Act.3 メシアの選択



 沙っちゃんがクラスメイトに頼られて、ハナ高々という様子だった沙っちゃんママは、がっかりしたようでした。
 でも、いやなものは仕方がないので、沙っちゃんママはあっさり諦め、先生に「いやだと言っています」と伝えたのでした。

 ――え、そんなものなの!?

 と、思われた読者様もいるかもしれません。
 沙っちゃんちは、そんなものでした。

 ところで、沙っちゃんはなんで、Xちゃんとお友達になりたくなかったのでしょうか。

 こればかりは、Xちゃんの運が悪かったです。
 Xちゃんは、Xちゃんにまったく非のない理由で、沙っちゃんにひどく嫌われていました。

 Xちゃんの見た目が、沙っちゃんを虐待していた父親そっくりだったのです。


 考えてもみて下さい。
 恐ろしい暴力男と結婚してしまって、死ぬほどつらい目に遭わされて、命からがら身一つで逃げてきた先に、別人なんだけどそっくりな顔、そっくりな髪型をした人がいたら? あなたなら、平気ですか?
 別人だとわかっています。
 その人には、何の罪もありません。
 しかし、被害者はフラッシュバックに苦しむのです。
 恐怖感、嫌悪感、吐き気。
 もう大変なのです。
 ましてや、興味関心を示されようものなら、パニックです。
 関わり合いになりたくないのに。
 学校に行けばXちゃんがいて、家に帰れば父親がいる。逃げ場がない。
 当時の沙っちゃんが、どれほど追い詰められた精神状態だったか。
 いじめならば死を選ぶ前に、不登校なり、転校なりという最後の逃げ道があります。
 けれど、児童虐待の最後の逃げ道は家出であり、そのリスクは、不登校の比ではありません。
 女の子が家出したりすれば、死を選んだ方がマシだったくらいの悲惨な目にも、ふつうに遭いますよね。

 いじめの加害者は子供のモンスター。
 児童虐待の加害者は大人のモンスター。

 母親はしつけと言い張り、見て見ぬフリをしていました。
 男の子は、好きな女の子にいじわるしたい衝動を多かれ少なかれ持っているものですが、沙っちゃんの父親はその衝動が異常レベルでした。
 父親は、沙っちゃんが泣き叫んで嫌がることを喜んでしました。
 それは、学校でいじめの被害者がされるようなことの数々です。子供のモンスターがやることの比ではありません。
 父親は、クリスマスに沙っちゃんが母親からもらった素敵なプレゼントをその場で取り上げて台なしにもしました。
 自分はクリスマスに教材を与えました。「うちの娘は学校で(成績が)一番じゃけぇ」と周りに自慢したいからです。ひとかけらも、沙っちゃんを喜ばせるためではありません。
 沙っちゃんが「お勉強の道具なんていらない! バービーのお人形を買ってくれる約束だった!」と言えば、新品の教材が破壊される勢いで、その教材で沙っちゃんの頭を殴りつけました。
 沙っちゃんが喘息の発作で夜も眠れず苦しんでいれば、「(喘鳴が)うるさい!」と怒鳴りつけました。
 (父親が)無賃乗車をして駅員に見つかった時には、沙っちゃんが切符をなくしたことにして、公衆の面前で怒鳴りつけもしました。
 沙っちゃんは泣いて、切符なんて預かってないもんと抗議しましたが、余計に怒鳴られ殴られるばかり。しかも、父親はその時のことを謝りもせず、後日、「あんときゃぁ肝が冷えたわい」と笑い話にしていました。
 そんな真似を繰り返しておいて「お父さんは沙っちゃんが大好きだ。沙っちゃんもお父さんが大好き?」と聞き、沙っちゃんが「嫌い!」と言えば、鬼のように怒り狂って怒鳴りつけ、手を上げ、夜の戸外に放り出しました。

 その様子は、妹が結婚式のスピーチで「お姉ちゃんにひどいことをするお父さんがこわくて、私はいつも、廊下で耳を塞いでいました。」と涙ながらに告白したほど。
 阿鼻叫喚の地獄絵図が、日常的に繰り返されていたのです。

