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私立白鳳学園。 そこは私の勤めている学園。 私の名前は君嶋麻里子。二十四歳の女ざかり。この学園で国語の教師を務めている。授業は厳しいが、普段は優しい女性教師として学生たちにも慕われていると思う。 だが、その他にもう一つ、私には違う側面が存在した。 「ピーチ、そちらへ行ったわよ!気をつけて」 夜の闇の中、ヘルメットに付いたインカムから私は指示を出す。 躰にはワインレッドのボディコンスーツ。そして顔の上半分を覆うヘルメット。スーツと同色のグローブとハイヒールブーツ。 まるで特撮の世界から抜け出してきたようなコスチュームを身に纏った私は、まさしく正義の戦士クリスタルローズなのだ。 もちろんこれは特撮番組の撮影でも、コスプレショーでもない。 私は本当に正義を守る戦士として選ばれてしまったのだ。 『了解です。さあ、来なさい』 ヘルメットのスピーカーから元気な女の子の声が聞こえてきた。 彼女の名前は栗原姫菜。 私と同じくクリスタルの戦士として選ばれた女の子で、クリスタルピーチとして戦っている。 普段の彼女も元気いっぱいの女の子で、クラスの明るい人気者だそうだ。いつも笑顔を絶やさない彼女は確かに人気が高いだろう。 偶然なのか意図的なのか彼女も私と同じ白鳳学園の人間である。もっとも、私は教師で彼女は学生と言う立場だが。 『ローズさん。魔獣の位置はわかりますか?』 私のヘルメットにもう一人の女の子からの声が入る。 クリスタルプラム、澤崎律華だ。 おとなしい黒髪の子で、やはり白鳳学園の女学生。図書委員を務めている。 「ビルの屋上に回ったようね。チェリーが危険だわ」 私のヘルメットのバイザーには敵の様子が映し出されている。合計六体の敵が私たちを囲もうとしているのだ。 『了解。チェリーと挟み撃ちにしますね』 プラムの声は落ち着いている。私の指揮を信じてくれているのだ。 「気をつけるのよ。下僕虫と違って魔獣は手強いわ」 『大丈夫だ。私たちは負けない』 最後の一人、クリスタルチェリーの声が流れてくる。 春川しのぶという名前でこの娘も白鳳学園の学生である。背が高いのをコンプレックスとしているが、陸上で鍛えたすらりとしたスレンダーな躰とやや低めの声が同性の圧倒的な支持を受けているらしい。 つまり、正義の戦士クリスタルレディを構成する四人は、そのいずれもが白鳳学園に所属しているのだ。これはやはり意図的なものかもしれない。 『見つけた!行くよっ!』 ピーチの声が戦闘の始まりを知らせる。私は敵の位置関係に意識を集中した。 「やあっ!」 直立した蟻のような化け物に私は回し蹴りを叩き込む。 ハイヒールブーツの先が見事に化け物を吹っ飛ばした。 こいつは私の背後から襲ってきたのだが、私のバイザーには丸映りだったのだ。 ぐきゅるるる・・・ 化け物がうめきながら立ち上がる。 地底帝国の戦闘員、下僕虫と呼ばれる化け物だ。 よろめきながら立ち上がるその姿はまさに蟻。それも人間の女性が蟻の着ぐるみを着たような姿をしているのだ。胸には丸い膨らみが二つあり、腰はうらやましい感じでくびれ、腰から下のラインは流れるよう。 悔しいことにそのスタイルは美しかった。 働き蟻がメスであるようにこいつらは女性形をしているのだろう。 だが、こいつらは命令されたことをするだけのロボットに過ぎない。 戦闘力は侮れないが、魔獣に比べれば数段落ちる。二・三体に囲まれたところで負けはしないだろう。 下僕虫は再びかかって来たが、ロッドと蹴りの一撃で私は難なく仕留めることができた。 「ぬう・・・クリスタルレディ、またしても邪魔をするか」 下僕虫を倒した私の前に屈強な男が立ちふさがる。 