――――夏休み。
　学生がハメを外すには十分な期間であり、８月の最終日が近付くに連れてとんと学生が街から姿を減らし、宿題のラストスパートに精を出すという何年も受け継がれていた行事である。

　８月に入ってまだ間もない。
　俺と雪那は夏休みの宿題を８割程度まで終了させ、空調の直った寮の食堂でノートにシャーペンを走らせていた。

「永野、櫻さん。久しぶり」
「あら、茅野クン……って、どうしたの、その頭」
「フフフ、いやぁ、地元に帰ったら友達とノリで染めちゃってさ。あ、これ俺からお土産」
「あら、ありがとう」

　こうして、外野の聖人こと茅野クンが帰って来たある夏の日。
　彼はまた一つ、間違った学生時代を謳歌して寮へと帰って来たのである。

　そこに立っていたのは、脱色に失敗し、カラー入れていない赤茶の髪。
　そしてムラのある染め具合でなんとも情けない姿をした、外野クンであった。

「いやー、髪染めたのはなんて言うか、気分転換って言うのかな。まぁちょっとしたオシャレみたいなものだよね。ほら、真っ黒っていうのもちょっと芋臭いって言うかさ」
「そ、そう」
「どうかな？　俺的には結構――」
「――茅野クン」
「ん？　どうしたんだよ、永野」
「髪染めたからって馴れ馴れ鬱陶しい」
「っ!?」
「ゆ、悠木クン……。それはさすがに……」
「いいや、こういう奴には言ってやらないとダメなんだ。似合わない奴が髪を染めてカッコ良くなる訳がない。むしろ痛い方向に転ぶ事があるって事を」

　…………。

「例えばな、雪那。華流院さんの髪型は百歩譲って良しとしよう。黒い髪でゆる……？　ふわ……？　……まぁ地味ドリルだ。だが、もしあれが金色になってフリフリのドレスを着ていたら、さすがに痛いだろ？　遺伝子的にも」
「……そ、それはそうかもしれない、けど……」
「この聖燐学園に在籍しながら、しかも寮生でありながら髪を染めた俺、ちょっとワイルド系とか思ってるコイツの考えはいちいち聞かなくても分かる。だが似合ってるかどうかは……別だ！」
「っ!?」

　机に拳を打ち付けて断言する。
　気分はさながら、ドラマの中の裁判官に訴える弁護士だ。

「加えて、そんな痛い見た目になって中身まで馴れ馴れしく鬱陶しいのはいただけない。夏休みの間に大人の階段を昇ったと勘違いして、夏休みが終わったと同時にただの痛い子でしかないという現実に目を背けるダメな例だとは思わないか。もちろん、こんな事あまり声を大きくしては言えないが」
「ゆ、悠木クン……！　目の前にいる相手に言うのは声を大きくして言うのと同じなんじゃ……！」

　………………。

「あぁ、まだいたのか、茅野クン」
「お、お前って……！　お前ってヤツは……！」
「と、言うのが俺の本心であって、建前上はこう言わせてもらおう。……んんっ……。まぁ良いんじゃないか、夏なんだし」

　咳払いして立ち上がり、肩に手を置いてそう告げる。
　茅野クンが走って部屋へと戻って行った。

　まったく、認められたぐらいでそんな感極まって走って行かなくても良いのに。
　ウブな奴よの。

「……悠木クンのその毒舌って、心を抉るなんてものじゃないわね。心を粉砕している様に見えるわ」
「フッ、よせよ、照れるじゃねぇか。一撃必殺は相手を思った上での情けだ。それに、こうして俺が言ってやった事でアイツは恥をかかなくて済むのさ」
「き、聞こえは良いけど容赦ないだけよね、それ……！」

　バレたか。

「それにしても、ウチの学園って髪染め許可してたっけ？」
「えぇと、過度な染め方は禁止しているわね。少しぐらいなら許容の範囲みたいよ」

　改めて椅子に腰掛け、俺は雪那に問いかける。
　そういえばウチの学園は黙認している節があったな。　

　聖燐学園は基本的に、お嬢様学園のレッテルが強かった。
　が、共学化するにつれて規制も少しは緩和した傾向がある。

　かと言って、不良に憧れて「俺、聖燐なのに不良やってるぜ」みたいなヤツはいない。
　加えて、ヨーヨーを凶器にする女子もいない。

　そういう時代錯誤な者は、自分だけの道を歩いているんじゃない。
　孤立し、除外されているだけだ。
　当然、そんな間違った方向に進むヤツは自ずと減る。

「ふーん……。雪那も沙那姉みたいに茶色くしたら似合うかもな」
「そうかしら？　あぁ、そうそう。お姉ちゃんで思い出したんだけど、この夏は昔住んでいた家に泊まるから、暇潰しに付き合ってって言われたわね」
「へー……」
「……他人事みたいな返事だけど、多分悠木クンも含まれてるわよ」
「え、俺もなの？」

　沙那姉と雪那、それに俺か。
　確かにあの夏はそれが日常だったりもしたけど……。

「あ、茅野クンが戻って来てる」
「は……？」

　振り返ると外野の聖人がこちらに歩み寄って来ていた。
　何やら先程とは打って変わって真剣な面持ちである。

「永野、櫻さん……。ちょっと相談があるんだけど」
「断る」
「聞いてないのに!?」
「いや、相談って言われても……。茅野クン、非常に言い難い事ではあるんだが、残念ながら俺には力になれないんだ。お前の女装癖に対するアドバイスなんて、俺には……」
「俺女装癖なんてないよっ!?　何でそんな設定盛られてるわけ!?」
「ゆ、悠木クン、話が進まないのだけれど……」