 いじめなんて、クラス替えまでの辛抱じゃないですか。
 児童虐待って、何年続くかわかりますか?
 他人がやれば一発で犯罪になるようなことも、家庭内では『民事不介入』、警察は被害児童が殺されるまで、動いてくれません。

 もう、理屈ではない。

 Xちゃんに、罪はありませんでした。
 だけど沙っちゃんにとって、父親そっくりのXちゃんと友達になるなど、絶対に無理なことでした。


 クラスの中でも優しい子供、いじめに加担しない子供に友達になって欲しいと頼むことそのものは、いじめの対応として、正しい手順だったと思います。
 だけど、Xちゃんは運が悪かった。

 むしろ、沙っちゃんに断られて終わりじゃなくて、他の子も当たってみればよかったのに、どういうわけなのか、先生はいじめの被害者と加害者を友達にすることにこだわりました。
 どう考えても、わざわざいじめの被害者と加害者を先生命令で関わらせたら、エスカレートのリスクが高いに決まっていたのに。

 いったい、先生は何を考えていたのでしょうか?

 たぶん、現場を確認せずに問題を解決しようとした先生は、何か、とんでもなくトンチンカンなことを考えて、トンチンカンに対処したのです。
 あるいは、いじめとケンカの違いを理解していなかったのかもしれません。

Act.4 犯人はおまえだ≪1≫

 Xちゃんのお友達になってあげて、という話を沙っちゃんが断ると、先生は子供同士で解決させることは諦めたらしく、加害者グループ(?)の4人を生徒指導室に集めました。

先生「Xちゃんをいじめるのをやめなさい」
天使×2「はぁーい!」
先生「あら、いいお返事ね。Xちゃんと仲よくできるわね?」
天使×2「はぁーい!」
先生「NちゃんとKちゃんは帰ってよし!」

 先生、いきなり、何にもわかっていない真犯人を無罪放免しました。

 たいへんです。
 天使ちゃんたちは、決して、先生の前だからいい子ぶったのではありません。
 自分たちのしていることが、Xちゃんを傷つけていると知らないのです。

N「沙っちゃんとIちゃんは悪い子だね! ※★$% をいじめて」 ←
K「悪い子だね!」
N「Nちゃんたちが、なかよくしてあげようね。 ※★$% のうちに遊びに行こ!」 ←
K「うん、Kちゃんたちは良い子だもんね! なかよくしてあげるー♪」

 いじめるのをやめなさい、という指導では、ザツすぎて話になりません。
 何を『いじめ』と考えるかは人それぞれ。『いじめ』では通じないのです。
 先生は具体的に、「Xちゃんを ※★$% と呼ぶのをやめなさい」と指導しなければなりませんでした。

先生「まったく、沙っちゃんとIちゃんはどうしたの! お返事は!?」
沙っちゃん「Xちゃんキライだもん! 仲よくしない!」
Iちゃん「私もキライ!」
先生「あなたたち……! Xちゃんが何をしたの」
ぼっち×2「キライ!!」

 先生は、それはもう、ムカつきマックスだったことでしょう。
 しかし、先生がいじめの具体的な内容を確かめないまま指導する、という手抜きをしたからこそ、意味がわからないことになっているのです。
 沙っちゃんとIちゃんは、自分たちこそが誰よりもXちゃんをキラっていることについて、とても自信がありました。だから、「いじめ=心の中でキライと思うこと」だと考えたのです。
 沙っちゃんもIちゃんも、Xちゃんがキライだっただけで、『一緒に遊ばない』という以外のいじめはしていません。
 すると、『いじめをやめる=一緒に遊ぶ』ということになります。
 だから、「キライだからやだ!」と答えているのです。

 そして、Iちゃんはわかりませんが、沙っちゃんの心の中には小賢しい打算もありました。
 『Xちゃんキライ、絶対にいじめるのをやめたりしない!』と強く先生にアピールしておけば、先生はきっと、被害者のための配慮をしてくれるはずだと考えました。

(1)「いじめっこといじめられっこを近くの席にしてはいけないわ」 ⇒ 席替えで遠くの席に
(2)「いじめっこといじめられっこを同じ班にしてはいけないわ」 ⇒ 班編成でバラバラに
(3)「いじめっこといじめられっこを同じクラスにしてはいけないわ」 ⇒ クラス替えで別のクラスに! ゴール!!

