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多重多世界かけ橋学園 作者:吉岡
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1-3

 
 今日の立川の時間割は、初級魔法学、多重世界法学、音楽、弓術、そして今が昼休みだ。
 午後には英語とホームルームの授業がある。初級魔法学は、魔法世界では小学校低学年レベルの授業だという。意外と面白い。

 彼女たちは日本の高校では受けなくてもいいはずの授業ばかり受けているが、かけ橋学園での必須の単位というものがあるのだ。この学園ではあまり試験は重視されない。とりあえず授業に出席し、興味深い話を聞き流しているだけでいい。
 その代わり日本の大学に進学したいと思っている立川は、長期の休みにみっちりと補習が入っている。今年の夏休みもほとんど無く、普通の受験勉強を叩き込まれた。立川は寮生で、帰る所も特に無いので長期休暇の補習に不満は無いが、今日のように普通の授業が一時限しかないと、流石に少し焦った気持ちになる。

 まあ、全体的に不満は無いのだ。

 今日立川は担任教師に呼び出しをされた。別に悪いことをした訳ではない。
 担任教師は社会系科目を担当している女教師だ。しかし仕草などが明らかにただ者でなく、多分なんらかの武術の達人らしい。立川にはよく分からないが、武力に重きを置く他世界出身のクラスメート達はそう言う。


 食堂で昼食を食べてから、のんびり社会科教室へ向かう。軽い足取りで歩いていると、ピッと頭に痛みが走った。

「痛い!」
 思わず頭を押さえて立ち止まった。

「相変わらず汚い髪をしているな」

 立川は声を聞いて誰だか気付いた。というよりも、こんなことを言ってくる人間を、生徒では一人しか知らない。
 立川は一瞬苛立ったが、頭を押さえたままで振り向いて哀しそうな表情を作った。
「何するんですかー、サルシュさん」

 サルシュはセレイガの二つ年上の従兄弟だ。しかしセレイガに入学年を合わせて入学したので、学年は同じである。同じような浅黒い肌に黒髪で、こめかみには仄かに青く色付いた紋様が浮かんでいる。同じ人種だが、明らかに与える印象が違った。
 二歳も年上なせいかもしれないが、セレイガよりも背が高く、体格もある。立川と比べれば大人と子供だ。立川と会うときはいつも苛立った顔をしているが、そうでなくとも常に怒っている気がする。

 単純そうで、セレイガのような不気味で理解しがたい印象は無い。これで演技だったら、立川には到底手に終えない話だが、どうもセレイガと比べれば品が無さそうで、王子様らしくない。
 彼を一言で表現するならば、反抗期の金持ちの坊ちゃんだ。
 同じ学生だということもあり、最も多く立川にちょっかいを掛けてくる人間だった。セレイガよりも分かり易い人間で、立川にとって金づるの典型でもあったが、好意が持てるはずが無かった。

 サルシュは更に立川の髪の毛を掴んできた。子供がおもちゃを掴むような無造作な動作で、立川は生理的に嫌悪を感じる。

 立川はわざと大声を出しながら、手で頭を押さえてしゃがみ込んだ。
「痛い、痛いです。止めて下さい、サルシュさん」

「黙れっ! この偽者の髪で、殿下を騙し、まだ厚顔な顔でうろついているのか」
 立川は怯えて俯いているふりをして、頭にやった手でサルシュの手を思い切りつねった。サルシュはうっと驚いて手を離した。立川は素早く下がって距離を取る。

「おまえ、何する」
 サルシュは手を上げようとしたが、立川は悲しそうな顔で退きながら大声で言う。
「酷いです、サルシュさん。痛いー。どうしてこんなことするんですかー」
「この、バカ女。いい加減にしろ!」

「いい加減にするのは貴様だ」
 長くしなやかに筋肉が付いた腕が横からニュッと伸びて、サルシュの腕を捕らえた。長い黒髪の体育教師、タイランだ。

 タイランは、サルシュの腕を掴んで壁に押し付けた。

「離せ、俺を誰だと思ってる」
 サルシュは捕らえられた子猫のように、教師から逃れるためにじたばたした。

 背は高いがサルシュよりもずっと薄い胸板のタイランは、その抵抗を気にも留めず、腕を固定して離さない。

「僕の生徒だろうが。女生徒の髪を掴むなんて、どういうつもりだ」

 彼はサルシュの担任だ。この学校は体育の授業も体育教師も非常に多いので、立川は彼の担当する授業を受けたことは無い。しかしサルシュに関わって、何度も世話になっているので顔見知りだ。

