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過去 1
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一度故郷を離れてしまうと、長期休暇で頻繁に帰省しているはずなのに、何年も帰っていない気がしてしまうのはなぜだろう。不意に故郷の景色が懐かしくなったり、家族に会いたいと思ったりするのは、ホームシックにでもなってしまったせいなのだろうか。自分ではそういう自覚はまったくないのだが。
そんなことを考えながら、マコトは故郷の駅へ降り立った。帰省してきた人とそれを迎える家族たちで駅は珍しく賑わっている。田舎の駅はこういう時か年に数回の祭りの時ぐらいにしかこの賑やかさは見られない。人の流れに乗って駅を出ると、夏の日差しがじりじりと容赦なく照りつける。日の光に目を細めて辺りを見回すと、そこに一人の青年の姿を見つけて手を振った。相手の青年も手を軽く挙げてそれに答えた。
「イサメ」
「よぉ」
「久しぶりだね」
「そうだな」
懐かしい旧友との再会だったが、二人の間にぎこちなさはなく、つい昨日も会ったような空気をマコトは感じていた。同じ感覚をイサメも抱いているかはわからないが、そこでマコトはイサメの顔を見て気づく。
「……もしかして、結構待たせた?」
「そんな待ってねぇよ」
「そ、そう?」
特に表情を変えなかったものの、イサメの額には汗が滲んでいた。長時間待たせてしまったのではないかという疑問が頭を過ったが、イサメに即答されてマコトはそれ以上言えなかった。
「じゃあ、俺の家行くか」
「あ、うん」
先に歩きだしたイサメを追って、マコトも歩きだした。彼の背中を追うのは何ヶ月ぶりだろうと、マコトは無意識のうちに考えていた。
駅から二十分ほどバスに揺られ、バス停からじりじりと太陽に照らされながら歩き、二人はイサメの家に辿り着いた。小さな一軒家だが、今はイサメとその妹のミノリの二人で暮らしているとマコトは聞いている。イサメの両親は二年前に事故で他界していた。暑さで参ってしまった二人は、太陽から逃げるようにイサメの部屋へ入った。
「荷物どっか適当に置いといていいから。あ、何か飲むか? 茶と牛乳しかないけど」
「じゃあ、お茶で」
「わかった」
短い返事を返してイサメは部屋を出て行った。あとに残されたマコトは、床に正座をしてイサメを待つ。部屋の中を見回してみるが、以前来た時とあまり変わっていない様子に、マコトは過去に戻って来たような錯覚を覚える。やがて部屋のドアが開き、両手にお茶の入ったコップを持ったイサメが入ってきた。テーブルにコップを置いて、マコトの向かいに胡坐を組むと、扇風機のスイッチを入れた。ファンが回り出し、ゆっくりと首を振り始める。涼しい風が送られてきて暑さが少し和らいだような気がした。
「悪いな、クーラーとかないんだ」
「大丈夫だよ」
「まぁ、飲め。暑かっただろ」
「じゃあ、いただきます」
律儀にも手を合わせてお茶に口をつけるマコトに続いて、イサメもコップを手に取った。喉の渇きをお茶で潤し、マコトは一息吐く。
「ところで、タツキはいつ来るんだっけ」
マコトはここにはいない友人のことを尋ねる。イサメはコップに並々と注がれていたお茶を一息に飲み干してから答えた。
「あぁ、あいつならもうすぐ来るはずだけど」
余程喉が渇いていたのだろうか、とイサメの様子を見てそんな考えが浮かんだ。やはり随分待たせてしまっていたのではないかと再び不安が蘇るが、今更蒸し返すのもどうかと思い、触れないことにした。
「そっか。タツキも泊まって行くんだよね?」
「あぁ」
マコトはお茶を飲みながら、疑問を投げる。
「でも、タツキはどうしてイサメの家に? 自分の家に行ったほうが近いと思うんだけど」
「……約束済ませてから家に帰るって」
約束、という言葉にマコトは顔を曇らせた。
「……明日だね」
「……あぁ」
二人は同じように俯いて、それきり何も言わなかった。
日もすっかり落ちてしまい、蝉の声はもう聞こえなくなっていた。そのかわりに、ゴロゴロという音と共に陽気な声がイサメ宅の玄関に高らかに響く。