筋肉質の躰に黒い軍服のようなコスチューム。角の突き出したヘルメットをかぶり、肩からはマントを羽織っている。地底帝国のゲドラー将軍だ。 「私たちは何度でも邪魔をするわ。この地上はあなたたちの好きにはさせない」 私は決意を込めてゲドラーを見据える。この男の殺気などに負けるものか。 「ほざくな、クリスタルローズ!われら地底帝国の邪魔をするものは抹殺する」 巨大な剣を振りかざし、私に向かってくるゲドラー。あの黒い魔剣は触れるものを何でも叩き切るという。 私はロッドを構え、剣を受け止めるために腰を落とす。無論正面から受けたのではゲドラーの力に敵いっこない。だから私は受け流すのだ。 二合、三合と私たちは打ち合いにらみ合う。やがて遠くの方でグギャアアアアと言う叫び声が上がり、ゲドラーが舌打ちした。 「ちっ!どうやらウルヴァーンでも勝てなかったようだな・・・やむを得ぬ、撤収だ」 ゲドラーは何事もなかったように剣を収めると、きびすを返して立ち去っていく。 「ま、待ちなさいゲドラー!」 「勝負はこの次だ。覚えているがいい、クリスタルレディ!」 その言葉を残してゲドラーの姿は闇に消えていった。 「ローズさん!」 「無事か?」 三人のクリスタルレディが駆けて来る。頼もしい私の味方たちだ。 「魔獣はやっつけたよ。センセ」 ピンク色のミニスカートコスチュームのピーチがそう言ってガッツポーズをとる。 「こらピーチ、クリスタルレディの時はその呼び方はだめって・・・」 「あっ、いっけない」 プラムに指摘され、思わず舌を出すピーチ。 「奴らも引き上げたようだし大丈夫でしょう。でも私たちが白鳳学園の教師と学生であることは秘密よ」 私はバイザーに敵の気配が無いことを確認しながらそう言った。私たちの正体が知られれば、どんな攻撃を受けるかわからないのである。 「それにしても奴らは手ごわい」 今まで黙って会話を聞いていたチェリーがつぶやく。彼女も他の三人と同じくミニスカート型のワンピースコスチュームに手袋とニーソックスだ。頭には私と同じくヘルメットをかぶっている。違うのはそれぞれ色が違うこと。ピーチはピンク、プラムはモスグリーン、チェリーはイエローなのだ。 私は彼女たちの戦闘指揮を司る。彼女たちのそれぞれの特色を引き出し、最適な戦闘行動ができるように気を配るのだ。 「ええ、確かに強くなっていると思う」 プラムもチェリーの言葉にうなずいた。 「でも大丈夫だよ。こっちにはセンセがいるし、指示通りにやれば私たちは無敵だもん」 その自信がどこから出るのかわからない無責任なピーチの発言だが、プラムもチェリーもうなずいている。 「確かにそうだな。麻里子先生がいれば私たちは無敵だ」 「先生、これからもよろしくお願いいたします」 プラムの言葉に三人は私に頭を下げる。私は照れくさくなってしまった。 「や、やめなさい。私たちはみんなが力を合わせているのよ、誰か一人でも欠けてはいけないの。みんなの力が必要なのよ」 私がそう言うと三人ともうなずく。 「さあ、今日はもう遅いわ。家に帰ってゆっくり休むこと。明日遅刻したら赦さないからね」 「うわあ、やばあ・・・」 「それでは失礼します」 「さようなら先生」 腰に手を当ててにやっと笑ってやると三人はそれぞれの家へ帰っていった。あの娘たちのおかげでこの町は今日も平和だった。 郊外の十階建てマンション。その八階に私の部屋がある。 私は変身を解き部屋へ戻ってくると、早速今日の戦いをパソコンに打ち込んでデータを作っていた。 正直私たちの敵についてはわからないことが多かった。 わかっているのは以下の通り。 1.その組織が地底帝国と呼ばれていること。 2.魔獣と下僕虫と言うものを使い地上を侵略しようとしていること。 