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【戦後の教育】黒塗り教科書(墨塗り教科書)と教育内容の変化まとめ

日本の戦前の教育は、軍事色の強い内容の教科書に基づいて行われていた。そのため、戦後、生徒自身の手で、国家主義や戦意を鼓舞する内容の部分に墨を塗って教科書を修正した。これは「黒塗り教科書」(墨塗り教科書)と呼ばれることになった。これは教育内容の転換の象徴としても知られる。

更新日: 2013年08月11日

shiro05さん

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黒塗りされる前の教科書は戦争を連想させるものだったといわれる

・日本の戦前の教育は、軍事色の強い内容の教科書に基づいて行われていた。そうした教育が、日本を戦争に駆り立てる一因ともなったと指摘されている。そのため、戦後は教育内容が大きく転換された。

戦時教科書とみられたもので、戦争遂行の目的に合った教材や、アジア諸国の風物や生活に関係した教材などが取り入れられて、従来の国定教科書の教材を一変させた。

・戦時教科書とよばれるものは「戦争遂行」の目的が含まれるものだったという事は現在の文部科学省もみとめている。

昭和生まれの人の教科書から「サイタ サイタ サクラガサイタ ススメ ススメ ヘイタイススメ」と軍国調に変わってきています。

・大正時代と比較して昭和初期の教科書は軍国調という指摘もある。

「黒塗り教科書」は教育内容の転換の象徴

・戦後、生徒自身の手で、国家主義や戦意を鼓舞する内容の部分に墨を塗って教科書を修正した。これは「黒塗り教科書」(墨塗り教科書)と呼ばれることになり、先に述べた教育内容の転換の象徴としても知られる。

墨塗り教科書⇒戦後、新しい教科書が出来るまでの間、それまで使っていた戦時中の教科書を使いましたが、戦争をたたえたり民主主義に反するような部分があったため、墨で塗ったり切り取ったりして使用しました。昭和22年には学校教育法が定められて授業の内容も新しくなりました。

教育制度上の改革とともに教育内容においても根本的な改訂が加えられた。まず,戦争中の軍国主義,極端な国家主義,神道主義的な教育内容が排除された。

・戦前の教科書の中身には、極端な国家主義や、国家宗教としての神道への傾倒など、問題点も多かったことから、戦後には教育内容についても根本的な改定が行われた。

戦後、GHQにより戦争を推奨するような内容は全部黒塗りにされ、本もたくさん焼かれました。
入手はかなり困難であると思います。
見つかったとしても黒塗りにされているでしょう…。

・黒塗りだけでなく、本そのものが焼かれた例もあることからわかるように、従来の教育内容からの方針転換は極めて急進的に行われた。急進的な改革が必要な時期だったからこそ「黒塗り教科書」が生み出されたともいえよう。

戦後、生徒自身の手で、国家主義や戦意を鼓舞する内容の部分に墨を塗って教科書を修正した。

教科によっては、ほぼ全行に抹消線が引かれたものもあった。当時の国民学校(現・小学校・中学校)では、進駐軍の支持(命令)で使われた教科書のうち、戦意高揚を歌った文章の箇所ついては「墨汁で塗りつぶして読めないように」という指示が出された。

墨塗り教科書は、実は国語の教科書がほとんどでした。英語や算数もあったようですけど。

「地理」,「歴史」,「修身」の教科書は、墨塗りでなく「廃棄」でした。教科まるごと教えなくなったのです。理由は、皇国神話と軍国主義に溢れているから。
でも、国語の教科書の例文に軍国主義的な箇所があると指摘したら、教える教科がなくなってしまいます。だから、そこだけ消したのです。

・しかしながら、ほとんど教えるところが無くなってしまったほどに済み塗りの箇所は多岐にわたったとされる。

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shiro05さん



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