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「セレイガさん。はい、何ですかー?」
立川は体が引き気味になるのを堪えて、できるだけほがらかに笑いかけた。
セレイガは明らかに日本人とは違う顔立ちをしている、どこかの世界のどこかの国の王子様だ。黒髪に、茶色い瞳、浅黒い肌で彫りの深い顔立ちをしている。その瞳は落ち着いていて滅多に感情を表さず、立川はいつも彼が何を考えているか分からない。
そして地球世界の人間とは、生物学的にも違った生き物だった。その証に彼のこめかみには、花のような形の、薄青い宝石が埋め込まれた紋様が存在する。それは外科手術や魔法で後天的に埋め込まれたのでなく、生まれたときからそこにあるのだという。
今は薄い色合いで、色味が付いたガラスを貼り付けているだけにも見える。しかし初めてセレイガと会ったときはもっと濃い色をしていて、見る方向によって色が変わったり、自ら発光したりするので、非常にファンタジーだった。
「立川君、靴紐が解けている」
立川は言われて顔が引きつりそうになるのを感じた。見れば、足元の運動靴の紐が、緩んで解けかかっている。しゃがみこんで、慌てて結び直した。
「あ、ありがとうございますー」
「立川君。靴は要らないか?」
「……は? え、なんでしょー?」
彼は、浅黒い大きな手で掴んでいた包みを、そっと差し出した。いかにも高級そうな、するするした光沢ある布の包みだ。
「立川君の靴は、よく靴紐が解けている。紐がない靴のほうが、いいんじゃないかと思う」
立川は、意味がよく分からないまま、引きつりそうな笑顔を浮かべている。
「え? 靴、ですか」
「もらってくれないか?」
靴。
それは、その包みは立川のための、靴だということだろうか。
勿論サイズは、彼女に合ったサイズなのだろう。それを、持って来ている。何の為に。
「いえ、そんな、もらえません」
他人から靴なんかを、もらえるはずがない。
しかも何か、明らかに、高そうである。
その外側の包みだけで、今の立川の靴と比べることすらおこがましいような値段がするに違いない。ちなみに今彼女が履いている靴は、地球のかけはし学園の購買部で売っていた、普通のナイロンの運動靴だ。
「だが、こちらの方が、君に似合うと」
靴が、似合うとか、似合わないとか。立川は思わず足元を見た。真顔で言われると妙に恥ずかしい。
靴が似合うとか、似合わないとか、学校の運動靴を見てそんなことを言わないでほしい。
いいや。そんなに気にする程のことか。にっこりと微笑んだ。
「私にはこれで、十分ですからー」
セレイガは不思議そうに、立川の足元を見た。
「立川君、ならせめて、もらってはくれないか」
しつこい。
かけ橋学園には様々な価値観が存在する。学園は互いの価値観を尊重することを学ぶ場だが、その判断が自分の価値観に依るものだと気付いていないことも多くある。
彼の故郷では、靴というのはそんなに重要なものなのだろうか。セレイガの靴を見れば、確かに高級そうにピカピカ光っているが、他の金持ちの生徒たちと比べて特別金が掛かっているようにも見えない。何でできているのか、材質がよく分からない。
制服はどの生徒も共通なので、靴や装飾品には生徒の各出身地の特色が出る。立川が履いている、少し汚れた白いナイロンの運動靴は、確かに安っぽい。同じ地球世界出身でも、革靴の生徒も大勢居るので、すごく安っぽいかもしれない。
「そんな高そうなもの、もらったりなんかできません。それにこの靴、動きやすいんですよー」
立川はにっこり笑ってそう言うと、何か言われる前に踵を返した。
足早に席へと戻った。
『あー、ありえない、面倒臭い。なんであんなに面倒臭いんだろう、あの人。だって、靴って。靴って……』
「立川、日本語でも文句言ってることくらい普通に分かるよ」
「別にいいですよー」
立川は少し声をひそめて四ツ谷にこぼした。
「でも、聞いてましたかー。靴はありえないでしょう」
「なんなんだろうね、靴って。でも、物をあげるハードルが、私達より低いんじゃない。定番のプレゼントなのかもよ」
「本気で言ってますか?」
「いや……」
まっすぐ四谷を見つめて尋ねると、彼女は目線をそらしてごまかした。
「まったく、どうしてあの人いちいち私に構うんでしょうか。こっちだってちょっと気まずいのに」
「プロポーズ断ったからね」
「全く違います!」
「まだ揉めてるの?」
四ツ谷は、興味のなさそうな表情で尋ねた。
「別に、揉めてる訳じゃありませんよ。向こうがちょっかいを掛けて来るだけです。しかもセレイガさん本人じゃなくて、その周りが」
