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エピソード2:雅紀(マサキ)
『ピッ』
メールサインだ。
「ん、あっ、援交サイトからだ。」
最近のサイトは便利なものだ。
あたしが載せた掲示板を見て相手はあたしに直接メールを出してくる。
でもあたしはサイト上で返事を出す、そうすることで、こちらのアドレスはわからず、気に入らない時は返事を出さなければこちらの情報は何一つ伝わらない。
もちろん、相手がどこの誰なのかもわからないが、数をこなしていくうちにメールの文章でよい人か悪い人(あくまであたしの基準だが)がわかるようになっていた。
「ん、なになに、30歳独身かぁ、若いのに援交すんのか、彼女いないんだ、よっぽどブサイクなのかなぁ。『さくらちゃん(あたしのHN)の趣味は?』かぁ、まぁ音楽と答えておくかな。ん、千葉在住か、近いな。肝心の援交のこと書いてないなぁ。やる気あんのか?この人は・・・」
一応返事を書いておいた。こっちから援交のことを切り出した。
次の日返事が来た。
「へーこの人もバンドやってたんだ。林檎好きってか、合わせてるのかな。まぁいいや、ん?お金は3万か、悪くはないな。若いけど大丈夫なのかな。でも、文章的に優しそうな人ではあるな。会うことにするか。えっと…」
再び返事が来た。
「来週の土曜日か、時間は合わせるかぁ、どうすっかな。時間はあるけど午前中がいいかな。でもあんまり暇そうだと嘗められるから。『ちょっと午後は友達と約束があるんで午前中10時くらいでどうですか?場所は市川の駅前、あたしは今赤い髪をしていますからすぐわかると思います』っとこれで出方を待つかな。」
高2の頃から髪を染めていた。最初はお決まりの茶髪、徐々に色を抜いていって、かなりキンパに近くなった。
一応あたしの高校は進学校だったからさすがに教師に注意された。
担任の教師はちょっと“憧れ”だったから、その教師に嫌われるのは嫌だったので、次の日から黒く染めなおした。
でも、ちょうど夏休みも近いので再び染めようと思い美容室の人に赤を勧められてその気になって赤くした。
街を歩くとさすがにみんな振り返る。ビジュアル系のバンドの追っかけと思われてたかも知れない。
土曜日になった。朝から少し小雨がぱらついていたけど、止む方向だから、大丈夫だろう。
化粧にとまどった。実は学校の遅刻の原因はこの化粧にもあった。
アイプチが決まらないと何度でもやり直した。
二重の幅が思った通りにならないと絶対に外へは出たくなかった。
その日もやっと決まったのが10時10分前、駅までチャリを飛ばしても10分はかかるからぎりぎりだ。
急いで服を着てチャリにまたがった。
小雨がウザかったが、必死に漕いだ。
駅に着いたときは10時を少し回っていた。
周りを見渡したが、それらしき人はいない。
10分待った。
いない。
声をかけてくるのはキャッチセールスとナンパばかりだった。
赤髪も人目を引くので、さすがにジッと待っているのが辛くなったから、あきらめて15分過ぎに家に帰った。
バッくれられたか、来たけどこの赤髪を見て引いたのかも、と思った。
でも、何か急用かもしれないと思い、念のためもう一度だけサイトにメールを出した。
今までの援交でも何度かバッくれられたことはあった。
実は凄く傷ついた。
相手はあたしを見て汚いと思ったのではないか。
ブスだから声をかけられなかったのでは?ずっとそういう思いを感じて、バッくれられると凄く凹んだ。
一日空いてその人から返事が来た。
《この前は行ったけど、会えなかったね。赤髪の人、探したけどわからなかったよ。
10時10分前から10分過ぎまでいたんだけど…ごめんね。嫌われちゃったかと思って帰ってきちゃったよ。》
あたしが駅に着いたのは10時を5分ほど過ぎていた。
駅の近くのダイエーの前っていったから場所はわかったと思うが、どこかですれ違っているはずの時間だ。
嘘をついているのか、でも、もしかするとあたしがいたのはダイエーの南側だったから、西側にいたのかもしれない。
あまり動くのはよくないと思ってジッとそこに待ったのが失敗だったか・・・。
とにかく返事を書いた。
