「(若者の右傾化は)スマホを手放してくれれば変わります。」
ーさきほど引退後の生活はあまり変わっていないとおっしゃっていましたが、今、取り組んでいるクリエイティブなプロジェクトについてお話いただけないでしょうか。将来的には大きなプロジェクトにも関わりたい思っていますか。いま、ジブリの美術館で短編映画作っていますが、その10作目に関わっています。これは従来のスタッフ少しと、CGの新しいスタッフたちとでやることになっています。プロデューサーは3年かかると言っているんですが、若いスタッフを3年も拘束するのは良くないので(笑)、私は早く終わらせたいと思っているんですが、それだけでも精一杯ではないかと思っているんです。
ー辺野古、そして自衛隊、そしてまた米軍との関係ですが、中国を脅威としてご覧になりますか?そして中国の台頭、軍事拡大に、どう対応すべきだと思いますか。
中国は膨張せざるを得ない内圧を持っています。それをどういう風に時間をかけてかわすか、というのが日本の最大の課題だと思います。答えになっていませんか(笑)?
ー日本の若者をどう見ていらっしゃいますか。他の国見ていても、若い人には右傾化が出てきています。日本でも若い人の中で田母神氏が大きな人気を得ていますが、一方では多くの若者が政治に無関心と言われています。これは今後どういうふうに発展すると思いますか。若者が政治のプロセスに熱狂的に参加するような時代がくると思いますか。
スマホを手放してくれれば変わります。(会場から笑い)
ー日本国憲法は、やはり占領国が日本に押し付けたと言われています。しかし、今回の動きを見ていると、日本人はこの憲法を非常に深く愛しています。どうして日本人はこんなに強い思いを憲法に持っていると思いますか。
15年に渡る日本の戦争は、惨憺たる経験を日本人にも与えたんです。300万人の死者です。この経験は、多くの、つまり私たちのちょっと上の世代にとっては忘れがたいことです。
平和憲法というのは、それに対する光が差し込むような体験であったんです。これは今の若い日本人にはむしろ通じないくらいの大きな力だったんです。平和憲法というのは。
平和憲法というのは、占領軍が押し付けたというよりも、1928年の国際連盟のきっかけにもなった不戦条約の精神を引き継いでいるもので、決して歴史的に孤立しているものでも、占領軍に押し付けられただけのものでもないと思うんです。
ー日本の教科書は加害に関する部分が少ないと中国やアジアから指摘されています。監督はその加害の部分も大変重く感じている日本の一人ですので、映画に、そういう観点に関して入れたりするというビジョンというのはありますか。または、アジアの人たちと映画を作っていきたい、ということはありますか。
アニメーションは、いろいろな作品が考えられますが、今、私が作ろうとしている作品は、こんな小さな毛虫の話です。指でつつくだけで死んでしまいます。この小さな毛虫が葉っぱにくっいている生活を描くつもりです。それはアニメーションが生命の本質的な部分に迫ったほうが、アニメーションとしては表現しやすいのではないかと思っているからんです。あの…意味わかりますか(笑)?
それで、100年や200年の短い歴史よりももっと長い、何億年にもつながる歴史をアニメーションは描いたほうがいいと思っています。
ー今までのアニメ制作につきまして、監督としてはまた実現していないことはありますか。オタク向けの作品がたくさん出てきていますが、この状況についてどう思いますか
ははは(笑)。
フィルムがなくなって、私たちが使っていたセルもなくなって、絵の具で塗ることもなくなりました。それから背景を描く時にはポスターカラーを使っていましたが、ポスターカラーすら、もう生産は終わるだろうと言われています。筆も、良い筆が手に入りません。それから、紙がこの1、2年で急速に悪くなりました。私はイギリスの「BBケント」というケント紙を、ペンで描くときは愛用していました。とても素晴らしい、僕にとっては宝者のような紙が、すっと線を引くと、インクが滲むようになりました。インクが使えなくなりました。
何か、世界がもっと根元の方でみしみしと悪くなっていくようです。ですから、アニメーションのことだけ論じてもしょうがないんじゃないかなと思います。
いつでも、どうしてこれが流行るのか、よくわらかないものが流行ります。それもいろいろあっていいんじゃないかと僕は勝手に思っています(笑)。
ー今後基地がなくなって、軍事的プレゼンスが小さくなりましたら、沖縄はどうなると思いますか。不動産業や観光業の発達も考えられますが。
僕は、沖縄は日本と中国が両方仲良くするところになるといいと思います。それが一番ふさわしいです。そして交易する。非常におおらかな心を持っている人たちですから、ちゃんとやっていけると思います。
私は自分の子どもたちが小さかった時に、二度ほど小さな島に行きました。その時の宿のおじさんとおばさんが、どれほど子どもたちに良い印象を与えたか。かくもおおらかかで、優しい人々がいるんだというのが、驚くべきことでした。本当に。
二度目の時は、大人は僕一人で4家族の10人の子どもたちを連れて行きました。みんないつも喧嘩している兄弟が、兄さんや姉さんの言うことをきちんと聞いて、本当に感心な子ともだちだと褒められました。僕は沖縄のことを考えると、いつもその人とたちのことを思い出します。
ー辺野古基金の共同代表として、政府は辺野古に基地を作れないとなると、普天間に基地が固定化される可能性があると脅しとも取れることを言っていますが、宮崎監督としましては、解決策はどのような形で解決されるべきだと思いますか。
普天間の基地は移転しなければいけません。それから辺野古を埋め立てるのはいけません。それで、第一次民主党内閣の鳩山総理は「日本全体で負担しよう」という風に発言したんです。僕はそれがまだ生きていると思っています。
ー戦後70年という節目の年ですが、監督から見ればあの戦争、あれは70年前のあの歴史は一体どういうものだと思いますか。あれからどういう教訓が得られたと思いますか。
あの戦争に至る前どこで止められたんだろうという風によく考えます。そうすると、だんだん遡っていって、ついに日本とロシアの戦争にまで至ります。実はその前に日清戦争というのもありますが、これは結局、東アジアにヨーロッパが来て、大砲で開国を迫ったことによる、"文明の衝突"から始まったんです。でも、それを言っていると、責任が曖昧になります。
ですから、僕はやっぱり、やっていけないことはやっていけいないんだということでしかないんじゃないかと思います。他国を自国のための犠牲にして侵略することは、絶対やってはならない。どんな理由をくっつけても、どんなに美化しても美化しきれない。その原則だけは絶対守るべきであると思います。侵略してはいけないんです。それで、私たちは島国ですから一番やりやすいはずです。
ーアニメーションの未来について質問させてください。監督は長編に特化してきたわけですが、今、視聴者のニーズに答えてすぐ作品を作れる会社も出てきています。こうしたものがアニメーションの未来像になると思いますか。それとも、これまで関わってきた、制作するのに時間がかかる、ハイリスクながらハイリターンも期待できるような作品が良いと思いますか。
幸運と才能さえあれば、何とかなると思います(笑)
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