「それは、本人同士の揉め事よりもよっぽど迷惑だね」
「新学期に入ってからはまだ何もありませんから、夏休みの間に方が付いたかもしれません」
まあ、無いだろうが。
ここで言うセレイガの周りとは、彼の友人や取り巻きといった話ではない。彼のお国の王家の関係者や親族と言う意味だ。
セレイガは初対面で立川に対して、実家に伝わる聖なる儀式を行った。
しかし人違いだった。
伝説の儀式だったらしい。
儀式を行った結果何が起こるかも分かっていなかった。ましてや、失敗した時に起こることも。
セレイガは儀式に失敗し、彼が所有していた大きな魔力の大半を喪失してしまった。
セレイガは祖国の次期王として、ほぼ決まっていたらしい。だがそれは、彼の持つ魔力量に裏打ちされた地位だった。魔力を失い、高貴な血筋と魔力の証であった彼のこめかみの紋様は、非常に色が薄くなった。これでは次期王どころか王位継承者候補にも相応しくない。
セレイガの実家の関係者である国の要人や高貴な人々は、初めに卒倒しそうなほど真っ青になり、次に真っ赤になり口を極めて立川をののしった。
立川には何の責任も無いのに。
「まあ、良い金蔓ですよ。学園からよく臨時収入が出るんで。この調子で卒業まで迷惑をかけ続けてくれたら、ありがたいですー」
立川がうっすら微笑みながら言うと、四ツ谷はふんと息を吐いた。
「甘いと思うよ。調子に乗って深入りしてると大怪我するから」
「私が狙って面倒に巻き込まれてるわけじゃありませんよ」
「どうかな。本気で避けようともしてないよね。特に小者相手だと、わざとからかって煽ってる」
「そんなこと」
四ツ谷の言葉に瞬間的に否定しようとするが、思い当たることもあるので黙った。
四ツ谷は本気で立川に忠告してくれている。それに上辺だけで答えを返すのは失礼なことだ。四ツ谷と立川は友人で、共にこの学園で生き残るために奮闘する戦友なのだから。
「でもお金は欲しいですから」
四ツ谷や立川達のように一般人という設備としてこのかけ橋学園に通う生徒に対して、学園は見返りを用意している。この妙な学園で学んだことは、卒業後の立川達にとってほとんど役に立たない。学園生活に手一杯で、受験勉強をしている余裕も無いのだから、彼女達がこの学園に居るメリットが必要だ。
授業料は無料で、寮で生活する上での必要経費は全て学園持ち。卒業後の地球世界の有名大学や優良企業への推薦が用意されている。
こんなおかしな学園に来るからには、地球世界の生徒達にはなんらかの事情と、ここに居る目的がある。
立川は大学に進学して、優良企業に就職し、社会的弱者の立場から抜け出したいと考えるからここに来た。
どれほど苦労しても、妙なことに巻き込まれたって、かけ橋学園で見返りとして手に入れる経済的支援や様々なコネクションは非常に魅力的だった。
学園では、中学高校の間の授業料や生活費の心配は必要ない。しかしそれ以後はまた費用が必要になるだろう。大学進学の支援に、資金をいくらか提供し、いくらかは貸してくれるだろう。しかしおそらく、余裕ある大学生活は送れない。立川は日本に復帰してから、日本の学生の勉強に追い付かなければならないのだ。金は、まだまだ足りない。
「まあいざとなったら、立川にいくらか融通してあげるよ」
「……へ? お金ですか」
四ツ谷がこの学園に居る目的は金銭ではない。彼女も別に裕福ではない。しかし学園からの援助を深刻には必要としていない、かなりドライなポジションだ。彼女がこの学園に通う目的は、真面目に高校を卒業しておきたかったと言うものはあるだろうが、おそらくは好奇心だ。知人のコネで頼まれて入学したという、一種の物好きだ。そういうタイプの生徒も毎年一定数存在するのだと言う。
「私もうちの王子様からは度々迷惑を掛けられてる。卒業前には金品をいくつか巻き上げるつもりだから、日本で換金したらちょっとした財産になると思うよ」
「それって校則違反……じゃなくて犯罪じゃなかったですか」
四ツ谷は好奇心と同情を理由に、何度か面倒ごとに巻き込まれている。彼女は平然としているが、その頻度と規模は立川とは比べ物にならない。
「四ツ谷、私のこと言える立場じゃないですよね。四ツ谷はそっちの王子達に、思いっきり深入りしてるじゃないですか」
「だから経験者からの忠告じゃない」
四ツ谷はしらっとした顔で言ったが、立川はおそるおそる尋ねた。
「もしかして、大怪我したことがあるんですか?」
そんな話は聞いたことが無いが、学園が隠している可能性もある。