次の日きちんと返事が来た。
《そうなんだ?じゃあ、待ち合わせてた場所がずれちゃったのかな。もう少し待てばよかったよ。ごめんね。もうチャンスはないよね?》
『もうチャンスはないよね?』か、ちょっとその言葉に惹かれた。
あたしを欲しているという言葉だ。
あたしは求められることには応えたい主義だ。
もちろんお金以外だけど…。
《そんなことないですよ。来週の予定はどうですか?金曜日はいかがですか?もしよろしければ今度は夜にしませんか。
あと念のため、あたしの携帯のアドレス送ります。携帯の方でお返事ください。》
我ながら積極的だと思った。
たいてい携帯は会った後にアドレスを教えて、次の時の備えにするのだが、今回は何故か会う前に送った。
さっそく次の日に返事が携帯に来た。
さらにあたしは
《顔がわからないと困るでしょうから、写メ送りますね》
といって写真を送っておいた。
顔を見て嫌われたらどうしよう。と内心思ったが、すぐに返事と共にその人の写メまで届いた。
ちょっとうれしかった。
メールには『さくらちゃん、かわいいね』と書かれていた。
その人の顔も優しそうだった。
眼鏡をかけて少し逆光のせいかはっきりは見えなかったが、スーツを着ていたようだ。
真面目そうな感じだ。生理的に嫌なタイプではなかった。
金曜日、6時を回った頃、総武線に乗って千葉に向った。
この前は市川に来てもらったのでお返しにあたしが千葉まで行くことにした。
その方が確実に会える気がした。何の根拠もないのだけれど…
待ち合わせは7時、駅のロータリーで会うことになっていた。
あたしはオゾンのジャージにヒスのデニムパンツを履いていた。
髪は結ばずにストレートで横分けをして少し大人っぽくしていた。
その姿も写メで送ったので今度こそ間違いはないだろう。
7時少し前に『さくらちゃん?』と声をかけられた。
振り向くとその人はそこにいた。
写メよりは若い感じがした。
スーツ姿でちょっと大人を感じさせたが、話す感じも嫌ではなかった。
頭の良さそうな人だった。
「とりあえず食事にでも行こうか?まだ、食べてないよね?」
「はい。」
またあたしの悪い癖だ。
人見知りする。
中学まではそんなことなかったのに、心を閉ざし始めてから、どうしても自分から言葉が出ない。
せっかく相手が心を開いてくれてもどう応えてよいかわからない。
その人が『食事』と言ってくれているのに愛想のいい返事が出来ない。
「さくらちゃん、えっと・・・さくらちゃんでいいかな。俺は雅紀、本名だから・・・。」
彼の車に乗って幕張方面へ出向いた。
帰りは送ると行っていたから方向もそちらを選んだのだろう。
「何か食べたいものある?」
「えっ?特には…。」
また愛想のない返事をしてしまった。
妙に緊張する。
今までの援交でも緊張はしていたが、生理的に嫌だったり、ちょっと怖い感じがあったからだったが、
彼には怖さも嫌な感じもなかったがどうしても気軽に言葉が出なかった。
「緊張してる?そりゃそうだよね。一応援交だもんな。緊張するよね。どう?俺、嫌なタイプ?」
「そ、そんなことありません。全然いいです。」
「全然いい、か、ははは、好みのタイプってわけじゃないよね。」
「いいえ、そんなことないです。眼鏡かけてる人好きなんです。」
「あははは、眼鏡かぁ、そりゃ俺自身より眼鏡かけてればいいてことかなぁ。」
また、馬鹿なことを言った。
タイプと聞かれて眼鏡を褒めてもしょうがない。
冷静になれば『馬鹿にしてるのか』って思われても仕方ない。
嫌われたかも・・・。
「俺は、さくらちゃん、好みのタイプだよ。可愛いし、シャイな感じが好きだな。」
「ほんとですか?あたしなんてブスだしスタイルも悪いし、おまけにちゃんとしゃべれないし…。」
「そんなことないよ。可愛いって、十分自信もっていいよ。俺は好みだからね。」
「ほんとに?」
「ほんとだよ。あっ、そうだアーティスト志望だよね。歌、唄うんだっけ、あとでカラオケいこうか?歌聴かせてよ。」
その言葉で急に緊張が解けた。
この人は本当にあたしを気に入ってくれている。
おまけに歌を唄って聴かせてほしいと言ってくれた。
単純だがその言葉があたしを救ってくれた。
それからあとは食事中も会話がはずんだ。
