若隠居から暴れ大名として変貌する男と加賀藩の第11代藩主で加賀前田家12代


主演映画300作俳優の市川右太衛門の「大名シリーズ」の流れで記事は進行していますが、すべてを書くのは大変なのでいくつかにしぼらせてもらいます。大名というタイトルだからといって、主人公が大名であるのかがわからないのも時代劇のよさともいえます。通称「大名シリーズ」もこのようなケースがシリーズ中の二つほどに当てはまるのではないでしょうか。
*前回⇒歴代上位の時代劇映画スターのただらなぬ師弟関係と数多くの大名たち

映画のタイトルが大名だからといって主役=は間違え?


6作目の「あばれ大名」は”前田慶次郎”は大名というよりは史実としては武将には該当するのかもしれませんが、劇中で手柄を立てて徳川家康から「何万石かやる」というやりとりから大名になりえた扱いされているのかもしれません。劇中でとある歌が流れます。その中で”ご存知、前田のお殿様”と人々が歌っています。「あばれ大名」の映画では大名として描かれているように感じます。映画と現実には違うかも知れないですが、作品の中では膨らませてそのようにしているのかもしれません。
市川右太衛門の「大名シリーズ」 計9作(1954~1964) 10年 全て東映京都
     タイトル・役柄
1 1954「変化大名」松平遠江守国久
2 1954「続変化大名」松平遠江守国久
3 1956「やくざ大名」松平五郎丸
4 1957「大名囃子」京極鶴三郎
5 1957「大名囃子 後篇」京極鶴三郎
6 1959「あばれ大名」前田慶次郎
7 1960「あらくれ大名」松平直次郎忠康
8 1961「鉄火大名」後藤又兵衛
9 1964「忍び大名 」石川寅次郎


若隠居から暴れ大名として変貌する京極鶴三郎


4、5作目の「大名囃子」と「大名囃子 後篇」の「大名囃子(前後篇)」は京極鶴三郎という人物が主人公です。作品内では名君であり、市中から慕われていたという始まりの設定になっていますが、架空人物の可能性が高そうです。映画の時代劇には架空と現実(史実など)を重ねあわせる面白さがあります。それが時代劇の良さであり日本人の情緒のよさですが、近年では情緒のよさを作品に反映させることさえも厳しくなってきています。

徳川十一代将軍の徳川家斉(とくがわ いえなり)(生1773~没1841)は俗に子宝将軍と呼ばれ、その公子は四十余人といわれています。幕府は公子の処分に窮し諸藩へ養子縁組を強制していますが、この「大名囃子(前後篇)」内では、押付け養子の一人である徳川斉忠が武州忍松平家に藩主として来たため、邪魔になった京極鶴三郎は若隠居を命じられます。鶴三郎は幕府の陰謀に対して、怒りが爆発して名君から暴れ大名として変貌を遂げていくストーリー展開です。

松平斉省と徳川斉忠、謎の関わり


市川右太衛門の演じる4,5作目「大名囃子(前後篇)」の京極鶴三郎から直接はそれてしまいますが、この作品に登場する徳川斉忠という人物はデータがありません。創作上の人物であるのか誰かや現実の人物を置き換えたモデルを持つ人物である可能性も考えられます。当然、ただデータがないだけの可能性もありえます。
各地への度重なる家斉と姻戚関係にある大名家への厚遇に対する諸大名の不満も噴出させた。このため、家斉が死去した天保12年(1841年)7月には庄内藩などの”三方領知替え”の中止が決定されたと”徳川禁令考”にあるようです。この部分が作品の”京極鶴三郎の若隠居”につながると考えられます。

松平斉省(まつだいらなりさだ)(生1823~没1841)という人物は史実に存在していますが、この斉省が「大名囃子(前後篇)」に出てくる徳川斉忠と設定として近い人物である可能性が考えられます。この斉省が子宝将軍といわれる徳川家斉の子ですが、データの存在していない架空人物の斉忠のモデルである可能性もあります。
松平斉省は11代将軍徳川家斉の二十五男で、武蔵川越藩の嫡子となっている人物です。川越藩主の松平斉典が川越よりも実高の多い領地へ転封を画策していたころからこの養子縁組が実現したようです。作品内の松平斉忠は戦前は松竹映画の小粒なスターで、戦後は名脇役として映画やドラマで活躍した徳大寺伸が演じています。

