あめ(夢)の基本
あめ(夢)を見ました
あめ(夢)に
たくさんの人の姿が出てきました
そのあめの情景を見た時
驚いたことに
想っていた以上に
たくさんの人達が
別な人物に見えてることがわかりました
現実で搾取をしてる人達は
あめ(夢)で搾取されてる人の姿に見えて
現実で虐げらてる人達は
あめで虐げてられている人達の姿に見え
現実の警察官達は
あめで警察にいじめられてる人達の姿に見える
そして
現実のやさしい人は
あめでDQN達の姿にも見えていました
一体なんで
あめ(夢)の領域で
人はこんなに現実の姿と違う姿に見えるのだろう?
そう疑問に想っていたら
にぎはやひがでてきて
こんな事を教えてくれました
「
あめの浅い領域では
強い香りよりも
薄くささやかな香りの方が
姿として認識されている 」
(・・;)?
「
本物の強い香りよりも
薄い香りのエッセンスの方が
浅い領域のあめでは
その香りの主を特定する情報と認識されている
」
?(・・;)?
「
人を特定する場合
その者自身が発してる香りではなく
その者の薄い痕跡のような
ささやかな香りの方が
浅い領域のあめにおいては
本物の人と想われるのだ
だから
都会では
本物の存在ではなく
本物のエッセンスを振りかけた者達の方が
本物として認知され
そこに本物が受けるべきエネルギーが運ばれていた 」
(・・;)・
「
すべては
あめというものについての
想い違いからそれは派生した
あめあめあめ 」
(・・;)
「
実は
浅い領域のあめは
人が見ているあめではない
浅いあめ(夢)を見た人間は
自分がそのあめを見たと想っているが
実は浅い領域のあめは
人よりも視野の狭い想念が見ているものだ
それが浅い領域のあめなのだ 」
(・・;)!
「
深い領域のあめ(夢)も
人が見ているあめではない
深い領域のあめを見た人間も
自分がそのあめを見たと想っているが
実は深い領域のあめを見ているのは
人よりも視野の広い想念
人より視野の広い想念が見えてるものが
人にとっての深い領域のあめなのだ 」
(・・;)!・
「
考えても見よ
人が見えているものは目を通してではないか?
人の視点とは
人が肉眼で見ている物に
他ならないではないか
そして人は
眠りにつき
あめを見ている時は
常に瞼を閉じている
だから
あめを見ている時
人の視点であるはずはないのだ 」
(・・;)!
「
そしてあめの領域は
さまざまな想念が見た情報が混在している領域
さまざまな想念が見た情報を
人は 自分が見たと想いこんでいる
だが
表層のあめで見えているものは
実は人よりも視野の小さな想念が見えている物
自分のまわりのちいさな視野の存在であったり
自分の細胞のような存在が見えている物であったりもする 」
(・・;)・
「
そして
ちいさな視野の想念は
強い香りより
ささやかな香りに反応する
何故なら小さな虫が
大きすぎる音を認知できないのと同じ様に
強すぎる香りは
小さな想念の嗅覚に働きかけることができないからだ 」
(・・;)!
「
だから
浅い領域のあめでは
本物の香りよりも
本物の香りをエッセンスとして吹きかけた香りの方が
本物の姿のように見えたりするのだ
いじめられっ子は
DQN達にささやかに香りをつけられることで
あめでDQN達の姿に見えて
DQN達は
いじめられっ子のささやかな香りをつけることで
あめでいじめられっ子の姿に見える
その現象が起こるのは
薄い香りによるものなのだ 」
(・・;)・
「
そして
人の世界は
小さな視野の想念から情報を得ている系譜に
人の現実を運ぶ力がのせられていた
本来小さな視野の想念から得ていた系譜は
運ぶ力はそれほど強くはなかった
しかし
月の緩衝で
そこにおびただしく
現実を運ぶ力がつけられた
そしてそのような系譜の者達が常日頃見ている
浅い領域のあめ
狭い視野で見えたあめの情報で
善人 悪人が決められて
ささやかな香りを元に
本物偽物が区別されていたのだ
いじめられてる者達は
ささやかな香りで いじめをした者のように想われ 現実を奪われていき
いじめをした者達は
ささやかな香りで 虐げられた者のように想われ
そこに助けや 応援のエネルギーが運ばれていた 」
(・・;)・
「
吸血鬼達の多くは
現実を運んでいる系譜の者が
その視野が大きくないことを
体感的に知っていた
だから彼らの目をくらませるために
装いでやさしい者に見えるようなイメージを作ったり
ほんのちょっとだけ やさしく見えるふるまいをした
狭い視野で見てる者達をごまかせれば
そこにおびただしい現実が運ばれる
そして
広く大きくやさしてる者達は
そのやさしさが大きすぎるが故
全然目に入らなかったのだ 」
(・・;)・
「
しかし
小さな想念が見ている物と
大きな想念が見ている物は違う
人体の細胞が見えている領域と
人の肉眼が見ている領域が違うように
視野の狭い想念をごまかせても
視野の大きな想念はごまかせない
自然の想念が
一見人当たりの良い
大犬達を地球から排除しようとするのは
人よりも
視野が大きいからだ
小さな領域でやさしいふるまいをしても
それが長い時間で 引き落とすための行動だとすれば
広い視野の想念からすれば
それはやさしさではなく 醜悪な姿に見えるのだ
だから
大きな視野の想念は
大犬達を醜悪な存在と想い
その存在を地球から排除しようとした 」
(・・;)・
「
大犬達が結界を作ったのは
それが理由だ
人よりも広い視野の想念の情報が届かないように
人のあめで
見えづらいように分断したのだ
それにより
人の多くは ごく一部を除き
深い領域のあめを見づらくなった
そして
人よりも狭い視野の想念のあめばかりを見るようになった 」
(・・;)
「
すべてのあめ(夢)は
自分が見ているようで
自分が見ている物ではない
何故なら
自分の眼は眠っている時休んでいるではないか?
他の想念が見てるものを
自分が見ている気になっているだけだ
たとえあめ(夢)で
自分の姿が見えていたとしても
それは自分が見ている自分ではなく
他の想念が見ている自分なのだ
自分自身が本当に見ているものは
自分の眼で
見えているものに他ならず
あめ(夢)は
自分以外のさまざまな想念
自分よりも小さな想念や
大きな想念が見ているものが混在して
さまざまな想念を介して見せられているものなのだ
それがあめの領域
あめの基本である 」
あめの基本・
(・・;)
「
最後に言おう
人が寝ている時
他の想念が見ている領域のあめを見てるように
他の想念も
寝てる時
人が見ている領域のあめを見ている
すべての想念はつながり
すべてのあめはつながっている
自分が見たものを
他の想念が見て
他の想念が見た物を
自分が見てるように感じる
想念の領域は
自と他の区別が
人が想っている以上に曖昧だ 」
(・・;)
「
あめあめあめ
あめで見えている物は
自分以外の想念が見ている物
そのことを忘れてはならぬ
あめあめあめ 」(あめで聞いたにぎはやひの言葉)