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第13話 衣替えと新居
「い、いかん!シンよ、早くその子を抱えて儂の後ろに!」
アメリアの様子を見た副ギルド長が叫んだ。
「えっ!?何なんですか、いったい」
訳が分からないものの、副ギルド長の言葉に従い、シンはエンジェを抱きあげた。
頬を紅潮させたアメリアは毛染めとブラシを机に置くとエンジェを抱きあげたシンににじり寄る。
「アメリアは大の可愛いもの好きなんじゃ。それこそ、まだ幼い猫や犬などを見つけるたびに拾ってきては家に持ち帰り、母親に怒られたことは数えきれん」
「なんで、そんなこと知ってんですか!」
「……孫娘じゃ。アメリアは儂の」
副ギルド長は溜め息をつきながら、シンに説明した。
「大丈夫、大丈夫。何も怖くないからね。さあ、私のところにいらっしゃい」
副ギルド長は慌てて、エンジェに熱烈な視線を向けるアメリアとシンの間に入り、アメリアを咎める。
「あ~ん、酷い。お爺様、どうして邪魔をするんですか~」
「まだ人に慣れてもいないスカイタイガーの子どもにお前が抱きついて、人に警戒心を持つようになったらどう責任を取るつもりじゃ、この馬鹿者!」
「せめて、5秒だけでも肉球を。尻尾でもいいから触らせて、お爺様」
「儂にそんなことを許可する権限はないわい!いい加減にせんか、この大馬鹿者が!」
アメリアは何とか副ギルド長を出し抜いて、シンが抱えるエンジェに近づく機会を窺う。
「シン、すまんの。ここまでこやつがその子で取り乱すとは……」
「そ、それよりもどうするんです。とりあえず、当て身でも食らわせていいですか?」
「それは許可できん!儂の孫を傷物にでもする気か!」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ!」
冷静沈着な副ギルド長の意外な一面が表われる。
たかが当て身で傷物と言われるとは思わなかった。
傷などは残らない。
せいぜい痛みで悶絶する程度のことだ。
アメリアは副ギルド長にフェイントを仕掛けて、上手く躱すとエンジェを抱えたシンに飛びつく。
「子猫ちゃ~ん!」
素早い。
だが、それは高齢の副ギルド長にとっての話だ。
シンは飛びついてきたアメリアをヒョイッと躱すと、アメリアは勢い余って机に頭をぶつけて、そのまま倒れ込んだ。
「シン……すまんの」
「いえ、こっちこそなんかすいません」
アメリアが起き上がってきたのは、机に頭をぶつけて数分後だ。
軽く意識を失っていたらしい。
アメリアが起き上がるとエンジェはフシャーと警戒の声を上げた。
「アメリア、どうだ。落ち着いたか?」
副ギルド長は頭をぶつけたアメリアに心配そうに声をかけた。
「失礼。少々取り乱しました」
(あれで少々かよ)
シンはアメリアの返事を聞いて、不安に思う。
「それでは、お猫様のカラーリングから始めることにしましょう。僭越ながら、ここは私がそのお役目を承りましょう」
そう言って、アメリアはエンジェに手をワキワキさせながら近づくが、エンジェはシンの後ろに隠れる。
「な、なぜ!?」
「あんたの行動見た後じゃ、そりゃそうなるだろ。俺がやるから貸してください」
シンは毛染めの液体とブラシを指さし、そう言った。
「そんな……無体な」
「いいからよこせ!」
シンは不服そうなアメリアから毛染めの液体とブラシを受け取るとエンジェの毛染めを行う。
当初エンジェはこの明るく薄い青色は母から受け継いだ自分の誇りだと言わんばかりに、嫌々をした。
だが、シンがエンジェを他の人間から守るためだと何度か言い聞かせると、やがて不服そうだが、身動きをするのをやめ、シンの毛染めを受け入れた。
アメリアが持ってきた毛染めの色は金色にも見える薄めの黄色だ。
ジルはエンジェの毛の色が変わるのを「ジルと一緒、ジルと一緒なのですよ」と喜んだが、エンジェはそれを聞いて嫌そうにミャアーと鳴いた。
エンジェの毛染めが終わると30分程度は乾かさなければならず、その間にシンはアメリアからスカイタイガーの飼育などについてのアドバイスを受ける。
副ギルド長から頼まれて、それほど時間を経たずに毛染めの用意と多くの資料から数少ないスカイタイガーの資料を見つけ、調べてきた能力は確かに副ギルド長の秘書にふさわしいものだ。
