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日曜の朝
眩しい太陽、爽やかな風。窓の外では鳥が鳴き、木々は風に揺られ音を立てる。
そんな清々しい日曜日の朝。洗面台の前に立った信は、ある問題に直面していた。
「俺の、歯ブラシがない……」
いつもコップに挿してある青い歯ブラシが消えている。台の周りや、床を探しても見つからない。予備の物はある。しかし、どこに消えたのか謎なのは気持ち悪かった。明らかに、無くなる物ではないからだ。
彼がブラシを探していると、歯磨き中に歩き回っていた妹が帰ってくる。
「ふぁ、信くんほはよー」
「……なっ! それ、俺の歯ブラシ!」
父の歯ブラシは黄色、凛の歯ブラシは赤、彼女の咥えている歯ブラシは紛れもない青。どう見ても、信の物だった。
凛は水道の水をだし、口を濯ぐ。そして、青い歯ブラシを洗い信へ手渡した。
「あ、ごめんごめん。はい!」
「はい、じゃないわ! 使えるかこんなもん!」
信は隣の部屋のゴミ箱に向かって、歯ブラシを放り投げる。軽快な音とともに、見事歯ブラシはゴミ箱に入った。
「あー! 何で捨てるの!」
「捨てるに決まってるだろ、気色悪い! 俺の歯ブラシは青! お前の歯ブラシは赤! なぜ間違えるバカかっ!」
「ひ……酷い! そこまで怒ることないよ!」
珍しく早起きをしたかと思えばこれだった。
歯ブラシをダメにされたことを怒っているのではない。兄の歯ブラシを使っても顔色一つ変えない彼女が、非常に気に食わなかった。
普通に考えれば気持ち悪いはずなのだ。他人、しかも家族の口に入れた物を自分の口に……想像しただけでも気持ち悪い。
それを凛は何も思っていない様子。逆にこちらの気分が悪くなってくる。
「おいおい、また喧嘩か?」
信が声を荒げていると、父が二階から降りてくる。平日とは違い、休日での父は朝起きるのが遅い。どこの家でも、父親という物はそういう物だろう。
信は凛を指さし、彼に愚痴を吐いた。
「父さん、こいつ俺の歯ブラシ使っても顔色一つ変えないんだ。これが思春期の女か! 気持ち悪い!」
「まあ、心許されてるって事だろ……」
もう二年生だ。いい加減、彼女は自分と距離を置いてほしいと信は思っていた。その方が、遠慮なくぶっ倒すことが出来る。迷いなく、自分の憎悪をぶつければ気分が良い。
しかし凛は、そんな彼の心情を知らず、必要以上にくっ付いてくる。昔と変わらず兄妹気分な彼女。そんな彼女が、とにかく目障りで、許せなかった。
今、信が兄妹仲良くしているのも、父親に余計な気負いをさせないため。別に凛のために猫をかぶっているわけではない。
そんな彼らの喧嘩を仲裁するためか、ただの天然なのか、この場面で父は全く関係のない話題を切り出す。
「そんな事より信。また、生え際の色変わってるぞ」
「え? マジか、そりゃ不味い」
真黒い髪の根元だけ、別の色に染まっている。凛と同じ、日本人には珍しい栗色の髪だ。
信と凛は双子の兄妹。しかし、男女の双子ということもあり、瓜二つと言えるほど似ているわけではない。背も違うし、目つきも違う。それでも、一目で兄妹と分かるほどに二人は似ていた。両方そろって母似なのがその原因だろう。
そして一番重要なのがこの髪色。ブラウンカラーの髪を持っているのは、周りを探しても信と凛だけだ。
彼は妹に似ていると周りから指摘されたくなかった。だから、母から譲り受けた髪を真っ黒に染める。全て塗りつぶす。
そんな彼の髪染めを凛は気に入らない様子だ。
「また染めちゃうんだ。お母さん譲りの綺麗な髪なのに……」
「俺は普通が良かったよ。周りと違うと面倒だしな」
