4/45
4─────────── 雨上がりの部屋で
コンクリートに、雨が打ち付けるのが見える。
ただ、ひたすらそれだけ。それしか見えない。
体が震えている。
…これは、寒さのせい?
仲間達に、何か声を掛けられたような気もする。
でも、答えた記憶は無い。頭がガンガン打ち付けられるようだ。
けれど、身体はどこかフワフワした世界を漂っている気がする。
…私、どうしたら良いの? 私は…。
「…らさん。桐原さん!」急に肩を揺すぶられ、ヨーコはハッと顔を上げた。
「…角川くん…」
レインコート姿の角川が、いつの間にかヨーコを見下ろしていた。
「戻りましょう」
冷えきった腕を掴まれる。「ヨーコさん。風邪引いちゃいますよ」
ヨーコは、力なくうなだれた。
「…ない…」
ルージュを引いた唇から、微かな呟きが漏れる。
「エ?」
角川が怪訝そうにヨーコを見た。
ヨーコは俯いたまま続けた。
「…もう、私は、戻れないよ…」
「…」
「ボスに…暫く来るなって…」
ヨーコの肩が震える。
「私は、角川くんの言った通り…刑事失格なの」
「桐原さん、」
「ごめんね、心配かけて。落ち着いたら、帰るから…角川くんは、もう…」
「桐原さんっ!!」
角川が大声を出した。
ヨーコはピクッと動き、恐る恐る彼を見上げた。
角川は、雨を滴らせながら、ヨーコをじっと見つめていた。
その目の厳しさは、まるで氷柱のようだ。
「…戻りますよ。一緒に」有無を言わさぬ、強い言葉だった。
「ずっと、ここでしゃがみこんでる訳にはいかないんです。あなた自身も、あなたの気持ちも」
「角川くん…」
「さあ。立って」
角川はヨーコの背中に手を回して支えた。
少しよろめきながら、ヨーコが立ち上がる。
「行きましょう。大丈夫です。きっと…」
ヨーコの背を抱いたまま、角川は言った。
小さく、本当に小さく、ヨーコは頷いた。
頬を、雨と塩辛い涙がこぼれた…。
「フーン」
プリン頭の青年―――ひったくり犯が、ニヤリと笑った。
「刑事失格、ねぇ…」
雨はしきりに降り続ける。青年のビニール傘からも、ボタボタと雫が落ちる。
「すげぇ女っ」
クスクスと笑うと、彼は手の甲を見つめた。
かすり傷から血がにじみ、ほんの少し腫れている。
ヨーコにスライディングされた時についた、傷だった。
シャワーを浴び、ピンクのフワフワしたタオルで身を包む。
冷えきった全身が、ほんのりと暖かくなる。
「ぶぇっくしゅんっ!!」女とはとても思えないくしゃみをして、ヨーコは鼻をすすった。
「誰かが噂してるのかなぁ…」
小さく呟く。
「そりゃそうだよね。あんな失敗したら、みんな怒ってるよね…」
トントン、と洗面所のドアがノックされ、わずかに開いた。
「ヨーコ、着替え持ってきたょ」
落ち着いた声。
「入っていい?」
「はいッ」
明るい声を作って、ヨーコが答えた。
キイ、と音をたてて入って来たのは、ショートカットの若い女だ。
凛々しく整った顔つき、白い肌。
手足はスラリと細く、黒いシンプルなTシャツとジーンズに包まれている。
彼女は、新潮ザザ。
ヨーコの2年先輩で、フランス人のハーフだ。
「はい、これ」
渡されたのは、バナナ色のロングTシャツと、真っ赤なフレアスカートだった。「あたしの趣味だから、こんな凄い色しか無いんだ」困ったようにザザは笑う。ボーイッシュだが美しいその笑みに、ヨーコはついつい見とれてしまった。
睫毛、長いなぁ…。
目も綺麗な二重だし。
私みたいに腫れぼったくない。
