アジア・太平洋戦争期の慰安婦についての講演会が21日、佐賀市のアバンセであった。
福岡市の産婦人科医・天児都(あまこくに)さん(80)が、軍医として
慰安婦を診察した父の論文や写真が恣意(しい)的に利用されたとして
「『従軍慰安婦』というフィクションが作り上げられた」と主張。
「子どもや孫に正しい歴史を伝え、これからの国づくりにつなげてほしい」と訴えた。
天児さんの父・麻生徹男軍医は日中戦争さなかの1938年、
中国・上海で日本から渡ってきた慰安婦を診察、その事実をもって麻生さんを
「従軍慰安婦の責任者」とする著作が公表された。
天児さんは、本の公表後、国内や韓国から次々と人が訪れては
謝罪を要求されたと紹介。
この経験か ら、父が残した随筆と写真をまとめた本の出版や、
講演活動を始めたと語った。
天児さんは「公職追放やプレスコードなど、戦後占領期にGHQが
かつてない思想弾圧を行う中で、日本を悪者扱いする東京裁判史観が
“史実”として定着したのは残念」と話した。
講演会は市民有志でつくる戦争と女性問題を学ぶ講演会実行委員会が主催、
70人が参加した。発起人代表の太田記代子さんは
「国を守るために死んでいった兵士の名誉のためにも、
多くの人に知ってほしい事実」と話した。
2015.2.4 19:41更新
「抗日戦での共産党の功績認めろ」と中国紙、中国・上海で日本から渡ってきた慰安婦を診察、その事実をもって麻生さんを
「従軍慰安婦の責任者」とする著作が公表された。
天児さんは、本の公表後、国内や韓国から次々と人が訪れては
謝罪を要求されたと紹介。
この経験か ら、父が残した随筆と写真をまとめた本の出版や、
講演活動を始めたと語った。
天児さんは「公職追放やプレスコードなど、戦後占領期にGHQが
かつてない思想弾圧を行う中で、日本を悪者扱いする東京裁判史観が
“史実”として定着したのは残念」と話した。
講演会は市民有志でつくる戦争と女性問題を学ぶ講演会実行委員会が主催、
70人が参加した。発起人代表の太田記代子さんは
「国を守るために死んでいった兵士の名誉のためにも、
多くの人に知ってほしい事実」と話した。
2015.2.4 19:41更新
「主役は中華民国軍」と訴えた台湾に反発
台湾国防部の報道官が中国共産党に対し
「抗日戦争」の主役は国民党が主導した
「中華民国」の国軍だったという歴史に向き合うべきだと呼び掛けたことを受け、
4日付の中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は
「台湾では共産党の抗日戦争の功績が認められていない」と反発する社説を掲載した。
社説は「(中国)大陸では、国民党の役割を積極的に評価している」と主張。
中国が「抗日戦争勝利」に関する記念活動を実施していることに
「台湾当局は感謝すべきだ」とした。
また「今の台湾社会は日本にこびる雰囲気が深刻化し、日本の植民地統治を記念する
活動の方が多い」と批判した。(共同)
【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点(1)後半】
軍医論文ヒントに「完全な創作」世界に増殖 誤りに謝罪しながら訂正せず
「千田夏光という作家に父が慰安婦制度の考案者のように嘘を書かれ、
大変な目に遭った。平成3年ごろから、 私の診察室にまで内外からいろんな人が
押しかけ『民族のうらみをはらす』とか『謝れ』などといわれ罪人扱い されました」
こう振り返るのは福岡市在住の産婦人科医、天児都(あまこ・くに)(79)だ。
天児によると、千田の著書『従軍慰安婦』には、 戦時勤労動員制度の
女子挺身(ていしん)隊と慰安婦を同一視するなど
63カ所に及ぶ問題記述があるという。
天児の父でやはり産婦人科医だった麻生徹男は戦時中、陸軍軍医少尉として
中国各地を転々とした。
昭和13年1月に上海で慰安婦約100人の検診をした経験から、14年6月に
「花柳病(性病)の積極的予防法」という論文をまとめ上官に提出した。
麻生はこの中で、検診では
「(朝鮮)半島人の内、花柳病の疑いある者は極めて少数なりし」と記し、
その理由として日本人慰安婦より若年者が多かったことを挙げている。
ただ、軍の命令で行った検診結果の一例を書いただけだが、
千田はそれを論理を飛躍させてこうこじつけた。
「レポートの結果として軍の目は当然のようにそこへ向けられていく。
それは同時に、朝鮮人女性の怖るべき恐怖のはじまりでもあった。
朝鮮半島が若くて健康、つまり理想的慰安婦の草刈場として、
認識されていくことになるのだった」
千田は別のページにも同様の記述をし、麻生の論文が朝鮮人強制連行の
きっかけのように書いているが、同書にはこれに関する実証的な裏付けも何もない。
匿名の元経理将校が関連がありそうに証言をしている部分はあるが、
この将校が語っているのは13年のエピソードであり、麻生の論文と時期が合わない。
むしろ麻生は論文で「娼楼にあらざる軍用娯楽所の設立も希望す」
「これに代わるものとして、より高尚なる娯楽施設を必要とす。
音楽、活動写真、図書あるいは運動が良い」と提言しているのである。