顔が素晴らしく映えるパンフレット。さすが世界3名だけしかいない映画主演300作俳優の千恵蔵である
昭和31年映画パンフレット 任侠清水湊 片岡千恵蔵 中村錦之助 市川右太衛門 大川橋蔵片岡千恵蔵が清水次郎長を演じ主演した東映オールスターキャストの次郎長シリーズ・4部作の中の1篇「任侠清水港」市川右太衛門も吉良の仁吉で出演。ウィキペディア(Wikipedia)では計3部作になっていますが正確には4作部作です。オールスターキャストの4連作は歴代の日本映画や世界映画の中で”片岡千恵蔵の清水次郎長”だけです。日本映画史にとっても重要な作品といえます

加賀藩の第11代藩主で加賀前田家12代と、仕える男の石川寅次郎


前回に取り上げました9作目「忍び大名」の石川寅次郎、大名ではない可能性はありますが、大名の話にはなるので大名が付いたタイトルなのかもしれません。作中では前田勝丸役を里見浩太朗(当時・郎)が演じています。現実に存在した人物なのかもはっきりしていません。大名の話であっても部下目線から描くというケースです。
前田斉広は(生1782年~没1824年)、加賀藩の第11代藩主であり、加賀前田家12代です。斉広と名乗るまでの改名順は、亀万千→勝丸→犬千代(幼名)→利厚→斉広となっています。「忍び大名」内では、勝丸の名のときに石川寅次郎が仕えはじめるとなっています。この時期に1796年の11月に江戸に出府、12月に幼名を亀万千から勝丸に改名したとされています。 日々探求の励みになります。良ければ⇒ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
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2015/07/11 21:42 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

歴代上位の時代劇映画スターのただらなぬ師弟関係と数多くの大名たち


本当はさっさとランキングを終わらせて、とある企画に入りたいところでしたが長引いてしまいました。、これもいい機会でもあるため、市川右太衛門に関連する映画についての追求をさらに突き詰めをしていこうと思います。

市川右太衛門の演じた大名や大名と関わりがある役たち


市川右太衛門の「大名シリーズ」 計9作(1954~1964) 10年 全て東映京都
1 1954「変化大名
2 1954「続変化大名
3 1956「やくざ大名
4 1957「大名囃子」 
5 1957「大名囃子 後篇
6 1959「あばれ大名
7 1960「あらくれ大名」 
8 1961「鉄火大名」 
9 1964「忍び大名

「大名シリーズ」の役柄
1、2作目の「変化大名」と「続変化大名」は”松平遠江守国久”役
(丹波福知山の七万石の城主であり大名)
3作目の「やくざ大名」は”松平五郎丸”役
(大名の五郎蔵の武州川越の十八万石の後継であり、人呼んで暴れ殿様=大名)
4、5作目の「大名囃子」と「大名囃子 後篇」は”京極鶴三郎”役
(文政天保に幕府の陰謀によって若隠居を命じられた名君の暴れ大名)
6作目の「あばれ大名」は”前田慶次郎”役
(前田利家の甥であり、家康の御前で藩を取り潰そうとした悪を裁く正義の男・大名?)
7作目の「あらくれ大名」は”松平直次郎忠康”役
(家康の息子でありながら、父と敵対した豊臣家に仕えることになる反逆の大名)
8作目の「鉄火大名」は”後藤又兵衛”役
(太閤秀吉亡き頃の福岡の五十二万石、黒田長政の客分で、知行一万六千石の大名)
9作目の「忍び大名」は”石川寅次郎”役
(のちに前田斉広(まえだなりなが)となる加賀藩の第11代藩主で加賀前田家12代となる前田勝丸に仕える男、大名?)

