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第二十九話 〃 12
転寝棗の葬式は粛々と行われた。
転寝家の一家郎党総出で葬儀に参列し、大半の村民が線香を上げた。
葬られた転寝棗の骸は、遺族によって出棺された。勿論妹である、転寝鈴蘭の姿もあった。
重苦しい沈黙。どこかから咽び泣く声が聞こえた。
葬儀には俺や歪、梅雨利東子などが参加した。
さすがに金髪で出るほど不謹慎ではない。だから、あらかじめ黒髪に染めて、葬儀に参加した。それでも周囲の人々は非難するような目を向けた。
仕方のないことだと甘受。蔑視を向けられることくらいなんでもない。それよりも、葬式に参列することで改めて、転寝棗の死を思い知らされるようで、感に堪えないものがあった。
何より。
転寝鈴蘭が心配だった。
最愛の姉を失った転寝鈴蘭。彼女はこれからどう生きるのだろうか。支えをなくし、悲愴に暮れているのかもしれない。そう思うといてもたってもいられなかった。
しかし。
遺族は面会謝絶だった。
それもそうだと、思う。
きっと昔日の感慨に耽ったり、亡き家族への哀悼に胸を苦しめているはずなのだ。そんな神聖な場に土足で上がることなんて、できるわけがない。
それに。
俺が行ったところでなんになるというのだろうか。いたずらに悲しみを増幅させるだけではないだろうか。
虚脱感というか、無気力感に囚われる。空しくなった俺は、一人でどことも知れぬ空き地でぼーっとしていた。その際に歪が慰めに来てくれたが、追い払った。一人になりたいというと、大人しく引き下がってくれた。
晴朗な空を見ても、気は晴れなかった。
視線を下にずらすと、庚申塚が見えた。像の下には雑草が生えていて、花か何かが供えてあった。
片膝をついて、木に背を預ける。癖遠の蒼穹は、やはり綺麗で、味気ない。
「篝火さん」
誰かの声がする。
声のしたほうに視線を向けると、庚申塚の近くに少女がいた。
夢を見ているのか。
矮躯の肢体。ショートボブの髪型。切れ長の双眸。鼻筋の通った面立ち。
――転寝棗?
否。
そんなはずはない。あの子は死んでいる。現にあの子の葬儀は敢行されたではないか。
ということは。
「……って、おまえ! なんでここに……?」
「来ちゃいました」
転寝鈴蘭は小さく笑って、俺の横に腰を下ろした。
転寝鈴蘭は和装だった。葬式の時もそれと同じだったので、着替えずにここに来たのだろう。藍色の簪や、黒色の着物。足袋に鼻緒の赤い下駄をはいている。
普段とは違う衣裳に、見慣れぬ簪。これが転寝家における葬式の正装なのだろうか。
それにしても。
似すぎている。
双子の姉妹という枠には収まりきれぬほど、転寝棗と転寝鈴蘭はそっくりだった。眼鏡の有無のみが、境界の役割をはたしているだけであって。
それでも妙な違和感があった。間違いのない間違い探し。そういった感じの、拭いきれない違和感。
「その、あんまり見ないでください。恥ずかしいです……」
どうやら転寝鈴蘭の顔や体を凝視していたらしい。
「いや、ごめん」と羞恥心交じりに謝る。
別にいいですよ、と転寝鈴蘭は儚げに笑った。
和服の裾を丁寧に折って、たおやかに座っている。研鑽された美しさ。木の根に隣り合って座る俺たちは、ぼんやりと薄暑の空を見上げていた。
「髪、染めたんですね」と俺の髪を瞥見して、「黒髪も似合ってます」といった。
苦笑を浮かべて、「さすがに金髪で出る勇気はなかったんだ」とへらへら笑った。
「この後、やっぱり染め直すんですか?」
「分からない。どっちにするかな」と苦悩するそぶりをする。
「いつ頃から金髪にしたんですか?」
「うーん、いつだろうな。三,四年くらい前か? 多分中学の時からだ」
「なんで金髪に?」
「それこそ分からない。なんとなくだよ、なんとなく。けどそうだな……。多分、なりたかったんだろうな。――俺ではない何かに」と自嘲気味に笑った。「形から入るほうなんだろうな、俺は。弱い自分。愚かな自分。そういうのから逃避したかったんじゃないか。それに誰かから指図されるのも、規律に縛られるのも嫌だった。俺はそういう、型から外れた人間だったんだ」
「…………」
焦燥を思わせる風。
転寝鈴蘭は口を噤んでしまった。
なんでなんだろうな、とかいって、体を少し傾けて、いう。
「きっと少しだけの、矮小で小物っぽい悪になりたかったんだと思う」
「…………」