3.この倉口市には地下龍脈というものがあって、奴らはまずここを占拠しなければ地上へは出られないこと。 4.戦闘指揮官がゲドラーと呼ばれている将軍であること。 この程度しかわかってはいないのだ。 あまりの情報の少なさに情けなくなってしまう。 もっとも、情報の少なさという点では、クリスタルの聖女様というものもそうだろう。 私自身クリスタルローズと呼ばれる戦士でありながら、クリスタルの聖女様のことは何も知らされていない。 三ヶ月ほど前のある日、私の元に突然クリスタルのペンダントが送られてきたのだ。 それはテーブルの上に突然現れ、私が手に取った途端にクリスタルの聖女様からのメッセージが私の中に入り込んできた。 それはこの地上が地底帝国によって狙われており、私のような心の純粋な者がクリスタルの戦士として戦わなければ地上は占領されてしまうというものだった。 私は半信半疑ながらペンダントを身に付け、クリスタルの聖女様に誓いを述べた。 その日から私はクリスタルの戦士、クリスタルローズとなったのだ。 驚いたことに白鳳学園には他にもクリスタルの戦士が在籍しており、それがピーチ、プラム、チェリーの三人だったのだ。 私たちはクリスタルの聖女様にこの地上を守ることを誓い、以来地底帝国との戦いに明け暮れていたのだ。 私はパソコンを止め、ベッドに横になる。 この戦いが早く終わることを願って私は眠りについた。 朝、いつも通りの時間に目を覚ました私は身支度を整え、トーストとサラダ、それに紅茶という朝食を取る。 みんなは割りとコーヒーを飲むみたいだが、私は紅茶の方が好きなのだ。琥珀色の美味しい液体を飲み干すと、私は鞄を持って部屋を出る。 駅へ向かい電車に乗る。私のマンションから白鳳学園までは電車で二十分ほど。途中の駅からは学生たちも幾人か乗り込んでくる。朝の挨拶を交わしながら、私は一緒に学校へ向かった。 「君嶋先生おはようございます」 「おはようございます」 校門に向かって歩いていく私に学生たちが声を掛けてくる。朝の挨拶はいつも気持ちがいい。 「おはよう。今日も一日頑張ってね」 「ハーイ」 学生たちの返事が返ってくる。今日も一日すがすがしく過ごせそうだ。 「アイタッ!」 授業中に素っ頓狂な声が上がる。 目を覚ました彼女は頭を押さえながらきょろきょろと周りを見渡した。 「栗原さん、今は授業中ですよ。目が覚めましたか?」 私は丸めた教科書を元に戻すと、栗原姫菜を見下ろした。五時間目ともなれば食事も終わって眠くなるのは当たり前。しかも彼女はクリスタルピーチとして夜は人知れず戦っているのである。本当なら居眠りぐらいさせてやりたいが、教師という立場上それはできない。 「は、はいっ!覚めました、すみません」 姫菜が謝るとクラスに笑いが起きる。姫菜自身も照れくさそうに笑っていた。 「寝不足ですか? いけませんよ」 私はそう言って授業を続ける。 早くこの娘が戦いから開放されて寝不足に悩まされなくなりますように・・・ 放課後。職員室に戻るところだった私は、廊下を重そうな荷物を携えてこちらへやってくる学生と出会う。 「澤崎さん。どうしたの? その荷物」 私が呼び止めると、沢崎律華はため息をついてメガネを直した。 「麻里子先生・・・見て下さい、この本の山。佐藤先生ったら私に全部押し付けたんですよ」 両手に本でいっぱいの手提げ袋を下げ、これから図書室へ向かうところなのだろう。律華はそれでも苦しそうな表情は見せてない。 「困ったものね、佐藤先生も。いいわ、私が半分持ってあげる」 「麻里子先生、そんな、悪いですから」 ふうふう言って大変だろうに、律華はお嬢様として厳しく育てられたためにそういった表情は絶対に見せないのだ。いつでも凛として気高く。