ぼくは一年前から大きめの「団地」に住んでいます。
それまで何度も引っ越しをしてきたのに、一軒家か、普通のマンションにしか住んだことがなかく、「人と人が近い集合住宅を経験してみたい!」と思い立ちました。
おとなりさんが「今日は煮物をつくりすぎたから、どうですか?」みたいな感じで、物をシェアし、情報を共有し、でも過剰な詮索はせず、人と人が近いのに、心地がいい距離感はある、そんな空間を肌で感じてみたかったのです。
1年ちょっと住んでみて。
予想通りの「団地ズム」がそこにはありました。決して「”ALWAYS 三丁目の夕日”の時代がいい」と懐古主義になるわけではないけれど、コミュニティの中で人が協力しあって生きていくこと。ときには子供を預かり、誰かの部屋でパーティーをして、公園ではオモチャをシェアし、近所の学校の情報を共有する。
殺伐としたいまの世の中で、これからはもっと人と人が近くなり、協力しながら生きていくことが必要だし、そんな社会になるんじゃないか? そんなことを予想しています。
今日も、団地ならではの出来事に胸が打たれました。
子供の同級生と、その姉妹が遊びにきた。
二日前に子供の同級生と、その姉妹が三人で遊びに来ました。
ぼくは自宅で仕事をしているのですが、仕事部屋があるので、来客などは自由にしてもらっていますし、子どもたちの叫び声(?)を聞きながら、ほっこりした気分で仕事をするのも悪くないです。
ただ…
3〜8歳までの子供が5人も集まると、ちょっとした遊園地状態に(笑) あちこちを走り回り、かくれんぼの途中で仕事部屋に忍び込んでくる子も…
この日だけは、それなりにお金をかけたノイズキャンセリングヘッドホンに感謝しかありませんでした(笑)
でも、みんな楽しんで満足したそうです。
参考:子供に怒った話。「自分で選択した!」と言えることが、あなたにはいくつありますか?
2日後に少女がひとりで、家を訪ねてきた。
ある日「ピンポーン」と、ひとりの少女が訪ねてきまして、遊びにきた三姉妹の次女でした。
なんだろ?また急に遊びに来たのかな?
と思い、玄関を開けてみると、家に入る様子はありません。
「お家に呼んでくれてありがとう。」
ミニサイズのチップスター、それを渡すとさっさと帰ってしまいました。
同じ団地の近所とはいえ、それをわざわざ届けにきてくれたみたい。
親御さんからも連絡があり、「突然すみませんでした。あの子がどうしてもプレゼントしたい…と聞かなくて…」とのことで、お礼を伝えました。
純粋な少女の意志だったそうです。
参考:茂木健一郎氏「IQと才能は関係ない」:ウチの子供を「天才」に育てるために必要なこと
人から受けたものは素直に感謝し、お返しする。
大人になり、仕事をしていると、人に与えたものが返ってくることは稀だったりします。
どこかで見返りを期待する自分も悪いのかもしれません。
でも人を注意深く観察すると、人から与えられたものを「ラッキー!」の一言で終えてしまう例は結構あり、ましてや「先に与える人」の存在は希少です。
いま「お互いに与え、受け取ること」ができる存在が周囲にいる人は、すばらしいと思います。
逆に素直にお返ししようと、食事を支払ったり、プレゼントを贈ったりすると「計算高い(あざとい)」などと言われてしまうことも。「なんでやねん…」と、いっつも思います。
もっと素直でいいんじゃないか。
率直でいいんじゃないか、といつも感じています。
”裏の顔”なんか想像せずに、”本心”を勘ぐらず、素直に気持ちを伝えることはもっと増えていいし、自分も増やしていきたい。
6歳の少女がすでにその能力を身につけているのだから。
参考:「子供は3〜5歳で決まる」予備校講師:林修氏の教育論が凄まじく参考になる!
ミラクリから一言
大阪の大都市も捨てたもんじゃねぇな。