ファミレスでの食事だったが、たくさん食べても喜んでくれるし、
周りの客はあたしの赤髪を見て引いていた気がしたけどその人は全然気にしたそぶりもなく、普通に接してくれた。
さらにはこの赤髪を『似合う』と褒めてくれた。
久しぶりに心が開放された気がした。
彼氏の前でも見せないような笑顔をその人の前でしていた。
カラオケにいって唄った時にはその人は本当に感動してくれたようだった。
「さくらちゃん、いけるよ、アーティスト、俺もアマチュアだけどバンドやってたし、これでもオーディションも受けていいセンいったんだぜ。その俺の目から見てもうまいよ。ほんとお世辞じゃなくなれるよ。アーティストに。」
嬉しかった。
何より歌を褒められることが、あたしのすべてを褒められていることと一緒だったから。
いままでも援交相手とカラオケに行って歌を聴かせたが、皆うまいとは言ってくれてもどこか『そのあとのこと』を考えてのお世辞にしか思えなかった。
酷い時はホテルでコトが終わった後にホテルのカラオケで歌ったら『声がうるさい』と言われそのまま唄うのをやめてしまったこともあった。
でも、この人は心の底から本音で言ってくれていると感じた。
すでに時計は11時を回っていた。カラオケに3時間もいてしまった。
車の中で少し沈黙があったあと
「どうする?ホテル行く?遅くなっちゃったけど大丈夫かな?」
「あっ、はい、大丈夫です。」
「でも、おうちの人、心配しない?だって女子高生だもんね。明日は土曜だけど帰らないわけにはいかないでしょ?」
「・・・・・。」
「だよね…よし!今日はそのまま送るよ。ホテルはやめよう!」
「えっ?」
「やっぱおうちに帰ったほうがいいよ。市川まで送るから。家の近くまで行くから場所教えて。」
「あっ、でも…。」
「いいよ。気にしないで、一応一緒に食事してくれて、カラオケもしてくれたから援交は成立だよ。あとでお金も渡すから安心して。」
ちょっと驚いた。
今までの人は優しいそぶりでも最後はコトに及んだ。
セックスなしで金を払うなんて言った人はいなかった。
もっとも、まだもらってないから嘘かもしれないけど。
この人の言い方はどこか信じられた。
家の近くまで来て車を止めてくれた。
「ほんとに近い?遠慮要らないよ。あぁ、でも自宅を知られたくないかな?」
「えっ、そんなことありません。ほんとに近くなんです。そこ渡ったらすぐなんです。」
「はは、いいよ。さくらちゃんは可愛いね。疑ってなんかいないよ。あっそうだ。」
そう言ってその人は財布を取り出して約束通り3万円くれた。
「あっでも・・・。」
「いいよ。約束だから気にしないで、アーティストになるための資金に使ってね。」
ちょっと心が痛んだ。ほんとは洋服代に消えているとは言えなかった。
そのまま立ち去ればいいのに、なぜか身体が車から降りたがらなかった。
「どうしたの?おうち帰らなくていいの?」
「・・・・・。」
「ん?そうか、帰りたくない時もあるよね。じゃあ少し話そうか。さくらちゃんはどんなアーティストを目指してるの?」
そんなことを聞かれてまた会話が始まった。
あたしの将来の夢やそのためにどうしたいか、高校の卒業はちゃんとしたいとか、でも学校に行けてないこととか、何故かその人には素直に色々なことを話せた。
一時間近く車の中で話していた。
「もう、12時か・・・そろそろ、戻ったほうがいいよね。」
「はい。」
「さくらちゃん、俺ほんとに君を好きになりそうだよ。」
ハッとした。
その言葉を待っていたような気がした。
あたしもその人が好きになっていた。
何か感じる。
その人と会ったことは必然だったような。
一目惚れとかではないけど、何か惹かれるものがあった。
「キスしていい?」
あたしは『はい』とも『いいえ』とも言えず、ただ頷いた。
ゆっくりとその人の顔があたしに近づいてきた。
緊張はしたけど嫌悪感はなかった。
セックスは道具としか考えていなかったけど、セックスのないキスはどこか別に考えていた。
その人の唇がそっとあたしの唇に触れた。
その触れるか触れないかの小さな接点から体中に電気のようなものが走った。