そう教えられているのだろう。 「いいのよ。ほら、貸しなさい」 私が手を出すと、ほっとしたように律華は手提げの片方を差し出した。 「すみません麻里子先生。助かります」 「いいからいいから。さ、行きましょ」 私と律華は図書室に向かって歩き始めた。 廊下の窓からはグラウンドで練習をしている陸上部の練習風景が見えた。ちょうどトラックを走っている春川しのぶの姿も見える。 「へえ・・・やっぱり速いわね」 思わず私がそうつぶやくと、律華もグラウンドに目をやった。 「ああ・・・しのぶちゃんですね。インターハイでも結構いいところまでいきますから」 私もそれは知っていたが、こうして改めて見ているとやはり段違いの速さと思う。他の学生がどんどん引き離されるのだ。 「先生」 人通りの無くなった廊下で不意に律華が声を掛けてくる。 「頑張りましょうね。地底帝国なんかにこの地上を占領なんかさせませんよね」 「もちろんよ。私たちが力を合わせれば地底帝国なんかに負けはしないわ」 私は律華の言葉にうなずいた。そう、負けるわけにはいかないのだ。私たちはクリスタルの聖女様に選ばれた戦士なのだから。 期末テストが近いために私は職員室で遅くまで資料の整理をしていた。 少しでも平均点を上げたいものだが、かといって易しすぎてはテストにならない。 そのために、過去のテストを振り返るための資料を整理していたのだ。 すっかり遅くなったこともあって、私はそろそろ帰ることにした。時計の針は八時をさしている。 「フウ、すっかり遅くなっちゃったわ」 私はそうつぶやくと、まだ残って仕事をしている二人の先生に挨拶して職員室を出る。 まだ昼の暑さが残る廊下を歩き、玄関を出て校門を過ぎたところで私は思いがけなく声を掛けられた。 「君嶋麻里子だな」 「えっ?」 声のした方に私が振り向くと、暗がりの中に一人の男が立っていた。 闇に溶け込むような黒い軍服。裏地の赤いマント。肩には棘の付いたショルダーガード。まさしくそこには地底帝国のゲドラーが立っていたのだ。 「ゲドラー将軍・・・」 「ほう、やはり貴様がクリスタルレディの一人か。俺の事を知っているとはな」 ニヤリと口をゆがめるゲドラー。私は自分のうかつさに唇を噛んだ。 「クリスタルパ・・・」 「おっと、そうはいかんぞ。これを見ろ!」 やむを得ずクリスタルレディに変身しようとした私にゲドラーが暗がりを指差した。 「ああん・・・」 「せ、先生・・・」 「あ、あなたたち・・・」 ゲドラーが指差した先には白鳳学園の体操部に属する女学生が二人、西宮恵理と村中響子が下僕虫たちに捕らえられていたのだ。 「先生・・・助けて」 「こいつら・・・何なんですか?」 身動きが取れぬまま彼女らは何とか逃れようとするが、下僕虫には勝ち目が無い。 「ひ、卑怯な・・・彼女たちを放しなさい、ゲドラー!」 「ふ、卑怯か・・・褒め言葉として受け取ろう」 ゲドラーはニヤニヤ笑ったまま私に近付いてくる。 「動くなよ。動けばあの者たちがどうなるか・・・言わずともわかろう?」 「くっ・・・」 私は悔しさに唇を噛み締めていた。こういった状況を防ぐために正体を知られないようにしていたのに、いったいどこで? 「我々に歯向かうクリスタルレディがまさか女学校の教師とはな・・・気付かぬはずよ」 ゲドラーは私の前に立つと変身のために取り出していたクリスタルを奪い取る。ペンダントの鎖はあっけなく千切れてしまっていた。 「これがパワーの源クリスタルか・・・確かに力を感じるが・・・」 悔しい、クリスタルを奪われて手も足も出ないなんて・・・でも、西宮さんと村中さんを犠牲にすることは私には・・・ 「さて、それでは正義の女教師様には我々のアジトで歓迎させていただくことにしよう。