「やっほーい! お邪魔しまーす」
「うるさい、近所迷惑だ。早く入れ」
キャリーバッグを引き、Tシャツにショートパンツというラフな格好のタツキは、満面の笑みで玄関に立っていた。肩には小さなバッグを提げている。それを迎えたイサメは、彼女とは対照的に誰が見てもわかるほど呆れた様子で、いそいそとドアを閉めたタツキのキャリーバッグをすかさず持ち上げてそのまま部屋へ運んで行った。
「ありがとねーイサメ」
部屋へ消えたイサメと入れ違いにマコトが玄関に顔を出し、タツキの姿を確認すると目を見張った。
「久しぶり、タツキ……随分様変わりしたね」
「やっほー! あんたは全然変わってないね」
「お前が変わり過ぎなんだよ、なんだよその格好」
部屋のほうからイサメの声が聞こえてきた。タツキは歯を見せて屈託なく笑う。
「大学行ったら髪染めようって思っててさ。何色にしようか迷ったんだけど、この色気に入ったから」
タツキの頭は見事なまでに赤かった。ショートボブにカットされたワインレッドの頭髪を自慢げに揺らす。派手ではあるが、タツキにはよく似合っているなとマコトは思った。そう言おうとして口を開いた時、背後からイサメの声がした。
「荷物、ここ置いとくからな」
「サンキュ。あれ、そういえばミノリちゃんは?」
「今風呂入ってる」
「じゃあ一緒に入っちゃおうかなー」
「やめとけ、赤毛の女がいきなり入ったらミノリがビビるだろうが」
「ちぇー」
不服そうに口を尖らせるタツキを軽くあしらって、イサメはため息をついた。
「とりあえず座って待ってろ。今飯作る」
「はいはーい、期待しないで待ってる」
タツキはふざけたように返事をして居間へと入って行った。マコトもそれに続く。
「ったく……」
ため息をついて、イサメは調理を始めた。台所に夕食の香りが満ちる頃、バスタオルを被ったミノリがひょっこりと顔を出した。
「お兄ちゃん、ご飯できたー?」
「もう少し」
「私も何か手伝う」
「あー……じゃあ食器出してくれ」
「はーい」
笑顔で返事をしたミノリは食器棚から食器を取り出して並べ始めた。そこへ、イサメがフライパンの中身を手早く皿に移し、空になったフライパンを片づけた。次にリンゴを手に取り、慣れた手つきでスルスルと皮を剥いていく。その作業をじっと覗き込んでいたミノリがイサメの顔を見上げて、
「ねぇ、私もやりたい」
「……お前が切れば絶対に手を切るかリンゴが小さくなる」
「えー、そんなことないよ。私も手伝いたい」
「手は足りてる」
「えー……」
ミノリは不満げに口を尖らせた。イサメの負担を気にしてか、高校生になってからはよく家事を手伝いたいと言うようになったミノリだが、いかんせん不器用なためイサメとしては気が気ではない。この前も野菜を切っている時に指を切りそうになっていたので慌てて交代し、皿洗いを頼んだものの手を滑らせて皿を割ってしまう有様だった。
「ほら、居間にメシ持っていけ。落とすなよ」
「大丈夫だよー……今度包丁の使い方教えてね」
「あぁ、今度な」
そんなやりとりを居間から聞いていたタツキは、その顔に笑みを浮かべて実に楽しそうにしていた。
「タツキ、楽しそうだね」
マコトが言うと、タツキは頷いた。
「まぁね。思ったよりいい兄貴してるんだなぁと思って」
「まぁ……普段のイサメからは想像できないしね」
「ねー、あのイサメが――」
そこでイサメが仏頂面を覗かせた。
「お前ら、余計なこと言ったらうっかり手が滑って飯に砂糖が入るぞ」
「まだ何も言ってないじゃん! てか、それうっかりじゃないでしょ、わざとでしょ!」
咄嗟にとぼけてツッコミを入れたタツキだが、イサメは尚も半眼で睨む。そこへマコトが割って入った。
「いいじゃないか、悪い話じゃないんだから」
「半分褒めて半分貶してる感じがするけどな……」
そう言いながら、イサメは料理をテーブルに並べる。それをミノリも手伝った。それをみたタツキが感嘆の声をあげる。
「おー、ちゃんと料理になってるじゃん!」
「……手を滑らせるための砂糖持ってくる」
「嘘デス嘘、冗談デス!」