 沙っちゃんがどんなに、Xちゃんと一緒はいやだと言っても、そんなワガママは通りません。
 けれど、『いじめ被害者』が『いじめ加害者』と一緒はいやだと言ったら?
 きっと、通るに違いありません。
 沙っちゃんはそう考えて、力強く、自分こそがいじめっこであると、いじめるのをやめたりするものかと、先生に言い放ったのです。

先生「わかりました! あなたたちが犯人だわ、保護者に言いつけます!!」
ぼっち×2「キライ!!」

 被害者Xちゃんの訴えを置き去りに、先生の一時の感情と、あんま関係なかった正直者すぎるぼっちたちの、単純にキライという感想だけで、生徒指導は完結してしまいました。
 保護者に言いつけると言ったってですね。

 沙っちゃんママに言いつけたとしましょう。
 『いつも庇ってくれる優しい沙っちゃん』と肝心の被害者が言っている状況で、被害者ならぬ先生が『沙っちゃんがいじめの主犯』だと言い出す状況では、お母さんは信じません。
「この先生、なんだかおかしいわ。Xちゃんが沙っちゃんじゃないと言ってるんだから、沙っちゃんのわけないじゃない」

 沙っちゃんパパに言いつけたとしましょう。
「じゃかぁしいわ、このかぱちたれが!!!」
 逆ギレされて、(先生が)怒鳴りつけられるのがオチです。
「なにがいじめじゃ、こくだらないことで! いちいち、ひとのせいにしよるけん、そんこは友達もできんのじゃろが!」

 ちなみに、若い女の先生がちょっと声を荒げて叱りつけたくらいでは、ふだん、モンスター親父による虐待に苦しめられ続けている沙っちゃんは、ダメージを受けません。
 Xちゃんが視界に入ることで起こるフラッシュバックの方が、はるかにストレスでした。

Act.4 犯人はおまえだ≪2≫

 一方、その頃。
 先生に「Xちゃんと仲良くしなさい」と指導された天使ちゃんたちは、Xちゃんのおうちに遊びにきていました。
 沙っちゃんが一緒であれば、インターホンを使うのですが……。
 いつもなら、そうやって助けてくれるはずの沙っちゃん、ただいま、先生に生徒指導されている真っ最中です。いったい何がどうしたことか、今日は、NちゃんとKちゃんの二人だけ。こんなことは初めてです。

「※★$%――!! あーそーぼ!!」

 天使ちゃんたちは、ご近所の中心で、力強く、愛を叫びました。

 ……。

 いえあの、笑いごとではありません。実話です。どうしてくれるのですか。
 子供特有の、甲高いあの声です。
 かなり遠方まで、よく届きます。
 門外からおうちの中まで、余裕で響き渡る大声量。

「※★$%――!!」

 よく、いじめ被害者が人混みの中でストレスを感じるという話があります。
 周りの人が自分を見て悪いウワサをしている気がして、身がすくむのだと。
 通常、それは被害妄想であり、被害者も理性ではわかっています。
 ところが、この場合、それが被害妄想ではありません。
 住宅地の中心で、病名を何度も、大声量で叫ばれてしまったXちゃん。
 ご近所中に、違うんですよと言って回るわけにもいきません。

「あそこのおうちの娘さん、※★$%なの? そう呼ばれていたけど」
「やだ、こわい。でも、確かに病的な見た目だし……」
「こわいわね、うつる病気かしら……?」

 そんな風に、ご近所でひそひそやられて、各家庭の子供たちにまで、うわさが広がったり、たぶん、しただろうと思います。
 だからこそ、転校したのだろうなと。
 Xちゃんはもちろん、Xちゃんママもまた、心ないうわさ話に、とても苦しんだのではないかと思います。