冬の乾燥した日にドアノブでビリッとくるような、うまく表現できないけど、その感覚があたしの下半身にまで響いて、何も触られていないのに濡れてきた。
セックスでも援交では演技しかしていなかったのに、キスだけで濡れた。
ちょっとあせった。
彼氏とのキスでもここまでにはならなかった。
さらに深く唇を重ねてきた。
舌が差し込まれあたしの舌と絡んだ。
頭がボーっとして身体が溶けていくような感覚になった。
やはりその人も男なんだと思った。
次の瞬間あたしの左の乳房に彼の手が触れてきた。
でも荒々しくはなくとても優しく、でも情熱的にあたしの乳房を愛撫した。
そして、次にあたしの股間に手が及んだ。
少し身体をこわばらせたが、彼のキスで再び身体が開いた。
彼の右手があたしの一番敏感な部分をまさぐり始めた。
気が付くとパンツが下ろされてあたしの濡れた部分に直接彼の手が入ってきた。
最初はやさしく、濡れた部分の一番敏感なところを刺激された。
「あっ・・。」
思わず声を上げてしまった。
たまらなく恥ずかしい。
何とか声を抑えた。
考えてみれば車の中だ。
夜中とはいえ、いつ人が来るかわからない。
そんなドキドキ感もあって再び緊張が蘇ったため股間に力が入った。
すると彼は急に手を引きあたしから離れた。
あたしは急いでパンツのチャックをあげて身体を起こした。
「ご・ごめん、キスだけのつもりだったけど、つい…。」
本当に済まなそうにしている彼の姿を見て『可愛い』と思った。
何も言ってはあげられなかったけど、一言「大丈夫です。」と応えた。
言い方が冷たく聞こえたかも知れなかったが、彼は先ほどの冷静さを取り戻したようだった。
「とにかく今日は帰りなね。これ以上一緒にいると俺も本能が抑えられなくなるから。それほど、さくらちゃんは魅力的なんだよ。」
笑顔でそう言われた。
すごく嬉しかった。
『魅力的』なんて言われたのは初めてだった。
「また、会えるかな?」
彼が言ってくれた。
「はい、あたしも会いたいです。」
やっと素直な言葉が出せた。
「ありがとう、今日は楽しかったよ。最後は申し訳ないことしちゃったけど。」
「そんなことないです。あたしも楽しかったです。」
「さくらちゃん…。」
「あっ、あたし・・・本名は神子っていいます。神様の子と書いてミコです。葵神子です。」
「ミコちゃんか、それも可愛いね。俺は坂下雅紀、よろしくね。ミコちゃん。」
「はい、ありがとうございました。おやすみなさい。」
「おやすみ。」
車を降りたあたしはちょっとだけ彼を振り返ってすぐに家の方に駆け出した。
なんかすごく恥ずかしかった。
でも、悪い気持ちの恥ずかしさではなかった。
中学生の時、初めて異性を意識した時のような快い恥ずかしさだった。
家に帰るとすぐには寝付けなかった。
雅紀の顔がずっと脳裏に焼きついて離れなかった。
本当に恋したんだろうか?
雅紀の唇の感覚を自分の唇を触って確かめる。
まだ唇の先の方が熱い気がした。
そう思ったら急に濡れだした。
最近めったにしたことはなかったのにその日の夜は自分を慰めた。
中途半端だったから身体が求めてしまったのかもしれないと、この行為を肯定して自分の罪悪感を打ち消した。
頂点まで達した後、そのまま眠りについてしまった。
次の朝、雅紀からメールがきた。
嬉しかった。
その日は学校に行けた。
でも、学校の中に入ってから急に怖くなった。
知っている人たちなのに、“この人たちはあたしを知らない”ような気がした。
2時間目の終わりに帰った。
もちろん家に帰るのではなく、またふらふらと都会の方に足が向いてしまった。
財布を確かめてみると昨日雅紀からもらった3万しか入っていない。
財布の中が少なくなると凄く不安を覚えた。
普通の女子高生なら3万もあれば多いほうかもしれない。
でもあたしには少なかった。10万くらいが入っていないと怖かった。
「ねぇ、君学校もう終わったの?ちょっと遊ばない。あっ、もちろんタダとは言わないよ。」
サラリーマン風の30代後半くらいの男が声をかけてきた。
黙っていると、
「ねぇ、いいだろ、何かやることなさそうだし、暇なんだろ?ちょっと付き合ってよ、悪いようにはしないからさ。」
そういうと強引にあたしの腕を取って歩き出した。