言いながら立ちあがったイサメを、タツキが笑って引き止めた。タツキを引きずったまま台所へ行こうとするイサメの背中にミノリが声をかける。
「早く食べようよ、お兄ちゃん」
「そうだね、冷めないうちに食べた方がおいしいし」
「ほらほら! マコトとミノリちゃんもこう言ってるんだからさ」
「……ったく」
ため息をついてイサメは胡坐を組んだ。ミノリがそれを確認すると、手を合わせた。
「いただきまーす!」
賑やかな夕食も終わり、部活で疲れていたのかミノリは早々に寝てしまった。残った三人は居間でタツキが持参したスナック菓子を摘みながら寛いでいた。三人がミノリに気を使って声を抑えて話しているため、夕食の喧噪が嘘のように静かだ。
「そういえば、あんた髪そのままだったのねー。てっきり就職決まったら元に戻すんだと思ってた」
タツキがイサメの黒髪をいじりながら言う。イサメは気にしながらもその手を振り払わない。
「高校の時、イサメが急に髪を真っ黒に染めてきた時は驚いたわぁ」
「そうだったね、担任の先生も驚いてた」
マコトが笑って相槌を打つ。当時を思い出したのか、タツキは笑いながらイサメの黒髪から手を離した。
「そうそう、あの時の担任の驚きようといったらさー」
「いいだろ、もうその話は」
イサメは髪をいじっていたタツキの手を払った。そして頬杖をついて眉を顰めたままで呟く。
「……散々からかわれた記憶しかねぇし」
イサメは母親譲りで地毛が茶色いのだが、今は黒く染めている。中学の頃も校則で黒く染めていたのだが、何度も染め直すのが面倒になり、髪も傷んでいたので高校になってからは地毛で過ごしていた。先輩や教師に目をつけられたこともあったものの、しばらくは染めることもなく高校生活を送っていた。イサメが再び髪を染めたのは、両親が亡くなってすぐの頃だ。
「あ、ところで、さ……」
突然、タツキが言い辛そうに言葉を切る。
「明日、お花持って行こうと思うんだよね」
「花?」
イサメが訝しそうにタツキを見る。
「花なんかどうするんだ?」
「あたし、お葬式出てあげられなかったから」
それを聞いてマコトが気づいたように口を開く。
「あ、そっか。あの時はタツキ、向こうにいたんだよね」
「うん。あたしが聞いた時は、お葬式とか全部終わった後だったんだ」
タツキの笑顔に影がさした。それを感じたイサメはタツキから顔をそらし明後日の方向を見たまま口を開いた。
「……いいんじゃないか? あいつ、花好きだったし」
「うん、いいと思う」
マコトもそれに同意する。それを聞いてタツキは安心したように微笑んだ。
「ありがと、二人とも」
「……そろそろ寝ようぜ。明日は早いんだし」
少し間があって、イサメはそう言って腰を上げた。
「そうだね」
マコトも同意した。タツキも立ち上がり、部屋へと向かう途中イサメを振り返った。
「あ、明日起こして」
「自分で起きろ」
イサメが即答で切り捨てた。タツキは不満そうに口を尖らせた。
「えーいいじゃない、こっちは疲れてるの! 留学先から今日までに超ハードスケジュール組んで来たんだからさー、ちょっとは労れ!」
タツキが留学を終えて帰国したのは昨日のことだ。本来の予定ならばイサメの家には明日来るはずだったのだが、急遽今日に変更したらしい。なぜそうしたのかは本人以外知る由もない。完全に自業自得じゃないかとイサメは思ったが、尚も不満そうに見上げてくるタツキに観念したのか、イサメはため息をついた。
「……ったく、しょうがないな。わかったから寝ろ」
「じゃあおやすみ!」
満足そうにタツキは割り当てられた部屋へ入って行った。残された二人もイサメの部屋へと入る。
「さっさと寝るか。あ、お前がベッド使っていいから」
「え!?」
「じゃあ、おやすみ」
マコトが何かを言う前に、イサメは早々と床に敷いた布団に横になってしまった。反論する機会を逃したマコトは遠慮がちにベッドに横になり、そこで思い出したように口を開いた。
「イサメ……明日起こしてもらってもいいかな?」
「……お前もかよ」
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