと言うのと同じことである。
それが意味するのは、もはや言葉が言葉としての意味をなさないという事態。つまり「言葉の崩壊」である。
首相や外相はこうした卑怯な詭弁を用いることで、自らの政治的立場を守ったつもりでいるのかもしれない。実際、大日本帝国の加害の歴史を認めたがらない歴史改ざん主義者たちからの批判は、一時的に少しは逸らすことができるであろう。
しかし首相らが気づいていないのは、こうした詭弁を用いることが、自らの言葉の信頼性を回復不能なまでに毀損しているという事実である。
少なくとも僕は、こういう詐欺的な言葉遣いをして平気でいられる首相や外相が、今後何を言っても信じることができない。今国会では戦争法案についての審議が行われ、本日(7月15日)、衆議院の委員会で強行採決されようとしているが、首相がいくら「戦争に巻き込まれることは絶対にない」などと言っても、真面目に受け取る気がしない。なぜなら、首相は実際に日本が戦争に巻き込まれたときでさえも、それを認めることが自分にとって不利だと感じるならば、「たしかに自衛隊と敵国の軍隊は爆弾を落とし合い、双方に死人も出ているけれども、これはいわゆる戦争ではないし、亡くなった自衛隊員も戦死したわけではない」などと言い張りかねないから。
要は、言葉が崩壊している以上、法案について首相から国会でいかなる政治的言質を取ろうとも、何の意味もないのである。
それはそのまま、民主制の無意味化ないし崩壊を意味する。
なにしろ、政治家との約束が、約束を意味しない。私たちは選挙の際には、候補者の公約=言葉を信じるしかないわけだが、その公約が意味をなさなくなる。思えば、憲法の「解釈改憲」自体が、憲法に明記された言葉を無意味化し崩壊させる行為であった。立憲民主政治の崩壊は、言葉の崩壊から始まるのである。
そしてそのことで不利益を被るのは、政治家ではない。
私たち主権者なのである。
そう考えると、僕は先に述べたことを撤回しなければならないかもしれない。つまり、もしかすると首相らは、詭弁によって自らの言葉の信頼性を毀損していることに気づかないのではなく、意図的に毀損しているのではないだろうか。
実際、言葉の崩壊が進めば進むほど、政治家たちは憲法の束縛から逃れられるし、自分の言葉に責任を持つ必要がなくなっていく。安倍首相らには誠に都合がよい。
「死人は出ているけれど、これは戦争ではない」。こんな、不条理文学の中にでも登場しそうな台詞が、「もしかしたらあり得るかもしれない」と思えてしまうことに愕然とします。そして、そんな状況を招き寄せてしまったのは、紛れもなく私たち自身。言葉の、そして民主主義の「崩壊」を押しとどめ、新たに紡ぎ直していくためには、何度でも「おかしい」と声をあげ続けるしかないのだと思います。