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山崎豊子さん「非戦の原点」綴った日記見つかる 大阪大空襲「この無惨、惨状…」 思いを寄せた男性との記述も
平成25年に死去した作家の山崎(やまさき)豊子さんの堺市西区の自宅から、戦争中の昭和20年に記された日記が見つかった。大阪大空襲の中、自宅を焼失し、大阪の街を逃げ惑う様子や、思いを寄せた男性が戦地に赴く際の心情などが記されており、戦争をテーマに書き続けた作家の原点に触れる貴重な資料だ。日記の一部は15日発売の「山崎豊子スペシャル・ガイドブック」(新潮社)に収録される。
見つかった日記はA5判のノート72ページ分。1月1日から3月27日までの記録で、表紙や裏表紙はなく、最終日の記述の途中からページを破った跡があった。大阪・船場の老舗昆布屋に生まれた山崎さんは昭和19年、京都女子専門学校(現京都女子大)を繰り上げ卒業し、毎日新聞社に入社。日記が書かれたのは21歳の誕生日を迎える前後にあたる。新潮社によると昨年12月、デビュー作「暖簾(のれん)」(昭和32年)の創作ノート2冊などとともに「初期作品」と書かれた段ボール箱から見つかった。山崎さんの日記は他に見つかっておらず、現存する唯一のものという。
日記には、戦時下の日常が記されている。3月13日深夜から14日未明にかけての大阪大空襲では、生家である老舗昆布屋を目の前で失った。
「もはやこれまでと家を出んとした時、大きな火の粉を孕(はら)んだたつまきが巻き起(おこ)った。店の窓ガラス、陳列の窓ガラスなどが破れた。(中略)もうここで遂(つい)にむしやきかと観念した」
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