卵を産んで、かえして、育て…。絶え間ない繰り返し。マグロの完全養殖とは命の巡りの再現です。私たちは、その命を味わいながら、生きています。
玉之浦には、リアス式の複雑な海岸線が続いています。
長崎県五島列島最大の福江島の南西部。そこにある港から一九トンの漁船に乗って十分ほどで、近大マグロの成魚が泳ぐいけすの黄色い枠に、船は横付けされました。直径三十メートルの大きな丸い、いけすです。
昼寝ケ浦。昼寝をしながら魚が捕れると言われるそこは好漁場。地元ではシビとも呼ばれるマグロの幼魚のヨコワが、昔から豊富な海だった。
「ツナドリーム五島」のスタッフがいけすに乗り移り、餌の小サバをまいてマグロをおびき寄せ、ロープで巧みに釣り上げる。
ヨコワから三、四年、五〇キロ級の出荷サイズに育てたクロマグロ(ホンマグロ)の成魚です。
バタバタと音を立てて暴れるマグロを三人がかりで船に移すと、もう一人の乗組員が、手際良く神経を抜いて内臓を取り出します。
この日の取り上げは十四本。東京や大阪の百貨店などに送られます。値段は、天然物よりまだ少し高めのようですが、肉質も味も見劣りしないと好評です。
ツナドリームは総合商社の豊田通商(本社・名古屋市)が、近畿大学の技術協力を得て二〇一〇年に設立した、クロマグロの中間育成を営む子会社です。
◆普通の人が普通に食す
近大はその八年前、クロマグロに卵を産ませてふ化させ、成魚に育てる循環型の完全養殖に世界で初めて成功し、近大マグロのブランドを確立しています。
中間育成とは、近大がふ化させ、腕時計の文字盤の直径サイズに育てた稚魚を受け入れて、体長三〇センチほどのヨコワに育て、養殖会社に卸すこと。昨年の暮れからは、近大マグロの名乗りを許された成魚の出荷も始めています。
今月下旬、いけすを望む海岸の種苗センターが開所して、自前のふ化に挑戦します。
近大が技術を磨き、ツナドリームが販路を広げて、完全養殖を軌道に乗せる戦略です。
ツナドリームはその名の通り、親会社の若手社員の夢想から始まった。
初代所長の福田泰三さん(40)は親会社では経理畑にいた人です。
世界中から食べ物をかき集め、この国の胃袋を支え続ける商社の勘というのでしょうか。魚には素人だった福田さんの「マグロをやりたい」という新規事業提案が、意外にも採用されたのです。
一部の海域で資源回復の兆しはあるものの、三〇キロ未満の太平洋クロマグロの漁獲枠は、ことしから大幅に減らすことになりました。規制の網はじわじわと広がっている。
マグロ・カツオ類の漁獲量はこの三十年で二倍以上に増えました。他の魚種よりも急激に資源の枯渇が進んでいます。
「食卓からマグロが消える日」も、絵空事とは言い切れません。
日本では、地球上で水揚げされるクロマグロの八割を食べています。世界に誇る和食という文化の華を、今の時代で枯らすわけにはいきません。
「普通の人が普通のマグロを普通に食べられる世の中を次の世代へつなぎたい」
成魚も幼魚も、見境なしにむさぼり続けていれば、いつか空っぽになるはずです。
◆命の声に耳を澄ませば
マグロは人の言葉をしゃべれません。だから命を賭して「こんな飼い方じゃ、死んじゃうよ」と訴える。
だがそうなる前に、どうやって異常に気づいてやるかが、飼い手の腕の見せどころ。そのために福田さんたちは、水槽の中の命に真っすぐ向き合います。
私たちWASHOKUの国の消費者も、時には食卓に横たわるクロマグロやウナギの姿に目を凝らし、声なき声に耳を澄ましてみる必要がありそうです。
「こっちを向いて。私たちが、まだここにいられるうちに…」と叫ぶ、貴い命の訴えに。
この記事を印刷する