 そして、その次の日から。
 いつもなら、Xちゃんから天使ちゃんたちを引き剥がしにくるはずの、沙っちゃんとIちゃんが、そうすることをやめてしまいます。
 見事な、いじめのエスカレート。

 先生に「仲よくしなさい」と言われたからこそ、天使ちゃんたちは「※★$%」「※★$%」とXちゃんを構いました。
 先生に「いじめるのをやめなさい」と言われたからこそ、沙っちゃんとIちゃんは、Xちゃんから天使ちゃんたちを取り上げなくなりました。

 沙っちゃんとIちゃんが、熾烈な天使ちゃん争奪戦を繰り広げていたことは、結果的に、Xちゃんをいじめから助けていたのです。
 先生の指導は見事に、いじめのブレーキを破壊し、アクセルを踏み込む内容だったのです。


 本物の先生は、たぶん、これくらい指導力が低いのがふつうです。
 この先生は、そんなに特別、だめな先生ではなかったと思います。
 『おとななのに、みんな、そんなにバカなの!?』と思うくらい、トンチンカンでふつうなのです。
 だって、先に生まれた、同じ人間が『先生』だから。
 だから、被害者は先生が間違えないように、誰に何をされて困っているか、先生にどうして欲しいのか、子供でもわかるように説明しないと、なかなか、うまくいきません。

「NちゃんとKちゃんが、Xちゃんを※★$%と呼びます。とてもつらいです。やめて欲しいです。でも、勇気が出なくて言えません。先生から、言ってもらえないでしょうか」

 これだけ言えたら、勝ったも同然です。
 だけど、これだけの言葉を組み立てて先生に伝えるチカラなんて、誰だって、子供のうちは持っていないのがふつうです。
 だからこその訓練、だからこその学校です。
 もっと、たどたどしい言葉になってしまうとしても、自分なりのせいいっぱいで、お友達や保護者、先生に伝えてみることから始めましょう。
 おとなはなるべく、子供のSOSに気付いて、必要な情報を引き出してあげましょう。
 大切なのは、一歩ずつでも、前に進んでいくこと。


 いじめの相談は、結局のところ、保護者や先生に問題があると上手くいきません。
 逆に言えば、いじめが解決しない場合、問題はたいてい、おとなにあります。ほとんど、子供の問題ではありません。
 被害者の保護者、加害者の保護者、担任の先生といったおとなの誰か、または何人かに問題がある場合に、いじめの解決はとても難しくなります。被害者は自分を責める必要はないし、加害者を責める必要もありません。
 おとなの問題なのに、子供の問題だとカン違いするから、エスカレートするのです。犯人を間違えているのです。


 白のいじめは誤解の応酬。
 おとなの関係者に、指導力がない場合にエスカレートします。

 黒のいじめの多くは、児童虐待の余波。
 先生が助けてくれないのは、加害者の保護者こそが大人のモンスターだから、だとしたら?
 いろいろなことに、つじつまが合いませんか?
 黒のいじめの加害者は、復讐などせずとも、たいていは被害者に負けず劣らず不幸です。
 自分より強い悪魔にされたことを、自分より弱い相手にするのが、黒のいじめの加害者です。
 黒のいじめに遭遇したら、とにかく、関わらないことです。
 ケンカは同レベルの相手とするもの。
 黒のいじめをするような悪魔とやりあったら、同じ不幸に引きずり込まれます。
 不幸なのです、黒のいじめをする子は。
 その子を助けてあげられるほど、強い人間がいないからこそ、その子は悪魔のまま存在しています。
 児童虐待もまた、黒のいじめの一種です。
 沙っちゃんちの虐待オヤジも、恐ろしい幼少期を過ごしたからこそ、モンスターになったようです。


 ――え?
 自分をいじめている加害者は、絶対に不幸なんかじゃない?
 本当に、それは思い込みではないでしょうか?

