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こわいはなし 作者:宵山 苣子
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うらんでおります

 山里望は、そのとき湯船に浸かっていたという。

 夜9時ほどの時間帯であったが、雪のためだろうか時たま聞こえる水の滴りのほか、外の音は全く聞こえず風呂場はしんと静まっていた。
 湯船に浸かり一日の疲れを癒し、温かい湯の中で昼間に酷使し強ばった筋肉を揉みほぐす。肩まで浸かり、ほぅと息をついた時だった。

"ピンポーン"

玄関のチャイムが鳴った。

 一人暮らし、自分のほかに玄関を開ける者はいない。彼は湯冷めするのを厭い、居留守を使おうと思ったそうだ。

"ピンポン、ピンポンピンポーン"

 しばらくすると、またチャイムが鳴った。

…しつこいな。何かあったのだろうか。

 チャイムの音は鳴りやまない。雪の降る静かな夜では、チャイムの音は風呂場どころかアパート中に響いているような気がした。

近所迷惑だろうか。やはり出た方がいいかもしれない。


 山里は渋々浴槽から出て服を着、玄関へ向かった。


"ピンポーン、ピンポンピンポーン"


 チャイムは鳴り止まない。少し苛立っているような押し方にも聞こえた。


 少し焦りながらドアの前まで行き、ドアスコープを覗いた。

 そこには、真っ暗な闇が広がっていた。


 なんだよ、イタズラか。

そう思い、湯冷めしないうちにと風呂へ向かおうとする。すると、

"ピンポーン"

また、チャイムが鳴った。


 山里は、立ち止まり少し考えてから、イタズラだろうと結論して風呂に向かおうとした。すると、

"ドンドン、ドンドン"

今度はチャイムではなく直接ドアを手で叩く音が聞こえた。

 たちの悪いイタズラだ、と思った。そして、一言文句を言いに行こうと再び玄関に向かったそうだ。



 しかし、彼が玄関に到着すると同時に音は止んだ。まるで外から玄関の様子が見えているようなほど絶妙なタイミングだったという。


ガチャリとドアのチェーンを外し、犯人が逃げないうちに素早く開ける。いい加減にしろ、そういうつもりだった。しかし、その意気込みは肩すかしを食らい行き場を無くした。

 玄関の前には、誰もいなかったのだ。



 見も知らぬ人に馬鹿にされたように思い憤慨した山里は、苛立ったままドアを乱暴に閉めて玄関に背を向けた。




 彼が風呂に入りなおし、再度湯船に浸かろうと思ったときである。

 今思えば、 あれ の気配を初めて感じたのはその時だったそうだ。



 湯船で足を伸ばしているとき、肩に長く茶色い毛が乗っていることに気がついた。細く長い巻き毛である。山里は短髪で金色の髪に染めていたので、彼の髪ではなかった。

 誰かの髪の毛がくっついてきたのだろう。そう思い、特に気にせず無造作に髪を排水口に捨てた。

 しばらくの時間が過ぎてからのことである。山里は、ちらと壁に掛けてある鏡を覗いた。当然、そこには自分の姿が写っている。しかし、鏡に写っている自分に妙な違和感を覚えた。


手であった。

手が、妙なところに写っている。

それは右肩にあった。

右肩に、誰かに肩を叩かれた時のように手が乗っている。


…何かの見間違いではないか…?


鏡から視線を外し、自分の目の前にある手の数を数える。



いち、

にい、



「……………さん。」



耳元で、ぞわりと産毛を撫でるような女の声がした。



きぃん、と耳鳴りがした。

全身は硬直し、動くことを忘れたように固まったままである。

どくどくと波打つ潮騒。
それは自身の鼓動で、徐々に速度を速めていく。

「…の、ぞ……………さん…」

後ろから聞こえる声は掠れ、ごぼごぼと痰が絡まったような音だった。


何だ。

誰だ?

…"望さん"?

そう、聞こえたような気がする。

「ど………………し…て、えぇぇぇぇぇェェェ………………………」

風呂場に生ぬるく響く声は、男とも女ともつかないほど濁っていた。

水の染み込んだ砂の城が崩れる寸前のような、朧気な声だったという。

山里の理性は、崩壊しかけた。

怖い。

何なんだ


…やめてくれ!!




しかし、彼の願いは霧散する。

ぴちゃん、と水滴が天井から落ちる音がした。

ぴちゃん。

…ぴちゃん。

その音と共鳴するように、じわじわと、背中に気持ち悪い感触が広がったのだ。

油の染み込んだ布が密着しているような感触。

硬直状態が続いている二つの腕の下に、ぬらぬらと黒く光る藻のようなものが流れてきた。

それは、若い女性のものであろう茶髪の巻き毛だった。

温かいはずの湯船のなか、彼は背筋に氷をあてたような寒さを覚える。

髪の毛は、山里の後ろから流れてきた。






"ピン、ポーン"






チャイムが鳴った。その時の玄関から聞こえるチャイムの音が、なぜだろうか救いの音に聞こえた。
 山里はぷつんと何かが弾けたように、猛烈な勢いでバスルームから転がり出た。


"ピンポン、ピンポーン"


チャイムは鳴り続けている。

彼は玄関へと走った。

頼む。

誰でもいい。

助けてくれ!!

