(cache) 解釈改憲は悪か? 安保法案「違憲論」への違和感 慶応大・山元教授に聞く | THE PAGE(ザ・ページ)

 安保関連法案について、3人の憲法学者が「憲法違反だ」と明言した衆議院の憲法審査会は、その後の法案審議に大きな議論を巻き起こしました。参考人として出席した長谷部恭男・早稲田大学教授、小林節・慶応大学名誉教授、笹田栄司・早稲田大学教授が口々に法案を批判したのです。報道も加熱する中、共同通信社が実施した全国電話世論調査によると、安全保障関連法案を「憲法違反」と考える人は56・7%にのぼり、違反していないと考える29・2%を大きく上回っています。しかし、「解釈改憲」は、それ自体が悪だと言えることなのでしょうか。憲法学者の山元一・慶應義塾大学教授は、安保法制の違憲論に対して「違和感を感じる」と語ります。

合憲性と法的安定性を獲得した自衛隊

[写真]安保法制の違憲論に対して「違和感を感じる」と語る慶応大・山元一教授

――9条の解釈変更を前提とした安保法案は、立憲主義に反するもので、違憲だとする見解が多数を占めていますが、どのようにお考えですか?

 この問題を考えるためには、自衛隊そのものの合憲性を判断することが前提となります。歴史的に振り返れば、自衛隊は、 戦力の保持を禁止する憲法9条2項の明文と正面衝突していますから、本来自衛隊は違憲となるはずであり、このような解釈が本当につい最近まで、学説では多数説でした。しかし、自衛隊は今日では合憲性と法的安定性を獲得し、学界の内外で個別的自衛権も含めて多くの人がその存在を法的に認めています。これは、0を1にしたと言えるほどインパクトの大きい出来事といえます。それに比べると個別的自衛権から集団的自衛権ということになると、1から2へ進んだことになります。

――安保法案違憲説に対する違和感は、どのような点に感じますか?

 まず、内閣法制局の解釈自体に対する評価が、ダブルスタンダードなのではないかということです。

 もともと、9条を文字通り解釈すると、日本は軍事的には丸腰でいて、国際社会に安全を委ねるべきという考え方が主流でした。これに対して、当時の内閣法制局は9条の文言をほとんど無視するような形で、実質的に9条の意味内容を空洞化させる技巧性の高い解釈を行い、自衛隊の存在及び個別的自衛権について容認します。この内閣法制局の解釈に対し、野党や憲法学者などは、あるべき枠を逸脱した「にせ解釈」「解釈改憲」であるとして、罵倒に近い批判を浴びせてきました。

 自衛隊は設立当初から軍事組織であって、近年特段装備も変わったわけではありません。しかし、昨年の9月29日、政府の解釈に対して批判的な立場の学者で構成され、長谷部恭男教授や小林節教授も名を連ねる、国民安保法制懇の意見では、従来、自衛隊違憲説に立っていた他の有力な憲法学者も個別的自衛権肯定論に転換し、「内閣法制局の従来の解釈は国民熟議の賜物」とまで評価しています。そして、今はこの内閣法制局の従来の9条解釈を変更しないことが「立憲主義」だとまで言われています。議論の構造として、内閣法制局の解釈を都合良く用いているような印象があり、この点は問題ではないかと思います。

 違憲論者は、解釈が立憲主義に反しないといえるためには、法文の文言自体の枠に加えて、憲法制定者がもともと定めた枠の中に入っていなければならないとしてきました。しかし、条文の解釈が正しいかどうかについては、もともと理論的に論証できるものではないと考えることもできます。政府や裁判所、政党、市民などが、それぞれの政治的、経済的、社会的利害に対する考え方から、それぞれにとって好ましい解釈を行い、自分が正しいと信じる解釈を認めさせるため政治的に闘っていると考えるなら、むしろこうした議論のプロセスを継続していくことこそが、民主主義の営みにとって重要です。学問的な立場からは、しっかりと議論をさせることを促すことが大切です。憲法研究者としては、集団的自衛権容認は100%違憲と言い切って戦闘することが、今回の問題に対して豊かな議論を生み出すことにつながると言えるのかは、疑問を持っています。

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