腱引きの記事が大変好評だったので
続編を書きいます。
この腱引き先生は、私の郷里山梨県では、
結構有名で多くの方が知っていると思われます。
現在は整骨院になり、
どんな形でどんな風にされているのかはよくわかりませんが、
今でも全国から特にスジ系の痛みでお困りの方が集まってこられているようです。
うわさでは保険も使わず、100名~200名来院されているようなことを聞きます。
もちろん宣伝なども一切していません。
口コミでけです。
素晴らしと思います。
正直、私もこちらの先生がひとつの目標であることは間違いありません。
腱引きという方法論もそうなのかもしれませんが、
東京でギックリ腰やスジ違いといえば『田上』と言われるようになりたいと
思っています。
今は、看板やこのようなホームページで宣伝をしていますが、
いずれは、口コミだけでギックリ腰や筋違いでお困りの方が来院されるくらいに
なりたいと思っています。
私が行った当時のことを記憶をたどりながら少し書きます。
本当に山の山の奥で
甲府からかなり中にはいったところでした。
父も車で何回も降り、
人に尋ねながらたどりつきました。
着いた時には、すでに何名かの人がおもてで待っていました。
ナンバーは静岡とか青森とかでした。
その先代の先生は、農業の傍らでかつ本業が忙しくないとき
かつ
気分のいい時しかみないということでした。
どんなに困った人が遠くから来ていても本業(農業)優先だったのです。
当然の話です。
もちろん副業で国家資格もないので腱引きではお金はとっていませんでしたから。
お金はみんな紙袋に包んで気持ちを勝手においていくんです。
いや、お金を置き忘れていくんです^^
私のかかった先代の先生は、さらに先代がいらっしゃったそうですので
本当に一子相伝の技術なのでしょう。
そのあたりに強いこだわりが見られます。
何分か待ったあと
しょうがないな~みたいな感じで見て頂いたのを覚えています。
ちょっと横向きになり
背中あたりの腰をさわられなんか引っ張られたと思った瞬間には
もう施術は終わっていました。
もっとも記憶に残っているのは、私自信の施術ではなく
私の次に屋根から落ちて担ぎこまれた
ご年配の女性のことでした。
平板で担ぎこまれましたが、
帰りには、地力であるって帰りました。
「あとは、俺には無理だから病院行ってくれ・・・」
みたいなことを言ってましたが、
あっけにとられました。
この世界に入ることを知っていたら
少しは技術を盗んでおけばよかったなんて思ったこともあります。
しかし、
盗まなかったからこそ、
自分で編み出し、創りだすことが出来たのだと思います。
そしてすごく大切なのは、
やはりこだわりだと思います。
私もそうですが、
技術にしろ人間性にしろ確立した「軸」があると思います。
先代、先先代から受け継いでいる歴史もあるでしょうが、
簡単に見ない、
できないものはできない、
患者さんのいいなりにならない、
やるべきことはしっかりやる。
確か寡黙な方でした。
今の治療家たちはどうでしょうか?
どちらのコースにしますか?
どこがおつらいですか?
強さ加減は?
御用聞きばかりで
患者さんのいいなりです。
専門家なのですから
いいなりでは治りません。
さっとさわって、すぐ判断がつき
自分の思った通りのことを信念をもって
施術する。
こだわりのある治療家を目指したいと思います。