( ※ 長文です。原稿用紙換算 35枚。)
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経緯と問題
ことの経緯は、次の通りだ。(参考:Wikipedia )
2012年7月、JSC が国際コンペの実施。1300億円の予定。
2012年11月、ザハ案に決定。1300億円の予定。
(「この金額では済まないだろう」という批判も出る。)
2013年10月23日、文科相が「3000億円」という試算を示す。( → 転載 )
2013年12月26日、規模を縮小した修正案を示す。1699億円。( → 転載 )
2014年5月28日、新たに 1625億円という数字を出す。( → リンク )
2014年中、批判の声が出るが、政府は無為無策で、時間が無駄に経過。
2015年6月24日、約2520億円という数値が一部で報道された。( → リンク ,リンク )
2015年6月29日、下村文科相がザハ案に正式決定。 2520億円。これが政府方針。★( → リンク )
2015年7月7日、JSC の有識者会議でザハ案に正式決定。屋根なしで 2520億円。さらに屋根の分を加えて、将来的に 3000億円以上の見込み。(報道は多数。)
さて。この金額がいかに巨額であるかは、他のスタジアムと比較するといい。可視化すると、次のグラフがある。
出典
あまりにもべらぼうな金額だとわかる。これが世論を沸騰させた。
ここから、「誰のせいだ?」という真犯人捜しも始まった。これはいわば、問題提起である。この問題提起に対して、以下では回答を探ろう。
選考過程
2012年11月に JSCはザハ案を選定したが、その選考過程はどうだったか?
まず、選考の担当者は、審査委員である。名簿は下記だ。
《 審査委員 》※ 小倉純二、都倉俊一、河野一郎は、建築家ではない。
安藤 忠雄、鈴木 博之、岸井隆幸、内藤 廣、安岡 正人、小倉 純二、都倉 俊一、ノーマン・フォスター、リチャード・ロジャース、河野 一郎
( → 応募要項 )
選考過程については、下記に情報がある。
各審査委員による評価で1位評価の多かった上位3点を入賞作品とすることが決まった。コックス・アーキテクチャー、ザハ・ハディド・アーキテクツ、SANAA+日建設計である。
3案のうち突出した評価を得た作品はなく、順位付けはそれぞれの作品について意見交換を行ったうえで再投票することにした。
( → 審査経過 )
再投票でも評価は分かれた。……最優秀賞にザハ・ハディド・アーキテクツを選定。委員会の総意として、優秀賞にコックス・アーキテクチャー、入選作品にSANAA+日建設計を決定した。
( → 審査経過 )
これによると、三つの案で、評価は分かれたらしい。しかしなぜか、ザハ案に決まった。どうしてそうなったか、という過程は、上記の記事では不明である。
安藤忠雄?
真犯人は安藤忠雄だ、という説が出た。ザハ案の選定には、安藤忠雄が強く関わったらしいからだ。
安藤忠雄は委員長権限で、ザハ案の採択に決定的に強く関わったらしい。最終審査の前で、妙な動きをしたらしい。
「ザハ案(今回採用された女性建築家)以外、豪州と日本の設計事務所の案が残りました。ここから安藤さんの意向で日本案が外され、最後は二案になる“決選投票”となったのです」
( → 審査経過 )
委員長裁断で、日本案が勝手に排除されたらしい。ただし、これは噂話なので、信憑性は高くない。また、先に述べた選考過程の話とも矛盾する。
ただ、この記事には、次の情報もある。
「決選投票は四対四で割れてしまい、その後もめいめいが意見を述べましたが、いったん休憩しようということになった。で、皆が席を離れた後、ひとりの委員が安藤さんに『こういうときは委員長が決めるべきでしょう』と話しかけたのです。実際、それ以上繰り返しても結果は変わりそうになく、安藤さんも『わかりました』と応じていました」
安藤忠雄氏は、さきの有識者会議のメンバーでもある。
「だから他の委員が詳しく知り得ない“上の意向”にも通じていたのでしょう。一時間ほどの休憩をはさみ、再び委員が席に着くと、安藤さんは『日本はいま、たいへんな困難の中にある。非常につらいムードを払拭し、未来の日本人全体の希望になるような建物にしたい』という趣旨のことを口にし、ザハ案を推したのです。そこで安藤さんは全員に向かって『全会一致ということでよろしいですか』と念を押し、誰も異論がなかったので、そのまま決まりました」
