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獣王の息子 作者:日向夏
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22、猫の正しい撫で方


「うわー、まじかよ、それ」

 ニートが頭をがしがし掻きながら言った。金色に染めた髪の根元はだいぶ黒くなり、見事な逆プリンを作っている。カラコンだけはまだちゃんと装着している。

 学校へ来る前の通学途中。
 紅花ホンファは助手席に座り、ニートが運転している。

 ニートが学校に来る以上、若ママが送り迎えをする必要はない。

 若ママにもいろいろ仕事がある。毎日、紅花を送り迎えしている労力がなくなるだけで随分楽になるだろう。

 若ママとしてはあまり乗り気ではないが、紅花の身辺警護にもう一人人員をまわすと聞いて納得していた。

「そういえば、どんな人が来てるの? もう一人、学校に入ってるんでしょ?」
「……おまえは知らん方がいいぞ」

 ニートは渋い顔をしている。

 紅花は半眼になる。

「なに、それ? 私をばかにしてるの?」
「いや、違う。できるだけ接触しないほうがいいってことだ」

 お前のためだぞ、とニートは言う。

 ふーん、そうですか。

 いつもそうだ、子ども扱いしている。
 紅花はどこか家族の中でも蚊帳の外にされている。確かに、皆に比べると半世紀も生きてないし、子どもなのは十分わかっている。
 でも、それを理解するのと納得するのは別問題だ。

 紅花は後部座席から、ニートの荷物を取り出す。ごそごそと中身を漁り、五十センチほどのめんたいこバケットを取り出す。

「あっ、てめえ、それ食うなよ! 俺の弁当だぞ」
「ふあい、ふあい。……前、見て、前見て運転してね」
「あっ、食うな! 食うな」

 見た目はチャラ男な割に、ゴールドドライバーだ。しっかりよそ見せず運転してくれた。

 紅花は乾いたバケットをカフェオレで流し込みながら、呻くニートを横目で見た。





 教室に来てまず唖然としたのは、また紅花の席を陣取る古床ふるゆかの姿だった。いつもふわふわな髪の毛に、今日は小さな三つ編みが何本もついている。エクステの類だろうか。

 制服もシャツにリボンの夏仕様で、スカートも腰の部分を折っているのか、規則よりずいぶん短めだ。

 もちろん、そんな彼女が話しかけている相手は颯太郎そうたろうだった。

 颯太郎も颯太郎で、眠たそうな顔をしながらなんとか話に相槌を打っている。基本、紅花と同じくクラスで単独行動をする側にいるが、付き合い自体は悪くない奴だ。

「古床さん」
「あっ、山田さん、いたの?」

 今、古床の舌打が聞こえた気がした。

 面倒くさいなあという緩慢な動きで、ようやく席を立つ。

「じゃあ、颯太郎くんまたね」

 またね、じゃねえだろ。

 思わず口汚い言葉が頭に巡りながらも、声にはださないように気を付ける。颯太郎は欠伸をしながら、ホームルームまでの時間を睡眠に費やそうとする。

 きっぱり、断りなさいよ。

 紅花は少し乱暴な手つきで教科書を机の中に突っ込んだ。





 休み時間になっても隣の席にやってきては、騒ぎまくる古床は大変うるさかった。この学園では中休みという休み時間が二時間目と三時間目にある。通常、十分の休み時間がに十分になったというものだ。

「またやってる」

 ひそひそとクラスの女子生徒が騒いでいる。多分、初等部からの知り合いだろうか。クラスメイトの半分くらいは、エスカレーター式で中等部に入ってきた生徒だ。

「そのうち飽きるよね」

 紅花としてはその、そのうちとやらがいつなのか知りたいところだ。

 颯太郎少年はお昼寝もできず、おやつの煮干しも食べられず辟易としていることがわかる。

 嫌ならさっさと断ればいいのに、この優柔不断男が!

