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専属奴隷
ハクと理髪師、使用人の三人は今、ガラルに謁見する為に広間で待っていた。
背中まで伸びていた後髪は肩の上で切り揃えられ、前髪で隠れていた瞳も今はすっかり見て取れる。白金色の柔らかな髪は滑るように下に落ち、ハクが動く度にサラリと揺れた。
「女性奴隷寄りの髪型だけど、しょうがないね。この髪質と顔立ちじゃあ、男性奴隷の髪型にはできないよ」
耳にかかった髪を指で払いながら、浴室での理髪師の言葉を思い出す。
これからも自分は女だという誤解を受け続けるのだろう。首輪に刻まれた刻印が、目で自身を男だと証明できる唯一のものだと、ハクは首輪を撫でる。
この髪型にした理髪師を恨めしく思う気持ちも無くはないが、彼も仕事でやったこと。そして評価するのは主人であるガラルだ。ハクに口出しできる余地はない。
その時広間の扉が開き、複数の足音が部屋の中に響く。
当主ガラル伯爵を先頭に、その娘ローザ、初老の男性、最後に護衛三人が入ったところで扉が閉められる。
ハクたちは三人とも頭を下げてガラルが来るのを迎えた。
「頭を上げよ」
すぐそばで聞こえた主人の声に従い、ハクは姿勢を戻す。目の前にいるガラルの両隣にローザと初老の男が侍り、その後ろに護衛が並ぶ。皆ハクを意識しているようで、その視線はハク、特に彼の瞳に注がれていた。
「今回奴隷の髪を切りました理髪師は、前回に引き続きケリィでございます。ご主人様、いかがでしょう?」
使用人の言葉に、ガラルは視線を瞳から髪に移し、揺れる白金の髪を眺める。
「うむ。なかなか似合っているのではないかな。男性奴隷にしては長すぎる気もするが、まぁ問題ないだろう」
締めくくりに「良い出来だ」と声をかけられ、理髪師ケリィは深く頭を下げる。「光栄です」という言葉を添えて。
そんなケリィを見てガラルは満足気に頷き、再びハクぬ向き直る。
「今日からお前は、娘の専属奴隷として働いてもらう。身辺の世話が主だが、時間が空けば他の雑用もすることになる。最初はそこのユイナに習って仕事を覚えるように。ユイナ、頼んだぞ」
「かしこまりました、ご主人様」
ユイナと呼ばれた使用人がうやうやしく礼をする。
返事を聞くなり、ガラルはこちらに背を向けて扉へと向かう。
「ケリィ殿の報酬をご用意いたします。ロビーにてお待ちください」
ガラルの後ろに侍っていた執事はケリィにそう告げると、主人に追従して部屋を出て行く。
「では、お嬢様。私はこれにて失礼いたします」
「ご苦労様でした」
父に付き従うことなく残っていたローザに挨拶を済ませ、ケリィも広間をあとにする。彼は去り際にハクを見、一瞬だけ微笑みかけて去って行った。
護衛たちはガラルと共に部屋を出たため、残ったのはローザ、ユイナ、ハクの三人だけだ。
ローザはハクに歩み寄り、血の気の少ない顔でハクの瞳を覗き込む。『巻き髪』の大きな帽子が僅かに揺れた。
「よろしくね。ハク」
青空を映したような瞳を細め、口元に笑みを浮かべて声をかけてきたローザに対し、ハクは何も言わずに頭を下げた。
その態度にローザは表情を曇らせ、それを見たユイナが、厳しい口調でハクを諌める。
「お嬢様にお言葉をかけていただいたのですよ?奴隷のあなたが無言でいるとは何事です!」
その声を受けたハクはゆっくりと頭を上げ、淋しそうな表情のローザに向き合う。
銀の瞳で彼女の碧眼を見つめ、ハクが口を開く。
「申し訳ございません。奴隷の身である私が、貴族であらせられるローザ様に口をきくなどと、畏れ多いことであると思いました故」
ハクは慇懃に、へりくだった口調で詫びの言葉を述べる。その瞳は、ここに来てから変わることなく銀色のままであった。
それに気づいたユイナは微かに身を震わせる。
奴隷たちは皆、初日は恐れの感情を抱く。自らに拒否権のない身であるから、どんな仕事を申し付けられても従うしかない。
彼らは恐れ、髪でそれを表す。しかし、ここにいるハクはそれをしない。
主人である貴族も、自分が奴隷であるという事実も、彼は恐れてはいなかった。
ユイナが警戒に目を光らせる中、ローザは彼女をよそにハクに笑いかける。
「立派な心がけね。これからは、話しかけたら受け答えしてください。あなたにする、最初の命令よ」
「かしこまりました。以後、そのようにいたします」
ハクの返事にローザは満足したようだ。特に追及することもなく頷いて、「行きましょう」と出口に促す。
ローザに従い歩き出すハクの背中を追いながら、ユイナは一人彼への警戒を強めていった。
「あなたはお嬢様の専属奴隷。お嬢様に付き従い、身の回りのお世話をするのがあなたの仕事です。特にお嬢様は体が弱く、体調を崩されることも少なくありません。そのことを肝に銘じて、常に気を配っていなさい」
「わかりました」
廊下を移動中、ユイナが厳しい口調でハクに言う。返事をしながら、ハクは館の地図を頭の中に叩き込んでいた。
途中、廊下を掃除する奴隷たちに出会う。男女問わず皆、服を汚しながら文句一つ言わず、黙々と仕事に打ち込んでいた。
その中にはハクと同室のイサヤもおり、全員ともローザが近づくと手を止め、彼女に向かって一礼する。気付く瞬間、露わになっている髪が一瞬だけ変化したように思えた。
