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第1回
「アイドルのせいだってゆうの!?はあ?バカじゃないの!?」
思わず大声を出してしまった。まずい。わたしは両手で口を押さえて,あたりを見回した。とりあえず私たちを気にしてる人はいない感じがした。
その日私たちは,市立図書館の談話コーナーみたいなところにいた。学校帰りで,いつもみたいに言い訳程度に勉強して,なし崩し的に休憩,ってところだった。
「バカじゃねえよ。だってそうだろうが。今や外資系CDショップだって,メインの売場はアイドルだらけだろ?どうしようもねえよ。」
感情的になった圭治がまくしたてた。面倒なことになったな。まあ,予想どおりって言えば,そうなんだけど。わたしはなんとか落ち着かせようとした。
「声が大きいよ。迷惑だから,ちょっと抑えないと…」
「あのなあ。先に大声出したのお前だろうが。」
圭治は,舌打ちして顔を背けた。明らかにわざと大きな音で。
高3になって2ヶ月が過ぎようとしていた。そんな時期だってこともあって,私たちの話題は進路のことになった。それで,圭治は,きっとバンドでプロを目指す,って言うと思ってたんだけど,言い出したのは意外なことだった。
大学の法学部に行く,って。公務員試験に有利だから,ってことだった。
そう。圭治は,自分がミュージシャンとしてやっていく自信がないから,それを音楽業界のせいにしたんだ。アイドルブームで,バンドは売れない,って。
それで,情けないと思ったわたしがあきれて大きな声で…
「とにかく事実は事実なんだよ。俺が好きだったミュージシャンだって,何人もアイドルに曲書いたりしてるんだ。そうしなきゃやってけないんだろうけど,そこまでして音楽にしがみつきたくねえよ。」
「言い訳はやめてよね。そんな人ばかりじゃないでしょ。」
簡単に引き下がるつもりはなかった。わたしだって軽音部の部員だ。音楽シーンのことはそこそこ知ってる。それに…
「圭治。アイドルはロックより下,っていう発想がもう古いよ。っていうか,そういう不自由な考えって、それこそロックじゃないし…」
「ああ。古くて悪かったな。俺が好きなのは、打ち込みとかサンプラーを使った最近の音じゃなくて,昔ながらのロックなんだよ。」
「でも,海外だって,日本の音楽って言えば,すぐアイドルを思い浮かべる人が増えてるんだし,認めなきゃいけないこともあるでしょ,ひとつの文化として。」
「俺には,どうでもいいんだよ,サブカルがどうのこうのとか。文化だから,とか言うのは,オヤジが年甲斐もなく若い女に夢中になった時の言い訳なんだよ。」
話がずれてきた。ダメだ。私も熱くなってたみたいで。そう気づいて,話を元に戻そうとした。
「とりあえず地道にやってけばいいんだよ。いきなり売れるとか考えるから,プレッシャーが大きくなるんだし…」
「もういい。これ以上話しても意味ねえから。とにかく,もう終わってんだよ。音楽で夢を見るなんて。」
圭治は,一方的に話をうち切って,荷物をまとめようと自習室に戻っていく。その背中を見送る私の頭のなか,大好きな曲のフレーズがリピートされ始めた。
確実じゃないものを信じる強さがないと,なりたい自分にはなれない。
そんな内容の歌詞だ。
ロックで生活していく。そんなことができるのは,ほんの一握りだってわかってる。けど,私は,ギターを弾きながら歌ってるときの圭治がいちばん好きだった。だから,好きなことを続けるために,少ない可能性だけど,簡単にあきらめてほしくなくて…
でも,それは圭治に言いたいこと,というだけじゃなくて,むしろ,それは…
そんなことを考えていたら,圭治が無言で通り過ぎて行く。わたしは,慌てて呼び止めようとした。言いたいことは,まだまだあった。それなのに,言葉が出ない。もどかしさに責められながら,何もできなかった。
私たちは別れることになった。
そして,あの夏が始まった。ボッチだけどボッチじゃなかった暑い季節が。
圭治と会ったのは,1年生の春で,軽音楽部の新入生向けの見学会だった。最初に来てたのが圭治で,次に来た私が近くの椅子に座った。それで,先輩たちの演奏が始まるのを待つあいだ話をすることになった。はじめは会話が途切れると気まずい,って思って,話題を見つけようとしてた。でも,だんだん楽しくなってきて…
圭治と出会ってからのことを思い返していた。帰りの電車は,込み合ってたけど,なんとか座れた。私は,前に立った学生のポケットからはみ出したストラップを,ぼんやりと見つめる。
梅雨が始まった頃だった,圭治にバンドのライブに誘われたのは。ライブって言っても,学校の講堂を借りた部内発表会みたいなもので…圭治のバンドは,まだコピーバンドで…
圭治が歌った曲を気に入った,って言ったら,CDを貸してくれて…
ストラップが揺れる。ピックの形をしたそれは,電車の揺れに合わせて,振り子みたいに動いた。左右に…前後に…
それで,CDの感想を話しながら,一緒に帰って…カフェに立ち寄って…それから…
どうしたんだっけ?ダメだ。前の晩の夜更かしと規則的な振動で,私の意識が…
夕焼け。
私は,どこかビルの屋上にいる。
周囲の建物から頭ひとつ抜けたような高層建築。
見上げた空には,雲が浮かんでいる。オレンジとグレーが混じって,紫のような。
音のない世界に一人きり。それに,風も感じない。
突然…視界の隅に閃光が走る。
視線を戻すと,街が輝き始めている。