 立川はぺこりと頭を下げた。

「しかも立川は非戦闘系の一般クラスだぞ。僕のクラスの女生徒とは違う、魔法も使えない、簡単に大怪我をする人間だ」

 タイランは冷静に話しながら、サルシュの腕を強く壁に押し付けた。サルシュはそれが痛いらしく、顔をしかめて逃れようと腕を引っ張るが、教師はビクともしなかった。
 一種の体罰だが、そんなに強い責め方ではない。タイランは冷ややかな口調でサルシュを責めながらも、大したことは言っていない。あまり強く言い聞かせても、サルシュは余計に反抗するかもしれない。この学園の教師はその辺りのさじ加減にかなり慎重だ。

 それにこの教師は、立川の取る立場の意味を知っている。立川はきゃーきゃー言っているほどには、サルシュに怯えても怖がってもいない。立川はサルシュが彼女に絡むたびに手に入る謝礼金を望んでいる。

 生徒達が揉め事を起こした時、あるいは誰かに一方的に被害を与えた時、なされる処分にはいくつかの選択肢がある。
 大まかに分けて、金銭・謝罪・処分・労働。処分はつまり停退学などだが、設備使用の不許可処分などもある。労働はトイレ掃除・草抜き・書き取りなど。学校が処分の重さを規定し、被害者の溜飲が下がり、加害者が実行できるものを選ぶ。

 トイレ掃除など死んでもできないという生徒も居れば、はした金などもらっても困ると言う生徒も居る。
 そして立川とサルシュの場合、金銭一択だった。それはあけすけに言うならば、日本円にして数千円から数万円と言う額だ。
 サルシュではない、セレイガの実家の大人が手を出してくれば、危険度も金額も桁違いだが、そんな事件はそう起こらない。
 サルシュにとってはわずかな金額であっても、立川にとっては貴重な収入だ。きっとサルシュは立川がそのわずかな迷惑料を大喜びし、絡まれる度に嫌な顔をしながらも心の中で、これで何円と計算していることを知らない。

 そしてタイランはそれを知っている。

 タイランはそのことに関しては、微妙にサルシュを不憫に思っているらしい。時折立川を不快そうな目で見ている。立川を軽蔑しているのか、自分の担当の生徒であるサルシュが可愛いのかは知らない。
 立川などはそんな間抜けなことで同情されるなど、更にサルシュが気の毒で笑いが出る。
 とにかく彼は、そろそろサルシュの振る舞いを止めたいらしい。

「サルシュ、もうこんな恥ずかしい真似は止めろ。セレイガにも迷惑が降りかかるぞ」
 その言い方では逆効果ではないのかと立川は思う。実際の有効性は強そうだが、サルシュへの心証的な面では最悪だ。

「何を! 殿下には関係ない!」
 反抗期の坊ちゃんが、鼻息荒く文句を言う。

「貴様が王家の恥になるようなことをすれば、殿下も恥ずかしいだろう」
「俺は恥じるようなことはしていないっ!」
「女生徒の髪を引っ張ることがか」
 タイランは冷ややかな目線で立川とサルシュを見た。なぜ立川がそんな目で見られねばならないのか。

「立川、例の従兄弟は何度か謝罪しに来ているだろう」
 やっぱりこっちに振るのかよ、と立川は思う。タイランは馬鹿にしつつも担当であるサルシュが可愛いらしく、根本的に立川のことは欠片も気遣っている様子はない。

 ここで立川に話を振るということは、サルシュの行動そのものを止める気はあっても、彼の立川への憎しみが増すことは気にしていないのだ。
 立川は少し腹立たしく感じながらも、頷いた。
 まあいい。

「セレイガさん、何度か謝りに来ましたよ、サルシュさんのことで。自分の一族の者が失礼なことをしたから、と。私もセレイガさんは何も悪くないと思うんですけどー」
 気弱そうな笑みを作って見せる。

 サルシュはセレイガを本気で崇拝している。大切な殿下にそんなことをさせるくらいなら、しばらくは大人しくしているだろう。

 立川としては、サルシュが大人しいのでは迷惑料が入らないので困るが、今しばらくは大人しくしてもらっていい。四ツ谷に真剣に忠告されたばかりだ。四ツ谷は本気で立川を心配していた。だから立川も、しばらくの間この揉め事から距離を置いておこう。

