日が落ちれば少しは涼しくなるだろうという目算は外れた。国会正門前の熱気はただごとではなく、汗が噴き出す。一昨日の午後7時半。安保関連法案に反対する大規模な抗議行動が始まった▼催したのは都内の大学生らによる「SEALDs(シールズ)」だ。日本語では「自由と民主主義のための学生緊急行動」。会場の歩道を埋め尽くす顔には高齢者も子連れの家族も。「若者がんばれじゃなくて、全世代で集まれよ!」。彼らの呼びかけ通りの壮観である▼「勝手に決めるな。憲法守れ」。激しいコールが国権の最高機関の堅牢な建築にこだまする。法案は憲法違反と多くの専門家が指摘しても、政権与党は耳を貸さず、近く採決の構えを見せる。抗議行動への参加者は増え続ける▼勝手に決めるな。それは、決めるのは私たち、主権者は私たちだという叫びである。投票だけが国民の仕事ではない。時の政権に常に目を光らせ、必要なら声を上げる。その声を軽んじる現政権に対し、「国民なめんな」のコールが起こるのは当然だろう▼哲学者の柄谷行人(からたにこうじん)さんは以前、3・11後の反原発デモに触れ、「人がデモをする社会」という文章を書いた。人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる、と。その流れは枯れることなく今に続く▼国会前に立ちながら、目配せという言葉をふと思い浮かべた。「危ないね」という思いを伝え合う、それぞれの目配せ。このさりげない連帯は強まりこそすれ、と感じる。