CTOは「コード書き」から離れるべきか?マネーフォワード浅野千尋氏の葛藤と、見いだした光明
2015/07/13公開
「2015年4月から仕事でコードを書く時間がゼロになりました。その結果、自分を振り返って評価する軸がなくなってしまったことに気付いたんですね。この点は未だ解消できていません。アプリのダンロード数が1000万を突破しても、きっと満足はできないでしょう」
こう語るのは、マネーフォワードでCTOを務める浅野千尋氏だ。
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このようにスタートアップがサービスをスケールさせていく裏側には、モノを作ることができるエンジニアチームの拡大が必要だ。
事実、マネーフォワードも2013年までは15人だったエンジニアが2015年7月時点では約50人にまで増員したという。チームの拡大に伴い各自の立ち位置も変化してくる。
浅野氏の場合は、銀行とのアライアンス活動や先を見据えた開発戦略、環境構築、チームのマネジメントを担うことに時間を費やすようになり、エンジニアとして、コードを書く時間が徐々に減少した。そして、2015年4月からは完全にプログラミングから離れることになった。
学生時代からプログラミングを覚え、「コードを通じて、新しい発見があることや何かの課題を解決することが、本当に楽しい」と語る浅野氏は、どのようにしてエンジニアを脱却したのだろうか。
浅野氏が出した答えは「自分が共感した目的を、改めて見つめ直すこと」だったという。32歳、若きCTOの胸中に迫る。
PCは遊び道具の1つという感覚
浅野氏が初めてPCに触れたのは小学生時代。遊び感覚で、父親が持っていたN88-BASICでプログラミングを始めたのがキッカケだ。本格的に関心を持ったのは、高校時代だったという。
「パーツを買ってきてPCを組み立てる。そんな遊びが楽しかった。小さい頃からPCに触れてはいたので、遊び道具の1つという感覚でしたね。高校で人工知能に興味を持ち、大学は情報学科に進みました」
研究室に所属したことで、モノ作りに強い興味を持ったと浅野氏は続ける。
「大学4年生の時に『カブロボ・コンテスト』というプロジェクトに参加しました。これはオンラインで株のアルゴリズムの競争を行うというものです。僕は、株価を取得したり、ランキングを作ったりなどの仕組みを研究開発しました」
金融業界からも注目を集め、東証の場で表彰が行われた『カブロボ・プロジェクト』はビジネスにつながった。そこで、事業化されたのが、トレード・サイエンスだ。浅野氏はトレード・サイエンスにてアルゴリズムの責任者を務めた。修士1年生での起業となった。
「以前から人工知能に興味は持っていたので、そのフィールドとして株というテーマを選びました。プログラミングって、基本的に書いた通りにしか動かないモノじゃないですか?ですが、人工知能は条件が組み合わさることにより、自分が想定しない動きをすることが、とても新鮮でした。
株に興味を持ったのは、大学2年生の頃、長年右肩下がりだった株価が底を打ち、V字回復をした時期です。書店にも株式関係の本が並ぶようになり、金融業界の盛り上がりを肌で感じるようになったことがキッカケでしたね」
人口知能のアウトプットとして、株というテーマを持った浅野氏は、モノづくりにのめり込んでいったという。それからは毎日が開発と隣合わせのような時間が流れた。
1日の10%でもコードを書くことで満足できた
どんなに業務が増えてもコードを書くことを止めなかった理由とは
学生起業を経て、モノづくりがライフワークというキャリアを過ごした浅野氏。トレード・サイエンスからの独立後、マネーフォワードの創業メンバーとして参画した。が、モノづくりチームが急速な勢いで組織となっていく過程で、浅野氏に求められるCTOとしての役割が変わってきた。
「もともとスタートアップのエンジニアですので、以前からコードを書くことだけが仕事ではありませんでした。採用面接や広告の出稿、マーケティングなど何でもやるのが前提ですね。それでもコードを書く時間が、約9割という状態でした。
ですが、社員数が30名を超え始めた段階から、コードを書く時間が徐々に減少してきました。事業計画を作ることやアライアンス先を増やすための動きが増えたためです」
最終的にコードを書く時間が1日の10%以下になってきたが、ゼロにすることだけは防いでいたと浅野氏は続ける。
