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【泣ける】羽生結弦 震災を語る「被災地のことを忘れないでほしい」

ソチ五輪のフィギュアスケート男子で日本初の金メダルを獲得した羽生(はにゅう)結弦(ゆづる)選手(19)(ANA)が、被災地への思いを語っています。

更新日: 2014年03月10日

muremureさん

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「被災した故郷を離れて本当に良かったのか」

メダルを取って、震災で傷ついた日本にプレゼントしたい。そんな思いで臨んだソチ五輪でした。でも、実際に優勝したら、無力感に襲われました。金メダルも、復興の直接の手助けにならないって感じたからです。練習拠点を、生まれ育った仙台からカナダに移してまで目指した金メダルですが、「被災した故郷を離れて本当に良かったのか」との思いも起きました。

 競技をやめようと思ったこともありましたが、翌12年の世界選手権で、たくさんの応援をもらって銅メダルを獲得して気付きました。被災した人たちを勇気づけたいと思って滑っていたけど、実は自分のほうが支えられていたということに。五輪も同じです。応援に背中を押してもらいました。金メダルは自分だけではなく、応援してくれたみんなで取ったと思っています。

 金メダリストとして、すべきことも見えてきました。「被災地のことを忘れないでほしい」という思いを伝えるために、これからも滑り続けるつもりです。

震災で自宅全壊、泣きじゃくったあの日

2011年3月11日14時46分。その瞬間も羽生は氷の上に立っていた。ホームリンクの「アイスリンク仙台」。「氷が波を打つようだった」というすさまじい衝撃に、その場にへたり込み、スケート靴を履いたまま四つんばいで出口を探し、外に出た。すべてのものが倒れ、壊れていく。「もう駄目だと思った」。泣きじゃくり、ぼうぜんと立ち尽くすことしかできなかった。気がつけば、スケーターにとっての「命」といえるスケートの刃は、ボロボロになっていた。

 家族と何とか合流できたが、自宅は全壊。4日間避難所で過ごし、その後は全国各地のリンクを転々としながら、練習する日々が続いた。「自分だけスケートをやっていていいのか」。そんな感情が心を支配していった。

迷いを消したのは神戸で行われたチャリティー演技会だった

同じく震災に見舞われ立ち直った神戸の町に、勇気をもらった。そして自分の演技に、涙を流してくれる観客を見て「スケートをやりたいなと思えた」。

 当時の光景は「今でも忘れられない」という。自分の演技の持つ力を信じ、前に進むことを決めた。リンクは震災の4カ月後に再開。しかし、若武者は翌年拠点をカナダに移すことを決めた。復興の途中にある故郷を離れるのに抵抗はあった。それでも、もっともっと強くなりたかった。

ソチオリンピックエキシビションでは被災地への思いを込めて滑った

この『白鳥の湖』は2011年に東日本大震災後初のアイスショーで使った曲だ。復興へのメッセージを込めて、被災した自分の過ごした町が立ち上がる姿を想像して演じたという。

「これまでの僕は感情を出そうとすると、自分の内側にすごく入っていってしまうタイプだったんです。今日はそれをあまり中に入れないで、外に出そうと思って集中して、それができたと思います……」

金メダル報奨金は「震災、フィギュアのリンクへ寄付」

「震災への寄付、フィギュアスケートのリンクへの寄付に使おうかなと、今は考えてます」

日本オリンピック委員会(JOC)から金メダリストに対して支給される300万円の報奨金の使い道について問われ、東日本大震災の被災地やフィギュアスケートのリンクへの寄付などに使う考えを示した。

2011年3月の東日本大震災で、地元仙台の自宅も、ホームリンク「アイスリンク仙台」も被災。悲劇を乗り越えての金メダルで、ソチから力と感動を与えた直後も浮かれることなく、「復興のためにできることがある」と話していた。今回の寄付は、その手始めになるはずだ。

 もちろん、一番の恩返しは活躍し続けること。「これからオリンピックチャンピオンらしい演技ができる、強いスケーターになれるよう、精いっぱい頑張っていきます」との自覚を示した。

 今後について「(次回の)平昌五輪については、現役を続行したいと思うが、2連覇とかは考えず、日々精進して、目の前の世界選手権(3月26日開幕、さいたまスーパーアリーナ)でまず金を取れるようにしたい」と、目標を定めた。羽生の王者としての戦いが始まる。

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