( → 審査経過 )
これも、どこまで本当かはわからないが、「意見が分かれた状況で安藤忠雄がザハ案を強く推奨した」というのは、事実らしい。実際、この一年ぐらいの間にも、安藤忠雄が ザハ案の採択に奔走したようなのだ。次の証言がある。
安藤忠雄さんから電話がある。ここ数ヶ月間に新国立競技場に関して紆余曲折があったがその間に安藤さんは文科省とJSCに対して何度も責任をもって当初案を進めるようにと主張してきたのだという。
( → 安藤忠雄の友人である建築家の証言 )
ただしこの証言は、安藤忠雄には不利な証言なので、掲載後まもなく、削除された。(「削除された」旨の打ち消し線もなく、こっそり削除された。……私は当日のうちにコピーを取っていたので、上記の文章を保存して、引用したが。)
安藤忠雄は運動してきたらしい。最後の JSC 有識者会議に欠席したのも、それまでの運動してきたことが暴露されないようにするためだと考えれば、納得がゆく。
ただ、安藤忠雄は、費用が 1699億円のつもりで奔走したようだ。「1300億円に比べて(縮小案ならば)300億円しか増えていないぞ。だったら、ザハ案の方がいい」というふうに。
ところが、 有識者会議で決定する直前に 2520億円という数字が出た。(前出 ★ )これを見て、安藤忠雄はビックリしたようだ。テレビ番組でコメントを寄せた。
→ 安藤忠雄氏「何でこんなに増えてるのか、分からへんねん」
→ 安藤忠雄氏「なんでこんなに増えてんのか分からへんねん」
それでも、わけがわからないまま、既定の方針(ザハ案)に突き進んだということらしい。ただ、1699億円のつもりだったのに、いきなり 2520億円という数字を出されたのだから、前提がひっくり返ってしまったことになる。「だまされた!」と思ったことだろう。
この意味では、安藤忠雄は、「だまされた被害者」だとも言える。(重要!)
有識者会議
JSCの責任はどうか?
まず、最初の審査委員会の段階では、1300億円という条件の下でザハ案を選定した。この段階では、1300億円のつもりなのだから、審査委員会は特に悪くない。
ただし、建築のプロならば、これが 1300億円でできないことは見抜けたはずだ。そして、見抜いた以上は、「高コストになるならば,条件を満たさないので、ザハ案は失格」という方針を示して、次点の案を推奨する報告(付随書)答申を出すべきだった。なのに、そうしなかったという点では、何らかの瑕疵がある。(わかりやすく言えば「無能だ」ということ。)
次に、7月7日の有識者会議は、どうか? 世間ではこれが「正式に決定した責任者」というふうに見なされている。しかし、先に ★ で示したように、その1週間前の6月29日の段階で、すでに文科省が「ザハ案、2520億円」と決めていたのだ。有識者会議は、それを追認しただけだ。つまり、セレモニーをしただけだ。なぜなら、有識者会議というのは、ただの傀儡(かいらい)にすぎないからだ。これを操る人形師は、文科省である。
そのことは、有識者会議の名簿を見てもわかる。
《 有識者会議 名簿 》
安西 祐一郎, 独立行政法人日本学術振興会理事長
小倉 純二, 公益財団法人日本サッカー協会名誉会長
佐藤 禎一, 元日本国政府ユネスコ代表部特命全権大使
鈴木 秀典, 公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構会長
竹田 恆和, 公益財団法人日本オリンピック委員会会長
張 富士夫, 公益財団法人日本体育協会会長
鳥原 光憲, 公益財団法人日本障害者スポーツ協会会長
森 喜朗, 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長
横川 浩, 公益財団法人日本陸上競技連盟会長
国会議員
遠藤 利明, スポーツ議員連盟幹事長 衆議院議員
笠 浩史, 2020年東京オリンピック・パラリンピック大会推進議員連盟幹事長代理 衆議院議員
舛添 要一, 東京都知事
都倉 俊一, 作曲家 一般社団法人日本音楽著作権協会会長
安藤 忠雄, 建築家