「どうして俺じゃなく殿下が」
「私も、セレイガさんに謝罪されても困るんです。困ります。セレイガさんは別に悪くないのに。ただ、その、サルシュさんが」
 おまえが余計なことをしなければいいのだ、と言外に滲ませる。

「俺は悪くない!」
 ならば私が悪いのか、と立川は弱弱しく微笑む裏で冷笑する。
 それは違う。断じて違う。

「サルシュさん、学園には学園の決まりがあるんですよー」
 それを破った方が悪いのだ。もう半年ほどこの学園で過ごしているのに、まだそんなことも理解していないのか。

 多重世界には、そうでなくとも世の中には、立場によって様々な正義と悪がある。多くの善悪が混在する学園では、それらを統合する概念が必要になるので、校則があるのだ。

 つまり、学園が正義。

 サルシュの故郷では彼らの王家が正義だったように、この学園では学園が正義。それは当然のことだ。

 サルシュはくっと顔をしかめてから、何か怒鳴りつけようと口を開いた。逆上して怒鳴るなんて、脳細胞の単純さを露呈している。彼が何かを言う前に、しなやかな腕が彼の口ごと体を締め上げた。
「そうだサルシュ、貴様のやっていることは校則違反だ。校則違反であることも気付かず自らの正義を主張するなど、愚かし過ぎて恥ずかしい」
 吐き捨てるように言いながらも、タイランの口調は気高くどこか上品だ。サルシュのことを、そして立川のことを冷ややかな目で軽蔑している。弱弱しく微笑む立川に対して、立川の演技など見破っていると言いたげだ。

 立川は別に、見破られて困るわけではない。愛想笑いを本当の笑顔だと、勘違いされた方が迷惑だ。立川は勝手にタイランの内心を想像して、勝手に心の中で彼に言い返した。

 サルシュはタイランの長い腕の中で足掻いている。教師は黒い頭を押さえ込みながら、立川に話しかけた。
「立川は、そろそろ髪の先の方、切らないのか」
 立川は教師の悪びれない口調に怒りを感じたが、困ったように笑った。痛んだ柔らかい毛先をいたわるように撫でる。
「まだ短いので、もう少し伸ばしたいですね。……本当に毛先だけを切っても、意味は無いですよね?」
「ああ、女生徒だ、長い方が良いか」

 彼らのクラスは戦闘系のクラスで、武闘派の学生が多く、坊主に近い短い髪の女戦士も居る。授業中に髪が切れたり燃えたりというハプニングも多く、そういった面に無頓着なほうだ。かけ橋学園には、女性の美しい髪は、実際に彼女自身の命と同等に大切だと考える価値観の生徒も居る。地球世界出身の生徒は多いので、立川の価値観などタイランは知っているだろうが。

「あの、私、担任の先生に呼ばれていますから、そろそろ行きますね」
「ああ、悪かった」
「いえ」
 思ってもいないことを。
 立川は微笑んで頭を下げ、まだもごもご言っているサルシュを黙殺してそこから立ち去った。



 立川は軽やかに歩きながら苛立ちを感じていた。立川の髪の毛は、黒と明るい茶色の二色をしている。

 本来は光沢を帯びた濃い茶髪で、明らかに日本人の黒髪とは違った。そのせいで幼い頃から立川は目立ち、何度も嫌な目に遭ったのは言うまでもないだろう。
 そこで結局彼女は、小学校の低学年の頃から髪を真っ黒に染めた。地毛と染めた黒髪が明らかに違う色なので、地毛が根元から生えてくるとよく分かった。根元から何度も何度も染め直しているうちに、立川の髪はすっかり痛んで全く違う髪質になった。

 幼い地肌は強い化学薬品のせいでかぶれ、痛み、酷い状態になった。それでも小学校卒業まで髪を染め続け、かけ橋学園の中等部に入学して、やっと髪を染める必要が無くなった。
 それ以来、立川は地毛を伸ばし続けて、ちょうど長い髪が黒と茶色の二色に分かれるようになった。茶髪の部分だけでやっとショートカット程度になる。

 二色だとやはり目立つので、ある程度髪が伸びれば地毛で揃えようとは思っていたが、急いではいなかった。中等部の十組の生徒達は他人の髪の色が何色でも気にしている余裕など無かったし、立川は寮生で学校外に出ることはほとんど無かった。派手な髪の色でも気にする必要がなかったのだ。