「千田は自分の都合のいいところだけ拾い読みし、
初めから結論ありきで書いている。完全にフィクション(創作)だ」
こう憤った天児が千田に抗議し、訂正を申し入れたところ、
平成8年4月にこんな謝罪の手紙が届いた。
「朝鮮人女性の比率が高くなったのは麻生論文のためではないということで、
ご指摘の通り論文を発表されたのが年のかわってからであったことも明確です。
私の記述が誤解をまねき、ご迷惑をかけているとすれば罪は私にあります」
ところが、作者自身がこれほど明確に著書の根幹部分での間違いを
認めたにもかかわらず、結局、それらの部分を訂正した改訂版は出版されず、
『従軍慰安婦』の誤った記述が改められることはなかった。
そして、錯誤の連鎖はこれにとどまらず、
「千田が事実として書いた嘘が増殖していった」(天児)のだ。
例えば、慰安婦を強制連行された「性奴隷」と認定した1996(平成8)年2月の
「クマラスワミ報告書」には、オーストラリア人ジャーナリスト、ジョージ・ヒックスの
著書『慰安婦』が引用されているが、天児によると
「索引には参考文献がたくさん並んでいて立派な学術書のようだが、
千田の本とそれを孫引きした著者のものばかり」だという。吉田清治の名前もある。
この本には7カ所「ドクター・アソウ」の名が出てくるが、
千田の著書を引用する形で
「最も健康な慰安婦供給源への基礎をおくのに手助けした」と書いたり、
「上海の慰安所の主唱者」と記したり、およそデタラメな記述が多かった。
さらに『慰安婦』には、麻生が撮った写真が無断掲載されていたため、
天児はヒックスに「著作権侵害だ」と手紙を出したが、なしのつぶてだった。
天児は法的手段に訴えることも考えたが、弁護士は
「日本弁護士連合会はあなたと立場が違うから弁護できない」と断られた。
日弁連は、慰安婦は「軍事的性奴隷」であり、
「軍の強制は明白」との立場を取っているからだ。
吉田と千田という2人の作家が扇情的に書きつづった創作作品は、
当事者や関係者の「それは違う」という異議をかき消し、
事実として世界に広まった。それには、検証も確認もせずに彼らを持ち上げ
紹介してきたメディアが果たした役割も大きい。
麻生徹男(あそうてつお、1910年1月7日 - 1989年7月11日)は、日本の医師、
大日本帝国陸軍軍医として日中戦争、太平洋戦争に従軍した。
千田夏光と慰安婦問題との関連 天児都 千田夏光
PDF 天児都「慰安婦問題の問いかけているもの
デジタル記念館
慰安婦問題とアジア女性基金 慰安婦とは によると
岡村寧次大将が慰安所を推進したとされています。
ただし、その出典である
『岡村寧次大将資料第一 戦場回想編』1970年、302-303頁 は
編集されたものという疑義があるので、確実とはいえません。
↓
『岡村寧次大将資料』について
http://1st.geocities.jp/nmwgip/okamura/okamura.html 1
(靖国偕行文庫所蔵)の文献資料の表紙はこれです。
この通り、文献のタイトルは『岡村寧次大将回想録』です。
『岡村寧次大将陣中感想録』というタイトルで、偕行文庫に所蔵されている
文献資料はありません。
『岡村寧次大将回想録』の表紙を捲ると出てくる内表紙がこれです。
「岡村寧次大将陣中感想録」というのは、『岡村寧次大将回想録』の
内表紙のタイトルです。
『岡村寧次大将資料』について・戦後に支那で国民党軍に自分や部下たちが
拘束されているときに編集・二、三件の強姦に汚点と嘆き・『岡村寧次大将回想録』と
『岡村寧次大将陣中感想録』 1
おそらく『岡村寧次大将回想録』は蒋介石の意を受けて、国民党の宣伝戦略に
合致するように書かれた物です。
しかしそれは、岡村寧次大将がいくら軍の在り方に不満を持っていた改革派、
理想主義者だったとしても、岡村氏本人にとり不本意なものだったのでしょう。
それで、回想録とは別に、本当に自分の認識していた記録として、
日記を残したのだと思われます。
だからこそ『岡村寧次大将回想録』は転載・公表を禁じられていたのだし
、『岡村寧次大将資料』も本人の生きている間は出版されなかったのでしょう。
(岡村氏の没年は1966年、『岡村寧次大将資料』の出版は1970年)
『岡村寧次大将回想録』(1954年編纂)と『岡村寧次大将資料』(1970年出版)
岡村将軍は戦後、白団(ぱいだん)に参加。
白団は、中華民国総統・蒋介石の要請により台湾の国軍を秘密裏に支援した
旧日本軍将校を中心とする軍事顧問団。
1949年(昭和24年)から約20年にわたり中国国民党政権に協力した。
岡村寧次wiki 戦後の項より
第12週4話大陸打通作戦〜それでも恐れられた帝国陸海軍【CGS 倉山満】
岡村大将は長城内の居留民の引き上げを
舎弟と化した蒋介石にやらせながら切歯扼腕。
直属の上司の岡村寧次支那派遣軍総司令官から武装解除命令の電報
(明らかに従わなくて良いとの含)が届くが、「無法者のソ連に降伏はしない!」
と返電。(岡村将軍と根本博中将のやり取り。)
嘘だらけの日中近代史(倉山満)
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