『まっ、いっか、男の言うようにどうせやることないし、財布も淋しいからちょっとお小遣い稼げば…。』
そう思って何の抵抗もせずについていった。
男は案の定ホテル街へと歩みを進めていった。
そう思っても止まる気はなかった。
どうせヤリさえすれば、金をもらってサヨウナラだろうし。
その時、メールが入った。雅紀からだった。
《何してるの?あっ学校だよね。今日は仕事が多くて大変。ミコも授業はだるいだろうけど、がんばってね!》
急に立ち止まったあたしに足をすくわれたように男は後ろにのけぞって転びそうになった。
「な・なんだよ。急に止まるからびっくりしたじゃん。何、ここまで来て嫌になったとかじゃないよね?」
「ごめんなさい。急用ができたの。」
そう言うと呆然としている男をホテル街に置き去りにして元来た道を走って戻った。
後ろのほうで「おい!こら!」と叫ぶ男の声がしたが、振り返りもせずに一目散に走り出した。
渋谷の駅まで戻ったあたしはそのまま山手線に乗って、品川に出て総武線の快速に乗って市川まで戻った。
その時また雅紀からメールが来た。
《そろそろ、午後の授業は終わるのかな?テストってまだだよね。もし、よかったらだけど、今日、晩飯でも食わない?》
『やったぁ!』
心の中で叫んだ。
もちろん、顔は笑ってはいなかったが、自分の心の中の“嬉しい”という感情を久しぶりに思い出した気がした。
約束の時間には少し間があったが、もう千葉駅についていた。
いったん学校から帰った振りをして家に戻って着替えた。
この前、雅紀に会った時はパンツだったから今日は思い切ってミニのスカートにしてみた。
着替えている自分が何かとても浮かれているのに気づいたが、嫌ではなった。
“感情を出来るだけ出さない”
“周りの空気を読んで合わせる”
高校の途中からずっとそうしてきたけど、その気持ちは今でも変わらないけど、今日のあたしは少しだけ違っていた。
時間つぶしのためにスタバに入った。
キャラメルマキアートを頼んでMDの音楽を聴きながら考え事をした。
『雅紀は今日のあたしを気に入ってくれるだろうか?』
帰ってから風呂にも入って化粧もし直した。
そんなことに気づいてくれるだろうか。
期待が膨らんだが、そこでもう一人のあたしが囁いた。
“いつも裏切られるんだから期待しないほうがいいよ”
そうだ、今まで信じた人にはすべて裏切られてきた。
援交相手、彼氏、親、先生すべてあたしが期待をかけたとたんに裏切った。
初めから裏切るつもりだったのだろうけど、あたしには見抜けなかった。
馬鹿なのはあたしだということはわかっていた。
約束の六時半に近づいてきた時メールが入った。雅紀からだ。
《ごめん、もう千葉ついているかな?少し遅れそうなんだ。七時までには必ず行くから。今どの辺?》
『また、裏切られるのかな・・・。』
ふと、そんな気持ちになったが、とりあえず返信した。
《いいですよ。お仕事お疲れ様です。無理しないでくださいね。あたしはいつまででも待ちますから。》
そう返すと再び席に着いた。
あたしはいったい雅紀に何を期待しているんだろう。
ただの援交(正確には未遂?)で知り合った相手、年齢や名前は知っているけど、他は何も知らない。
彼女はいるんだろうか?まさか結婚しているとか?あたしのこと気に入ってはくれたみたいだけど、ただ若いし、援交相手として見てるに過ぎないんだろう。
なんであたし気合い入れて化粧なんかして可愛い服なんか着てきたんだろう。
馬鹿だ、あたし…。
「おまたせ!」
雅紀が目の前にいた。
たぶんあたしの顔はものすごく暗く、醜い顔だっただろう。
やだ、こんな顔見られたくない。
そう思ったが、身体はその場に固まったように動かなかった。
「ごめんね。えっと、20分遅刻だね。かなり前から来てた?」
「ううん、今さっききたところです。」(本当は1時間以上前から来てたくせに)
「そうなの?じゃあ、わざわざ遅らせてくれたんだ。ごめんね。おなかすいたよね。何か食べたいものある?」
「あっ、えっと、何でもいいです。」
「遠慮しなくていいよ。焼肉?イタ飯?中華なんか好き?」
「あっ、じゃあ、イタ飯。」
「よし!じゃあ、場所はしょぼいけど美味しいとこあるから連れてくよ」
そういって雅紀は立ち上がった。