シンとしては単にエンジェに早く会いたいがために、頑張ったようにしか見えなかったが。
「説明は以上です。おそらくあと2か月ほどもすれば、翼が目立ってくると思いますので、その時はご注意を」
「わかりました。それまでにこいつもある程度は大きくなると思いますし」
「それとこれは説明ではなく、忠告です。シンさんは孤児院などにもよく訪れているという話を他の職員から聞いたことがありますが、遠出をする際などにも孤児院等にお猫様をお預けになるのはやめた方がいいでしょう。スカイタイガーの子どもと気づかなくても、魔物の子どもというだけで狙う者がいるかもしれませんし」
「わかりました。ちょっと面倒だけど、普段から傍を離れないようにします」
「ええ、それがよろしいでしょう」
説明を終えたアメリアはいまだにエンジェに熱い視線を向ける。
そして、シンに振り返り、提案をしてみた。
「ところでシンさん、5分銀貨1枚でどうでしょう?」
「はい?」
「だから、5分お猫様を触る代金として銀貨1枚でどうでしょうか」
「どこの高級娼婦だよ!」
「駄目ですか……確かに稼いでる冒険者にとっては、この金額でははした金に過ぎませんね」
アメリアはしょんぼり肩を落とす。
シンとしても、アメリアのあの最初の行動さえなければ、後はエンジェ次第で許可を出したのだが、触らせて興奮されても困る。
「……では、私がお猫様に触らせてもらう代わりにシンさんが私の胸を揉むということでいかがでしょうか?」
「どこの痴女だよ!」
「痴女ではありません。犬に噛まれたようなもの。むしろワンちゃんには噛まれたい」
「変態過ぎだろ!」
「アメリア、やめんか!」
「だって、お爺様~」
躊躇いながらもとんでもない提案をしたアメリアにシンは突っ込み、副ギルド長も孫娘の馬鹿げた提案を止める。
ジルもさすがにドン引きし始めたのか、いつになく冷たい視線をアメリアに向けていた。
登録した証となる首輪はサイズ調整ができるもので、首輪についている魔石には登録番号などが記されている。
もっともエンジェが成体まで大きくなったときにはサイズ調整してもおそらく足りず、首輪を付け替える必要があるだろうが。
首輪をつけられるとエンジェは不服そうな顔を浮かべていたが、つけられてしばらくすると気にならなかったらしくシンの足下でゴロゴロしている。
「それじゃあ、俺はそろそろギルドから出ます。今の宿にはこいつと一緒には泊まれないので、借家などを探さないといけませんし。ところで、毛染めの薬品とかの代金っていいんですか?」
「こやつが馬鹿なことをした詫びじゃ。できれば、他の者にはこやつの醜態を知らせんでくれんかの」
「いや、さすがにペラペラしゃべりませんよ。それより、こいつの方も口止めお願いします」
「私はしゃべりませんよ。お猫様に危害を加えるような不届きものは、むしろ私が排除します」
「猫じゃなく、虎なんですけど」
「どちらでも構いません。犬でも猫でも虎でも狼でも獅子でも、可愛いものは全て尊いのです」
「そうですか」
アメリアはシンに抱きかかえられたエンジェを名残惜しそうに見つめている。
エンジェはアメリアの方を見てからシンにミャアーと一声鳴いた。
「いいのか?」
エンジェの言いたいことがなんとなくわかるが、もう一度確認をとる。
エンジェは仕方ないと言わんばかりの表情で、こくんと頷く。
「アメリアさん、ちょっとだけならエンジェを抱いてかまいません。優しく抱き上げてください。尻尾とかを強く掴んだりは禁止です」
「その代わり、私の胸を、」
「その話題から離れろ。副ギルド長の眼がこええんだよ。あんたは痴女か!?痴女なのか!?」
アメリアが胸の話をするたびに、副ギルド長の視線が険しくなる。
シンとしては副ギルド長が睨もうが直接的な恐怖は感じない。
だが、これまで培われてきた人脈や権力などを用いた嫌がらせをされるのは困る。
そういったことをする人物ではないとは思うが、世の中には孫や子のことになると常識から外れてしまうような人物もいるのだ。
「さすがはお猫様の飼い主だけあって、紳士的な方ですね」
アメリアはこれからエンジェを抱き上げるために、興奮のせいで少し湿った手汗をスカートでごしごしと拭きながら、感心したように呟く。
(祖父の前で、孫娘の胸を触るとかどんなプレイだよ……頭おかしいんじゃないか?)