( → 出典(PDFのHTMLキャッシュ) )
14人中、9人が文科省から補助金をもらう公益法人に属する。文科省に首根っこを押さえつけられた犬か猫みたいなものにすぎない。それ以外は、国会議員が2名、都知事が1名、文化人が1名、建築家が1名。
というわけで、14人中の 9人は、文科省の言いなりになるお飾りにすぎないわけだ。これらは、ひな祭りの人形のようなお飾りなのだから、何の責任もない。責任があるのは、傀儡を操った人形師の方だろう。
なお、有識者会議の委員長は、安藤忠雄(審査委員会の委員長)ではなくて、元・文部事務次官だった佐藤禎一である。( → リンク ,Wikipedia )
彼が議論を主導したようだが、これは、文科省の意を受けてのことだろう。やはりすべては文科省のコントロールの下に置かれていたようだ。
JSC
JSC という組織についてはどうか? 組織自体はあまり関係なくて、JSC の有識者会議(という外部組織みたいなもの)だけが関係するので、JSC そのものはどうでもいい。
ただし、JSC の会長(河野一郎)の重要な証言がある。
「白紙撤回はできないのかというが、まず日本スポーツ振興センター(JSC)は、文部科学省から同氏のデザインをもとに建設計画を進めるよう指示されており、我々に決定権はない。」
( → 読売新聞・朝刊・特集面 2015-07-08 )
あー、バラしちゃった。責任転嫁をしているようだが、自分たちは傀儡に過ぎず、本当の黒幕が文科省であることをバラしちゃった。あー、バラしちゃった。(あとで怒られても知らないよ。)
森元首相
「森元首相が黒幕だ」── という説もある。彼がこの分野のドンみたいな権力をもっていたからだ、という理屈。
→ 新国立競技場は最初から安倍首相の親分・森喜朗の仕掛けだった
また、「森元首相はラグビーW杯の開催のために新国立競技場の決定で暗躍した」という説もある。
→ 新国立競技場2520億円をゴリ押ししたのは誰か
また、森元首相が新国立競技場(ザハ案)につとに熱心だったことについては、報道も多い。
→ 森元首相 新国立競技場の改築計画に理解求める
しかしながら、「森元首相が真犯人だ」という説には、決定的な難点がある。それは、「彼には決定するだけの権限がない」ということだ。
殺人事件で言えば、「彼は凶器を持つことができなかった」ということだ。真犯人は凶器を持つことができたのに、この容疑者は凶器を持つことができなかったと証明された。ならば、この容疑者は真犯人ではあり得ない。
森元首相も同様だ。彼は、どれほどザハ案に熱心であったとしても、それを決める権限がない。文科省を指揮下に置く権限もないし、予算支出を決める権限もない。そもそも彼は、今では落選した元衆院議員であり、政治家ですらない。こんな人物は、探偵小説で言えば、「最も怪しい当て馬(レッド・ヘリング)」であるにすぎない。こんなものに引っかかってはならない。
比喩的に言おう。森元首相は、ただの駄々っ子である。「あれがほしい、あれがほしい、あれを買って、どうしても買って」と駄々をこねているだけだ。彼はいくらでも駄々をこねることができるが、財布の支出の権限がない。
比喩的に言えば、どこかの家庭で子供が「ランボルギーニを買って! どうしても買って!」と駄々をこねた。そのあとで、夫がランボルギーニを買った。妻は怒った。「その金はどうしたの!」。夫は答えた。「 1000万円は、来週マンションを買うための頭金を取り崩した。それで足りない分は、高利貸しから借金した。かくて合計 2520万円を払った」
ここで、ランボルギーニを買った責任は、誰にあるだろうか? 「買って、買って」と駄々をこねた子供か? それとも,実際に金を支出した夫か? 妻はどちらに怒りを向けるべきか? (そもそもマンションを買うための 1000万円は妻の持参金である。それを勝手に浪費されたら、妻が怒るのも当然だ。……ここで、妻は国民。夫は誰でしょう?)
安倍首相
安藤忠雄や、森元首相や、JSC が「ザハ案を取りたい」と思うのは勝手である。それは駄々っ子が「あれ買って、あれ買って」と超高額のオモチャを指差すのと同様だ。駄々っ子が何を欲しがろうが、それは別に問題ない。
問題は、駄々っ子の言うことを聞いて、実際に 2520億円を出すと決めた人だ。では、それは、誰か?