薬を嗅がせて連れて行け」 ゲドラーが脇に控えていた下僕虫に命令すると、下僕虫どもがよって来た。相変わらずの滑らかな女性的なフォルムである。 「待って、私は構わないけどあの娘たちは解放して」 私は覚悟を決める。しかし学生たちは助けたい。 「そうはいかんな。あの娘らは大事な人質だ、貴様におとなしくしてもらうためにもあの娘らは連れて行く」 「そんな、私はおとなしくするわ。あの娘たちは放して!」 「連れて行け!」 私の願いもむなしく、下僕虫によって私は薬を嗅がされ意識を失った。 どれくらいの時間が経ったのだろう。私は薄暗い部屋で目が覚めた。 見渡すと私が寝かされているベッドの他にはテーブルと椅子があるぐらいで、実に殺風景な部屋である。 窓も無く、明かりはぼんやりと天井自体が光っている。 薬の影響か頭がぼんやりしているが、とりあえずは体を起こしてベッドに腰掛ける形になる。 「今は何時ごろかしら・・・」 そう、私はそれが気になった。学園に欠勤の連絡をしなくてはならない。私がいないことを知っても心配されないように・・・ え? 心配されないように? それでいいんだっけ? だめだ・・・やはりまだ頭がはっきりしない。 私は再びベッドに寝転ぶと、頭をすっきりさせるために目を閉じた。 すると部屋に一つしかないドアにノックの音がして、がっしりした男が一人入って来た。 「う、ううん・・・」 私は誰が入ってきたのか確かめようと目を覚まして起き上がる。 「気分はどうだ?君嶋麻里子」 入ってきたのはゲドラーだった。彼は一つだけの椅子に座って私の方を見つめてくる。 「最悪だわ・・・目覚めにあなたの顔を見なくてはならないなんて・・・」 私は素直な感想を打ち明ける。角の付いたヘルメットに半ば覆われた顔はじっくり見ていたいものではない。 「ふん、減らず口を・・・まあいい、何か必要なものは無いか?貴様は大事な客だからな」 「そうなの? それじゃ電話を掛けたいんだけど・・・」 私は素直にお願いしてみる。大事な客と言うならそのぐらいさせて欲しいものだ。 「電話か・・・どこへ掛けるのだ?」 「学園よ。しばらく休みますってね・・・どうせ出られないんでしょ?」 「ふん、それもそうだな。」 私の言葉に納得したのか、ゲドラーは部屋を出てしばらくすると携帯電話を持ってきた。 「これを使え」 「電波届くのかしら?」 「心配はいらん。特別製だ」 「そう・・・」 私は電話を受け取ると学園へ連絡をした。ちょうどお昼休みだったらしく教頭先生が電話に出る。 私は連絡が遅れたことを素直に詫び、母親が急に入院することになったので一週間ほど休ませて欲しいとお願いした。実際は地底帝国のアジトにいるのだが、そんなことは言えやしない。 教頭はこの忙しい時にとかなんとかぶつくさと文句を言ったが、私は構わなかった。 電話を切るとゲドラーが薄笑いを浮かべて私を見ていた。 「何か?」 「いや、暗示が効いているようだと思ってな・・・」 「暗示?」 何のことだろうか。私に暗示を掛けているというのだろうか。 「いや、こっちのことだ、気にするな」 そう言ってゲドラーは電話を取り上げ、部屋を出て行った。後には私一人が残される。 「仕方ない。横にでもなろう」 何もすることの無い私はベッドに寝転がる。すぐに睡魔が私を忘却のかなたに連れて行ってしまった。 下僕虫が食事を持ってきてくれる。彼女たちはこちらが何か命令するとかいがいしく働いてくれるとても可愛い連中だ。その外骨格に覆われた姿はとても美しい。 「ありがとう」 私はそう言ってテーブルに着く。 今朝のメニューはトーストとサラダ、蛆虫のスープにミルク入りのコーヒーだ。この蛆虫のスープは絶品で何杯でもおかわりしたくなる代物だ。とても美味しい。 