　失敬な。まるで俺が脱線させたみたいじゃないか。
　否定はしないが。

「それで、永野クン。相談って何かしら？」
「さ、櫻さん……！　綺麗なだけじゃなくて優しいなんて……！　ありがとう、相談乗ってくれて」
「いえ、乗るとは言ってないけど？　聞かなきゃ始まらないもの」
「っ!?」

　上げて、落とす。
　なるほど、俺はまさにそれを見た気がする。

「良いからさっさと吐け。楽になるぞ」
「俺は何かの犯人なの!?」
「バカ言うな。まったく……。犯人じゃなくて容疑者に言うセリフだろうが」
「そこなの!?　ツッコミはそこなの!?」
「ねぇ茅野クン。早くしてくれないかしら？」
「お、お前らって……！　お前らってヤツは……っ！」






◆





　その日の夕方。
　俺と雪那、それに茅野クンは送られて来た正装に身を包み、生まれて初めて乗るリムジンとやらの中で沈黙を貫いていた。

「……ねぇ、悠木クン。華流院さんの誕生日パーティーに、どうして私達が招かれたの？」
「それはだな。どっかの男が誕生日パーティーに誘われて、俺と雪那を引き合いにして断ろうとした結果、俺達まで巻き込んだからだと思うんだ」
「……そう」

　黒いスーツの俺と、深紅のワンピースタイプのドレスに身を包んだ雪那。
　じっと外野クンに目を向けると、外野クンが目を逸らした。

「……それにしても、悠木クン。せっかく正装しているのにその髪の毛どうにかならなかったの？　それに首元のネクタイも外しちゃってるし」
「無茶言わないでくれよ。俺はこういうの着慣れてねぇんだから。というか、茅野クン。そんな頭で大丈夫か？」
「大丈夫じゃない、問題だらけだ……。せ、正装で茶髪って……なんか、なんか……！」
「馬鹿なおぼっちゃんの痛い反抗期みたいだな。大丈夫、口にしないから」
「言ってる！　言ってるから！」

　華流院園美、17回目の誕生日パーティー。
　今、俺達はそれに付き合わされる為に、華流院家の迎えのリムジンに乗っているのだ。


　――事の発端は夏休み前、外野クンがかの戦闘民族に誘われた事がきっかけだったそうだ。
　それはあの日、俺が泣く泣く手作りの夕食を断ったあの日だったそうだが。

　慌てて断ろうとしたのだが、学園の友達を呼びなさいと戦闘民族のDNAを余すこと無く伝えた親御さんに言われたそうで、外野クンに白羽の矢が突き刺さったそうだ。
　その時、夏休みは寮にいるという俺と雪那の名前を出し、引き合いに出して断ろうと画策。

　それが何故か一緒に行くと受け取られ、そのまま誤解を解けずに来た、と。

　しかし夏休みが始まると同時に、外野クンは帰省。
　今日まですっかり忘れていたそうだ。
　が。

　今日、昼過ぎ。
　華流院家の使用人達が登場。

　あれよあれよと言う間に俺達は仕立てられ、着替えさせられ。
　断る事も出来ずにこうして拉致られた、という訳だ。

「……それにしても、パーティーねぇ……」
「さ、櫻さんはパーティーとか行った事あるの？」
「お父さんとお母さんの会社でやっている事もあったみたいだけど、そういうのはお姉ちゃんに任せっきりね。そもそも華流院さんの家みたいな伝統ある家とはその規模も違うでしょうけど」

　そう言えば、雪那も化粧品メーカーの社長令嬢、ってヤツだもんな。
　そう考えると、ウチとは大違いだな。

「って事は初めてのパーティーが拉致まがいのパーティーって訳だな」
「悠木クンもね」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……！」

　遠回しな皮肉に、外野クンの謝罪の声が飛んだ。

「それで、茅野クン。パーティーって行った事あんのか？」
「あぁ、ウチはそういうのたまにあるけど、櫻さんと同じで兄貴任せなんだ」
「……は？　そんな家に住んでんの？」
「う、うん。というか、聖燐の寮生ってそういう生徒が多いと思ってたんだけど、永野……クン、は違うの？」

　さんざんクン付けで呼んでいたら心が折れたらしい。
　呼び捨てが解消された。

「俺がそんなお坊ちゃんに見えるか？」
「……見えないわね」
「まぁ、そういう事だ」

　外野クンも頷いてやがる。
　お前にまで頷かれる筋合いはないんだが。

「そういえば悠木クンの家の事って、聞いた事ないわ」
「ま、普通だよ。それにしたって、今日は何をどうすりゃ良いのかね。パーティーっつったら、立ち食いのバイキングみたいなヤツ？　それともディナーショー的な着席？」
「た、立ち食い……。誕生日パーティーはだいたい立食式が多いらしいわ。ただ、華流院さんの家は格式ある華道家の家って聞いてるから、想像出来ないわね」
「洋風の正装だし、どこかのホテルでやるって聞いてるから立食だと思うけど……」
「あぁ、バイキングね……」

　………………。

「ゆ、悠木クン。立食パーティーよ」
「え？　自由に取れるヤツだろ？　バイキングみたいな」
「バイキングって言うとすっごく安っぽく聞こえるから……！　せ、せめてビュッフェとか……」

　何が違うんだ。
　言い方か？
　この前、トイレに行く時に瑠衣が言ってたあれか？

「ま、食えれば良いわ」
「……そ、そうね。悠木クンなら、きっと何とか口八丁な感じでどうにかするだろうしね……」
「おい聞き捨てならないぞ」

　まったく、人聞きの悪い。

　そんな事を話しながら時折外野クンをからかい続け。
　俺達はようやく会場へと到着したのであった。