「なーに見てんのよっ」
ヨーコの視線に気付いたザザが、軽くヨーコの肩を突いた。
「あんた女でしょうが」
「すっ、すいません!あんまり綺麗だったんで…」
ヨーコは慌てて彼女から目を離す。
「あ、そう。」
あっさりとザザは許した。「まぁ、無理もないわね〜。あたし確かに美形だし」がくっ。
ヨーコはヨロッとした。
いつもの、お決まりのパターンだ。
こういう性格でなければ、ザザはモテたと思うのだが…。
「ほら、早く着て。また冷えるよ」
ザザが指摘する。
「あ、はいっ。ありがとうございまーす!!」
ヨーコはピョコッと頭を下げた。
…ちなみに、カラフルなザザの服は、典型的な日本人であるヨーコの身体に、あまりマッチしなかった。
おまけに、ザザはヨーコよりずっと細い。
ヨーコは二の腕と腰の布地が裂けやしまいかと心配しながら、洗面所を出る羽目になった。
あれから。
雨でぐしょ濡れになったヨーコは、角川と共に署に戻った。
岩波はヨーコの方をチラッと見ただけで、もう怒鳴り付けようともしなかった。
…怒鳴ってくれた方が、まだ楽なのに。
自分のミスを思うと、胸が苦しくなる。
泣きそうになりかけた所で、ザザが声をかけてきた。2人は普段からとても仲が良い。
明るくてノリの良いヨーコは、ザザのお気に入りだ。めずらしく俯いている彼女を目にしたザザは、有無を言わさずに自宅に連れてきた。
ヨーコが元気を取り戻すには、岩波の態度は冷たすぎたのだ。
「…じゃあ、私は署に戻るから」
ザザが声をかける。
「お腹すいたら、そこの雑誌の下にカップ麺があった筈だから。ヤカンは流しの中ね」
「ぁ、どうも」
ヨーコは苦笑いする。
ザザの部屋は、一言で表現するなら「カオス」だ。
散らばった洗濯物、雑誌、手錠、スナック菓子。
その下からわずかにフローリングが除いている。
陽に焼けた窓辺に、ベッドがある。
ゴチャゴチャの山は、ベッドとほぼ同じ高さまで積み上がっていた。
「鍵は持って出るから、外には出ないでね。んじゃ」ザザが朗らかに告げた。
「行ってらっしゃい」
苦笑いしながら、ヨーコが見送る。
バタン、と玄関ドアが閉まると、急に部屋は静かになった。
「はぁ…」
ヨーコはため息をついた。シャネルのバッグに目を落とす。
私が、もっとしっかりしてればなぁ…
ひったくりなんかに逢うことも無かったんだけど。
ヨーコはバフン、とベッドに身を投げた。
いつの間にか雨は止んで、明るい昼の光が差し込んでいる。
その暖かさの中で、ヨーコは目を閉じた。
ちょっとだけ寝よう。
そしたら、少しは気持ちが楽になるかも知れない…
ヨーコは、ふぅっと眠りの中に落ちていった。
カチャ…
…チャ…
ヨーコはまどろみながら、少し動いた。
カチッ。
カチ。
「…んー…」
軽く寝返りをうつ。
カチャっ。
カチャ、ガチャン!!
「!!?」
ヨーコは跳ね起きた。
パッと腕時計を見る。
時刻は12時ちょうど。
そんなに長いこと眠っていた訳ではない。
ヨーコはまわりを見回した。
相変わらずのカオス。
何も変わっていない。
…それなのに、何か違和感を感じる。
何だろう、これ。
誰かに、見つめられているような感覚。
それに、さっきの、あの音…
ヨーコは、気配を感じた。恐る恐る、ゆっくりと後ろを振り向く。
明るい光を投げ掛ける、日焼けした窓辺へと。
プリン頭の青年が、窓枠に腰掛けていた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。