18/19
17
珍しくぐっすり眠るアーノルドの黒く染まった後髪を眺めて、息を吐く。声を聞くまで本気で誰か分からなくて凄くびっくりした。ていうか黒髪になってなんかイケメンに磨きがかかった気がするんだけど。でもあんなに綺麗な金髪だったのに…もったいない。髪が伸びてきたら逆プリンみたいな髪色になるんだろうか。ちょっと見てみたい気もする。
アーノルドも身体を洗ったのか、室内からほんのり石けんの香りがした。
サイドテーブルにアーノルドが買ってきてくれた手帳(A5サイズくらいだと思う)を開いて、インクの入った小さなガラス瓶の蓋を開ける。インクからはなんだか土っぽい独特な香りがした。ペンの先をインクに浸して、目の粗い紙の上に線を一本引いてみた。思っていたより均一な線が現れて、なかなか気持ちがいい。つけペンは使った事は無いのだが、あちらと同じような構造だと思う。
ページをめくり、覚えた単語を書き連ねていく。おはよう、おやすみ、木、空、月、…こちらの文字は知らないから、意味を書いた隣にカタカナで単語を書く。すぐインクが切れるのかと思っていたのだが、一度ペンにインクを吸わせれば結構文字が書ける。結構忘れている単語も多い。あとでアーノルドとシロに付き合ってもらわねばなるまい。しかし徐々に熱のこもっていくアーノルドの授業は正直辛いものがある。頑張らねば………。
無心になって言葉を書き、頭の中でひたすら反芻しているうち、夕方になっていたようだ。階下からがやがやと沢山の人の声がする。そうか、1階は食堂になっていた。この人々の声からするに、結構繁盛しているらしい。まだこちらではサンドイッチと干し肉しか食べていないのである、凄く凄ーくどんな料理か気になる。いや、空腹という訳ではないのだが。
自分でお金を稼ぐ手段があったらなあ…一文無しの私は完全にアーノルドにおんぶにだっこ状態である。言葉が通じなくても出来ちゃう仕事があればいいのになあ……。
ぼんやりと自分の書いた文字を眺めながら思案していると、
『字が書けるのか』
「わあっ」
と後ろから突然声をかけられてびっくりして飛び上がる。起きているなら起きていると言ってくれ、頼むから!後ろを振り向くと若干びっくりした様子のアーノルドと、多分私の大声で目が覚めたシロ。アーノルドが髪を染めていたのをすっかり忘れていたから二重でびっくりした。
『……おはよう』
『ああ、おはよう』
いつもの無表情に戻って、するりと私の手の下の手帳を引き出した。ふうん、と声を出して『これが異世界の文字というものか』と呟く。シロがこちらに歩いてきたので、膝の上に顎を乗せて頭をなでなでする。しっぽをゆらゆら揺らして不本意そうにしていたがまあいいだろう。かわいいのう。
『……複雑なものなのだな』
ぺらぺらと手帳をめくりながら私の文字を追っているようだった。
————複雑なのだな、と。
「日本語はちょっと複雑だよ」
————日本語?
『ニホン語というのか。線が多くて書くのが大変そうだな』
「漢字の事かな」
ひょいっとアーノルドの手から手帳を抜き取って、開いていたページに「崎坂優」と自分の名前を書いてみせる。
『名前。さきさか、すぐる』
『不思議な文字だな。綺麗だ』
書いた名前の下にひらがなとカタカナを書いて、シロにも見える位置まで下ろしてみせる。
「日本語は表音文字と表意文字を使うの。これがひらがなで、こっちがカタカナ。これは表音文字で意味は持たない文字だけど、こっちは漢字って言って表意文字。文字自体に意味があるの」
アーノルドは難しい顔で文字を眺める。シロの通訳でもよくわからないかもしれない。こちらの文字は表音文字なのだろうか。シロも疑問符で一杯、見たいな顔をしている。今は私が先生という訳だ。
「たとえば…」
「優」の漢字をペン先で指してとんとん、と叩く。
「優、の文字はね、優しい、とか優れている、とかって意味があるの。いい言葉でしょう」
『……なるほど。スグル…優』
ちょっとだけ発音が、日本語に近くなった。なんだか嬉しくて笑ってしまう。
「シロちゃんは漢字で書くとこうかなあ」
紙に「白」と書いてみせる。
————ほう………。
綺麗な青色の目が瞬きをする。
「そうだなあ…「白」は色の名前だけど、汚れが無い、って言う意味もあると思う」
シロはそれを聞くとなんだか変な顔をして「汚れが無いなんて事は無いが」と言ったが、私が紙に書いた「白」をじっと見つめていた。
『私の名前はどう書くのだ』
「アーノルドは漢字で書けないなあ」
英語表記の仕方も分からないし。カタカナで書いてみせると僅かに口を尖らせた。
「これはカタカナ。例えばそう…アーノルドの名前みたいに、日本語じゃない言葉に使ったりとか…擬音語とかに使ったりするかな」
ほう、と呟いた様がシロにそっくりでちょっと面白い。にやにやしていると胡乱な目で見られた。私の手の中にあった手帳とペンを強奪して、テーブルの上に腰掛ける。行儀が悪いぞ、と叱責しようと顔を見上げると、
『そんなに複雑な文字を使っていたのだ、大陸語も簡単に覚えられるだろう。文字と読み方を教えてやる』
アーノルドが先生の顔になっていた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。