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スキーモーグルの銅メダリストをめぐり、各所から「親」主張
FEBRUARY 21, 2006 02:59  
「ドーソンは私の息子だ」

06イタリア・トリノ冬季五輪スキーモーグルに、米国代表として出場して銅メダルを取った韓国系入養児のトービー・ドーソン(金スチョル、28)選手の父親、親戚だと主張する人が相次いで現れ、ドーソンが本当の親に会えるかどうかに関心が集まっている。

シン氏(54、釜山金井区青龍洞)は20日、「ドーソンが子供の時の写真を見たら、25年前、私が捨てた2番目の息子のようだ」と主張した。当時、釜山(プサン)のある部隊で下士として勤務していたシン氏は、「精神疾患をわずらっていた妻と離婚した後、1981年ごろ、次男のジェホを育てるのが大変で、釜山のある警察署に『迷子』として預けてきた」と話した。シン氏は「息子を捨てた立場なので、実子だとしてもドーソンの前に出る勇気はないが、実子の確認をする用意はある」と話した。

また、市外バス運転手の金ジェス氏(52、釜山南区龍塘洞)も、「顔つきや年齢から見て、ドーソンは25年前、市場で失った息子『ボンソク』に間違いない」と主張した。金氏は、「友達が五輪でメダルを取ったドーソンを見て、私に似ていると話し、新聞を見たら、失った息子だった」と話した。

金氏とドーソンは顔の輪郭やほおひげなど顔つきが似ており、金氏の2番目の息子ヒョンチョル氏(23、軍服務中)もドーソンに似ているというのが周囲の話だ。離婚した前妻のウィ氏(50)が1981年、釜山東区凡一洞(トング・ボムイルドン)中央市場と自由市場へ行った時、人波の中で息子を見失ったということ。

しかし、ドーソンを入養させたホールト児童福祉会の関係者は、「ドーソンは1981年9月23日、釜山東区凡二洞(ボムイドン、現凡一洞)で迷子として発見された後、釜山で唯一の迷子保護施設の児童一時保護所(現ナムグァン総合社会福祉館)にずっといたため、親が積極的に探していれば、見つけられないわけがない」とし、「別の子である可能性があるため、慎重なアプローチが必要だ」と述べた。

このほか、ドーソンの叔母だと主張するチョ氏は、ドーソンの本当の名前はチョ・チャンフンで1981年1月、釜山亀浦洞(クポドン)のある産婦人科で生まれた後、捨てられ、胸に大きな斑点が1つあると主張した。

このように、ホールト児童福祉会とマスコミ各社には、実の親か親戚だと主張する10件あまりの連絡が来ている。

ドーソン選手は3月1日、京畿道龍仁市(キョンギド・ヨンインシ)で行われる国際スキー連盟ワールドカップに出場するため、26日、韓国を訪問する予定だ。これについて、ホールト児童福祉会所属の社会福祉士のソル・ウンヒ氏(33)は、「実の親か親戚だと主張する人がたくさん現れた場合、ドーソン選手は大きな衝撃と失望にさいなまれるだろう。会おうとするよりもまず、遺伝子分析によって実子であるかどうかを確認する手順を踏まなければならない」と話した。

一方、1981年11月26日ホールト児童福祉会に残されたドーソン選手の面談記録によると、「簡単な言葉を理解し、1、2の単語をつなげて答える。自分の年と名前を知っている」となっている。「金スチョル」は、児童保護所でつけられた名前ではなく、実際の自分の名前である可能性も提起されている。

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