 それを口に出そうとして、無理やり押し込める。

 ただ、颯太郎にも限度があるようだ。

「颯太郎くんってさ、尻尾や肉球は良く出すけど、耳って見たことないなあ」
「あんまり見せるものじゃないから」

 颯太郎曰く恥じらいが出る部分だという。実際は、その耳の形を見たら、皆驚くのもあるだろう。

「へえ、見たいなあ」

 そう言って古床は颯太郎の頭に手を伸ばす。

 それは……。

 パシッと教室に音が響いた。呆然とした古床と、しまったという顔をする颯太郎がいた。

「ご、ごめんなさい」

 あからさまな拒絶を受けて、古床の声が委縮する。

 颯太郎は少しばつが悪そうに顔をそらす。普段通り、マイペースにしていればいいのに、何だろうその態度は。
 おかげで周りの視線が集まる。

 古床が泣きそうな顔をしているところをみて、さっきまで古床の悪口を言っていた女生徒たちが手のひらを返す。

「ねえ、日高くん、なにやったのよ」

 大きく出たのは少女Aだった。あの神社のとき一緒についてきた女の子だ。うん、名前はまだ覚えていない。

 颯太郎はなにか口にしようとしたが、その前に少女Aがどんどん喋る。

「古床さんがこんなに怯えてるじゃない」

 こういう時怖いのは、妙な正義感だ。

 こういう風に一人が誰かを責めると、女の子はそれに同調してしまう。そういうわけで、少女Aに同調する女生徒がまた一人現れる。

「私見たよ、日高くんが古床さんの手を跳ね除けるところ」
「うそ? 叩いたの?」

 ひそひそと話す声が良く聞こえる。不死者の聴力を舐めないで貰いたい。紅花に聞こえるとなれば、颯太郎の耳にも聞こえているだろう。

 なんだろう、だんだん苛々してくる。

 颯太郎も颯太郎で何も言わない、無言は非を認めたことになる。

 バンッ!

 気が付けば、紅花は机を思い切りたたいていた。

 颯太郎と古床に集まっていた視線が一気に紅花のほうへと集まっていく。

「ねえ、たしか獣人の耳って見せるものじゃないと聞いたんですけど」

 颯太郎ではなく、別のクラスメイトに聞く。確か牛鬼人ミノタウロスだったはずだ。一際、身体が大きくそのため席は一番後ろに座っている。

 いきなり振られたミノくんはたじたじしている。種族の割に随分温厚な性格なのは、見ていてわかる。

「種族にもよるけど、偽耳を持つ奴は大体そうだったと思う」

 髪の毛の隙間からぴくぴく牛っぽい耳が出ている。他の獣人もいるけど、もし間違っていたら怖いので一応明らかに獣人っぽい彼に聞いてみた。

「触るのは?」
「それは、アウト」

 紅花はそのまま視線を古床に向ける。

「だって。私も聞いてたけど、そんなに駄目とは思わなかったから。知らないと大変ですよね」

 多分、このクラスで一番話した気がする。
 ぽかーんとする少女Aと古床に対して、他の獣人らしき少年が声を上げる。

「耳はアウトだろ? お前、それやっちゃいけないって。それで、うちのおばさん、会社の上司をセクハラで訴えていたぞ」
「うん、だめよ、それ。痴女扱いされるから。私もとさか触られたらアウトだわ」