文科省か? いや、文科省は、駄々っ子の一人であるにすぎない。「あれ買って」と言うことはできるが、買うための金を用意できない。
財務省か? 形の上では財務省だが、これほど巨額の金を財務省の職員が一存で決めることができるわけがない。最低でも財務相(大臣)の裁決が必要だし、大臣の裁決には総理大臣の裁決が必要だ。
ここまで見ると、真相が判明する。「2520億円を出してもいい」という最終決定を下したのは、安倍首相である。つまり、彼が真犯人だ。
ここを誤解する人が多い。たとえば、朝日新聞がそうだ。
事業主体の日本スポーツ振興センターの河野一郎理事長は……「我々のミッションは、あの形で作ること。やめる、やめないは文科省が決めたことだ」
責任は下村博文・文科相をはじめ、政治にある。……もはや、五輪招致でも先頭に立った安倍晋三首相の政治判断しか、方針転換の道はない。
( → 朝日新聞・社説 2015年7月8日 )
新国立競技場のザハ案を中止するための最終決定を、安倍首相に求めている。呆れる。ザハ案を取ると決めた張本人である安倍首相に、その中止を求めているのだ。
比喩的に言えば、悪に襲われた被害者が、「助けてください」とすがりついたが、そのすがりついた相手が、悪の組織の親玉だった、という形。映画 007 で言えば、悪の組織「スペクター」の親玉に、「助けてください」とすがりつくようなものだ。馬鹿げている。
そして、それというのも、悪の組織の親玉は誰であるか、理解できていないからだ。
はっきり言おう。殺人の真犯人は、凶器を持った人でしかあり得ない。同様に、新国立競技場の最終決定をした真犯人は、「あれ買って」と駄々をこねた駄々っ子ではなくて、そのために 2520億円を出すと決めた人だ。そして、それを決めた人は、それを出すだけの権限をもつ人だ。そのような人は、日本にはたった一人しかいない。安倍首相だけだ。
嘘つき
安倍首相が真犯人であることは、論理的に明らかだが、他にも裏付けとなることがいくつかある。特に、「嘘をついた」ということが決定的だ。
(1) 民主党のせいにした
新国立競技場の決定をしたのは自分であるのに、「民主党のせいだ」と述べた。
安倍首相は「オリンピックを誘致する際に、国際コンペをやってザハ案というのが決まった。国際コンペをやると約束し、監修権等をザハさんに与えると決まったのが2012年11月、我々が政権につく前のことだ。事実として述べると、民主党政権時代に、ザハ案でいくということが決まり、オリンピックを誘致することが決まった」と述べた。
( → The Huffington Post )
これは嘘である。審査委員会がザハ案に決めたのが 2012年11月16日。同じ日に、衆院が解散された。つまり、この日の時点では、もはや民主党政権は何かを決定する状態ではなかった。
そもそも、審査委員会が決めたのは、選定だけであって、決定ではなかった。公式に決定したのは、2015年7月7日の有識者会議である。これは安倍首相の時代のことだ。さらには、2015年6月29日、下村文科相がザハ案に正式決定した。(前出 ★ )このとき、安倍首相が裁断したはずで、これこそが真の決定だった。それを隠蔽して、民主党のせいにしているのだから、とんでもない嘘つきだ。見え見えの嘘。選定と決定とをあえて混同させるペテン。
(2) 間に合わない
「今から選定をやり直すと、時間的に間に合わない」と述べた。
→ 新国立、首相「変更だと間に合わない」
しかし、これは嘘である。
第1に、選考をあらためてやり直す必要はない。先の選考の次点または次々点から選べばいい。あるいは、2016年のオリンピックの招致のときのスタジアム案(安藤忠雄設計)にしてもいい。これだと、1000億円程度でできるようだ。
第2に、選考をあらためてやり直しても、時間的には間に合う。なぜなら、前回の選考ですら、募集から締め切りまではたったの2カ月しかなかった。そこからまた2カ月で最終決定した。計4カ月で済む。このくらいの期間で決まるのだから、余裕はしゃくしゃくだ。
第3に、ザハ案では巨大なアーチの工事がものすごく難工事だ。
→ 止められない巨大アーチ
このアーチだけで、普通の工事に比べて、1〜2年も余計にかかってしまう。(アーチの両端を結ぶ直線部[タイビーム]が必要で、これを地中に埋めるために、大工事が必要となる。)
逆に言えば、このアーチがない普通のスタジアムならば、工期を1〜2年も短縮できる。ゆえに、「間に合わない」ということはないのだ。
なるほど、次に決まるのがザハ案ならば、工期が長いので、今から決めるのでは間に合わないかもしれない。しかし次に決まるのが普通の案であるならば、工期は短くて済むのだから、間に合うのだ。
第4に、中止を決定するための時間は、たっぷりとあった。3000億円という数字が出たのが、2013年10月23日。その後、1699億円というような金額も出たが、これはもはやザハ案ではなく、まったく美しさのない偽物の案なのだから、検討するにも値しない。それより何より、多くの建築家が批判していたのだから、この時点ですでに「駄目出し」をするべきだった。中止を決定するための時間は、たっぷりあったのだ。
にもかかわらず、7月7日までずるずると決定を引き延ばした。それまでずっと無為無策でいた。その張本人は、安倍首相自身なのだ。自分が何もやらないでいて、「時間がなくなりました」なんて、弁明にすらなっていない。
だいたい、そんな理屈が通るのなら、納税者はみんな納税をサボるよ。「納税をしないでいたら、納税の時期が過ぎました。だから納税をしません」……こんな理屈が通るのか? 「おまえが勝手にサボっていただけだろ」と叱られて、課徴金を取られるのが関の山だろう。安倍首相はそんなこともわからないのか?
