社説:安保転換を問う 衆院委員会採決

毎日新聞 2015年07月16日 02時30分

 ◇民主主義揺るがす強行

 憲法違反の疑いが濃い安全保障関連法案が、衆院の特別委員会で、与党の強行採決により可決された。野党の怒号が飛び交う中、与党が「数」の力で法案を押し通した。憲法学者、内閣法制局長官OBはじめ多くの国民が反対しているにもかかわらず、安倍政権がこうした声に耳を傾けず、審議が不十分なまま採決を強行したことを、強く非難する。

 戦後日本の平和は、戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法9条の縛りと、日米安保条約による抑止力のバランスの上に、保たれてきた。

 ◇異論を封じ民意を軽視

 集団的自衛権の行使容認を柱とする今回の関連法案は、憲法の制約をゆるめ、日米安保体制を世界規模の同盟に変質させるものだ。戦後の安全保障政策を根本的に転換させる重要法案である。

 それだけに私たちは、実質11本の関連法案を絞り込んで、与野党の幅広い合意と国民の理解を得るべきだと主張してきた。安倍政権の進め方はあまりに強引だ。

 きのうの質疑では、安倍晋三首相も「国民の理解は進んでいない」と認めざるを得なかった。

 それでも首相は、祖父・岸信介元首相の座右の銘だった孟子の言葉を引用し「自ら顧みてなおくんば(千万人といえども我行かん)、という信念と確信があれば、しっかりとその政策を前に進めていく必要がある」と語った。

 自らが進める政策は正しく、間違っているのは批判する側だと言っているかのようだ。たとえ今は反対が強くても、祖父が成し遂げた1960年の日米安保条約改定と同じように、関連法案は後世、歴史が評価すると考えているのかもしれない。

 約1カ月半の衆院審議を通じて、首相には、異論に謙虚に耳を傾け、批判から必要なものをくみ取り、国民の幅広い合意形成をはかろうという姿勢が乏しかった。

 関連法案は、審議が進むほど理解が深まるどころか、逆に根本的な問題があることが明確になり、各種世論調査で反対が強まる傾向にある。

 問題点は、大きく分ければ、集団的自衛権の行使を容認した憲法解釈変更の是非と、安全保障上の必要性の二つに集約される。

 政府の憲法解釈変更は、集団的自衛権の行使は「許されない」としてきた72年の政府見解の一部を抜き出し、結論を「許容される」へひっくり返した。論理的整合性がとれておらず、憲法は権力を制限するものだという立憲主義の理念に反する。

 関連法案は「違憲法案」との批判が高まると、59年の砂川事件最高裁判決が集団的自衛権の行使容認の根拠になり得ると強調し出した。だが、砂川事件は駐留米軍の合憲性が争われた事件であり、判決は集団的自衛権の行使を認めたものではない。

 安倍政権は、法案の根幹をなす憲法解釈変更の合憲性について、納得のいく説明ができていない。

 集団的自衛権行使を容認する理由として挙げる「安全保障環境の変化」についても、肝心の中身の議論を深めようとしない。だから、安保環境の変化と関連法案が具体的にどう結びつくのかが、はっきりしない。

 ◇三権の中で行政が突出

 安倍政権は、集団的自衛権の行使容認により抑止力が高まるというが、むしろ地域の緊張を高めかねない。行使の新3要件は拡大解釈が可能で歯止めにならない。

 立法、行政、司法が互いに抑制し合うことによって権力集中を防ぐ三権分立は、民主主義の基盤だ。だが安倍政権のもとでは、政府の力が突出し、国会や裁判所が軽んじられているように見える。

 政府が国の最高法規である憲法の解釈を恣意(しい)的に変更すると、「1強多弱」国会が、審議を十分に尽くさないまま政府決定を追認した。国会に関連法案が提出される前に、首相が米連邦議会での演説で、夏までの法案成立を約束した。

 最高裁が示した自衛権についての唯一の憲法判断である砂川判決を、政権が都合よく解釈する一方、衆参両院の「1票の格差」訴訟では、最高裁が「違憲状態」判決を出してもすぐに対処しようとせず、判決を軽視するような態度をとった。

 先月、首相に近い自民党議員らの勉強会では、関連法案をめぐって、批判的な報道機関に圧力をかけるべきだと、戦前の言論統制に通じるような議論が噴出した。言論の自由が揺らぎかねない状況も生じている。

 日本の民主主義は健全に機能しているのだろうか。皮肉にも戦後70年の節目の年に、関連法案の進め方を通じて浮かび上がったのは、こんな根源的な疑問である。

 関連法案はきょう衆院本会議で可決され参院に送られる見通しだが、これで決着するわけではない。違憲の疑いは全く払拭(ふっしょく)されていないし、衆院ではほとんど議論されなかった論点も多い。憲法も安全保障も議論をさらに深め、広範な国民的合意を作り上げていく必要がある。

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