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ただ今逃亡中 作者:
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パン屋の娘が公爵令嬢

1人の少女の軌跡
「……今日はいい天気ね」

広場の噴水脇にあるベンチに座る1人の少女が晴天の空を見上げながら呟いた。

――まるであの日のように。

かつて家族と呼ばれる人達と住んでいたあの大きなお屋敷を飛び出してきたあの日も確かこんな空だった。

年に1度の国を挙げての式典日和で貴族も庶民もお祭り騒ぎの大騒ぎ。お陰で少女――サラにとっても脱走日和であった。

あの屋敷の庭に植えてあったサクラも今日のように風に舞っていた。国華だから国中で見られるポピュラーな木だが、国一番と謳われていただけあってあの庭のサクラ以上のモノをまだ目にしたことがないのが残念だ。

もっともあの時と違うところもある。

爪の先まで手入れが行き届いていた真っ白な腕は今や日焼けした肌健康的な色になり、長かったフワフワの金髪は見る陰もなく短く茶色に染められゴムで纏められている。2年前のサラを知る人間が見たら絶叫モノだろう。

お陰で顔は元から平凡顔だからスッピンの現在、安物のワンピースを着るサラはどこからどう見ても平民の娘である。ただし、透き通るような蒼い眼と良すぎる姿勢が若干違和感があるが。

――アレから2年かぁ。

短いような長いような。いや、予想よりは意外に長かったなとサラはボンヤリと空を見上げながら思い直した。もっと早く――それこそ1日と持たずに終わると思っていたのだから自分の唯一の友人は案外真剣に頑張ってくれたのだと少し驚き、目を閉じて心からの感謝を送った。

楽しかったなぁ……



「アオ」



サラは閉じたまま呟き、ソッと目を開ける。

視界に広がったのはあの日と同じ青空。そしてその空と同じ青色の瞳がサラの蒼い瞳を見下ろしていた。驚きはない。だって彼がそこにいるとサラは知っていたのだから。

「やっと呼んでくれた」
「……」

嬉しそうに笑う青い瞳の青年――アオが無言のサラの足下に騎士のように膝まずいてサラのよく焼けた頬へと手を当てる。

出逢ってから8年の歳月は美少年を美青年に変えたらしい。白い騎士のような服を着ているということはあの家で実力を認められたのだろう。王家を表す青を使ったマントは不敬な気もするが……まぁ、あの家なら問題ないかと一通り青年を見たサラは視線を青い瞳へと戻した。

サラの蒼い瞳を見つめる青年が頬に当てた手を下ろしてソッとサラの手を取る様はまるで本物の騎士のようで、どう見ても庶民の娘を相手にやるととってもミスマッチである。

「帰ろう?」

しかし見上げてくる青い瞳はあの時のまま。

「帰りたくない」

無駄だとわかっていても言わずにはいられない。私は帰りたくないのだ。案の定困ったような苦笑いを返された。

わかっている。この男は私の犬だが私のこの願いは叶えない。何故なら兄達から私を連れ戻せと命を受けているはずだから。兄と言うか、義兄だけど。






サラは元々平民の娘だった。しかし何をトチ狂ったのか未亡人だった母を公爵家のバツイチ当主が見初めたから大変だ。母が1人で切り盛りするパン屋の前に公爵家の紋が輝く大きな馬車が止まるものだからサラ母娘も周りも大混乱だった。小さなパン屋は馬車でスッポリと隠れ、オマケに入り口の左右に護衛が立つとサッパリ室内の状況がわからない。街に親しまれていた美人女将のいるパン屋で一体何が起きているのかと近所の人達は固唾をのんで見守ってくれていたそうだ。

ちなみに。

「結婚して下さいカロリーナ。君と一緒になれるなら当主の座なんか捨ててもいい。そうだ、君がパンを作って私が経営を担当しよう。今も似たような事やってるし僕そういうの大得意なんだ。このパン屋さんを国1番にしようね。毎日君のパンに囲まれながら君と出来立てのパンが食べられるなんて最高だ!あ、もし一緒になれないなら死ぬから。だから結婚して?」