実を言うと、安倍首相は、馬鹿ではない。ただの嘘つきだ。以上のすべては、本人はわかっていて嘘をついているのだ。国民をだますために。
動機
ではなぜ、安倍首相はそれほどにも嘘をついて国民を騙してまで、新国立競技場(ザハ案)の建設に邁進するのか?
特に、最近では、圧倒的多数の国民が反対している、という世論調査もある。
→ 新国立競技場の建設計画を「見直すべきだ」と答えた人は81% (読売新聞)
→ 新国立競技場「建設計画を見直すべき」82.9% (日本テレビ)
8割以上の国民が反対している方針を、あえてゴリ押しする。民主主義に反する極端な独裁専制主義。こんなことをやるのは、およそ常識を外れている。普通では決してあり得ない。まるでヒトラーか、金正恩か、中国共産党だ。
ではなぜ、安倍首相はそれほどにもゴリ押しをするのか? その動機として推察が付くのは、一つしかない。それは、集団的自衛権だ。
どういうことか? ここでゴリ押しをやめて、国民の意見に屈したら、集団的自衛権でも同様のことになりかねない。集団的自衛権では、国民の大半が反対しているのに、安倍首相は強行に突破しようとして、憲法違反までやろうとしている。これが彼の大本命だ。
とすれば、それの阻害となるようなことは、一切、やりたくない。ここで(新国立競技場の案で)「国民の大多数の意見に屈して、自分の方針を捨てた」という前例を作れば、集団的自衛権でも同様のことになるだろう。「集団的自衛権は憲法違反だ」という圧倒的多数の声に従って、安倍首相は集団的自衛権の推進という方針を捨てざるを得なくなるだろう。
だからこそ、それを避けるために、今この段階で、断固として、膝を屈するのを拒んでいるのだ。
つまり、ここでは、「安倍首相 v.s. 国民」という対決の構図ができている。そして、安倍首相は、この対決において決して膝を屈するまいとしているのだ。
それこそが、彼があれほどにも頑固になる理由なのだ。
結論
新国立競技場の問題の核心は、どこにあるか?