『染め髪』『濡れ髪』『巻き髪』。それぞれ髪質の違いはあっても、皆その髪は重く暗いものへと変わった。
ローザはそれを気にも留めずに通り過ぎ、奴隷たちもすぐに仕事を再開した。
貴族と奴隷。自身も奴隷であるハクは、声をかけることもできず、ローザに従い歩き続ける他ない。
通り過ぎる際にイサヤと一瞬目が合った気がしたが、ハクがそう思った頃には彼女はもうこちらを見ておらず、目も赤毛の髪で隠れてしまった。
ハクが初めて奴隷の仕事を目の当たりにした所で、ローザが大きな扉の前で立ち止まる。イサヤたちによって磨かれたのであろう。扉は埃ひとつなく、表面は顔を映し出せるほど磨かれていた。
ローザは扉に手をかける気配がない。ユイナに肩を小突かれ、ハクは扉を開けるのは自分の仕事だということを理解する。前に出て、ノブに手をかける。重い扉を押し出し、ハクが部屋の中を覗き込む。
そこに見えたのは、窓から差し込む日の光に照らされた私室と思われる場所だった。部屋の全ての家具は一目で高級品とわかり、天井も高く間取りも広い。
「私の部屋よ」
部屋に入ってきたローザがハクに言う。そうだろうとは思っていたが、本人の口から聞くと彼女が貴族であることを思い知らされる。
「あなたの仕事は、毎朝ここに来てお嬢様を起こすことから始まります。決して遅れることのないように」
広間を出てから、ユイナの言葉が厳しくなったように感じられたが、ハクはそれを面に出さずに了解の返事を返す。
相手を怒らせないようにとの配慮だったが、ユイナは逆に一層表情を歪ませた。
「お茶をお願い」
窓際にあるテーブルに座ったローザが言う。座る時、ハクは彼女の椅子を引いて座らせた。
ユイナが返事をして部屋を出る。これは使用人の仕事なのだろうか。
部屋に残った二人は、しばらく無言でユイナの帰りを待っていたのだが。
「ねえ、ハク?」
「はい」
唐突にローザが話しかけてきた。ハクは短く返事をして、銀色の瞳で彼女を見る。
「そんなに警戒しないで。アナタを虐める気はないから」
ハクの目に映ったローザは優しい笑みを浮かべていたが、どこか寂しげで哀しい目をしているように思えた。
「申し訳ございません。お嬢様に無礼を働かないようにと気を張りつめておりました。お許しください」
ハクは頭を下げて詫びるが、まだローザの表情は晴れない。何が悪いのかと思案していると、彼女の方から答えが出された。
「畏まりすぎよ。動きも言葉も。こっちまで落ち着かなくなってしまうわ。普段通りの言葉遣いにして」
奴隷に言うことではないと思った。貴族を前に、いつも通りでいろというのか。
返答に困っているハクに向かい、ローザは指を突き出して言い放つ。
「いつも通りでいなさい。命令よ。それに、返事をして。最初の命令を忘れたの?」
もちろん覚えている。だが、どう答えればいいのかわからなかったのだ。
「もう、どうにでもなれ」と口の中で呟き、小さく溜息を吐いてローザを見る。
「わかりました。そこまで言うなら従いましょう。機嫌が悪くなっても知りませんよ?」
あまりの変わりように、ローザはハクを見上げたまま固まってしまう。口を開けて見つめてくる少女を眺めながら、ハクは自らの短慮を後悔していた。
いきなりの挑戦的な物言い。さっきと一変させた態度。責任逃れとも取れる内容。
命令を受けての最初の発言は、奴隷の領分を全く無視したものであった。不敬罪で捕らえられても仕方が無い。
囚人奴隷となって、政府の管理下で辛い仕事をさせられているところを想像していた時、ハクの耳に笑い声が聞こえてきた。
ローザが口元に手を当て、楽しそうに笑っている。無邪気に見えて、気品を漂わせる笑い方だった。
「アナタって、変わってるわね。普段通りで良いって言った途端、本当にそうするんだもの。アナタみたいな奴隷初めてよ?私から言っておいてなんだけど」
「あ……いえ、私は……」
そう言いながらまだ笑っているローザを見て、ハクは慌てて弁明しようとする。
だが全てを言う前に、「いいの」と遮られたハクは口をつぐむ。「アナタは命令に従っただけなのだから」と。
以前ここにいた奴隷たちも、お嬢様に同じような命令をされて困ったことだろう。奴隷の常識を無視する命令をされたのだから。
ローザはまだ笑みを浮かべている。すっかり上機嫌だ。
「ただ、あまりにも対応が早かったのが可笑しくて。
それにしても、アナタでも慌てる事ってあるのね。慌てたアナタって、女の子みたいで可愛いかったわ」
こんなことまで言ってくる始末だ。ここに来てからは彼女に振り回されっ放しのハクは、最早何から言ったら良いのかもわからなくなってしまった。
それを面白そうに見ていたローザがハクの瞳に目を留めた途端、笑みを消してそれを凝視する。
「ハク、アナタ、その目……」
そう言いながら立ち上がり、ハクの顔に詰め寄るローザ。ハクは息をするのも忘れて彼女の空色の瞳を見つめていた。
「あら、また……」
ローザが呟くのを聞いて、ハクもようやく気付く。彼女の瞳を通してみた自分の目が、うっすらと桃色を帯びてきたのだ。
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