道徳の授業で何をやったのか、他の教科以上に覚えていないし
授業を受けている当時もこの時間が何なのか、よく分からなかったが
猛烈に「この話嫌いだ!」と思ったストーリーがあったのを思い出した。
覚えているキーワードで検索したらすぐ見つかり、「発車オーライ!」というタイトルということが分かった。
スピードを上げた特急バスが、小さな村にある見落としそうなバス停のいくつかを通りすぎたころ、突然前方の座席でなにやらトラブルが起こった。
「なんとか、とうげの手前のホロ町でおろしてもらえんかのう。」
と、車掌さんに声をかけているのは、年配のご老人だった。
こまった表情の車掌さんは言った。
「お客さま、特急バスは決められた所しかお止めできないことになっているんです。
それ以外の所でお止めして、もしもおりられたお客さまに万が一のことがありますとたいへんなことになりますので、規則でお止めすることができないことになっています。
申しわけございません。」
「このバスが特急とは知らんで、うっかり乗ってしもうたんじゃ。
ホロ町にみんなが集まっとってのう。
わしがその責任者だもんで時間までに行かないとみんながこまるんじゃよ。
なんとか止めてもらえませんかのう。」
車掌さんはすまなさそうに言った。
「おじいちゃん、ごめんなさい。安全な場所にお止めしておりていただくことはできるのですが、そうすると、おじいちゃんがおりたあと、ほかのお客さまから、「それならあそこに止めて。」とか、「私はここでおろして。」というご依頼をおことわりすることができなくなってしまうんです。
本当にすみません。」
「とうげをこえた所でおりたいんじゃ。
わしのこの足ではとうげをこえられんし、ホロ町の手前でおろされたんじゃ時間が間に合わん。こまったのう、こまったのう…。」
おじいさんは、鉄ぼうにつかまったままぶるぶるふるえだした。
車掌さんは運転手さんと話しこんでいる様子。
乗り合わせた人々も、他人事と思えなくなり、まるで自分がこの難問の答えを出さねばならないかのように、おじいさんを見、車掌さんを見、車外を流れる景色に目をやって何かよいアイデアはないものかと気をもみ始めた。
「なんとかできないものかなあ。それにしても車掌さんも車掌さんだ。
おじいさんがあんなにこまっているのに、運転手さんと話しこんだりして…。」
と、まちがえて特急バスに乗ってしまったおじいさんよりも、運転手さんとおしゃべりをしている車掌さんをせめる気配が出始めていた。
そうこうしているうち、前方に急な坂道が続く山が見えてきた。あれがとうげだとすると、そろそろこのあたりがホロ町になるのだろう。
そのときだった。それまで、話しこんでいた車掌さんが、運転手さんの言葉にうなずくと、ゆっくりとふり向き、客席に向かって姿勢を正して言った。
「お客さまに申し上げます。当バスはこれよりとうげにさしかかりますので、念のためブレーキテストを行います。ブレーキテスト開始。」
「ドアー開閉チェック、開始。」
昇降ドアーがスーッと手前に開く。
右手で小さく乗降口の方を指さしながら、おじいさんに向かって目で合図する車掌さん。
おじいさんはハッと気が付いて、乗降口に近づいていった。ステップを前にしてクルリとふり向いたおじいさんは、運転手さんと車掌さんに手を合わせ、何度も何度も頭を下げて降りていった。
ゆっくりとドアーがとじる。
「ドアーの開閉チェック完了。ブレーキテスト完了。発車オーライ。」
ブル、ブル、ブルルーン。エンジン音をひびかせて特急バスは走り始めた。
と、同時に車内に大きな拍手がわきおこる。
上記のような内容を延々と書いて先生に呆れられたと思う。
今になって読むと、当時の怒りまでは湧いてこないがやはり嫌いな話だ。
道徳の授業って結局何だったんだろう。
小学生だか中学生だか知らんがその年頃らしい素直な感想だと思うけど 呆れられたって事は「模範解答」は別なのか。 どう書けば正解なんだろう。
道徳っていうのは規範を学ぶためのものだよ 数ある規範の中から優先順位の高いものを選んだり矛盾が生じないよう整合性を取ったりするようになるともう倫理の授業になるのかな 無...
困った人を助ける事とルールを守る事について考えさせたかったんだろうが、 これは老人という中学生には共感が難しい人物で、集会に出るという重要じゃなさそうなイベントだったの...
敢えて老人にしているのも狙いの一つなんだろうけどね。
俺が感想書くなら、用紙にでっかく「駄作」ってだけ書いて出すわ。
こんなの見て感動するガキがいたら、将来どうなんのか心配だ 中途半端に正義感に駆られた痛い人になりそう