ザハ案を選定したことが問題なのではない。ザハ案のために巨額の金を出すと決めたことが問題なのだ。
初期に 1300億円の案を選定したことが問題なのではない。最後に 3000億円程度となると判明しても、なおかつ中止せずにその金を出すと決めたことが問題なのだ。
比喩的に言えば、ここでは、アクセルを踏んだことが問題なのではなく、ブレーキを踏まなかったことが問題なのだ。たとえば、高速道路で、前方に危険な障害物が急に現れたとする。それは予見し得ないものだった。それでもとにかく、それを認めた。ならば、ブレーキを踏むことが必要だ。そうすれば、障害物に衝突しないで済む。ところが、「もともとこの方針を取ると決めたのだから」という理屈で、ブレーキを踏むことをあえて拒む運転手がいる。「これまでずっとアクセルを踏んでいたのは、おれじゃなくて、前の運転手だ。前にアクセルを踏んだ運転手が悪いのであって、ブレーキを踏まないおれが悪いんじゃない」……こういう理屈で、障害物に激突する。大惨事。
しかし、人々は、真犯人が誰であるかを理解できない。「アクセルを踏んだのは誰か」ということばかりを調べるからだ。そのあげく、「安藤忠雄が犯人だ」「森元首相が犯人だ」というふうに主張する。理由は、「彼らがアクセルをずっと踏んでいたから」。
そのあげく、悪の組織「スペクター」の親分に、助けを請う。「私たちを救ってください。何とかしてください」と。
かくて悪はますます栄える。
──
なお、最後に一言。
人々は「正式決定したのは 7月7日の JSC 有識者会議だ」と思っているようだが、それは根源的な間違いだ。
前にも ★ で述べたように、6月29日には文科省でザハ案が 2520億円で正式決定されているのである。正式決定した日は、この日だ。そして、その決定をしたのが誰であるかは、明らかであろう。
その後、 7月7日にあった JSC 有識者会議は、あくまでお飾りのセレモニーにすぎない。(本文中で何度も述べた通り。)
ここを誤解している人が多いので、間違わないように注意しよう。
[ 付記1 ]
今からでもザハ案を止める止める方法はある。前項だ。
→ 新国立競技場を止める方法
なお、次の情報が参考になる。
工期に余裕は一切ない。一度でも天変地異が起きれば、間に合わなくなる可能性がある。
( → 朝日新聞 )
それが事実なら、みんなで工事を妨害すれば、建設を阻止できる。アーチができなくなる(2020年に間に合わなくなる)とわかれば、工事は中断せざるを得なくなる。そのあとは、もちろん、無料の競技場を使えばいい。下記のように。
→ 新国立競技場を無料で
※ つまり、調布の味の素スタジアムを使えば万事OK、ということ。
もちろん、サブトラック(補助競技場)もある。
[ 付記2 ]
この問題と似た事例は、他にもある。それは、八ツ場ダムの建設だ。
特に必要もないダムを建設するために、4000億円もの巨額を投入する。農業にはもはや余分な水は必要なくなっているのに「水が必要だ」と唱える。それを指摘されると、「洪水時の治水のために」と唱えるが、八ツ場ダムの治水効果などはごく限られていて無効に近いし、また、想定される被害額よりももっと巨額の金を投入する。
比喩的に言えば、「万一のケガのための保険に入る」というつもりで、「ケガをしたら 1000万円もらえる」という保険の保険料に 4000万円を払う。まったく、何やっているんだか。
→ 八ツ場ダムの是非
これほどの愚行なので、賛否両論があるが、国交省は推進に邁進する。財務省はそれを抑えたがる。そこで首相が最終決断して、「建設」と裁断する。
ここでは、推進派は国交省であり、首相が一人で何もかも決めたわけではない。しかしながら、賛否両論がある場で、最終的な決断を出して、愚行に突き進んだのは、首相の責任なのである。(自分のやったことの責任を否定するようであれば、もはや首相の資格がない。)
これと同様なのが、新国立競技場だろう。推進派がいたので、安倍首相が一人で建設の全責任を負うわけではない。しかしながら、建設することの最終責任は、安倍首相が負う。なぜなら、最終的な決断の権限をもつのが、首相だからだ。……このことを否定するのであれば、議院内閣制という制度を否定するのも同然だろう。(つまり、馬鹿でなければ、首相に責任があることはわかるはずだ、ということ。)
[ 余談 ]
実を言うと、首相に責任があるのは、新国立競技場と八ツ場ダムだけじゃない。集団的自衛権もそうだし、経済政策もそうだし、外交政策もそうだし、およそ国政に関わるすべては首相に責任がある。当り前だ。小学生でもわかることだ。
なのに、どういうわけか、新国立競技場に限っては、安倍首相の責任に対して、人々は盲目になる。これはまったく不思議なことだ。
思えば、菅直人の場合には、何もかもが菅直人の責任にされた。原発事故も、東日本大震災の被害も。電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも。何もかもが菅直人のせいだ、とされた。
安倍首相の場合には、本人の責任が徹底的に免除され、菅直人の場合には、何もかもが本人の責任とされた。まったくどうして、これほどにも差が出るのか。不思議ですね。
【 関連項目 】
最善は、どうするべきか? 私は、次のように提案した。
・ 陸上競技は、調布の味の素スタジアムで。
・ 代々木の跡地には、8万人規模の専用サッカー場を通る。
・ ここで閉会式を行う。
・ オリンピック終了後は、サッカー場として、毎週活用する。
→ 新国立競技場の問題点と代案
タイムスタンプは 下記 ↓