 異世界のかけ橋学園に入学すれば、もっと気にする必要がないと思っていた。この学園には様々な髪の色の人間が居る。金・銀・赤・黒から青や緑、まだら模様だって居る。二色の髪の持ち主は珍しくない。頭のシルエットが明らかに立川の知る人間のものと違う者も居る。立川からすれば、セレイガやサルシュのこめかみの紋様も人間とは違う。
 しかし比較的地味な方の立川だけが問題になっている。それはセレイガが立川に妙な儀式を行ったからである。言い換えれば偶然立川が面倒に巻き込まれたからだ。

 多方面から髪を切って一色にしろ、と言う提案や圧力が向けられる。筆頭はサルシュ達セレイガの故郷の面々だが、別に立川の髪が一色になったからと言って、セレイガの失敗が元に戻るわけでもない。
 立川は髪を切る気は全く無い。長さ的にはそろそろ気っても別に問題ないのだが、問題が無いだけで切る気は無い。どうしてこんなことのために、立川が髪を切らねばならないのか、得する人間が居るのでもないし、一種の意地もある。

 切った方が面倒が無いのに、という先ほどの体育教師のような他人事を装った圧力もある。
 不愉快だ。

 不愉快だが別に良い。面倒でも別に良い。面倒ごとは彼女に金銭を持ってくる。お金を稼ぐことが不愉快なのは当然のことだ。

 人は、働いている時できる限り笑っているべきだと立川は考えている。お客様に笑いかけるのは一種の義務だと思う。スマイルゼロ円は客にとってゼロ円であるだけで、店員にとってスマイルの値段は、きちんと時給の中に含まれているのだ。愛想笑いのできない店員の給料が下がるのは、世の常識だ。

 だから彼女はこの学園では基本的に笑っている。
 不愉快な時、立川は笑っていようと努めるのだ。





「失礼します」

 コンコン。立川はにっこり微笑んで分厚い木の扉を叩いた。

「ああ、入りなさい」

 艶やかな女の声が返って来て、立川はするりと扉の内側に入った。

 中は紙の束と古い本で溢れ返っている、社会科教室だ。十五、六人の社会系科目を担当している教師が使っている部屋だが、今は立川の担任であるメルジュク女史しか居ない。
 部屋の中の本は様々な形の文字で書かれていて、幾冊かは浮いていたり、勝手にパラパラめくられていたりする。社会科教室は他の科目教室に比べれば格段に現実的で、小学校の頃の職員室を思い出すが、それでもやはりファンタジーだ。

「座りなさい。何か飲むかしら。香草茶があるけれど」
 メルジュク女史は無駄の無い動きでポットの方へ立った。絶妙に艶のある動作で、立川には格闘の達人には思えないけれど、やはりただ者ではない雰囲気は理解できる。

「あ、すいませんー。香草茶は苦手なんで、別のものをお願いします」
 立川は注文を付けて大人しく座った。

 この学園で、食べ物に関しては遠慮してはいけない。ハーブティーのことかと思って一度口をつけたが、香草茶は目と鼻にしみる強烈な臭いがする。目が覚める。
 慣れれば美味しいのかもしれないが、無理に飲むようなものではない。我慢していてはキリがないのだ。

「そう。地球世界の生徒はミルクは大丈夫だったわね」
 そう言って、もてなしに冷たい牛乳が出てくる様子は少しシュールだ。立川はにっこり笑ってそれを一口飲んだ。

「それでお話は何ですか」

 女史は小さく頷いた。

「呼び出して悪かったわね。またいつもの所なのだけど、セレイガの国、パテリュク王朝から話が来ているのよ」

 パテリュク王朝、つまりはセレイガの保護者達だ。彼らから学園へ立川に関して様々なアプローチがあった。
 当初は問答無用の引渡しの要求があった。学園は当然断ったが、面会要求になり、立川が直接あったら拉致されそうになった。
 すぐに学園が助けてくれたが、その時は非常に怖かったし、慰謝料の桁がいくつか違った。