室内はこんな感じ。

一体何がだからなのか。足元に膝まづいてウットリとした顔でサラ母を見上げるているのは30代のイケメン。突然パン屋にやってきた明らか貴族なこの男は、「いらっしゃーい」といつものように挨拶をしたサラ母に膝まづいたかと思いきや手を取りさっきの台詞を言ったのである。サラ母は手を取られて頬擦りされるのを困惑しながら見下ろしていた。

そりゃそうだろう。

言っていることが色々おかしすぎる。貴族様が当主を辞めてのパン屋で経営?しかもこの銀髪に蒼い眼の容姿にマントの襟に付いた紋章から導きだされる貴族様ってたしか貴族の中でもかなり上、なんなら王様の隣とかに1人いたよねーみたいな?……いや、無理だろ。オマケに物凄く不穏な言葉も混じっていた。

この何か危ない男、名をカイル・カルテラードと言い正真正銘の公爵家当主である。オマケに筆頭公爵家。しかも宰相職。大丈夫かこの国。

広大な土地と豊富な資源を抱えるこの国には悪魔と呼ばれる者がいる。王族のみが受け継がれる銀髪からのぞく鋭利な蒼い瞳に睨まれれば一巻の終わり、真っ赤な唇が楽しげに弧を描くときは彼の敵が地獄に墜ちた時であるーーと、庶民の間で噂されている悪魔宰相の面影は取り敢えず今は見る影もないようだ。後ろに控えている老年の従者が「アイター」って顔で天を仰いでいる。

「カロリーナ」

男が再びサラ母の名を呼んだ。目で返事はと問うている。

男の言葉に嘘はなく、最初から最後まですべて本気と書いてマジである。公爵家当主も宰相職も男が辞めると言ったら辞めるだろうし、パン屋をやると言ったらやるのだ。それを実行できる力と頭脳を持っているのだからこの男質が悪い。きっと5年もしない内にこの小さなパン屋さんは国1番になっているだろう。

しかし、実際に公爵家の跡取りはまだ幼く筆頭公爵家のそんな事態に間違いなく貴族達の間で混乱を招くしひいては国の大混乱は必至。宰相職に至っては冗談でなく国の機能が停止だ。それ程この男が優秀である証明になると同時に絶対実行させてはならないと周囲に決意させる内容だった。

サラ母は平民だがこの国の宰相の凄さは知っている。男の背後から従者に「絶対頷かないで下さい!」と必死の形相で訴えられるまでもなくそれは理解していた。しかし貴族である男に平民のサラ母は逆らえない。一体どうすればいいのかサラ母は途方に暮れて男を見つめ返すしか出来なかった。

この国の貴族は1夫多妻制度を認められているが、カルテラード公爵家は貴族では珍しい恋愛結婚推奨派である。歴代の公爵家当主の多くが惚れた相手ただ1人にネチこく重い愛を注いだいう愛の記録――という名のノロケ日記――が書室に残っているのだからその血は濃い。

男の従姉妹に当たる前妻とはまだご存命だった前当主による完全なる政略結婚だった。惚れたら凄いが惚れなければ他人に興味が持てないのがカルテラードの性質。義務とばかりに跡取りの男子を1人産むと、前妻は惚れた相手を見つけてさっさと離婚して出ていった。男も別に追わなかった。

あれから10年。ただでさえ人の好き嫌いが激しく、地位や金目当てで近寄ってくる貴族の女達を全て絶対零度の瞳で切り捨てていた男が恋をした。久しぶりに男の笑顔を見た使用人達は思わず心の中で涙したという。

お相手がパン屋の女将?だから何だと言うのだ。自分達の主から笑顔を引き出せた女性と言うだけで公爵家一同感謝の嵐である。他はどうとでもなるのだ。伊達に建国初期から筆頭公爵家はやっていない。

