最近はスピリチュアルなうんちくを語ることが、何だか少しウザい。
今の私は、ただ心地よい感触に包まれる、ただそれだけだ。
今あるものは何故だか不思議に今あり、今ないものは何故だか不思議に今はない。
それでいいと思う。
物事が起こるのは偶然か? 必然か?
昔の私は、偶然という言葉が嫌いだった。
物事(結果)には、必ずその原因(理由)があるのだと信じ、そうでなければ納得できなかった。
「必然」とは、原因(理由)が存在するということだ。
ポジティブな世界には、過去や過去世に自分が積み上げてきた原因(努力や苦労や福徳)が存在し、ネガティブな世界には、過去や過去世に行ったマイナスな原因(カルマ・業因・悪業)が存在しているという見方だ。
今の自分が、今の世界が、過去や過去世の原因によって創られている、縛られているという捉え方だ。
だが、「偶然」とは、起こることには全く原因(理由)はないという見方だ。
ある意味、今好ましくない状況にいる人たちにとっては、とても理不尽で、受け入れがたいだろうと思う。
でも、今の私は、過去の私と今の私は全く無関係でもいいと思っている。
見方は単に、「選択なのだ」と今の私は思っているからだ。
いちいち全てを過去の原因と結びつける必要などない。
過去の原因を探すということは、過去と向き合い、過去と格闘するということだ。
過去を乗り越えなければならないということだ。
ネガティブなことを見つめてそれと格闘することは、今の私には心地よいことではない。
そして、今の私には心地悪い感触よりも、心地よい感触に包まれることの方が圧倒的に多い。
だから、たとえ今の自分の状態が偶然起きているとしても、私はわざわざ過去の原因や理由を探す必要などない。
今の私は、ネガティブな思考(回想や空想)と結びついてもしまう「必然という見方」はしたくないのだ。
私に関心があるのは、ただ今の心地よさだけだ。
人生に、「偶然という世界」・「偶然という見方」を取り入れれるようになったことが、私の進化だと思う。
それは、過去や過去世という亡霊と手を切ることができるということでもある。
今の私は、ネガティブな世界を見つめてはいない。
見つめる必要がないからだ。
波動を上げ、心地よい幸せな世界に住んでいるということだ。
本当にありがたいことだと思う。