「でも、シンさん。もしお爺さんがいなくて、二人きりなら少し迷ったんじゃないのですか?」
ジルはそう言いながら、シンの眼をじーっと見る。
ジルの言葉につられて、エンジェもミャアーと鳴きながら、シンの眼を見つめる。
やましいことはないはずなのに、そんなことを言われだすと、なぜか自分で自分のことがわからなくなり、シンはさっさとエンジェをアメリアに抱かせて、この場から退散しようと考える。
エンジェをシンから受け取ったアメリアはおそるおそるエンジェを抱きしめ、嫁入り前の若い娘にあるまじき恍惚とした表情を浮かべた。
シンは冒険者ギルドを出るまで、一度はエンジェを革袋に隠したが、ひと気のない路地に入るとエンジェを取り出す。
登録したから衛士などに見つかっても問題ないし、他の人がどうエンジェを見るかを確認するためでもある。
エンジェを人に慣れさせていくためにはいつまでも革袋の中に入れるわけには行かないし、大きくなれば革袋に入らなくなるだろう。
シンはエンジェに自分から離れないように繰り返し言い聞かせると、一緒に人通りの多い道に戻り、街の中を歩く。
騎獣登録の首輪を知らなければ、単なる猫にしか見えないためか、あまり注目を集めない。
シンの服装が冒険者のものであるため、エンジェを訝しげに眺める人も何人かいたように見受けられる。
だが、ジルに後ろからついてくる人などがいないか確認させてみたがその様子はない。
とりあえずのところはカモフラージュできているようだ。
シンは店の外にも机と椅子を置いて、野外で食事ができるようにしている店で昼食を済ませると、家を借りるため、業者の下へと向かう。
シンが借家を選ぶ上で動物の入居可能と即日入居できるという大前提の他に、いくつかの条件がある。
狭くてもいいから剣を振り、軽く鍛錬ができる程度の庭があること。
最低限の家具が揃っていること。
そして厳重な戸締りが可能で、それほど治安の悪くない場所だ。
この3つがシンの主な要望だった。
いくつか紹介してもらったが、シンは薬師の老婆の店と孤児院の中間くらいに位置する借家を選んだ。
冒険者ギルドからさほど離れていないのもシンにとっては好印象だ。
月に銀貨10枚の家賃であり、保証金は6か月分。家の中にある家具などを大きく傷つけた場合には、契約解除時にそこから引かれることになっている。
単純な家賃として考えるなら、今までシンが泊まっていた宿よりも安い。
ただ、食事やベッドメイキング、掃除の手間を入れれば安いとは言い難い。
「そう言えば、アルの奴、冒険者になるまでにある程度装備を整えるために小遣い稼ぎするとか言ってたな」
孤児院の最年長者であるアルバートならシンとしても信頼できる。
いずれ合鍵でも渡して、週に2度程度掃除やシーツの交換などをしてもらえるように頼もうかとシンは考えた。
冒険者ギルドを出る前に貸し金庫から引き出しておいた金銭で借家の支払を済ませると、シンは宿を引き払いに行く。
長年住んでいた部屋だけあって、愛着はあったが、エンジェと一緒に暮らす以上はやむを得ない。
シンは宿屋の店主に長年世話になったことの礼を言う。
店主は何かうちの宿で気に入らないことがあったのかと尋ねたが、シンが生き物を飼うことになったとエンジェを見せて説明すると納得してくれた。
「う~、ここのご飯は美味しかったのでそれだけはちょっぴり残念なのです」
ジルは宿屋に併設されている食堂を名残惜しそうに見つめる。
エンジェもジルの言葉を聞いて、興味深そうに食堂の方を向いている。
「そういや、この食堂って持ち帰りはやってないんですか?」
シンはここで寝泊まりしていたせいで、持ち帰りを頼んだことがなかったが、食堂で蓋の付いた大きな木製の容器などに入れて、料理を持ち帰る客がいたのを思い出す。