こうして↑の図の役柄などを見ると市川右太衛門という大スターは実に時代劇ファン好みの役をこのころに挑戦して、演じていることから、やはりすごい俳優であったのだと感心させられますが、↑の図の役柄の役の中で右太衛門以外にも”他の人も演じている役が存在します。”

関連4・前回の記事⇒身分の高い役がお家芸の超絶映画スターの理由を解説と晩年
関連の記事3⇒歴代上位の映画スターの市川右太衛門と第4の扉の謎
関連の記事2⇒映画で40年本当のレジェンド・トップランナーとして駆け抜けた2大俳優の輝き②「世界で歴代圧倒的1位の男」
関連の記事1⇒映画で40年本当のレジェンド・トップランナーとして駆け抜けた2大俳優の輝き①「数多くの世界記録を持ち過ぎる男」

大名シリーズと日本第1号の映画の大スター・尾上松之助との見えぬただらなぬ師弟関係


”他の人も演じている役が存在します”については、⇒9作目の「忍び大名」は”石川寅次郎”役も該当しそうです。
(前田斉広(まえだなりなが)となる加賀藩の第11代藩主で加賀前田家12代となる前田勝丸に仕える男、大名?)

例えば、9作目の「忍び大名」で演じている石川寅次郎が該当します。あの日本初の映画スターである尾上松之助(活動期間1909~1927)は日活で作られた「石川寅次郎」(1914)で同じ役を演じています。もちろん、サイレント映画です。当時なので時代劇といわれる作品が定着する1920年代中盤から1930年代ではないため、ある意味の舞台劇の要素が強いものですが、それは今からすれば日本映画のいい意味のらしさなのです。”日本映画の持つ特有の演ずるを重視する部分”には、歌舞伎の要素や文楽の要素などの影響が反映されています。

肩書きを多く持つ伝説の巨匠・マキノ省三と右太衛門や忠臣蔵


さらに「石川寅次郎」(1914)は日本映画の父であり、日本映画の最初の巨匠であり、日本映画の基礎を作り上げたマキノ省三が監督しています。マキノ省三の監督作数は世界で1位の400作以上ともいわれ、尾上松之助と日本初の名コンビを1909年から組んで、サイレント映画の黄金期をトップとして作り上げ、数多くの代表作や監督や俳優などの多数の後輩を育てました。戦後の日本映画の黄金期にも数多くの影響を与えている大人物で、今の日本映画にも数多くの痕跡が残っています。

9作目の「忍び大名」と「石川寅次郎」(1914)は同じ役の石川寅次郎が主役であることから関連があるのではないでしょうか。右太衛門が松之助の演じた役や恩師のマキノ省三の監督作でもあることを知って演じることを希望したのかも知れません。しかも”自身の映画の最後の主演作として選択”しています。最後の選んだ主演作が松之助と省三にゆかりがある作品と関連している事実も真実であり、同じ役を演じている事実も真実として残っています。”先人への恩義を込めた遺作”でもあるのでしょう。


日本映画最初の巨匠・マキノ省三の「士魂義烈 実録忠臣蔵」(1928)は大ヒットしたと伝えられていますが、省三は満足できずにシーンの埋め合わせも兼ねて、マキノ省三が息子のマキノ雅弘に撮られたといわれる伝説の忠臣蔵関連作の「間者」(1928)は、若き日の片岡千恵蔵嵐寛寿郎を起用して製作しています。この「士魂義烈 実録忠臣蔵」(1928)と「間者」(1928)をつなぎ合わせた作品が伝説の忠臣蔵映画「実録忠臣蔵(1928)」なのです。
日本映画の父(マキノ省三伝) (1949年)
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2015/07/02 19:49 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

身分の高い役がお家芸の超絶映画スターの理由を解説と晩年

前回の記事⇒歴代上位の映画スターの市川右太衛門と第4の扉の謎
その前の記事⇒映画で40年本当のレジェンド・トップランナーとして駆け抜けた2大俳優の輝き②「世界で歴代圧倒的1位の男」
その前の前の記事⇒映画で40年本当のレジェンド・トップランナーとして駆け抜けた2大俳優の輝き①「数多くの世界記録を持ち過ぎる男」

時代劇6大俳優と”旗本や大名などの身分の高い役”が得意な映画スター


ランキングから一時離れて、前回に取り上げた市川右太衛門の「大名シリーズ」についてちょっと取り上げてみます映画の時代劇6大俳優(片岡千恵蔵市川右太衛門、長谷川一夫、嵐寛寿郎、阪東妻三郎、大河内伝次郎 左から主演映画作が多い順)の中でも市川右太衛門は数多くの”旗本や大名などの身分の高い役”が得意な映画スターとしても知られています。嵐寛寿郎と阪東妻三郎と差は主演映画が60作以上もあります。息子や孫が4人も芸能界にいるために阪東妻三郎は知名度を高めにメディアが仕掛けている現実もお分かりかと思われます。