 そして、ドアを開けるとそこには見知らぬ中年男性が立っていた。

「夜分遅くにすみません。警察の者です。」
そう言って男は警察手帳を見せた。

「…け、けいさつ…ですか…?」

「松本美智代さんの行方をご存じ無いでしょうか。」

「まつもと…?」

「先月から、行方がわからないということで失踪届が出されたのです。…この写真の人なのですが。」


 警察と名乗る男が取り出した写真には、見覚えのある女の顔があった。美人というほどではないが、右目下の黒子が似合う顔立ち。


「さ、さぁ…。見たことはあると思いますが…行方は知りません…。」

嘘ではなかった。山里は、確かに松本美智代の行方は知らない。

 ただ、山里は自分が松本美智代と会話した最後の人物であろうということは分かっていた。

「…そうですか。では、何かありましたらこちらまでご連絡下さい。」

 そう言って男は、数字を羅列したメモ帳を破り渡して去っていった。

 ばたん、とドアを閉め、はぁとため息をついた。

 正確に言うと、彼は松本美智代の行方を知っていた。
いや、予測できた。

しかし、彼にはそれを警察に話せない理由があった。

 …とにかく、美智代の事を警察に話すわけにはいかない。
しかし、先ほどの風呂場での一件で、正直今すぐにでも外出したかった。

…まず、服を着よう。そして近くのファミリーレストランかネットカフェで一晩を過ごそうか…。

 山里は、着替えの服を取りに部屋へ戻ろうと足を動かした。


「嘘を、つくのね…。」

一歩踏み出した時、耳元であの声がした。

 耳元には、息づかいが聞こえるほど近くに何かがいた。

「…うそつき………………。」

怨みがましい声で、声は山里を罵った。

「…………………ひと、殺し…………………。」

山里は、ゆっくり、錆び付いた機械のようにぎしぎしと、後ろを振り向いた。すると,眼前には、眼球が有るべき場所を闇色に染めた女が立っていた。

右目の下に、黒子。

間違いなく、あれは松本美智代だった。

「みィ、つけ、たぁァ………………」

美智代はぐいっと唇を歪ませ、けたけたと甲高く笑った。

ねェ、あたしの目が無いわ。代わりに、貴方のその目ぇ、頂戴………

耳元に響く声は、腐った果実のように甘い声だったという。


 そこから先は、覚えていないという。気が付いたら、一人路上に倒れていたそうだ。



山里望は、殺人事件の重要参考人として取り調べを受けている。


「…それで。睡眠薬を飲ませた後君はどうした。」

「車で、山奥まで連れていきました。…………そして、置き去りにして家に戻ってきたんです。」

「その後は。」

「…知らないです。渓流のある崖の近くに置いておけば、目覚めた後に落ちるんじゃないかと思いました…。」

 犯行の動機は、彼女のストーカー行為だという。

一年前に彼女と別れたのだが、その後も付き纏われ、引っ越しても追いかけ回され復縁を迫って来られた末の犯行だった。

 警察が山里の家を訪ねてきたとき、すでに松本美智代は死後一週間以上は経過していた。
更に五日後、山里の自首と証言より彼女の遺体は発見された。

ひどい状態だったらしい。
山里の目論見通り松本は崖から転落。喉を尖った岩の先に刺さったことによる失血が原因の死だったそうだ。
落ちた衝撃で手足は複雑に骨折し、眼球が両目とも飛び出していた。
驚くことに、現場には壁を上ろうとする彼女の爪痕が残っていたそうだ。
それが生きているうちのものかは、山崎の話を聞いた後では恐ろしくて聞くことが出来なかった。

「あの日以来、夜も眠れなくて…。見てくるんです、美智代がこっちを。…眼球が無いのに目を向けて…。死んでまで、あいつは俺に付き纏うんです…。」

 山崎は取り調べの最後にぽつりと呟いた。

 取り調べが終わり、ガタン、と山里がパイプ椅子から離れた時。

 茶色い巻き毛が、はらりと彼の肩から落ちた。

「美智代は、俺の後をずっと付いてきてるんです…」

憔悴しきった表情に無理な笑みを浮かべ、山里は髪の毛を見つめた。

何処で間違ったのだろう、それはさながら因果応報という言葉が二人を縛り付けている様に思えてならないのである。

ちょっと話が長くなりすぎましたね。

自分の中ではいまひとつな話です。

ホラーの部分とそうでない部分の采配に難しさを感じました。

それでも何とか書きあげられました。

ちなみに美智代さんは山崎さんに気に入られるようにモテカワを目指しておりました。しかし山崎くんは広末みたいな爽やかな子が好きでした。

悲しいすれ違いですね。
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