 その後も脅迫したり、他の生徒を利用して誘い出したり、寮に忍び込んだり、手を変え品を変え立川に近付いてくる。モンスターペアレンツも真っ青な規模で、学園に対しても圧力を掛けて来た。
 学園は基本的には立川を守ってくれる。誘拐や大怪我からは守ってくれるのだ。しかし別に、パテリュク王朝の方も立川を殺したい訳ではない。殺したからといってセレイガの魔力が元に戻るとは限らないのだ。

 初めは高圧的だった王朝も、徐々に交渉の体制に入って来る。彼らはまず、立川を調べたいのだ。そしてその辺りのことになれば、金と交渉と妥協次第だ。

「どんな内容ですか?」

 面倒で危険なことほど謝礼金の値段は上がる。四ツ谷の忠告を思い出しながらも、立川は尋ねた。

「少し変わった話よ。体育祭の三日目にセレイガとペアで出て欲しいと。二人の実力と絆を見せてくれれば納得できるらしいわ」

 立川は見当はずれな内容にポカンとした。
「私別に、セレイガさんとの間に絆なんてありません。納得して欲しいことも無いです」

「ああ、本当に。何か勘違いしているんでしょう。いつもと違うところからの依頼なのね、パテリュク王朝にも色々な人が居るのだから」
 一枚岩ではないということだ。

 立川はふむ、と考える。
「結局私は何をすれば良いんですか? セレイガさんとペアで、三日目に出場?」

「立川は元々出場する予定ではなかったわね。セレイガとペアで出場してくれるのならば、今回の迷惑料としてかけ橋学園が金一封を出します」

 こういった形の謝礼金はかけ橋学園から出る。

 立川が迷惑を被ってからもらう慰謝料はともかく、それ以外の礼金をパテリュク王朝から受け取るのは怖い。どんな恩を着せられるのかと思うと受け取れない。
 金銭ではないが、宝石や装飾品をプレセントとして差し出されたこともある。換金すれば一生食べていけそうな輝きに心は揺れたが、断固として受け取らなかった。あまりの美しさに逆に恐ろしかったからだ。それにあんなにすごい宝石では、日本でこっそり換金することもできない。
 彼らの金銭感覚で言えばスズメの涙ほどの金一封で立川は十分だ。

「上位に入賞して欲しいとか、そういうことはないんですか?」
「彼らやセレイガは上位に入ることを望んでいるんでしょう。しかしそのような気持ちは立川には関わりのないことだわ。違う?」

 立川は頷いた。

「かけ橋学園は、出るつもりの無かった大会に出るあなたの一日分の労力に対して謝礼金を払います。順位は関係ありません。でも、大会としては上位入賞者にはメダルや、副賞として食堂の利用ポイントがもらえるので、それを目指して頑張りなさいね」

 体育祭の三日目の競技はかなり変わっていて、入賞できる自信は全く無い。更に言えばセレイガも得意そうではない。

 メルジュク女史は何かを思い出したように凄みのある笑顔になった。

「初めは、優勝するようにというふざけた条件があったのよ。我が学園の生徒のレベルはそこまで低くないわ。
 セレイガの魔力が以前と同じであっても不可能でしょう。セレイガは確かに優秀な生徒だけれど、何にでもトップを取れないことを立川のせいにされても困るわ。
 物分りの悪い老人ばかりで、セレイガも苦労しているでしょうね」

 パテリュク王朝の誰に何を言われたのか知らないが、立川はおおむね同意できて苦笑した。
 女史は立川に向き直って真っ直ぐ見つめた。強いながらも思いやりある眼差しで立川に言った。

「勿論、今回のことも立川は受けるも断るも自由です。大会は危険なものではないし、学園もできる限り安全に配慮しているわ。
 しかし彼らの圧力に負けている私や学園の言えることではないけれど、パテリュク王朝と関わることは良いことではないと思うの。あなたがこれ以上関わりたくないと言うのならば、私達は全力で立川を守るわ」


 彼女の声は豊かで美しく、思いやりに溢れていた。彼女の気持ちは嬉しかったが、立川はゆっくり首を横に振った。

 立川はまだ、お金が欲しい。まだ足りない。

「ありがとうございます。まだもう少し、様子を見ます。今回は大会に出ることにしますから、よろしくお願いします」


 大怪我をする、と言った四ツ谷の忠告を思い出した。しかし立川は、もう少し様子を見ればいいと思った。

 彼女は、もう一つの関係者を、忘れていた。

 この学園で、最も侮れない存在のことを忘れていたのだ。
 彼女はにっこり笑って頭を下げた。

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