つられてあたしも立ち上がると雅紀がふっとこちらを見て、
「見違えちゃったよ。今日のスタイル可愛いね。似合ってるよ。」
さりげなく言われた言葉だったが、心の中でガッツポーズをとっているあたしがいた。
食事は美味しかった。
場所はデパートのレストラン街だったけど、結構いけてた。
外へ出るとすっかり暗くなって、ちょうど公園のあたりが電飾で光ってた。
「九時かぁ。何時くらいまで平気なの?」
聞かれてちょっととまどったが、
「12時くらいまでに帰れれば。」
「そっか、じゃあ、帰りは車で送ってくよ。いったんうちに寄っていいかな?」
『来た!』
心の中で思った。
やっぱり“えっち”されるんだ。
家に誘われたってことはそういうことだろう。
あたしのことをどういうつもりで誘ったんだろう。
『援交なのかな?じゃあお金くれるってこと?それとも飯奢ったんだからやらせろってこと?そんなに安くないよ。あたしは・・・。』
そんなことを考えて黙っていると。
「あっ?誤解しないでね。急に家に誘ったみたいになっちゃって。車取りにいくのと、ちょっとスーツじゃなんだから着替えたいんだ。何なら玄関で待ってくれてもいいから。」
拍子抜けだ。
すっかり“えっち”のことを考えていたあたしは自分でも顔が熱くなっているのを感じた。
言われるまま雅紀についていった。
「ここだよ。小さなマンションだろ。独り暮らしだから部屋も汚いしね。どうする?ここで待ってる?」
返事を渋っていると、
「女の子を夜道で待たせるのはまずいよな。よかったらおいでよ。襲ったりしないからさ。」
『襲ってもいいのに。』
そう思ってるあたしは少しだけ不満そうな顔をしていたかもしれない。
子ども扱いされたのが妙に引っかかったからだと思う。
「どうぞ、ごめんね。ほんと汚くて。」
確かにきれいとは言えないがあたしの部屋も似たり寄ったりだったからさほど抵抗はなかった。
「あっごめんね。万年床なんだ。よかったらその布団の上に座って。」
部屋は8畳くらいだろうか、真ん中に布団が敷かれてあったので、そこに座るしか場所はなさそうだった。
雅紀が冷たいお茶を出してくれた。
「こんなもんしかなくて。」
やっぱりまだ落ち着かなかったが、居心地は悪くはなかった。
雅紀の部屋、壁に風景の写真が飾られている。
服はきちんとハンガーにかけられていた。
こたつ?だろうかテーブルが一つ。
あとはパソコンがあってなぜか、キーボードが置いてあった。
『そういえばバンドをやっていたんだっけ?でも確かドラムって聞いたけど。』
そんなことを考えていると。
「ちょっとごめん。着替えていい?いきなり脱ぐのは失礼だけど。ちょっとあっちの台所の方に行ってもらっていいかな?」
なぜか恥ずかしそうに言う雅紀を“可愛い”と思った。
『覗いちゃおうっかな。』
そんな悪さをしてみたい気分だった。
「ごめんね。お待たせ、いいよ、入って。」
スーツと違ってちょっと若い感じがした。
確かにスーツの雅紀は大人を感じさせたが、私服の雅紀は子どもっぽい感じがした。
でも、悪くはなかった。
しばらくお互いに会った時の第一印象の話やこの一週間何をしていたなど、たわいもない話をしていたが、ふっとあたしの脳裏に『なんで雅紀はあたしなんかのことを気に入ってくれたのだろう。』という疑問が湧いてきて思わず、
「あたしのことどう思います?」
などという答えにくい疑問をぶつけてしまった。
少し困った様子だったが、
「神子は可愛いし、魅力的だよ。」
と言ってくれた。
内心は『お世辞』と思いながらも嬉しかった。
「可愛い」というだけでなく、また「魅力的」と言われたのはかなり嬉しかった。
「そろそろ、行こうか、あまり遅くなるとおうちの人も心配するだろう。車出すよ。」
そう言われてあたしは、『この部屋にしばらくいたい』と思って返事をしなかった。
「ん?どうしたの?疲れちゃった?外暑かったしね。」
この言葉を幸いと「うん、ちょっと疲れた。しばらくここで休んでいい?」雅紀を試すように言った。
「うん、いいけど・・・あんまり遅くなると家の人心配しない?」
「いいの・・・家の人なんて・・・。」
「なんか家に帰りたくないわけがあるの?」
「・・・・・・。」
