1/7
プロローグ 【なれそめ】
その夜は満月で、夜半でもなお蒼い空が上空に広がっていた。鬱蒼とした森の中にあっても月光は木々を縫って降り注ぎ、地に照らし出された明と暗のコントラストが目に眩く映る。
そんな幻想的とも言える光景の中、おれはただ一人ぼんやりと木に寄りかかり、月に照らされた地面を眺めていた。
全身は既に芯まで冷え切っており、唯一右腕だけがじんじんと熱を発し続けている。それが熱ではなく、上腕部から先を失ったことによる激痛だという事はとうの昔に理解していた。
吐く息が白い。さっきから呼吸が震えっぱなしだ。――血が随分流れてしまった。
これだけ血の匂いを辺りに漂わせていては、獣に嗅ぎ付けられるのも時間の問題だろうと思う。
もう生きる事は諦めているが、生きたまま喰われるような最期は勘弁願いたい。せめてここで息絶えるまでは見つかりませんように、と神に願う他無かった。
13年生きたが、結局いなくなった姉さんの歳にはあと1年届かなかった。それが心残りと言えば心残りだが、正直もう疲れた。今は早く、この腕の熱さから解放されたい。
辺りは頭上に君臨する夜の主に敬意を払ってか、虫の音色すら無くしん、と静まり返っている。てっきりもう耳が駄目になったのかとも思っていたが、そうではないと気付かされたのは「さく」と草を踏み締める音が耳に届いたからだった。
――ああ、嗅ぎ付けられたか。結局最期まで散々だな。
静かに死を迎えたいというささやかな願いは、そこで空しく消え失せてしまった。
もう頭が重くて、顔が上げられない。いずれ草むらしか映さないこの視界に毛むくじゃらな脚が覗くのだろうか。そう考えていたが、先ほど足音がしたっきり、森は再び静寂を取り戻していた。単なる幻聴だったのか、それとも
「捨てられたか。……惨い事をする」
耳を疑った。
獣じゃない。それに、野盗の類でもない。凛と響くその声は、間違いなく女の人のものだった。
残り僅かな気力を振り絞り、頭を上げる。
眼前には少しだけ木々の無い開けた場所を挟み、後は森が続くだけだったが――ちょうどその森を抜けた格好で、無骨な装いに身を包んだ女性がこちらを眺めていた。
齢はおれよりいくらか上だろうか。それでも、こんな森の中で夜を越すには若く、危険すぎる事に変わりは無かった。そう、本来ならありえない客人だった。
顔を上げたおれに対して女の人は少しだけ眉を動かすと、おれの仕草を合図とばかりに無言のままこちらに歩み寄ってきた。
さく、 さく、 さく、
青白く輝く草地を踏み締め、女の人は血まみれのおれの元へ恐れることなく突き進んで来る。その泰然とした歩みを、おれはただ見つめ返す事しか出来ない。
不思議なことに、月の光の下歩く彼女は全身から淡い光を発しているようだった。とりわけ、薄紅色の花弁を思わせる長い髪は、月の光に呼応するかのように自ら光輝いて見える。今宵の幻想的な風景も相まって、彼女はどこか浮世離れした存在感を放っていた。
その姿に、おれは『死神』を連想する。
だけどもし仮に彼女が死神だとしたら、何て粋な計らいだろう。
他人から使われ続け、ただ摩り減らすだけの人生だと思っていた。だが、こんな綺麗な女の人に命を摘まれるなら今までの苦労も報われるというもんだ。
そう思って安心したせいか、急に眠気が襲ってきた。
彼女は目の前まで来るとしゃがみ込み、おれの顔を覗き込んできた。
眠りに落ちる直前、おれは間近でその人の顔を見る事に成功する。
だけどその顔を見て、おれは妙な罪悪感を覚えてしまった。
――何でそんな悲しい顔するんだよ。
◆◆◆
これがおれと『彼女』との最初の出会いだ。だけど、次に『彼女』に会えるのはそれから大分先の話になる。何せ、『彼女』とは満月の夜にしか会えないのだから。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。