 たとえば、沙っちゃんの両親は二人とも、国立大学をストレートで、優秀な成績で卒業しています。
 お父さんは上場企業にお勤めで、外から見れば、完璧な幸せ家族。
 3人の子供たちも学区内トップの進学校から国立大学にストレート。小学校から大学まで、クラスで1番。親戚もそんな人たちばかりです。
 そんな、沙っちゃんちの保護者に問題があるなどとは、近所に住んでいなければ、誰も考えません。たいていの人が、沙っちゃんちの保護者の外面に騙されます。
 ところが、沙っちゃんパパの本性は恐るべき虐待親父で、子供だろうが妻だろうが、逆らえば怒鳴る、殴る、怒り任せにテレビを投げ壊したことさえあります。
 おうちからは父親の怒鳴り声と子供の泣き声、叫び声が絶えず、子供たちはいつも、上の子さえ古着ばかりで、みすぼらしいかっこうをして、お小遣いも与えられていない。
 そんなことが現実にあるのです。

 たぶん、加害者の不幸など想像もつかない人が多いと思うので、ここで、黒のいじめ(児童虐待)をする人間が、どんな人生を生きたというのか、少年を虐待オヤジになさしめた苦労と恐怖を見てみましょう。
 不幸は父方の祖父、虐待オヤジのお父さんまでさかのぼります。
 父方の祖父は、子供3人つくるだけつくって、他に女をつくって家を出たきり、養育費も入れないロクでなしだったそうです。
 父方の祖母は、女手一つで、苦労して苦労して子供たちを育てたけれど、もう本当に貧乏で、生きることがつらくて、ある日、ついに、沙っちゃんパパを抱いて入水自殺、無理心中をはかったそうです。
 沙っちゃんパパは「死にたくない、いやだ、死にたくない!」と全力で抵抗したそうです。
 おばあちゃんはとても、そんな沙っちゃんパパを水に沈めることができなくて、あわや、無理心中は未遂に終わったそうなのですが。
 生活の苦しさは変わらず、沙っちゃんパパはそんなおばあちゃんに、一日も早く育ててくれた恩返しをしたい、ラクな暮らしをさせてあげたいと、必死にガリ勉して国立大学まで進学し、社会人になって結婚し、おばあちゃんへの仕送りを開始したのだそうです。
 それだけならば、美談です。
 でも、遠方に住むおばあちゃんに優しくする一方で、沙っちゃんパパは家庭内では、仕事のストレスを当たり前のように妻子にぶつけ、お金がないと死ぬことになるというトラウマからひどくお金に執着し、妻子の無駄遣いは100円さえ許さないという、異常なドケチ親父として君臨していました。しかも、本人がガリ勉するのは構いませんが、沙っちゃんパパは同じ姿勢を子供にも要求しました。子供が朝から晩まで勉強していないと、怒鳴る、殴る、破壊する。
 自分が殺されかけたものだから、「死にゃあせんわい」で、苛烈ないじめや虐待も、何でもないことと考える。

 黒のいじめは誰かが断ち切らなければ、どこまでも、連鎖して続いていきます。
 「これだけのことをされたんだから」「これだけの苦労をしたんだから」と、他人にも同じ不幸や苦労を強いなければ気の済まない人のいる限り、どこまでも不幸は連鎖し、悪魔にチカラを与えます。


 だから、沙っちゃんは悪魔がどれだけ暴れようと、天使を祝福することを考えます。
 悪魔の息の根を止めることは、法律で認められていません。
 ならば、悪魔の攻撃をひらりとかわしたり、防御したり、悪魔を災害ととらえ、乗り越える力を身につけるしかありません。
 悪魔など、地震カミナリ火事オヤジだと思えばいいのです。災害です。
 悪魔をこらしめる代わりに、天使を祝福し、天使にチカラを与えたらいい。
 だって、地震をこらしめる努力など無駄でしょう?
 地震が起きても大丈夫なように、天使たちで助け合うことが大切です。
 ひとの役に立つ力、ひとに感謝される力を身につけることが、いじめを解決する近道だと、沙っちゃんは思います。

◆ 次回予告 ◆
【Act.5】 ニコチン王国