学園は、一般人の生徒の安全には非常に気を配っている。生徒が度々大怪我をするような噂が立っては、少なくとも日本のかけ橋学園にはろくな生徒は集まらなくなる。この世界なら、大怪我を素早く直す魔法も、隠す手段もいくらでもあるだろう。
「大怪我って程じゃないけど、ちょっとした怪我はよくある。死ぬかと思ったことも、何度か」
「えー、大丈夫ですかー?」
四ツ谷は唇の端だけで笑った。
「だから覚悟の話だよ。私はうちの王子達と、みっちり関わる覚悟はもう付いた。将来的にも」
「四ツ谷こそ、プロポーズされたんですもんね」
「それを含めて」
四ツ谷は、入学したての頃美しい王子に求婚されたことがある。銀髪の眼帯をした王子で、まったく漫画のキャラクターみたいな王子だった。いや、宰相の息子だったか。物を見るような冷たい目で他人を見る、ぞっとするような美しい青年で、立川は彼が気持ち悪くて仕方が無い。日本の高校であれば四ツ谷は全校女生徒に総スカンを食らってもおかしくない状況だが、立川は同情せずに居られない。
救いは四ツ谷自身が面白がっていることだ。四ツ谷が魔性の女にも思えてくる状況だが、こう言うからには本気でプロポーズも検討しているのだろう。
王子様からのプロポーズなんて、一生に渡っての面倒ごとだ。
「でも覚悟が決まってないのなら、大物が動き出す前に、面倒からはできる限り逃げるべきだ。このままで済むはずなんて、絶対無い」
「それこそ私にはどうしようもありませんよ。私が避けたって向こうが面倒を仕掛けてくるんですから」
「そうかな」
四ツ谷は机の中から筆箱を取り出した。
「立川はちゃんと、一番危ないところからは逃げ回ってると思うけど」
そう言って四ツ谷は、シャープペンシルの先をある方向に向けた。
「立川のいやな予感は当たってると思うな。しばらく間が空いたからって油断せずに、今後も慎重に本丸との接触は避けた方が無難だと思うね。動き出したら多分、かなり厄介だよ」
意味あり気に向けた彼女のペンの先には、しっかりと制服を着込んだ優等生らしいセレイガの姿があった。
無表情で冷静そうで堅苦しい、王族であるセレイガ。彼が立川に相対する時は、いつも丁寧で誠実そうだ。自業自得とはいえ立川のせいで強大な魔力を失ったというのに、恨み言の一つも言わない。
「分かってますよ。あんなのがあの人の本当の気持ちだとは思ってません。本当に、全く恨んでないなんてはずはありません。いつ逆恨みで変なことを仕掛けてきてもおかしくない」
立川は彼が気に食わないというだけでなく、本気で彼に不気味な印象を持っているし、警戒もしている。
セレイガは、本当に何を考えているか分からない。誠実に立川に接して、彼の非を真面目に謝罪するから更に分からない。わざとセレイガが周りをけしかけているのではないかと、立川は一度と無く疑ったが、多分それも違う。
セレイガは、王子として相応しく振舞っているだけだ。
他人を恨んだりすることなど正しい行いではない。自らの取り巻きが行った不始末も、王子たる自身が責任を取るべきだ。過去に相手との間で何があろうと、正しくない態度を取るべきでないのだと。彼は王子として、正しく振舞っているのだ。
立川は時々恐怖を感じる。彼の家臣が彼女を誘拐しに来た時、彼の従兄弟が彼女につまらない難癖を付けた時、セレイガは彼女に謝りに来る。彼自身が悪いわけでもないのに、高貴な王子様は立川に頭を下げに来るのだ。それは、彼にとってはどの程度の屈辱なのだろうか。
立川は恐れる。悪くも無いのに頭を下げるたびに、彼の中に降り積もる感情があるのではないかと。彼が王子らしく正しく行動するたびに、彼の心の奥底には立川に対する憎しみが増しているのではないかと、恐怖を感じるのだ。
恨んでいない訳が無いのだ。魔法世界の出身者が、自身の魔力にどれほどの誇りを持っているか、立川は知っている。彼は更に次期国王としての地位まで失おうとしているのだ。
だって立川は覚えている。まだ覚えているのだ。
あの日あの時、跪いたセレイガを。
燃えるように輝く紋様と、それが色を失った時、あの瞬間の彼の表情を。
呆然とした、信じられないという顔。世界の全てを失ったかのような、絶望の表情を、立川は覚えている。
「あの人が私を、憎んでいないはずがありませんから」
立川は強く言い切ったが、四ツ谷は軽く首を振った。
「私はもうちょっと面倒臭い話だと思うけどね」
立川が何のことか尋ねようとした瞬間、チャイムが鳴って朝のホームルームの時間がやって来た。
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