私が満足して食事を終えると下僕虫がすぐに後片付けをしてくれる。その様は見ていても気持ちがいい。 そして後片付けが終わると今日もゲドラー・・・が部屋にやってくる。 ゲドラーなんて呼び捨てにしてはいけないか・・・何といってもこのアジトの最高指揮官なんだものきちんと敬意を払わなくてはいけないわね。 「いらっしゃいませ、ゲドラー様」 「ほう、様付けで呼んでくれるのか?」 ゲドラー様が嬉しそうに私を見る。その表情はとても嬉しそうで私もつい微笑んでしまう。 「もちろんですわ。このアジトの最高指揮官を呼び捨てになどできませんもの」 「ふん、まあいい。それよりも少し話し相手になってもらおうか」 「あ、はい。喜んで」 ゲドラー様は椅子に座ると、私にいろいろな話をして下さった。 内容はさまざま。 地上が荒れ放題となっていること。 荒廃が地上の人類の手によるものであること。 地底帝国の支配理念。 皇帝陛下のすばらしさ。 地上の人間たちの愚かしさ。 破壊と殺戮の楽しさなどなど・・・ 聴いていると私は胸が痛くなる。 私はどうしてこんな人たちと戦っていたのだろう。 地底帝国が地上を支配しようとするのは当然だわ。 地上の人類はただ盲目的に地上を破壊するだけだもの。 人類はこのままでは地上をだめにしてしまうに違いない。そうしないためには地底帝国が地上を支配するのが当然ではないのだろうか。 それなのに私は愚かにも地上人であるというだけでゲドラー様たちと戦ってしまった。 こんなにも地上を欲している地底帝国の人たちを私は無差別に倒してきてしまった。 その罪は赦されるものではないだろう。 でも・・・できることなら・・・本当にできることなら・・・私は地底帝国で働きたい。 皇帝陛下にお仕えしたいのだ。 皇帝陛下の下で働いているゲドラー様が私はうらやましかった。 地上の人類よ、恥を知れ。 心が苦しい・・・ 恐怖・・・これは恐怖だ。 あれから何日がたったのだろう。 私は恐れていた。心の底から恐れていた。 私はここに居たい。 こここそが私の居るべき場所なのだ。 でも私は地上の人類。 ゲドラー様にお前はもう地上へ戻れと言われたら・・・ 私はいったいどうしたらいいのだろう・・・ 私はなぜ地上人なのか・・・ 私はなぜ地底人でないのか・・・ 怖い、怖い、怖い。 ここから放り出されるのが怖い。 ここに置いてもらえるのなら・・・ 地底人としてここで働かせてもらえるのなら・・・ 私は地上人を根絶やしにだってできるのに・・・ ワームの肉と地虫のサラダ、蛆虫のスープに木の根の抽出液の食事を終え、下僕虫どもに片付けさせているとゲドラー様がやってくる。 がっしりとしたその肉体に私はしばし見惚れてしまう。 「食事は済んだか?」 「はい、とても美味しかったです」 私はすっと立ち上がりゲドラー様に一礼した。 ゲドラー様が手を振り許可されたので私は再び席に着く。 「麻里子。皇帝陛下にお会いしたくはないか?」 「えっ?」 私は思わず聞き返した。夢ではないかと思ったのだ。 「皇帝陛下にお会いしたくはないかと訊いた」 「はい。お会いいたしたいです。ぜひお目通りをさせて下さいませ」 私は立ち上がっていた。嬉しくて涙がこぼれてくる。 「泣く奴があるか・・・来るがいい」 「あっ、待って、待って下さい」 私は大事な事を忘れていた。 「どうした」 「服が・・・お目通りするにふさわしい服が・・・ありません」 そうなのだ。ここ数日室内では下着とストッキングだけという格好で過ごしていたのだ。 着替えが無かったので申し出たところ、下着とストッキングを与えられていたのでそれで過ごしていたのだ。 「服が陛下に会うわけではない。そのままで良い」 「は、はい」 私はしぶしぶゲドラー様の後に従った。 