「書くことを止めなかったのは、やっぱり書いてる時が楽しかったから。僕が組織で発揮したい価値は、良いサービスを作ることでした。ですが、組織拡大に伴いCTOとして求められる価値が別軸になってきたんです。自分の価値は前者のままだと信じて疑わなかったんですが、違和感だけが日々大きくなってきました」
エンジニアとしての自分とCTOとしての自分。ポジションや企業フェーズによる役割の変化に浅野氏の中で、違和感だけが募っていった。「自分はこのままでいいのだろうか」。そんなことばかりを考える時期が続いていた。
良いサービスを作るための手段は、コードを書くことだけじゃない
そして、浅野氏がコードを書く時間は2015年の4月からゼロになった。
直接的な要因は『マネーフォワード』の心臓部を支えていると言ってもいい、浅野氏が基盤を構築したアカウントアグリゲーション(銀行やクレジットカード会社のアカウント情報を登録することで、各口座を一元的に管理できる仕組み)のチームマネジメントからPFM(Personal Financial Management(個人資産管理))のチームに注力することになったためだ。
では、この状況を浅野氏はどう受け入れたのだろうか。
「僕がマネーフォワードに誘われた時に共感したのは、『全ての人のお金の悩みを解決する』というビジョンでした。例えば、FXで自分の身の丈に合わないリスクを取ってしまうことや、対面証券における投資信託の回転売買事件など、お金に関する悩みや課題は世の中にあふれています。
確かに自己責任なのですが、投資家サイドの金融リテラシーが伴っていないという見方もあります。僕が解決したかった課題はその点であり、技術はそのための手段であるということに気付きました」
技術はあくまでも目的を叶える手段——。
改めてこの視点で考えてみると、プログラミングではなく、組織戦略を担うことが、今の自分にとっての「目的」を叶えるための手段であることに浅野氏は気付いたという。
「良いモノの作り方って、コードを書くことだけじゃないということですね。ユーザーにとって、良いサービスを作るための組織や事業戦略を組み、俯瞰的な動きをする。これも目的を果たすための手段だと考えました」
エンジニア一筋でキャリアを重ねてきた浅野氏にとって、“目的を叶える為の手段”をコードから組織作りに変更するという大きな思考の変化が生まれた瞬間だった。
「これまでの自分の柱は技術と金融知識でしたが、今の立場になってみて、まだ数カ月ですが、“事業戦略”という新しい柱が生まれつつあると実感しています。そうした意味でも今回の変化はプラスだと感じています」
ビジョンの実現にこだわる自分へ
プログラミングを止めた浅野氏に現れた変化とは
コードを書くことを卒業して数カ月が経った浅野氏。プログラムを書かない日々から、自己評価に対して変化が生まれたという。
「以前の指標は、書いたコードの質や量、結果的にどうユーザーに受け入れられたのか?などですね。それが、今は何で測って良いのか分からなくなってしまったんです」
プログラムと向き合い、何かの問題を解決することが、心の支えになっていたと、浅野氏は以前を振り返る。
そして、今の段階ではこの課題は解決できていないという。
「これまでとは違い、自分が担う責任や価値の基準が変化しました。例えば、アプリのダンロード数が1000万を突破する。これはとてもうれしいことですが、満足はできないでしょう。
マネーフォワードが『世の中のお金に対する不安をなくす』という目的を果たすことに、どれだけ貢献できたのか。この点だけが、これからの達成感につながっていくと思います」
スタートアップは事業のピポットを繰り返すことも珍しくない。だが、一度もマネーフォワードはブレなかった。ジョインを決めた時点から変わらないビジョンを持っていたからこそ、浅野氏はイチエンジニアを脱するという変化を受け入れることができたと振り返った。
「僕の場合は、ジョインを決めた原点に立ち返ることで、意識を変えることができました。もしも、僕と同じような立場を迫られて悩んでいる方がいるのであれば、目的を達成するために自分が何をすべきなのか。この点を改めて考えることでその人なりの答えが見つかるのかもしれません」
自分よりも優秀なエンジニアは山ほどいる。そうした考えから、最前線から退くことに対しての不安はなかったと浅野氏は語った。事業戦略に手段を切り替え、貪欲に動く浅野氏が作る今後のマネーフォワードのサービスはどう進化していくのだろうか。
エンジニアからの脱却を果たしたCTOが次に満たされる日を、楽しみに待ちたい。
取材・文/川野優希(編集部) 撮影/竹井俊晴
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