 同じく獣人らしき少女も同意する。

 獣人はけっこう擬態が上手いのが多いので、本当に紅花もよくわからない。多分、少年はげっ歯類っぽくて、少女は鳥かなにかだろう。

 そういうわけで今度は少女Aと古床に冷たい視線が集まる。

 紅花はそのまま放置してもいいかなと思ったけど、動いたのは颯太郎のほうだった。

「ごめんね。いきなりはたいて。ちょっと耳は駄目なんだ。古床さんもいきなり脇とかくすぐられると駄目とかない?」

 颯太郎はほんわかする笑顔で言った。

「ごめんなさい。こっちこそ」

 そうやって古床が謝るとなると、居心地が悪いのは少女Aだろう。
 しかし、都合がいいことに休み時間も終わり、次の授業に入る。

 ふうっと紅花は息を吐き、長い中休みだった思った。





 昼休みになって、温室に向かうと颯太郎がいた。四時間目が体育だったため、さっさと教室に戻ってこちらに来たのだろう。一応、古床につかまるのを避けたのかもしれない。

 颯太郎は紅花を見て、一瞬目を見開いたが、また普通にお弁当を食べ始めた。

 紅花は少し居心地が悪い顔をするが、いつもどおり古いベンチに座る。

「ニートはいないの?」

 スポーツバッグから重箱を取り出しながら聞いた。

「うん、ニートさんは、なんかさっきまでいたけど、携帯で呼び出されてどっか行っちゃった」

 そういえばアヒム兄さんの斡旋というのだから、ここの上司はニートの扱いにも慣れているのかもしれない。

「ふーん」

紅花はお弁当を食べながらやる気ない相槌を打った。 

 颯太郎はさっさとお弁当を食べ終えている。

 紅花はスポーツバッグに入っているおにぎりをじっとみる。バッグの中は保冷仕様に改造していて、中には保冷剤が入っている。おにぎりに触れるとひんやりする。

 紅花は口を歪ませると、ちらりと颯太郎を見る。颯太郎は少し物足りなそうにお弁当箱を片付けて、二リットル入りのペットボトルを直飲みしている。

 口をぎざぎざに歪めたまま、紅花が立ち上がる。そして、颯太郎の前に立つと、軽く投げつけるようにおにぎりを置いた。

「食べていいの?」
「ダイエット中なの!」
「……」

 颯太郎の無言になにか感じるものがあるが、黙っておくだけ賢いだろう。
 紅花は颯太郎から一人分開けて横に座る。むっと、口を尖らせたまま、目は半眼だ。

「いただきます」

 もしゃもしゃと大きなおにぎりは颯太郎の腹の中に消えていく。おかかとひじきをまんべんなくかき混ぜたご飯を丸めたそれは、いつも通り歪な形をしている。どうしたら、若ママみたいに上手くサッカーボールができるのか不思議に思う。