旗本や大名などの身分の高い役が得意な映画スター市川右太衛門


旗本退屈男シリーズ」(計30作)(1930~1963年、映画のみ)もそのまんまに”旗本役で身分の高い役”です。下で紹介している通称「大名シリーズ」もそのままですが、”大名という身分が高い役”をすべてにおいて演じています。この二つをあわせるだけでも”身分の高い役を映画の主役で39作の膨大な作数を演じ”、年数では33年の長期、テレビドラマの「旗本退屈男(1973)」を含めると”身分の高い役を43年間の長期”となるだけでも一目瞭然の事実であるとわかっていただけるかと思います。

・市川右太衛門の「大名シリーズ」 計9作(1954~1964) 10年 全て東映京都
1 1954「変化大名」
2 1954「続変化大名」
3 1956「やくざ大名」
4 1957「大名囃子」 
5 1957「大名囃子 後篇」
6 1959「あばれ大名 」
7 1960「あらくれ大名」 
8 1961「鉄火大名」 
9 1964「忍び大名 」

*1~5モノクロ。6~9カラー

市川右太衛門の「大名シリーズ」の2015年CS放送の現在


CS放送の”東映チャンネル”で放送されているのが「大名囃子「大名囃子 後篇」「あばれ大名」「あらくれ大名」のみです。4作とも録画しています。1作目の変化大名などは放送されていません。それと9作目のシリーズ最終作の「忍び大名」も同じく放送されていいない現状。戦後なのでファイムは存在すると考えられています。東映には膨大な映画作品があるため、まだリマスター作業がされていない可能性もあります。歴代レベルでいえば、往年の映画スターである右太衛門、片岡千恵蔵など映画スターの方がトータルでは数多くの面で勝る部分ですが、最近に亡くなった高倉健菅原文太などの方が最近まで存命だったために知名度が高く利益が落ちやすいため、優先にならざる得ない部分も存在しています。つまり、実積が下でも最近の方を優先します。

赤穂浪士 天の巻・地の巻 [DVD]片岡千恵蔵が4度目の立花左近、市川右太衛門が大石内蔵助を演じて、ダブル主演した東映オールスターキャストの代表作の一つ。千恵蔵は現代劇含めれば、6度演じていますが、右太衛門は生涯に1度だけの念願の大石内蔵助を演じています。忠臣蔵映画で大石を主演で演じることは高いステータスの証明でした。映画俳優としての認められたことも意味していたのです。


市川右太衛門の映画俳優を廃業後の晩年と北大路欣也


それでも9作目のシリーズ最終作の「忍び大名」は市川右太衛門が1964年に映画俳優を廃業する引退作ともなっており、HD放送されることが待たれています。その後、右太衛門は「徳川家康(1965)」や「旗本退屈男(1973)」などのテレビドラマで主演を勤め、映画俳優を廃業を宣言したことから極力に主演や出演は避けていて、ほとんど引退、隠居の状態が続きます。息子の北大路欣也が主演した1980年代のテレビドラマの助演やゲストで少しだけ出演している時代劇が存在しています。また、遺作は1990年代前半の北大路欣也が主演したスペシャルドラマ・時代劇の助演です。映画の主演・出演の正式な遺作は1964年の「忍び大名」になります。70歳を越した北大路欣也はようやく父になんとなくに似てきています。それだけ、父は俳優として早くから成熟していました。

市川右太衛門と遺作を巡るややこしい珍作映画の存在


正式な遺作という理由には「ちゃんばらグラフティー」という作品があります。この作品は1981年に公開されており、過去の数多くの時代劇映画からの出演シーンを引き抜いて共演させた要素がある珍しい映画です。この作品は右太衛門のほかにも数多くの時代劇に出演した俳優たちのシーンが引き抜かれていて、正式な出演とはいえないようです。ちなみに2014年に亡くなった高倉健が亡くなったときにもこの作品に引き抜かれたシーンがありますが、出演作に数えられてはいませんでした。彼の場合はこの「ちゃんばらグラフティー」を含めれば、映画出演は205本ではなく、206本になります。

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2015/06/24 19:01 | 超大物俳優COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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