実際、凛はこの髪色に相当苦労している様子。人間関係を円滑にするには、周りと合わせるのがベストだ。そういう意味でも、信は髪を染めることに一種の拘りを持っていた。
彼は流し台の下から専用の髪染め道具を取り出し、染めの準備をする。使う色は黒の一色、これならば校則に引っかかることもない。
染め用の泡を溶き、専用のブラシで髪を解していく。先ほどまで別の色に変わっていた根元は、少しずつ黒色に戻っていった。
「男はシャッキリ黒が一番なんだよ」
「頭良さそうに見えるぞ」
「まるで実際はバカのような言い方をするな」
委員長である自分は優等生でなければならない。この黒染めは、本来の性格を偽る彼を象徴するものだ。案外、父の言葉は的を射ていた。
信は髪染め道具を片付けると、自室へと戻っていく。今度は外出の準備をするためだ。
今日は休日、彼は毎週ある場所へと出かけている。勿論、その場所は魔法少女とも関係する場所だった。
自室に戻った信は、鞄に数冊の本を入れていく。これらは全て図書館から借りたものだ。
日曜日に本を借り、それを一週間で読む。そして、返すついでにまた借りる。これが信の日課だった。
彼が本を整理していると突然、部屋の外から凛が声をかける。どうやら、偶然部屋の前を通ったらしい。
「あ、その本。英語ばっかりだったよね。こんなの読んじゃうなんて、シンくんは凄いな」
彼女は他愛もない会話を信に投げる。
しかし、その言葉を聞いた瞬間、信の顔色が変わる。彼は本を机に叩きつけると、突然声を張り上げた。
「おい! 俺の部屋で、勝手に読んだのか!」
「か、勝手に部屋に入ってごめんなさい……借りたい物があってそれで――」
「読んだのかと聞いているんだ!!」
その突然の逆上に、凛はただ驚くばかりだ。
先ほどの歯ブラシの時とは違い、信の顔つきは本気その物。その狂気的な態度は、魔法少女に向けられるものと同じだった。
恐怖を感じたのだろうか、凛は言い訳にも近い弁解をする。
「よ、読んでないよ! そもそも、読めなかったし! 見られて嫌なら、ちゃんとしまわなきゃダメなんだよ!」
「……そうか」
彼女に内容を理解できなかった事を知ると、信は安どの表情を浮かべた。そして、いつもと同じように礼儀正しく謝罪をする。
「確かに、俺の管理も悪かった。ごめんな、どうも機嫌が悪いみたいで」
「うん……」
別に、彼は怒っていたわけではない。ただ、本を見られたことに焦っていただけだ。
この本には、魔女と魔法についての記述がびっしりと書いてある。凛に知られるわけにはいかなかった。
今後は自分の部屋でも、細心の注意を払って保管しなくてはならない。妹に悟られるような真似は、出来ればしたくなかった。
★★★
信は自転車を走らせ、街の南西へと向かう。図書館に訪れるためだ。
彼の住む町には、それなりに大きな図書館がある。町役場と同じ敷地内にあり、他にも市の資料館、共同ホール、子供騙しのプラネタリウムなども完備されていた。
子供のころからこの町で育った信にとって、それらは全て庭のようなもの。今もなお、都合のいい遊び場だった。
駅前通りを抜け、街の中心地に差し掛かると、彼の視界にある人物らが映る。
激しく言い争いをする男女二人。路地裏付近で大騒ぎをし、周りからは白い目で見られている。彼らは信のよく知る人物だった。
「これはまた意外な組み合わせだな。何をしている?」
男の方は、僅かに染めた髪とピアス穴の問題児、宇佐見。女の方はお節介な魔法少女、日比野だ。
二人は信の方を見ると同時に口を開く。
「げっ、信……」
「げっ、委員長……」
「……お前らな」
煙たがれているのか、面倒な所を見られたからか、あまり歓迎されてはいないらしい。
だが、この問題を見逃すほど信は甘くない。いつもの委員長節で、彼は二人を威圧する。
