記事詳細
山崎豊子さん「非戦の原点」綴った日記見つかる 大阪大空襲「この無惨、惨状…」 思いを寄せた男性との記述も
母とともに燃えさかる家を離れたが、14日昼頃に帰ると、焼けた家を前に「悄(しょう)然(ぜん)とたたずむ父の姿」を見た。
「ああ、家は焼かれていた。(中略)ああ、一望、焼けのが原だ。この無(む)惨(ざん)、惨状、戦争は絶対いけないものだ」
一方で日記には、思いを寄せていた「N」という男性と再会、その1週間後には出征した彼との別れを惜しむ記述もある。山崎豊子文化財団事務局長で、おいの山崎定(さだ)樹(き)さん(55)は「小説とはまったく違う文章で、知らなかった叔母の一面を見た思い。戦争を書き続けたことはもちろん、作品につながるさまざまな原点がこの日記にあるのでは」と話す。
山崎さんは大正13年11月3日生まれで享年88とされてきたが、実際は同年1月2日で享年89だったことが今回分かった。新潮社が明らかにした。
山崎豊子さんの編集者を務めた新潮社の矢代新一郎さんの話 「『暖簾』『花のれん』などの作品に大阪大空襲の場面はあるが、過去を振り返って語ることをあまりしない人だった。戦争体験を語り、エッセーにも書いたのは晩年になってから。原点となる貴重な資料が見つかった。日記は読みやすく、作家になる前から文章がうまかったことも分かる」
このニュースの写真
関連ニュース
- 【戸津井康之のメディア今昔(14)】「白い巨塔」「暖簾」「沈まぬ太陽」…俳優たちを奮い立たせる「山崎豊子」作品の〝魅力〟
- 【葬送】小説家・山崎豊子さん 「伝える」という使命感 鬼気迫る執筆への情熱
- 【西論】山崎豊子と司馬遼太郎 大阪商人の視点ゆえ見えた日本 編集委員・荻原靖史
- 【戸津井康之の銀幕裏の声】社会派・山崎豊子が「次も演じてね」と惚れ込んだ俳優は「渡辺謙」…首相にも敢然と歯向かった“気骨”
- 【山崎豊子さん死去】新聞記者らしく不条理許さない「命がけの作品」…船場生まれの少女、小説家へのきっかけは井上靖
- 【山崎豊子さん死去】権力構造の中の人物描く…大阪出身、緻密な取材でリアリズム追求「不毛地帯」「沈まぬ太陽」