店主はシンに店内で食事をする客を優先しているため、時間は多少かかるが、持ち帰りもできると説明した。
木製の容器は貸し出す際に料理の代金とは別に大銅貨1枚支払い、返還した際にお金を返してくれるといった形にしているらしい。
エンジェを店の中に入れて、食事ができるような店はあまりボルディアナにも多くはないため、持ち帰りができるというのはシンとしても助かる。
夕食の持ち帰りを頼みに来ることも多そうだから、もうしばらくこの店主との付き合いも続きそうだ。
店主は最近客が混雑していることが多いため、宿の敷地にテーブルや椅子を出して、外でも食事ができるようにしようかとも考えているらしい。
そうなったら、持ち帰りじゃなくて店でも食べていけるなとシンは考える。
ジルもこの宿の味をこれからも楽しめるということで安心した。
シンは店主に9刻(18時)頃に取りに来るからと言って、今日の夜のおすすめ料理の持ち帰りを頼んだ。
宿に置いていた荷物を新居に持ち帰ったすぐ後、シンは孤児院と薬師の老婆の店に赴き、宿を引き払い、これから住む借家のことを教える。
孤児院ではアルバートにいずれ合鍵を作るから、シンが留守中に掃除などをする小遣い稼ぎをしないかと持ちかけるとアルバートは喜んでそれを引き受けた。
孤児院の子どもたちはエンジェに関心を示したが、今日は時間的にあまり余裕がないため、いずれ時間を取って、エンジェも連れてくるとシンは子どもたちに説明した。
孤児院を出て、老婆の店を訪ねたとき、すでに夕暮れだった。
老婆が朝から作っていた、明日配達する薬の用意もできていたので、シンは薬を受け取ると老婆に村の位置を教えてもらい、老婆に依頼を受けたことを証明する紹介状を書いてもらう。
村の名前はランカサス。
ボルディアナから30㎞少々しか離れていないが、低山ではあるものの山村だ。
老婆の話なら魔生の森を日帰りできるシンなら、朝早くに出かければ明日中に帰って来れると説明した。
市場で明日の準備とエンジェに飲ませるためミルクなどを購入した後、シンは宿の食堂で頼んでいた料理の持ち帰りを受け取ると、新居に帰った。
「新しいお家なのですよ!」
ジルは新居に帰るとテンションを上げ、ベッドの上を飛び跳ねて遊ぶ。
先ほど業者と共に家を回った時は、シンに怪奇現象に思われかねないから遊ぶなと言われていたので、おとなしくしていたが、今はシン以外には人はいない。
ジルがエンジェとベッドの上で遊び倒しているのを横目で見ながら、シンは持ち帰った料理などを備え付けのテーブルに置くと、エンジェのミルクを軽く温めだす。
「エンジェ、ベッドの上では爪を立てんなよ!……俺は保育園の保父さんかよ」
ジルとエンジェの面倒をこれから一人で見なければならないことを思うとシンは自分のことをそう表現した。
夕食が終わると今日は早めに就寝だ。
明日の朝早くから薬の配達をする予定だからだ。
エンジェはお腹がいっぱいになったせいか、ベッドの端ですでに丸くなって寝ている。
シンもランプの明かりを消して、寝ようかと思うとジルが声をかけてきた。
「シンさん、シンさん」
「なんだよ」
「……あのですね。ジルの頭をいっぱい撫でてもいいのですよ」
「いきなり意味わかんねえよ」
「エンジェだけ皆から可愛がってもらってずるいのです。だから、シンさんは他の人の分までジルを可愛がるのですよ」
「面倒くさいやつだな」
そう言いながらも、シンはジルの頭を力強く撫で繰り回してやる。
「そんな乱暴な撫で方だと髪の毛が抜けちゃうのですよ」
ジルは口では不満を言いながらも、えへへと笑った。
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