「さて、両方問題を起こしそうな顔だが、どっちが喧嘩の原因だ?」
彼の質問に対し、先に答えたのは日比野だった。彼女は宇佐見を指さし、言い放つ。
「こいつが悪いのよ!」
「はぁ? 先に吹っかけたのはそっちだろうが!」
「落ち着け、まず蜜柑から話せ」
状況を理解するため、一人ずつ話しを聞く。同時に話されたら訳が分からない。
日比野は信の言うとおり、事のあらましを説明していく。
「こいつ、タバコ吸ってたのよ! 中学生よ中学生! 札付きってレベルじゃないわよ!」
「うるせえよ! 俺の体だ! どうしようと俺の勝手だろうが!」
「だから落ち着けって、次は宇佐見。お前の言い分を聞こう」
宇佐見もまた、素直に話す。
「大体こいつの言うとおりだ。人目の付かないところで吸ってたら、いきなり喧嘩吹っかけてきたんだよ」
「あんたが私の言うこと聞かなかったから!」
「聞くかよ! うぜえ!」
問題児の問題行動に対し、お節介焼の日比野が口を出したという形だろう。これはまた面倒な状況だ。
まさか、魔法少女の問題と、学校での問題が同時に降りかかってくるとは思わなかった。トラブルメイカーはトラブルメイカー同士で引き合うのだろうか。
「状況は分かった。宇佐見、煙草は法律で二十歳以上と決まっている。分かっているな」
「分かってるに決まってるだろ。でも、吸うんだよ。今更やめれねえ」
中学二年生にして、ニコチン中毒。これは簡単に解決できる問題でもなさそうだ。信は現状の収拾を先決した。
「分かっているのなら良い。これ以上何も言わない」
「ちょっと何でよ! どう考えても悪いのはこいつでしょ!」
「ああ、今回非があるのは宇佐見だ。蜜柑、お前は間違っていない」
「じゃあ何で!」
「宇佐見は悪いと分かっていたからこそ、人目の付かない裏路地で煙草を吸った。それを無理やり引きずり出したのは蜜柑、お前だ」
彼の言うとおり、宇佐見は誰にも迷惑をかけていない。この小さな悪行を見逃せば、それでこの場の収拾はつく。事を大きくしているのは、日比野の余計なお節介だった。
「何より、このことを先生に報告しても、証拠は上がらない。ただ、宇佐見に対する不信感が募るだけだ。ましてや喧嘩を吹っかけ、力でねじ伏せるのは論外。こいつは余計に捻くれるだけだぞ」
「悪かったな。捻くれててよ」
「煙草をどうするかどうかは、今後の宇佐見次第だ。ただ、その行為で周りに迷惑が及ぶというのなら、容赦はしないぞ」
「ちっ……分かってるよ」
信は悪人を裁きたいわけではない。重要なのは宇佐見本人の意思と、彼の成長だ。
不機嫌な顔をしつつも、宇佐見は渋々その場を後にする。勿論、日比野もこんな収拾の付き方で納得できるはずがない。彼女は怒りの矛先を信に向け、ギラギラと睨みつける。
「文句があるって顔だな」
「当然よ! あんた、あんな奴を放っておくの?」
「あんな奴とは随分な言いようだな。俺はお前と違って、あいつを見下しちゃいない」
説教をするつもりは無いのだが、ここは言わなくてはならない。そうでなければ、彼女はまたヒーロー気取りの行動で、誰かの可能性を潰してしまう。それは、信にとって気持ちのいい事ではない。
「正しい事が、必ずしも正しいとは限らない。何が最善かよく考えて行動しなければ、それはただの暴走だ。正義の味方でもなんでもない」
「正しい事は正しいに決まってるでしょ……私は魔法少女、正義の味方よ!」
日比野の言葉を聞くと、彼は大きくため息をついた。
「何を焦っている?」
「…………」
その問いに対し、日比野は何も答えることが出来ない。まるで、彼女自身でもその答えが分からないようだった。
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