この女性を逃がすわけにはいかない。男にパン屋をさせるわけにもいかない。かといって男がサラ母を諦める事もないだろうと長年男の側にいた従者はわかっている。ならばどうすればいいのか。簡単だ。サラ母に公爵夫人になってもらえばいいのである。

平民のパン屋の女将が筆頭公爵夫人。

本来ならば有り得ない事だ。しかし筆頭公爵当主兼宰相がパン屋の亭主になるよりは断然有り得る。人間何事も最低を知れば許容範囲も広がるというもの。……あれ?まさかコレも主の手の内なのだろうか。いや、考えるのは止めよう。胃が痛くなる。取り合えずば落とし所に落とすのが先決だ。

きっと他の公爵家と王ならわかってくれるはず。彼らと協力して煩い貴族達を黙らせなければ。従者はそう心の中で決意すると主に近づいてソッと耳打ちをした。

「カイル様、カロリーナ様を公爵夫人にされた方が他の男性から隠せるかと」

我が国の婚姻関係を結んだ貴族の女性は顔を家族と配偶者以外に見せない習わしがある。プライベートは大目に見られるが公式の場ではベールで隠す事が淑女の嗜みとなっている。片やパン屋の女将ともなればお客様に顔を出すことも多いだろう。

従者は自分の主がとっても独占欲が強く嫉妬深い事を、彼がサラ母の身辺を調べ上げる過程で十二分に理解できていた。何せ報告書の八百屋のオヤジの名前を射殺さんばかりに睨むくらいだ。金額をまけてもらったお礼に「オジサン大好き!」とリップサービスする位いいではないか。どうやはウチの主はダメらしい。

「カロリーナ、すまない。どうやら僕は貴族を辞められそうにない。でも君とは一緒にいたいしずっと側にいて欲しい。お願いだカロリーナ。側にいてくれないなら僕は死んでしまう。公爵夫人となって僕を支えておくれ」

思惑通り男はサラ母を公爵夫人にする事にしたようで従者は心の中で思わずガッツポーズ。そしてヤッパリ不穏な言葉が混じっていた。国は男を失えない。死なせるなんてもってのほか。そして平民は貴族には逆らえない。

サラ母は詰んだ。

ー―こうして、筆頭公爵家を先頭に上位貴族がかつてない協力体制のもと各家が総力を挙げて場を整えた――下位貴族を力ずくで黙らせた――甲斐もあり歴史上初の元パン屋の女将の公爵夫人誕生したのである。





因みにめでたく未来の公爵夫人が確定した後、昼寝から目覚めたサラ(同時5歳)が義理の父と対面はこんな感じ。

「王子さま?」

これがサラ5歳が男に抱いた第一印象である。無理もない。誰がいきなり現れた貴族が自分の父になっていたなどとわかろうか。王族特有の銀髪とキラキラフェイスと無駄に高そうな服が揃っていれば幼子には王子様だろう。本人に全く興味はないが王位継承権も持っていたりするのだからあながち間違ってはいない。更に本日は氷の微笑みを持つ悪魔宰相の蕩ける笑顔の大盤振る舞いである。誰だお前。

母譲りのフワフワの金髪と似た容姿に男は大変悶えた。愛しの人のミニチュア版が目の前にいるのだから堪らない。オマケにこの少女は自分の義理とはいえ娘!自分と同じ蒼い瞳を持っているだなんてもう実の娘でいい気がしてきた。

初めて貴族様を間近で見た事もその人が凄く綺麗な事も終始ニコニコしていた事も当時のサラはビックリしたものだ。もっとも、その日の内に公爵家に拉致……引っ越しをする羽目になり、綺麗な貴族様が父となり、兄ができて、沢山の使用人達に迎え入れられた驚きにに比べたら全然大したことではなかったと後に思うこととなる。
【時系列】
・前部:現在。サラ16歳
・後部:11年前。サラ5歳 男30代後半 母20代前半

読んで頂いてありがとうございました
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