アジトの中については私も多少ゲドラー様に案内されたことがある。しかし、今私が向かっているのは、今まで私が見せてもらったことの無い区画だった。 ひんやりとした廊下をカツコツという靴音を立ててゲドラー様が歩いていく。 私はその後ろ姿を見ながら、サンダル履きの足を進めていた。 やがて廊下の突き当たりに両開きの重々しい扉があり、私はここで皇帝陛下にお目通りするのだとわかった。 「ゲドラーだ、通るぞ」 ゲドラー様がそう言うと、扉はゆっくりと開き私たちを招き入れる。 そこは黒を基調としたホールだった。正面の中央には大きな目玉のレリーフがあり、そこに向かって赤いじゅうたんが敷かれている。 じゅうたんの脇には天井を支える柱がしつられられ、一種の通路のようになっていた。 ホールには誰も居ないにもかかわらず重々しい雰囲気があり、一歩踏み込むだけで私は圧倒されそうな感じを受けた。 「来るのだ、麻里子」 ゲドラー様が振り返り私に言う。 私は気を引き締めてゲドラー様に従った。ゲドラー様の言うとおりにしていれば間違いは無いのだから。 じゅうたんの上を歩き巨大な目の前に立つ。そこで私たちはゆっくりと跪いた。 「皇帝陛下にはご機嫌麗しく、陛下の忠実なる臣ゲドラーでございまする」 『うむ。久しいの、ゲドラーよ』 目玉のレリーフが突然輝き、恐れ多くも偉大なる皇帝陛下の声が聞こえてくる。私は思わず感動を覚えてしまった。 「ははっ。地上侵攻が遅々として進まず、まことに申し訳ございません」 その言葉に私はどきりとする。元はと言えば私が愚かにも地底帝国の侵攻を妨げていたのだから。 『良い。地上侵攻は手間が掛かるもの。妨害者もいる以上簡単には進むまい』 「ああ・・・も、申し訳ありません。わ、私が愚かなばかりに・・・」 私は黙っていられずに皇帝陛下にお詫びした。お詫びごときでは済むはずが無いのはわかっていたが、黙ってはいられなかったのだ。 「静かにしろ」 「あ・・・申し訳ありません」 ゲドラー様にたしなめられて私は自分が愚かなことをしたことを悟った。皇帝陛下に口を差し挟むことなど許されるはずが無いのだ。私は黙ってひれ伏した。 『ゲドラーよ、その者は?』 「はっ、君嶋麻里子という地上人でござります。今までは憎きクリスタルレディの一員でありましたが、思考をコントロールすることで地底帝国への忠誠心を植えつけてまいりました」 私は驚いた。思考がコントロールされているなどとんでもない。私は自分の意志で皇帝陛下に跪いているのだ。 「お言葉ですがゲドラー様、私は自分自身の意思でここに居ります。思考をコントロールなどされてはおりません」 「ん?そうだったな。ふふふ・・・」 ゲドラー様は含み笑いをなさっている。何か釈然としない気がした。 『そうか、クリスタルレディが我に跪くか。面白いぞゲドラーよ』 「お褒めの言葉ありがとうございます。このうえはこの麻里子を我が地底帝国の女戦士として迎えようと思いますがいかがでしょうか?」 私は思わず顔を上げてしまった。 私を地底帝国の女戦士に? 私を地底帝国の一員にして下さるというの? なんて・・・なんて嬉しい・・・ 『うむ。良かろう。クリスタルレディを配下にするのも一興。我が力をこの者に授けようぞ』 「ははっ、ありがたき幸せ。麻里子よ喜ぶが良い」 「はいっ。ありがとうございます皇帝陛下。私のこの命、皇帝陛下のためにお捧げいたします」 私は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。皇帝陛下とゲドラー様に感謝してもしきれないくらいだった。 『立つが良い、麻里子よ』 「はい」 皇帝陛下のお言葉に従い私は立ち上がる。正面の目が私を見つめていた。 