「それなら、不良が手っ取り早い。それには髪を染めるのが一番簡単な方法だろ。不良といえば、金髪にピアス。まあ、ピアスには抵抗があったから、髪を染めるだけにしたけどな」
何もできない自分。
誰も救えない自分。
それから逃れたかったのか。
それから逸したかったのか。
それから隠れたかったのか。
自分の脆弱さや醜悪さ。砕けた人形を無理やり取り繕って作り上げたような、不格好な自分から目を背けたかったのか。
篝火の血は争えない。
篝火白夜の父は誰かを殺して満足する男だった。
篝火白夜の母は死など気にも止めない女だった。
篝火白夜本人は殺人を容認するような男だった。
壊れていた。間違いなく壊れていた。人としての倫理や、道徳。それらとはほど遠い人種だった。
転寝鈴蘭は静かに笑った。退廃的な篝火白夜とは正反対の、生産的な笑み。
「痛そうですもんね、ピアス。あれは私も理解不能です。親から貰った大切な体を傷つけたくはないです」
「同感。俺もピアスだけは嫌だ。自分の体を否定してるみたいで、気が滅入る」
過去にピアスをしてみようと思ったことはある。しかし、耳に穴を開ける段階でやめてしまった。なんだかバカバカしいと思ったのだ。
金銭的な問題もあったし、転寝鈴蘭のように大切に扱うべき体をお粗末にしているようで嫌だったのかもしれない。あのバカな両親が唯一残してくれたものだ。
大切にしないと罰が当たる、なんて思ったのだろうか。
「なんか、平気でピアスをつけている人とか見ると、変な気分になりませんか? まるで無理やり自分の体を加工しているみたいで……。刺繍を体に施すのも、意味が分からないです」
「人には銘々、主義主張があるんだよ。ピアスとか刺繍とかが、かっこいいと思ってる奴なんてたくさんいる。人はそれに高尚性や崇高性を付加して、自分を正当化している。それがどんなにバカバカしいものであっても、だ」
転寝鈴蘭はしげしげと俺を見た。
「篝火さんって本当に不思議な人ですよね。思ったほど粗雑でもないし、頭が悪いわけでもないですし……」
「そんなわけないだろ。俺は粗雑だよ。それに、頭も悪い」
転寝鈴蘭は困ったような顔をした。窮屈な箱に閉じ込められたような表情をしている。どういう言葉をかければいいのか分からないようだった。
「そういえばおまえ、なんでここに来たんだ? もしかして、抜け出して来たのか?」
「はい。なんだか、沈んだ空気が嫌で、抜け出しちゃいました」と転寝鈴蘭は舌を出した。
「あのなぁ」とあきれる。
「けど、それにもちゃんとした根拠があるんですよ」と転寝鈴蘭はいった。「確かにお姉ちゃんが死んじゃって悲しかったです。なんかもう、わけが分からなくてずっと泣いてばかりでした。けど、こうやって泣いているだけじゃ、天国にいるお姉ちゃんは喜ばないと思うんです。もっと笑って、悲しまないで、なんていわれそうな気がします。その、不謹慎かもしれませんけど、お姉ちゃんに涙は似合わないと思います。それにお姉ちゃんは私たちに泣いてなんか欲しくないんだとも思いますし。だからでしょうか。あんまり泣いてばかりいるのもどうかなって」
変でしょうか、と問うて、転寝鈴蘭は空っぽの笑みを浮かべた。目には陰りがあって、どんよりとしている。
「お姉ちゃんが自殺しちゃったのだって、必ず何かの理由があるはずなんです。ほんの弾みで死んじゃえるほどお姉ちゃんは弱くもないですし、命をないがしろにするほど愚かでもないです。だから、絶対に理由があるはずなんです。それも、人にいえないような、重大な理由が――あるはずなんです」
ゆっくりと顔を伏せる。転寝鈴蘭は何かをこらえるように、嗚咽を繰り返した。くぐもった声が、雑草の繁茂した更地に残響する。
木の幹に体を預けて、地平線を眺めた。
俯く。その際、眼鏡が光に反射したように見えたが、そうではなかった。眼鏡は日光を跳ね返すことなく、ただ受け入れている。
そこでまた。
違和感を覚える。
地面に土を穿つような水溜りができる。少女は小刻みに震えた。何かに怯えるように暗涙に咽ぶ。眉尻に手を当ても、感情の波は押し寄せ、理性の箍は決壊した。
俺はただ、茫洋とたゆたう五月空を視界に映すだけだった。
背中に死神を纏わせているわよ。
恐怖にかられて、後ろを向く。
勿論。
何もない。
背後にはいつも通り、変わらない田園風景が広がっているだけだった。
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