安全保障関連法案を審議する衆院特別委員会は中央公聴会を終え、いつ採決するか、与野党の攻防が激しくなっている。

 しかし、法案への国民の理解はいっこうに広がっていない。

 朝日新聞社の最新の世論調査によると、今国会で法案を成立させる「必要がある」という人は19%で、「必要はない」は66%。安倍首相による法案の説明が「丁寧ではない」という人は67%で、「丁寧」の15%を大きく上回った。

 「決めるべき時は決める」と首相はいう。だが、多くの憲法学者や内閣法制局長官OB、幅広い分野の有識者や市民団体が「憲法違反」の法案に対し、反対の声をあげ続けている。

 国民の理解が深まらない中での採決に同意することはできない。憲法論だけでなく、日本の安全をどう守っていくかの観点からも、国会での議論は多くの根本的な論点を積み残していると考えるからだ。

■憲法を外交に生かす

 一連の法案の、安全保障上の最大の目的は何か。

 米国のパワーが相対的に低下しつつある分を、自衛隊の支援によって補う。それにより、台頭する中国との軍事バランスを保つという考え方だろう。

 日中関係は確かに一筋縄ではいかない。

 だが冷戦期のソ連と異なり、中国は明確な「敵」ではない。米中は、そして日本も、経済を中心に相互依存関係にある。

 これからの日本は、中国といかに向き合うのか。この根源的な問いに答える議論が、十分になされたとは言い難い。

 何より懸念されるのは、日中の偶発的な軍事衝突がエスカレートし、拡大する事態だ。

 日米を軸とした防衛協力の信頼性を高めること。外交的に無用の摩擦を避けること。軍事的に具体的な危機管理策を整えること。それぞれに重要だ。

 そのうえで、さらに大事なことは、日中の両国民が一定の信頼感を保つことである。首脳同士がなかなか会えない現状を改めることこそ、互いの国民が安心感をもつ第一歩だ。

 戦後70年の節目の年である。韓国との関係も含め、日本の政治指導者の歴史認識をめぐる疑念が、周辺国との安全保障に影響を及ぼす負のサイクルは終わらせる必要がある。

 だからこそ、日本国憲法を日本の外交戦略の重要なツールとしたい。侵略と植民地支配の反省を踏まえ、専守防衛に徹する国際約束の意味を持つからだ。

■国力に応じた道筋を

 安全保障上、日本ができることには限りがある。

 米国が期待する南シナ海での自衛隊の活動拡大に踏み込むとなれば、日本は財政的、人的負担に耐えられるのか。肝心の日本自身の安全は守れるのか。

 人口減少、少子高齢化、巨額の財政赤字という日本の国力の現状とどう折り合えるか、ここでも国会の議論は足りない。

 南シナ海を「対立の海」にしてはならない。シーレーン防衛は本来、国際社会として取り組む課題だ。長期的には、日米豪、東南アジア諸国連合(ASEAN)、さらに中国も加える形で協力しなければ安定した地域秩序は築けない。

 そのために日本がどんな役割を果たすべきなのか。聞きたいのはそんな本質的な議論だ。

 11本もの法案を一度に通そうとする手法が、大事な論点を見えにくくしている面もある。

 中東ホルムズ海峡の機雷掃海が焦点になる一方で、尖閣を想定したグレーゾーン事態の議論は、民主党と維新の党の対案提出で緒に就いたばかり。

 海上保安庁では対応できない場合、どうするのか。自衛隊の行動を広げることが、中国との軍事的衝突へと発展する危険はないのか。日本を守るという意味で重要な論点なのに、議論はまったく生煮えのままだ。

■平和国家日本として

 国際貢献のあり方も議論が乏しい。国連平和維持活動(PKO)については、武器使用基準を実情に応じて見直すなど検討していい点もあろう。

 一方で、近年はPKOの活動が危険度を増しているうえに、法案は他国軍や民間人を助ける「駆けつけ警護」や巡回、検問など危険な任務を可能とする内容だ。現場の実情を踏まえた議論がここでも欠けている。

 戦後70年の歩みの延長線に、「平和国家日本」のブランドをどのように発展させるか。それが、日本がいま大事にすべき大きなテーマである。

 難民支援や感染症対策、きめ細かな貧困対策、紛争調停などに注力してこそ、国際社会での日本の信頼につながる。

 中東で武力行使をしないできた日本に対し、「平和国家」として一定の評価があることは、米国とは違う貢献をなしうる可能性を示している。

 違憲の疑いが濃いだけではない。安全保障の観点からも、数々の重要な論点を置き去りにした採決は決して容認できない。