『我が闇の力を受け取るが良い』 皇帝陛下のお言葉とともに黒い霧が湧き出し、私の躰が包まれる。 やがて私の躰は霧の中に漂い始め、ふわふわした無重力の中に放り出された。 そこはまるで母親の子宮のような感じがする所であり、私は手足を丸めてうずくまる。 やがて闇はゆっくりと私の躰に浸透し始め、私の躰をゆっくりと作り変え始めた。 恐怖も不安も無く私は闇を受け入れる。体の隅々が闇に浸され力を得て強化されていくのだ。 変化はとても気持ちよく、私は快楽に身を浸して皇帝陛下のお力が浸透するのを受け止めていく。 やがて重力が戻ってくる感じとともに、私は手足を伸ばして立ち上がった。 「ほう・・・」 私の耳にゲドラー様の感嘆の声が届く。目を開けた私の前には先ほどと同じ光景が広がっていた。 だが、私の躰は確実に変化していた。躰中に皇帝陛下よりいただいた闇の力がみなぎっているのだ。 『我が闇の力を受けし女戦士よ、これよりはブラックローズと名乗るが良い』 「かしこまりました皇帝陛下。このブラックローズ、皇帝陛下のためにこの身をお捧げいたします」 私は跪いて皇帝陛下に忠誠を誓う。これからは私が地上侵攻の手助けをするのだ。 『うむ。ブラックローズよ、これよりはゲドラーを支え彼の副官を務めるが良い』 「仰せの通りにいたします。皇帝陛下」 私はそう言ってゲドラー様に向き直る。 「これからもよろしくお願いいたします、ゲドラー様」 「ああ、俺も貴様を手に入れられて嬉しいぞ。ブラックローズ」 ゲドラー様も嬉しそうになさっている。本当に地底帝国の女戦士となれて嬉しい。 「それにしても・・・」 「いかがなさいました? ゲドラー様」 「何とも妖しく美しいものだ」 それが褒め言葉とわかって私は思わず照れてしまう。 「いやです。ゲドラー様」 「ふん、部屋に戻ったら鏡を見てみるのだな。自分がどれほど妖艶になったかをな」 「はい、そういたしますわ」 私はそう言ったが、言われなくとも鏡を見たくて仕方が無かったのだ。自分の姿を見下ろしただけでも惚れ惚れするような肉体になっていたのだから。 『ゲドラーよ、この次は更なる吉報を待っているぞ』 「ははっ」 私たちは再び跪き、皇帝陛下の退出を見送った。レリーフの輝きが失せ、ホールに静けさが戻ると私は立ち上がった。 「あらためまして、よろしくお願いいたしますゲドラー様」 「うむ。とりあえずお前の部屋を用意させよう。それまではあの部屋で我慢してくれ」 「かしこまりましたわ。それでは」 私はゲドラー様に一礼してホールを出た。 部屋に戻った私は下僕虫に命じて鏡を持ってこさせる。やがて下僕虫はどこから見つけてきたのか大きな姿見を持ってきた。 その姿見に私は自分の姿を映してみる。 「うそ・・・これが私?」 そこに映っていたのは妖艶な女戦士だった。 ボディはボンデージレオタード状の外骨格が覆い、黒々とつややかな光沢を帯びている。 両脚は太ももから下が赤いハイヒールブーツ状に変化し、やはり相当な固さを備えていた。 両腕は二の腕までがやはりエナメルの手袋状に変化して防御している。 額には魔物の顔がついたサークレットが飾っていて、両の耳も先がとがっていた。 唇は妖艶に黒く塗られ、時折のぞく舌が赤くなまめかしい。 瞳も妖しい光をたたえ、その眼差しはかつての自分とは雲泥の差であった。 赤と黒で統一された躰はまさに闇の女戦士にふさわしかった。 「うふふ・・・これが私・・・すばらしいわ」 私はうっとりと鏡の中の自分に酔いしれた。 やがて下僕虫が私を呼びに来て、私の部屋に案内される。 そこは私にふさわしく、赤と黒で統一された部屋だった。 私は非常に満足しソファに腰掛けた。
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