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乙女地獄で桜咲けり! 作者:黒檀

第二章

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葉月と夏生

 身だしなみを整え、登校の準備をし、出ようというところで兄のいるリビングに顔を出した。

「昨日は遅かったのか、葉月(はづき)

 葉月は曖昧な音で返事をする。正直、肯定なのか否定なのか、それすらもわからない頼りない返事だけど、詳しく聞かずとも真実は知っているので関係がない。
 彼は椅子の上で膝を抱えて座っていた。頭をその膝の上におき、窓の外を見ている。手に持っているマグカップからは湯気が立っている。

「昨日、時雨さんが来た」
「……へえ」

 また間抜けな音で答える。へえ、というのだから、「へえ、そうなんだ。知らなかったよ」という意味なんだろう。
葉月は、時雨さんと出くわしたくせに、知らないふりをしたということだ。
でも、二人はたしかに会っている。時雨さんがうそを言ったのではなければ。
 ここからでは表情はわからないが、葉月は妙に元気がない。
今これ以上はあえて話さなくってもいいだろう。聞いてもまともな答えが返ってくるとは思えない。

 今日は葉月も朝から学校のはずだけど、寝巻きのまま着替える様子も無かった。着古したTシャツとリラックスパンツのせいで、数段覇気がないように見える。昨夜は帰りが遅かったようだし、疲れているのかもしれない。
ま、体調悪い時は、こいつこんな感じだよな。

「今日は?」
「ダルイ。休む」
「そ。じゃあ俺は出るよ。鍵、気をつけろよ」
「朝ゴハンは?」
「いい」

「夏生、」葉月はそう呼ぶと、何かを投げてよこした。ビスケットだった。

「……どうも」
「行ってらっしゃい」
「サボりは癖にするなよ」
「わかってるってば。早くいきなよ」

 その時に見た葉月は、不安になるほど虚ろな目をしていた。



 葉月は年子の兄だ。学年でいうと、ひとつしか変わらない。
 兄は8月に生まれたので、太陰暦8月の「葉月」から名をとった。弟の俺は、夏に生まれたから夏生、という単純な命名だ。
そんなに間も開けず二人を産んだ母は、かなり特殊だったらしい。おまけに、俺と葉月の見目はあまり似ていないから、余計な噂話をする下衆ヤローがいないこともなかった。
 平均より少しだけ低い身長と、頼りない体格は似てるけど、性格や顔つきはまるで別物。
実年齢より上に見られる俺に対して、葉月は甘さのある幼い顔立ち。葉月はその見た目に違わず、甘えがちで、周りの人間に世話を焼かせていた。俺もまた、その兄を持て余している。

「じゃ、行ってきます」

 葉月は、長いまつげの目で瞬きしただけだった。





 始業時間のかなり前に教室に着いた。
文庫本をしおりのあるページで広げ、読み始めたが、内容に覚えが無いや。
昨日、時雨さんの来訪で動揺した気持ちのまま読んだため、頭に入っていなかったんだ。
 そうして本を読んでいるうちに、約束しているわけでもないのに、甘川が勝手に隣に座ってくるだろう。
 だから、肩に手をかけられた瞬間、彼女だと思って無表情で振り向いたのだった。だが、そこにいたのは知らない男だった。

「あ、悪い。本読んでたんだな。邪魔したか?」

 すぐに笑顔を作り、構わないと答える。
友好モード、一丁あがり。

「日本文学史ってこの教室で合ってるよな? 俺、千堂(せんどう)義也(よしや)。よろしく」
「こちらこそ。俺は白鷹夏生」
「ここ、いい?」
「もちろん。どうぞ」

 千堂と名乗る男は、隣に腰掛けた。今時流行りの、細身で筋肉質な体だ。
筋肉や体格に重きを置かない自分でも、こうも動物的に優れた肉体の奴に隣に座られると、居心地が悪い。

「なぁ、何読んでんの?」

千堂は、ブックカバーのかかった俺の文庫本をぱらぱらとめくる。中上健次。

「へえ。意外。なーんかイメージと違うかも」

どんなイメージだよ。

「でも、好きなんだ」

 彼は面白そうに口角を上げた。
 意外というのなら、こういったタイプの男が本を読むということ自体が意外だ。新しい発見だ。

「君……白鷹君さ、目立つよな。初日から目に入った」

 屈託のない笑みで言われた。

「そうかな?」
「美形が三人でかたまってるんだぜ。嫌でも目に入る」

 三人。一瞬だけ考える。
 穣と瞳のことか。そう言う千堂も、人目を引きそうな外見であるに違いなかった。

「その髪の色どうなってんの。すげぇ綺麗に入ってるよなぁ」
「兄が染めたんだ」
「マジかよ! 兄ちゃん美容師とか?」

 彼は大げさにおどろいてみせた。

「違う。兄も学生。こういうことするの好きな奴なんだ」
「へぇ! 上手いヤツがやるといいな。今度俺も頼みてえわ」

 確かに、今の髪は葉月が染めたものだ。


「ねぇ、夏生。僕、髪染め変えたいんだけど、ミルクティーかアッシュグレイかで迷ってるの……」

とか言うもんだから、テキトーにミルクティーと答えた。でも、

「でも、両方したいなぁ……」からの、
「そうだよ! 夏生を染めればいいんだ! そしたら両方染めたことになる!」からの、
「いいでしょ? ね、お願い! 大丈夫! 僕、染めるの上手いから」だ。

 こんな調子で、葉月はいつも子どもみたいなわがままを言う。どうにかこうにかして貫こうとする。
 葉月のそんな性質にはほとほと迷惑していたが、でも、それがきっかけで(?)、やっとまともな男の友人が出来そうだな。

「……きっと喜んでやるだろ、あいつなら」

 社交辞令的に言ってしまったが、実際はどうなのだか。
まあ、なんでもいいか。


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