岡本玄
2015年7月14日15時23分
広島と長崎に原爆を投下した米国は戦後、両都市に研究機関「原爆傷害調査委員会(ABCC)」を置いた。現在は放射線影響研究所(放影研)となったこの施設で働き、被爆者の苦悩などを描き続けた職員がいた。「夫の警告を伝え続けてほしい」。今は亡き職員の妻は思いを継ぎ、作品を広島市に寄贈する。
寄贈するのは7年前に70歳で亡くなった佐々木寅夫さんの妻・怜子さん(75)=広島市。佐々木さんは1960年、22歳で広島のABCCに入り、放射線の影響を調べる解剖のための遺体提供を被爆者の遺族に頼む仕事をした。佐々木さんの手記などによると、遺族にののしられることもあったが、「後世に役立つ」という思いで約20年間続け、約1万人の遺体と向き合った。
花などの静物を描くことが好きだった佐々木さんは在職中、被爆者の悲しみや放射線への不安を表現するようになり、100点以上の作品を手がけた。その原点が原爆投下直後に約1万人の被爆者が運ばれた似島(にのしま、広島市)での遺骨発掘作業(71年)。佐々木さんも手伝い、次々と被爆者の骨や遺品が見つかった。
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