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第14話:ピアノの調べ 1
風呂場のドアが開く音が聞こえる。それから少したって、辰弥が頭にタオルを載せたままリビングへと入ってきた。髪の毛から雫が数滴垂れて来ている。
先程まで、子猫の毛をリビングで乾かしていたので、ドライヤーがこちらに置きっ放しだった。すたすたと歩いてきた辰弥は、ソファに座っていた由菜の前にどかっと座り、首だけ由菜の方へ向けると、
「由菜。髪の毛やって・・・。」
と言って、じっと待っている。
「え〜。」とは言ってはみるが、真っ直ぐ前を向いてただひたすら待っている辰弥。「しょうがないなぁ・・・。」
由菜はまず、辰弥の髪の毛をタオルでがしがしと拭いて、水気を取る。ちょっと痛いと言う辰弥を無視して由菜は先を続ける。テーブルの上に置いてあった、ドライヤーのスイッチをオンにする。こんな風に、男の子の髪の毛を触るのも初めてなら、ドライヤーで乾かしてあげるのも初めて。由菜は内心ドキドキだった。辰弥の髪は黒い。辰弥くらいの年の男の子は髪の毛を染めている子が沢山いるが、辰弥は生まれた時と同じ色をしている。
「辰弥は髪の毛染めないんだ・・・?」
「髪染めるとなんか遊び人ぽく見えそうだし、俺黒好きだしね。」
ふ〜んと由菜は返事を返したが、手は止まらない。辰弥の髪は柔らかく、1本1本が細めだ。結構さらさら、小さい子供のような髪をしている。櫛で梳かして無くてもすっーと指が通る。辰弥は瞳も髪も子供のようだ・・・というよりも全体的に子供のまま大きくなってますという感じかな・・・などと考えて少し笑ってしまった。
「なんか笑ってない?」
そう言って、辰弥が振り向こうとするので、両手で頭を挟んで無理矢理正面を向かせる。
「何でもない。ちゃんと前向いてて。」
辰弥の髪を乾かし終えると、二人は買ってきたジュースとお菓子を食べる事にする。子猫はミルクを飲んで眠くなったのか、膝の上でうつらうつらしている。
外ではすぐそこまで雷が近づいて来ていた。さっきまでは、ドライヤーの音にかき消されて、雷の音など聞こえて来なかったのだが、今は時折凄まじい音が聞こえてくる。由菜は光の後に即座に聞こえてくる音にいちいち悲鳴をあげ、目を硬く閉じ両手で耳を塞ぐ。その一つ一つの反応が辰弥には面白い。ここで笑うと恐らく怒るだろう事は分かっているのだが、我慢出来なくなって吹き出してしまった。
「もう、本当に怖いんだからね・・・。笑うな。」
少し涙目になっている由菜が怒ったように言う。
「ごめんて。」
笑いながら誤る辰弥。恨めしそうに睨む由菜。由菜は気分を取り直して、辰弥に話しかける。
「ねぇ、辰弥。あそこに置いてあるピアノって辰弥の?」
辰弥の家のリビングは非常に広い、リビングの隣にたいていある和室をなくし、フローリングにする事で広くしている。その奥の本来和室があるべき部分にグランドピアノが置いてある。由菜は、このピアノが先程から気になっていたのだ。
「うん。」
「ねぇ、もしかして弾けるの?」
辰弥がピアノを弾くことが出来るなんて由菜は聞いたことが無かったので、驚いて尋ねた。
「まあね。」
辰弥はあまり乗り気のしない声で返事をする。由菜と目を合わせようとしない。ピアノがあまり好きではなかったのか・・・?
「ねぇ、何か弾いてみせて・・・。」
少し遠慮がちに由菜は言う。辰弥はやっぱりきたかと渋い顔をする。本来ピアノが大好きなのだが、人前で弾く事があまり好きではなかった。他人の前で演奏をするのは、通っていたピアノ教室の強制参加させられた発表会くらいのものだ。誰に弾いてと頼まれても拒否し続けていた。しかし、由菜のたっての願いだ・・・。聞かせてやりたい。それにピアノの音は外の雷の音を掻き消してくれるだろう。仕方がないか・・・。由菜が喜ぶなら・・・。
「良いよ。弾こうか。」
その言葉に、ぱっと由菜の顔が輝いた。寝ていた子猫をそっとソファの上におろし、ピアノのそばへ嬉しそうに近づいてくる。
「どんな曲が良い?」
辰弥が聞くと、由菜は少し悩んだ後、
「辰弥に任せる・・・。辰弥の好きな曲弾いて。」
辰弥は分かったと言うと、腕を組んで何を弾くか思案した後、ピアノの鍵盤へ指を添える。呼吸を落ち着かせリラックスしてからゆっくりと指が動き出す。辰弥はいつになく真剣な面持ちをしている。
「あっ・・・、『のだめ』」
由菜が呟くと、辰弥が少し微笑んでこちらを見る。辰弥が弾き始めたのは、ガーシュインの『ラプソディ・イン・ブルー』。由菜が言った『のだめカンタービレ』という連続ドラマのエンディングで流れていた曲だ。『のだめカンタービレ』とは音大のピアノ科の学生 野田恵こと『のだめ』と、同じ大学の1つ上の先輩で指揮者を目指す同じくピアノ科の千秋真一とが織り成すクラッシク万歳のラブコメディである。『のだめ』のお馬鹿キャラと千秋先輩の俺様キャラ、そしてその二人のまわりの個性あふれる変人達。このドラマでクラッシクブームが再燃したようだ。辰弥は由菜がこの間やっていたドラマの再放送を真剣に見ていたのを知っていた。漫画のほうも持っているようだ。由菜は『のだめ』の大ファンなのだ。辰弥自身もこのドラマを見ていたし、この曲も大好きだった。
辰弥はあんなに渋っていた事が嘘のように、久しぶりに弾くピアノを楽しんでいた。由菜の前では嫌な感じがしない。落ち着いて弾く事が出来る。
辰弥は由菜が見ても気持ち良い位楽しんで弾いているのが分かる。滑らかに動く指は、まるで単独で動く動物のように鍵盤の上を自由自在に走っている。辰弥がこんなにピアノを弾けるとは思ってもみなかった。
由菜は瞬きをするのも忘れ、辰弥に見入っていた・・・。
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