 五分足らずでさくっと食べ終えると、颯太郎は指先を舐めていた。紅花は、そっと紙おしぼりを渡す。

「ありがとう」
「そのくらい別にいいけど。余りものだし」
「違うよ、休み時間のこと」

 ふんっと紅花は鼻を鳴らした。

「ちゃんと、ああいうのははっきり言っておかないと相手の思うつぼでしょ。そういうのはしっかり言えると思ってたのに」

 颯太郎は紙おしぼりを丸めてごみを入れているビニールに詰めながら笑った。

「うん、意外だなって僕も思った」

 そういって、颯太郎は芝生の上に転がった。
 木漏れ日がちらちらと颯太郎の顔を照らす。

「小さい頃はそうでもなかったけど、これってやっぱり猫耳とは違うっぽい?」

 そんなことを言うか。

「私に聞かないでよ」
「ごめん」
「謝らないでよ!」

 颯太郎といるといつも怒ってばっかりな気がする。
 怒られた猫は少ししゅんとなっているのか、愛用のクッションに半分顔を埋めていた。

 大体、紅花が颯太郎の耳を見たのは一回きりだ。
 あのときは全身が毛だらけになっていて、本当に獣という姿だった。

 牙が長くのび、それが首に突き刺さる。頸動脈を一気に引きちぎられ、そこでおそらく絶命したと思う。

 もっとひどい目にあいながら殺されたことは何回かあった。でも、食べられたことは初めてで、しかもさっきまで味方だと思っていた相手からだった。

 もしかしたら、また次の瞬間、颯太郎は紅花に牙をむくかもしれない。

 でも、それを怖がるより、もっと違う感情が大きくなっていた。

 少し意地悪してやろう。
 紅花は颯太郎の顔をのぞきこむ。

「ふーん、謝るくらいなら、誠意を見せてもらおうかな」
「なんか、チンピラっぽい台詞だね」
「うっさい」

 そんなに言うんなら、かなり性格悪いことを言ってやる。

「耳触らせてくれたら、許すけど」
「……」

 颯太郎がクッションから半分だけ顔を出して紅花を見る。
 目が猫っぽく、なっている。明るく晴れているので瞳の大きさが線みたいに細くなっている。

 どうだ、できまい。

 紅花はタンブラーに口をつける。カフェオレの氷は完全に溶けていて、ちょっと味が薄い。さっき自販機でカップ入りのものを詰替えたのだ。

「はい」

 いきなり頭を突き出されて、カフェオレが鼻から吹き出しそうになった。

 げほげほとむせながら、涙目で颯太郎を見る。

「大丈夫?」
「大丈夫じゃないから! なに、無防備に頭だしてんの!」
「触らせろって言ったのは紅ちゃんじゃないか」

 心外だと言わんばかりに颯太郎が言った。

 紅花は顔をハンカチでおさえながら、颯太郎の頭を見る。髪の毛が浮いてぴくぴくしている。たぶん、この下に本物の耳があるのだろう。

 触っていいのだろうか。

 すごく気になる。

 しかし、こうして触れと頭を突き出されたら、触るのが筋というものではなかろうか。

「あんまり強く引っ張らないでね。あと大声はつらいから。急所の一つみたいなもんなの」
「急所ねえ」

 そう言われたら納得する。隠す理由にもなろう。

 紅花はゆっくり手を伸ばした。色素の薄い猫っ毛の中に指を入れる。頭皮を撫でるように指を滑らせると、もふっとした部分に指先が当たる。

 柔らかいしあったかい。

 普段耳を隠しているせいだろうか、生まれつきだろうか。そこだけ、頭がい骨が凹んでいるようで、そこに隠れるように耳が埋まっている。紅花が振れたことで、耳がピクリと動くのがわかる。

 片耳だけではバランスが悪いので、もう一方の手も颯太郎の頭に触れる。

 丸いなあ。

 あと厚いなあ。

 家にいるミケとは違う耳だ。確かに、猫又で知られているのに、この耳がクラスメイトにばれたら面倒だろう。

 薄いミケの耳にくらべ分厚く柔らかい。でも、毛先はけっこう固い。

 両手を同じ動きで耳をつまむ。ぴくぴくと耳が動く。
 手触りはミケとはまた違った趣があり、思わずずっと触れていたくなる。

「ちょ、ちょっと」

 颯太郎が言った。

 なにがちょっとなのかわからないけど、気が付けば目の前にゆらゆらと白黒の縞模様の尻尾が揺れていた。

 耳に触れられたことで反応したのだろうか。

 さらに、好奇心が涌いてしまう。

「尻尾も触っていい?」
「えっと、尻尾も?」
「うん」

 颯太郎は少し唸っていたけど、紅花は黙認という形で受け取った。右手を伸ばし、長い尻尾を掴む。

 ぴくっと颯太郎が動く。

 ぴんと立った尻尾、こちらは大きさこそ違えどミケとよく似た感触だった。あんまりべたべた触ると、帰ったらミケにそっぽをむかれるかもしれない。でも、一度触り始めたら抗えない魅力がある。

 すごく意地悪しているだろうなと紅花は思う。別に力を入れているわけじゃないけど、たまに颯太郎がぴくって動く。
 たぶん、くすぐられているような感じがするのだろう。

 ミケも嫌がってただろうか。

 ちょっとは許してくれるけどあんまりしすぎると怒る。そのあとは、ご機嫌とりに大変だ。いつも、尻尾の付け根を叩いて満足するまでやめられないのである。

 紅花は、颯太郎の尻尾の付け根を見る。ちょうど腰のあたりだろうか、そこをぽんぽん叩いてみた。

 颯太郎は最初びっくりしたのか、全身の毛を逆立てたが、次第に身体が緩んでいるように思えた。
 身体がゆっくり下がっていき、香箱を組むみたいな体勢になっている。

 これがいいのか。

 紅花は少し強めに叩いてみる。すると、尻尾をピンと立ててまた次第に下がっていく。

 こう見えて、紅花はテクニシャンだ。ニャーベラスのミケ、三つの頭がそれぞれ満足できる猫ドラムを毎回やらされている。そう考えると、颯太郎一匹お手の物だ。

 颯太郎は顔をクッションに埋めたままだが、満足しているだろう。

 ふふふっと、高笑いしたくなったときだった。

 がさがさっと、温室の裏側からつなぎの男がやってきた。ニートだった。

「ちくしょう、野良犬が見つかったって聞いたのに」

 吐き捨てながら、大きな網を持っている。正直、その網でもあの犬は捕まらないだろう。

「また、逃がしたんだ」
「ああ、お前らなにやってんだ?」
「猫ドラム」

 ニートが網を置き、プリン頭を掻き上げる。
 そして、ふうっと息を吐いた。

「そろそろやめてやれ、その叩いてるとこ。猫でいう性感帯だぞ」
「……せいかんたい?」

 紅花はそっと視線を颯太郎に下ろした。颯太郎はクッションに顔を埋め、身体をぷるぷるさせていた。

 よくわからない紅花が、携帯でどういう言葉か検索したところで、颯太郎を思い切り放り投げたのは言うまでもなかった。

投げ捨てられた颯太郎をニートが肩をぽんぽん叩いて慰めていたが、紅花には知ったことではなかった。


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