襲ってくるのは,目眩のような感覚で…。
私の目には,きらめく粒子が映っている。
浮かんで,漂って,集まって…光の帯になって,ビルを包みこむ。
そのひとつひとつは,ダイヤモンド…
違う。
なぜだろう。わたしは知ってる気がする。
それはきっと…イミテーションで…
またあの夢だった。
幼い頃から何度も見る夢。といっても,それを見た後,いいことがあるとか,悪いことが起こるとか,そんなこともない。特に見る理由も思い当たらなかった。
でも,いつからだろう。この夢に,どこか懐かしいような感覚がつきまとうようになっていたのは…
「あの,そ,聡子さん,柿沼聡子さんですよね。」
いきなり声をかけられた。夢の余韻でぼんやりしていた私は,現実に引き戻される。気づいたら,うちの近くの商店街まで歩いていた。夕暮れ時で,人通りも多い。
見回すと,人混みの向こうに,うさんくさい中年のおっさんが立ってた。派手なアロハを着て,短パンをはいて…それに,白髪混じりの長髪に麦わら帽?がのっかっている。まだそんなに暑くないじゃん。って,つっこみを入れたくなるような姿だった。
セールス?ナンパ?まさかね。知り合いも通るだろうし,無視しよう,って思ったら,おっさんが近づいてきた。私は,思わず声を上げていた。
「圭治の,お父さん?」
いかにも文化系で色白な圭治と違って,よく日焼けしてたけど,顔立ちはもうそのままだった。もちろん,服のセンスは違う。圭治は,いつかドラマで見た東南アジアの密売人みたいなカッコはしない。
「あ,いや,そうじゃなくて。あいつの伯父。母親の兄なんだ。」
おっさんは,私の顔をじろじろ見ながら答えた。私も,おっさんを見返した。中指の半分くらいがドクロの指輪で隠れてたり,腕のあたりに古い傷があったりして,見れば見るほどうさんくさい。
「圭治の伯父さんが,私に何の用が…」
そう言って,私は思い当たる。圭治のママは,古い言葉で言うと「教育ママ」ってやつだ。「バンド・ダメ・ゼッタイ」って感じで,圭治が軽音に入ったことでかなりモメたらしい。もしかしたら,彼女がいるって聞いて,「勉強の妨げになる」なんてことで,様子を探らせによこしたのかもしれない。それに,伯父さんがガラが悪いのをいいことに,プレッシャーをかけて別れさせようと考えたのかも。そんな風に思った。それで,私は,ちょっとムッとして言った。
「圭治のお母さんに言われて来たんですか。それなら,心配ないですよ。圭治とは…別れることになるかもしれないし…」
「いや。そうじゃない。俺は,あいつの母さんには,二十年以上会ってない。それに,あいつはたぶん俺の存在を知らない。」
それから伯父さんは,若い頃バンド活動に夢中になったこと,プロを目指してオーディションを受けまくったこと,日本全国のライブハウスをツアーで回ったこと…その他いろいろ語った。聞きたくもないのに。で,結局…
「プロにはなれないし,家も勘当されたんだ。どうしようもないね。」
カンドウ?縁を切られた,ってことか。まあ,こんな兄貴がいたんじゃ,圭治のママが必要以上にマジメになるのもわかる。反面教師,ってやつだ。
それで,だから,私に何の用が?って思ったら,また思いついた。ちょっと前に圭治のお祖父さん,つまり伯父さんのお父さんが,亡くなっていた。伯父さんは,それを聞きつけて…
「遺産のことですか?」
「え?遺産?」
伯父さんの鼻から息がもれた。笑われた。見当違いで立ち入ったこと言い出した私も悪かったけど,そんなにバカにしなくても。やっぱり「血は争えない」んだと思った。圭治の性格の悪さは,伯父さん譲りだったんだ。
怒りがわいてきた。同じ日に,圭治とその親戚にダブルで…
「用がないんなら,失礼します。」
でも,その場を離れようとした私が聞いたのは,予想外の言葉だった。
「ねえ。アイドルにならない?」
え?アイドル?
って,歌って踊る女の子だよね?他になんかあった?ない,ない。
はあ?何を言い出すんだ,このおっさん。いかれてる。
気がつくと,通行人の視線が私たちに集まり始めてた。無理もない。女子高生とガラの悪いおっさん。どう見てもヘンだ。知り合いに見られたら,ほんと面倒そうだ。
私は,話を早く終わらせたくて,冷ややかに言った。
「怪しげな勧誘なら,他を当たってください。それに,親戚がこんなことをしてるなんて,圭治が知ったら,どう思うか。」
「問題ないって。」
伯父さんは,軽い調子を変えずに答える。
「さっきも言ったとおり,俺は,あいつが生まれる前に家を出たから。知らない人間が何しようと,気にしようもないだろ。」
「そうじゃなくて…」
もう腹が立つし,あきれるし…。でも,伯父さんは気にする様子もなかった。
「聡子…さんは,軽音でボーカルやってるんでしょ?歌えるよね?」
軽音?ストーカーかよ!?私の何を調べたっていうの?
やっぱり早くこの場を離れたほうがよさそうだ。
「物理的に声は出ます。あなたにもできるように。それじゃ。え?ちょっとお…」
思わず大きな声が出た。背中を向けた私の腕を伯父さんがつかんでいた。
「やだっ!放してください!」
「ここで声を出さなくてもいいから。」
振りほどこうとして,身体をよじった。でも,伯父さんの力は思ったよりずっと強かった。負けずにもがいてた私だったけど,耳元でささやいた伯父さんの言葉に一瞬力が抜けた。
「やってみたかったんでしょ,アイドル。」
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