「言いにくかったら、言わなくてもいいよ。」
「あたしの親・・・母親は本当の母親なんですけど、父親は義父なんです。」
「・・・・・・。」
「だから、心配なんてしていないし、いつ帰ろうが無関心なんです。」
「そっか・・・でも、お母さんは心配するんじゃない?」
「母親は父を恐れて形だけ文句は言いますけど、本当に心配なんてしていないんです。」
「そうなの?なんで父親を恐れるの?」
「暴力を振るうから。」
「酒乱?」
「なら、まだいいです。飲んでいなくても暴力はふるうんです。」
「そりゃ、最悪だな、神子も殴られたりするの?」
「昔は・・・でも、今はあたしの方が体力あるから殴り返します。」
「えっ?殴り返すの。」
しまった。
あたしは父親のことになるとすごく切れる。
もちろん、暴力なんて相手がしてこなけりゃ返したりはしないのに、雅紀はあたしが酷い女だと思ったかもしれない。
「まぁ、でも、やられたらやり返したいよね。俺だってそうするだろうし、当たり前だと思う。」
予想外だった。雅紀はあたしが「暴力女」だと思って恐れるかと思ったのに。
「神子のしてることは仕方のないことだよ。所詮義父なんて他人だからね。」
なんか言葉がきつく感じた。穏やかな印象の雅紀だったのに、あたしの方が少し怖いと感じた。
「あっ、ごめんね、神子の父親のこと、何も知らないのに、なんか強く言っちゃって。」
「えっ、いや、いいんです。本当のことですし、当ってますから、他人だってこと。」
「実はね、俺、神子に嘘ついてたんだ。」
『えっ?何?嘘?』あたしは動揺した。
でも、何が嘘か検討もつかない。
だってまだ雅紀の何が本当かも知らないのだから。
「俺ね、結婚してたんだ。歳もね、本当は37・・・37歳なんだ。子どももいる。二人もね。上は小学校5年、下は3年生だよ。
もちろん、元妻の方にいて一緒に住んでるから会うことはほとんどないけどね。」
「・・・・・・。」
「離婚したのは2年前、元妻は俺が仕事で忙しくて構ってやれなかったから、淋しかったんだろうね。浮気されたんだ。いや、本気かな。今はその男と結婚してるよ。」
話が飲み込めてきた。雅紀は自分の子どものことを考えてたんだ。
“義父”という言葉に敏感だったのはそのせいだ。
あたしの話と自分の子どものことをダブらせていたんだ。
「そうだったんですか・・・。」
「あっ、ごめんね。つまんない話して、あっ、それと幻滅したよね。歳も誤魔化してたんだから、30なんて、かなり嘘だよね。ごめんね。」
確かに嘘をつかれていたが、まったく嫌な気持ちがしなかった。むしろ今正直に全てを話してくれている雅紀がグッと身近になった気がした。
「ううん、なんか、かえってすっきりしました。でも、全然30で通じますよ。それに、私服だともっと若く見えるし。」
「ははっ、ありがとう。なんか俺もすっきりした。神子ちゃんに嘘ついてるのいやだったし、いつ話そうか考えてたんだ。」
考えてた?
じゃあ、あたしとのことは遊びって思っていないってこと?
遊びなら嘘なんて気にならないはずだし、まさかあたしのこと本当に気に入ってくれてるの?
「神子ちゃんは、俺のことどう思う?」
「えっ?どうって・・・。」
「あっ、ごめん、そんなん言われても困るよね。えっと、一緒にいて違和感、感じる?年齢差とか、ギャップとかさ。」
「えっ、全然、むしろ同級生の男の子より話しやすいです。」
「ほんと?うれしいな。また、デートしてくれるかな?」
デートという言葉に恥ずかしさを感じながらそんな表現をしてくる雅紀がまた可愛いと思ってしまった。
「はい、喜んで。」
「ぷっ、どっかの居酒屋みたいだね。」
「ひどーい、真面目に言ったのにぃ。」
「あはは、ごめん、ごめん、可愛いよ。神子は。」
可愛いとまた言われた。すごく嬉しかったけど恥ずかしさで顔が熱くなるのがわかった。
それから小一時間、お互いのことをもっと深く話した。
あたしの家庭のこと。
雅紀の今までの生活のこと。
どこか似ていた。
“孤独”をずっと感じていた二人が何かに惹かれるように出会った。
そんな気がした。

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